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【フローニンゲンからの便り】18201-18206:2026年2月13日(金)

  • 1 時間前
  • 読了時間: 16分


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タイトル一覧

18201

クラシックギターにおける一万時間の法則の内実

18202

今朝方の夢

18203

今朝方の夢の振り返り

18204

長寿研究と幸福研究が示唆する人とのつながりの大切さ

18205

神経の再編成を意図した音読

18206

毎日30分のスケール練習の長期的効果の予測

18201. クラシックギターにおける一万時間の法則の内実


クラシックギターにおいて「毎日三時間練習する」という言葉を文字通りに受け取り、三時間ずっと弾き続けなければならないと考えるのは正確ではない。熟達に本当に効いているのは、筋肉を酷使した総時間ではなく、神経回路をどれだけ精密に再編成できたかという学習の密度である。ギター演奏は筋力競技ではなく運動制御の技能であり、右手のi–m交替の均等性や左手の独立、セーハの最小圧調整、ポジション移動の予測的制御などは、筋持久力よりも神経の発火パターンの洗練に依存している。したがって、長時間強く弾き続けることよりも、誤差を観察し、修正し、再試行する時間の方がはるかに価値が高い。仮に三時間の練習を理想的に構成するなら、最初の時間帯はウォームアップと基礎の確認になるが、ここで重要なのは量ではなく質である。開放弦の音の立ち上がりや、タッチの均質性、脱力の感覚を丁寧に確かめることは、神経系の基準を整える作業である。これは低強度だが極めて重要な時間であり、単なる準備運動ではない。続く時間では課題を限定した練習を行い、例えばソルやサグレラスの練習曲で左手の分離を磨いたり、バッハで声部の独立を探究したりする。ここではテンポを上げることが目的ではなく、エラー検出と修正の循環を回すことが核心となる。そのため実際には止まって考える時間が多くなるが、その停止こそが神経可塑性を生む契機である。さらに楽曲練習の時間では、音を出していない瞬間も重要になる。譜面を読み込み、和声を分析し、フレーズの方向性を設計する時間は、表面的には静止しているが、脳内では運動表象が強く活性化している。実際、イメージ練習でも運動野は活動することが知られており、音を出さずとも熟達に寄与する。通し演奏を行う時間も必要だが、全力で弾き続けるのではなく、一度集中して通し、録音を聴き、修正し、再度試すという構造の方が学習効率は高い。ここで重要なのは、疲労と学習の関係である。神経系は過度の疲労状態では最適に学習しない。指が震えるほど弾き続ければ、誤った運動パターンを固定してしまう危険がある。したがって集中度は高く保ちながらも筋疲労は抑え、適切に休憩を挟む構造が長期的には最も合理的である。いわゆる一万時間という概念をギターに当てはめるなら、それは楽器を手にしていた総時間ではなく、意図的に改善を試み続けた時間を意味する。漫然と三時間弾くことと、誤差を観察し続けた三時間とでは、神経学的価値はまったく異なる。そして基礎を楽しめる状態に到達しているなら、それは極めて有利である。スケールやアルペジオの反復は神経回路の髄鞘化(ずいしょうか:ミエリン化)を促すが、多くの人は退屈さゆえに質を落とす。基礎そのものを探究対象として味わえるなら、その時間は低負荷でありながら高密度の熟達時間になる。結局のところ、クラシックギターにおける熟達時間とは、強く長く弾いた時間ではなく、正確に、意図的に、修正を繰り返した時間なのである。動いていない時間、考えている時間、音をイメージしている時間もすべて熟達の一部であり、三時間動き続ける必要はない。むしろそうした誤解から自由になったとき、練習は消耗ではなく、構造的成長の場へと変わるだろう。フローニンゲン:2026/2/13(金)06:18


18202. 今朝方の夢 

       

今朝方は夢の中で、実際に通っていた中学校の教室にいた。そこで私は、数学の女性の先生が出題した数学の難問の答え合わせを先生と数人の友人たちと行っていた。雰囲気はとても和やかで、楽しい気分で答え合わせをしていると、話題は数学の問題ではなく、雑談となり、それがまたその場をリラックスした雰囲気にさせた。時が経つのを忘れて話をしていると、窓の外に広がる野原に奇妙な動物が空からやって来た。それは顔は犬なのだが体はカラスのようで、大きさは大型犬ぐらいのサイズだった。その生物は野原の同じ箇所を一周回り、大きなフンをして空に飛び去っていった。私たちはその一部始終を眺めており、最後にそれがフンをして羽ばたいていった姿には思わず笑ってしまった。今後野腹を歩く時には、あの生き物の大きなフンには注意しなければいけないと笑いながら注意し合った。

もう一つ覚えているのは、学校の保健室のような場所で、印鑑型の注射を生徒一人一人が順番に自分で打っている場面である。それは何の予防なのか不明だったが、間違いなく何かの病気の予防であり、体を健康に保つために必要なもののようだった。自分には人一倍強い免疫機能があるので、それは不要のように思えたが、学校の決まりに従ってそれを自分で打つことにした。印鑑型の注射を腕に当てた時、チクリとするような痛みは一切なく、何の痛みも感じずに注射を終えた。窓から見えた景色は見事な快晴であり、外に出て太陽の光を浴びたいと思ったのを覚えている。フローニンゲン:2026/2/13(金)06:28


18203. 今朝方の夢の振り返り

             

今朝方の夢において、自分はかつて実際に通っていた中学校という「過去の学習空間」に再び立ち戻っている。数学の難問の答え合わせをしている場面は、人生における思考力や論理性、あるいは自己の成長課題を象徴している可能性がある。しかもその場は緊張感に満ちた試験ではなく、教師や友人たちと和やかに確認し合う時間であったことから、現在の自分は、かつては「正解か不正解か」という二項対立で捉えていた課題を、より余裕と遊びをもって再解釈できる段階にあるのかもしれない。数学の問題がやがて雑談へと移行したことは、理性中心の世界が関係性や情緒へと溶け出していくプロセスを示唆しているようにも思われる。そこへ突如として現れた犬の顔とカラスの身体を持つ奇妙な生物は、異質な要素の統合、あるいは自分の内面に潜むハイブリッドな衝動の象徴である可能性がある。犬は忠誠や親密さを、カラスは知性や不吉さ、あるいは境界を越える存在を象徴すると解釈できる。その存在が野原を一周して大きな排泄物を残し、空へ飛び去ったことは、心的空間における何らかの浄化や放出の比喩であるのかもしれない。しかもその光景を見て笑っている点は重要であり、かつてならば不安や嫌悪を感じたであろう出来事を、いまの自分はユーモアとして受け止められている成熟を示唆しているように思われる。野原を歩く際に注意しようと語り合う場面は、創造的な混沌や予測不能な出来事が人生に落とす「痕跡」に対し、過度に恐れるのではなく、軽やかに対処する姿勢を象徴しているのではないか。保健室での印鑑型の注射の場面は、社会的規範や共同体のルールへの自発的な参加を表している可能性がある。自分には強い免疫があると感じながらも、それでも規則に従って自ら注射を打つという行為は、自己の強さに依存するだけでなく、共同体の秩序を尊重する態度の象徴とも考えられる。しかも痛みが一切なかったことは、成長のための通過儀礼が、想像していたほどの苦痛を伴わないことを暗示しているのかもしれない。窓の外の快晴と、太陽の光を浴びたいという衝動は、内的調整を終えた後に広がる開放感や新たな段階への移行願望を示唆しているようである。全体としてこの夢は、過去の自己との再会、異質な要素の統合、そして無痛の通過儀礼を経て、より広い世界へ出ようとする心の準備状態を描いているのかもしれない。人生における意味としては、論理と遊び、秩序と混沌、個の強さと共同体への参加を統合しながら、軽やかに次の段階へ踏み出す時期に差しかかっていることを示唆している可能性があるのである。フローニンゲン:2026/2/13(金)08:21


18204. 長寿研究と幸福研究が示唆する人とのつながりの大切さ 

         

長寿研究と幸福研究がほぼ一致して示しているのは、「人とのつながり」が単なる情緒的慰めではなく、生存と健康の核心要因であるという事実である。例えば、Harvard Study of Adult Developmentは80年以上にわたり追跡を続け、「良好な人間関係こそが健康と長寿を最も強く予測する」と結論づけている。富や社会的地位よりも、孤立していないことの方が強力な予測因子であったという点は示唆的である。なぜつながりがこれほど重要なのか。第一に、生理学的側面がある。安定した関係は慢性的ストレス反応を緩和し、コルチゾールの過剰分泌を抑える。結果として炎症反応が低減し、心血管疾患や認知症リスクも下がる。第二に、心理的側面である。人は他者との相互作用を通じて自己物語を形成し、意味を確認する。孤立は主観的時間を歪め、存在の価値感覚を弱めるが、対話はそれを再編成する。ここで大学研究機関という場を考えると、その構造はまさに「知的共同体」である。研究は孤独な作業に見えて、実際には共同仮説の生成、批判、修正の連鎖によって進む。ゼミやカンファレンス、査読、共同執筆は、単なる業務ではなく、相互刺激のネットワークである。学問的対話は認知的負荷を高めるが、それは同時に脳の可塑性を維持する刺激にもなる。孤立した思索は深化をもたらすが、他者との往還は視野を拡張する。さらに、研究者コミュニティは世代を超える連続性を持つ。師から学び、後進を育てる循環は、個人を超えた時間軸を生み出す。この「時間の共有」は心理的安定と長期的目的意識を支える。単に知識を生産するだけでなく、知の系譜に参与するという感覚が、存在の重心を外部に固定するのだ。幸福研究が示すもう一つの要素は「貢献感」である。自分の仕事が他者の理解や成長に寄与しているという感覚は、主観的幸福度を強く高める。大学という環境は、教育と研究を通じてその回路を制度的に保証する。議論は時に厳しいが、その摩擦こそが共同体の活力である。結局のところ、つながりの価値は感傷ではなく構造である。身体的健康、心理的安定、知的発展、そのいずれもが関係性を媒介として持続する。大学研究機関は、孤立した天才の城ではなく、対話と協働によって知が生成される場である。その場に身を置くことは、単に職業選択ではなく、長期的な幸福を支える賢明な選択でもあると言えるだろう。フローニンゲン:2026/2/13(金)09:26


18205. 神経の再編成を意図した音読 

           

音読は「視覚入力→言語理解→発話運動→聴覚フィードバック→誤差修正」という閉じたループの訓練であり、クラシックギターの練習と同じく、反復によって神経系の結線強度とタイミング精度を変えていくタイプの学習である。再編成をより起こしやすくするために、意識するべき点を「ギター練習の原理」に寄せて整理してみたい。まず「正確さがテンポを決める」である。速く読むほど脳が鍛えられるわけではない。意味処理と発話がズレた瞬間に、誤差が固定化されやすい。学術書は構文が長く、参照関係が複雑なので、音読の速度は理解が途切れない上限に合わせるのがよいだろう。ギターで言えば、音の粒が揃うテンポまで落としてから上げるのと同じである。息継ぎが苦しくなる速度は、理解のユニットを壊しているサインである可能性が高い。次に「フレージング=意味のチャンク化」を徹底することである。音読が単なる発声練習に落ちると、神経の再編成は起きても、学術的理解を運ぶ回路にはなりにくい。読む前に一文を見て、主節・従属節・挿入句・照応(this/that/it/which 等)を瞬時に区切り、どこで強調し、どこで落とすかを決める。具体的には、カンマやセミコロンで必ず意味の呼吸を入れ、括弧・ダッシュ・脚注番号は「一段下げた声の小部屋」として扱い、主張の背骨を崩さない。ギターで和声進行の要所にアゴーギクを置くのと同型である。三つ目は「発話のフォーム=身体の脱力と共鳴設計」である。音読は口だけでやると疲れる。腹圧と呼気の流れ、顎・舌・喉の余計な緊張を抜き、声を前に置く意識(響きを口腔前方に集める)で読むと、長時間でも神経系が安定する。声帯を押し付けて大きな声を出すより、一定の音量で明瞭に、を優先する。これはギターで力んだ強打より、最小努力で最大音を鳴らす設計に近い。四つ目は「聴覚フィードバックを使って誤差修正する」である。可能なら録音して、自分の読みを外から聴く。誤差は、発音の曖昧さだけではない。強調位置がずれて論理の骨格が歪む、固有名詞・術語のアクセントが不安定、途中で息が尽きて意味が切断される、といった理解の崩れ方が音に出る。ギターの録音でリズムの揺れが露呈するのと同じで、聴覚は修正の最短経路になる。五つ目は「術語の辞書化=指板のポジション化」である。学術書の読みが詰まる最大要因は、語彙が毎回初見になることである。頻出術語は、発音・定義・用例(その著者がどういう意味で使うか)を一体として固定する。読む前に、今日の範囲に出るキーワードを3~7語だけ選び、声に出して定義まで言える状態にしてから本文へ入ると、理解回路の負荷が下がって速度が自然に上がる。ギターでポジション移動前にフォームを確認してから曲に戻る感覚である。六つ目は「難所反復の設計=スロー練習と部分練習」である。学術書にも「テクニカルな小節」がある。①一文が長い、②抽象度が急に上がる、③引用が多い、④反論構造が入り組む、こういう箇所は2~3文だけ切り出し、意味構造を解剖してから音読に戻す。おすすめは、同じ2文を3回読むたびに目的を変えることだ。1回目は構文、2回目は論理(主張と根拠)、3回目は含意(だから何が言えるか)。これはギターで「右手→左手→音楽表現」とレイヤーを分ける練習に等しい。七つ目は「想起テストを挿入する」である。音読の後、目を離して30秒で「いま何を主張していたか」を口頭で要約する。できなければ、音読は発声には効いても理解の回路には刺さっていない可能性がある。神経の再編成を知識として使える形で起こすなら、想起が必須である。ギターで弾けたつもりでも、暗譜や転調で崩れるなら定着していないのと同じである。八つ目は「負荷を上げる順番」を守ることである。いきなり最難関の章を長時間読むより、まずは短い段落を高精度で、次にページ数、最後に抽象度を上げる。神経可塑性は成功体験の連鎖で回りやすい。毎日30分やるなら、前半10分はウォームアップ(比較的平易な段落)、中盤15分が本丸(難所)、最後5分が要約(想起)という流れが堅い。最後に、音読の意義を「意味の身体化」と捉えるのが核心である。文字を目で追うだけの理解は、頭部に偏りやすい。音読は、呼吸・発声・リズムに思想を乗せることで、概念を身体スキーマに落とし込む訓練になる。ギターで和声を身体化するのと同様に、学術書でも論理の運動を身体に写し取れる可能性が高い。そのために意識すべきは、速さではなく、チャンク化、脱力、フィードバック、難所反復、そして想起である。これらが揃うと、音読は「読む行為」から「思考様式を作り替える稽古」に変わっていくはずである。今日からの学術書の音読はそうしたことを楽しんでいこう。フローニンゲン:2026/2/13(金)09:55


18206. 毎日30分のスケール練習の長期的効果の予測 

                                   

毎日30分のスケール練習は、一見すると地味だが、神経系に対しては非常に強い「毎日の再配線」を起こす習慣である。ただし到達点は、やり方が「ただの反復」か「観察と修正を含む反復」かで大きく変わる。ここでは、メトロノーム使用、音の均質化、脱力、運指の計画、聴き分けを含む質の高いスケール練習を前提に、時間軸ごとの変化を考えてみたい。1年続けた段階では、まず身体感覚が変わるだろう。指板上で迷う時間が減り、左手の指が「次に何をするか」を先読みし始める。右手はアタックのばらつきが減り、音量と音色が揃い始める。ここで起こる主要な変化は、筋力ではなく神経系の同期であり、運動単位の動員が過剰から適量へと移る。結果として疲れにくくなる。また、拍の中に音を収める精度が上がるため、リズムが安定する。さらに、微細なノイズ(隣弦への接触音、左手の離弦音)に気づけるようになり、雑味を減らす方向へ耳が育つ。言い換えると「速さ」より先に「整う」のである。3年続けた段階では、スケールが単なる指の運動ではなく、音楽的文法へ変わり始めるだろう。ポジション移動が滑らかになり、運指の選択肢が増えるだけでなく、選択の基準が「弾きやすさ」から「音色とフレーズ」に移行する。右手は弦ごとの差を均一化でき、同じ旋律でも弦を変えるだけで色を作れるようになる。左手はセーハや拡張の局面でも無駄な力が減り、フォームが崩れにくい。この段階から、スケール練習がレパートリーに直結する。具体的には、速いパッセージに出会ったときに、指が恐怖を感じにくくなる。なぜなら、日々の反復が「できる」という身体的証拠になっているからである。5年続けた段階では、スケールは「移動」ではなく「地形」になるだろう。つまり、指板を点で覚えるのではなく、連続空間として把握できるようになる。これが起きると、初見での運指設計が速くなり、しかも合理的になる。左手の独立性が上がるため、スケール練習がアルペジオやトレモロ、重音やポリフォニーへ波及しやすくなる。右手はアポヤンドとアルアイレの切り替え、タッチポイントの微調整、角度の制御が安定し、音色の再現性が高まる。この「再現性」は演奏の信頼性そのものであり、本番で崩れにくくなる土台となる。また、この頃にはテンポを上げても音が潰れにくくなり、速度が力ではなく効率で出るようになるはずだ。10年続けた段階では、スケールは技術練習を超えて、演奏言語の母体になる可能性が高い。具体的には、スケールを弾くとき、音の粒の均一性だけでなく、音価、呼吸、アクセント、重力(どこに向かうか)が自然に入るようになるだろう。つまりスケール自体が音楽になるのだ。指板把握はさらに深まり、調性内だけでなく転調や臨時記号が出たときにも、恐れずに音を取りに行ける。レパートリーにおける難所は「難所」ではなく、既知のパターンの組み合わせとして見えるようになるだろう。結果として、練習時間の多くを「技術の獲得」ではなく「解釈と表現」に振り向けられるようになる。これは熟達者の特徴であり、基礎が自動化されているからこそ可能になる。ただし、ここで現実的な補足をする。毎日30分を10年続けると総量は約1,825時間である。これは確かに大きいが、「技術のすべてを完成させる」量ではない。むしろ、この時間はギターの中でも最も汎用性の高い領域、すなわち運動制御の精度、脱力、指板把握、音の均質化という基盤を強固にする。だからこそ費用対効果が極めて高いのだ。これがある人は、他の技術(アルペジオ、トレモロ、重音、スラー)を習得するときの速度が上がる。基礎が共通基盤として働くからである。一方、やり方が悪い場合、10年続けても伸びない部分が出る。代表例は、常に同じ調・同じ運指で、耳を使わず、雑な音で反復するケースである。この場合、固定されるのは上達ではなく癖である。したがって、年数ごとの状態を現実にするための条件は、毎日30分の中に「観察」「微調整」「目的の切り替え」が必ず含まれていることである。例えば同じCメジャーでも、ある日は音色、ある日はリズム、ある日は左手の脱力、ある日はポジション移動というように焦点を変える。こうすると30分が同じ練習ではなく違う練習になる。まとめると、1年で整い始め、3年で言語化され、5年で地形化され、10年で表現の母体になる。ただしそれは、反復が惰性ではなく、毎日わずかでも再設計されている場合に限る。フローニンゲン:2026/2/13(金)10:46


Today’s Letter

A harmonic rhythm is embodied throughout my being. That rhythm guides my life with a quiet sense of bliss. I will continue striving to become the rhythm itself. Groningen, 2/13/2026

 
 
 
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