【フローニンゲンからの便り】18195-18200:2026年2月12日(木)
- 1 時間前
- 読了時間: 17分

⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「加藤ゼミナール─ 大人のための探究と実践の週末大学院 ─」も毎週土曜日に開講しております。
タイトル一覧
18195 | クロマティックスケール練習の意義 |
18196 | 今朝方の夢 |
18197 | 今朝方の夢の振り返り |
18198 | 基礎そのものを楽しめる状態 |
18199 | 脱力セーハの本質 |
18200 | モード(教会旋法)のスケール練習 |
18195. クロマティックスケール練習の意義
昨日はスケール練習の意義について考察していたが、今度はクロマティックスケール練習の意義についても考察をしてみたい。それは、音楽的文脈(調性・機能和声)を身体化するというより、「演奏という行為の土台となる運動制御と注意制御を、最も純度の高い形で整える」点にあると言えるだろう。CメイジャーやAマイナーのスケールが「音楽的文法の身体化」だとすれば、クロマティックは「身体装置の較正(キャリブレーション)」である。だからこそ短時間でも毎日の練習の冒頭に置く価値があるし、逆に言えば、時間が限られるときに最優先で長時間やり込むべき種類の練習でもない。目的に合ったやり方で扱うことが重要である。クロマティックが有効なのは、まず左右の同期を露骨にあぶり出すからである。半音階は音程変化が一定で、メロディ的なごまかしが効きにくい。左手が指を置くタイミングと、右手が弦を弾くタイミングがわずかでもずれると、アタックが濁る、音が痩せる、ノイズが出るといった形で直ちに表面化する。つまりクロマティックは、音楽的正しさではなく運動の正確さを測る検査機器として働くのだ。次に、指の独立性と最小運動を育てる点がある。クロマティックは1フレットずつ進むため、左手の指が必要以上に高く上がる癖や押弦圧が強すぎる癖が出やすい。ここを意識的に整えると、結果としてスケールやアルペジオでの疲労が減り、音の均一性も上がる。重要なのは、クロマティックを「指を鍛える筋トレ」にしないことである。鍛えるべきは筋力ではなく、不要な力を使わない制御である。さらに、クロマティックは右手のタッチ均質化にも効く。調性スケールの場合、音楽的流れに注意が奪われ、右手のアタック差が見えにくくなる。クロマティックは音楽的意味を薄めることで、右手の音色のムラ、弦間移動の雑さ、爪角度のブレを観察しやすくする。いわば音色の顕微鏡である。以上を踏まえると、まず「遅く、短く、観察的に」という原則を見出せる。クロマティックの価値は速度ではなく、緊張の検出精度にある。テンポを上げるほど雑な力で押し切れてしまい、緊張が見えなくなる。ゆえに、メトロノームを使うなら四分=50~70程度から始め、動きの質が崩れない範囲でだけ変化させるのがよい。目標は速さではなく、同じ感触で弾けることである。練習の基本単位としては、1弦だけで1~4指を使い、例えば1フレットから4フレットまでを上行下行する形が最もシンプルで強力である。ここで観察するべきポイントは、左手親指が握り込んでいないか、掌がネックに貼り付いていないか、指先がつぶれていないか、指が上がる高さが最小になっているか、である。右手はi-m交互で、アタックを揃え、音量を揃え、リリースを揃える。もし一音でも「引っかかる」「硬い」「濁る」が出たら、それは練習対象の場所である。次に、弦をまたいだクロマティックに移る。この段階で重要になるのは、左手のフレームを崩さずに弦移動することと、右手の弦間移動で手首がぶれないことだ。特に多くの人は、弦を移る瞬間に左手が一度ほどけたり、右手の指が弦に深く入りすぎたりする。そこで、弦移動の直前・直後の2~3音だけを切り出して反復する。全体を何度も弾くより、この局所修正の方が効果が高い。変奏を入れるなら、リズム変奏とアクセント移動が有効である。例えば、長短(付点)リズムにする、三連にする、4音のうち1音目だけを強調する、2音目だけを強調する、といった方法である。これをクロマティックで行うと、左手の独立性、右手のコントロール、そして注意の焦点転換が同時に鍛えられる。これは発達的に言えば、単なる反復ではなく制御の学習である。時間配分の推奨は明確で、練習時間が限られるほどクロマティックは短くするのが賢明である。毎日2~5分で十分に効果がある。重要なのは、いつも同じ箇所を漫然と弾くのではなく、その日の身体状態のズレを見つけて調整するリセットとして扱うことだ。もしその日、左手薬指と小指が固いならその組み合わせを、右手のm-aが不安定ならその交互を、というように微調整する。最後に、クロマティックの位置づけを明確にしておく。クロマティックは「音楽のための身体」を整える練習であり、クロマティック自体を完成させるための練習ではない。音が整い、脱力が保たれ、左右の同期が揃った状態を作れたなら、その日のクロマティックは成功である。そこで得た良い感触を、次にCメイジャーやAマイナー、そしてレパートリーへと移植する。この移植ができて初めて、クロマティック練習は本当の意味で価値を持つと言えるだろう。フローニンゲン:2026/2/12(木)05:15
18196. 今朝方の夢
今朝方は夢の中で、四階建ての本棚の上にいた。それは建物の四階建てよりも遥かに高く、落ちると死んでしまう高さだった。そんな本棚の上で、私は数人の友人とこれから命綱なしに下に降りていく遊びをすることにした。友人のうちの一人(AF)は自分と同じくこの遊びを何度もやっており、一度も失敗したことがない。身のこなしも軽やかであり、尚且つ一切の恐怖がなかった。一方の残りの友人たちは、恐怖で身がすくんでいた。まずは私とその友人とで先導して見本を見せるかのように下に降りていった。やはり私たちにとってはそれは簡単なタスクだったが、他の友人たちは恐る恐る下に降りていた。すると、誰かが手を滑らせて本棚から本を落としてしまった。私はその本を広いに下まで降りると、その本に触れた瞬間にその本がドローンのような物に変化し、私を海岸に連れて行った。そこは地元の海だった。気がつけば日没の時間を迎えており、夕陽がもう沈みかけていた。そんな海をこれから渡り、向こうに見える島に向かっていこうとした。そこでも先ほどの友人を含め、数人の友人たちと一緒に海を泳いで向こうの島に向かうことにしたところ、先の方を泳いでいた友人からクラシック音楽が流れ始めるのが聞こえた。その音楽はとても心地良かったが、それが鮫をおびき寄せないかが心配だった。仮にサメが出てきたら、友人から借りた手元にあるモーター式のボードに乗って一気に移動しようと思った。あるいは、自分には宙に浮く能力があるので、それを使って空を飛んで移動しようと思った。
もう一つ覚えているのは、前職時代のオフィスにいた場面である。私は早めに出社し、優雅にブラックコーヒーを飲みながら仕事に取り掛かり始めていた。すると、ある先輩社員が出社してきて、自分に相談事を打ち明けた。何やら、これからの人生の占いをしてほしいとのことだった。自分には占いの能力はないと断った上で、悩み相談ぐらいならできると思ったので話を聞くことにした。話の中で、先輩は今日のクライアントミーティングの中で、減価償却についての細かな説明をする予定とのことで、クライアントがその知識が全くないことを幾分憤りを感じながら嘆いていた。そこから悩みを聞くと、こちらから何も助言をせずとも先輩の中で思考の整理が進んだようで、すっきりとした表情で自分の席に戻って行った。始業時間となってからトイレに行くと、そこで他部署の先輩社員と遭遇した。その方が突然、自分に変身してほしいというお願いをしてきた。随分無茶な要求だったが、確かに自分には相手に変身する能力があったので、それを使って先輩を助けようと思った。しかしその能力は、外見や声などは完全に再現できても、中身の思考や記憶は再現できず、あくまでも心は自分のままであることを先輩に伝えた。変身能力が自分にあることを思い出させてくれるきっかけになったので、後ほどオフィスに戻ったらボスに変身して少しイタズラをしてみようと思って笑みが溢れた。フローニンゲン:2026/2/12(木)05:29
18197. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢は、自分がいま立っている「高度」と「役割」の両面を象徴している可能性が高い。四階建ての本棚の上にいるという構図は、知の集積の頂に立っている自己像を示唆しているのかもしれない。本棚は書物、すなわち学問・言語・体系化された知の象徴であり、それが建物よりも遥かに高いということは、自分の人生基盤がすでに「知」によって構築されていることの誇張的表現であると推測される。そこから命綱なしで降りる遊びをするという決断は、知の頂から実践の地平へと跳躍する勇気、あるいは理論から現実への移行を楽しむ段階にあることを示しているのかもしれない。恐怖を抱く友人たちは、変化を前にした一般的心性の象徴であり、AFと自分が軽やかに降りる姿は、すでに何度も越境を経験してきた内的成熟を暗示しているように思われる。落ちた本がドローンへと変化する場面は、知が単なる静的対象ではなく、自分を新たな場所へ運ぶ推進力へと転化することを象徴している可能性がある。しかも運ばれた先は地元の海であり、そこは原点、身体的記憶、存在の基層を示しているのかもしれない。日没間際という時間帯は、一つのサイクルの終焉と次なる段階への移行を示唆しているようである。島へ泳ぐという行為は、既知の大陸から未知の領域への渡航であり、自己の発展的分離を意味している可能性が高い。クラシック音楽が流れるという場面は、自分の芸術的側面、調和への志向、あるいは秩序だった美の構造が未来への航路を導いていることを示しているのかもしれない。しかし同時にサメへの警戒があることは、美や理想が時に危険を呼び込むという現実認識を含んでいると考えられる。モーター式ボードや宙に浮く能力は、自分が複数の回避戦略や超越的視座を持っていることへの自覚の表象であろう。後半のオフィスの場面は、知的高さから社会的役割へと舞台が移る構造になっている。ブラックコーヒーを飲みながら早朝に仕事を始める姿は、自己統制と成熟の象徴であると推測される。占いを求められながらも助言を控え、傾聴によって相手の思考整理を促す場面は、自分がすでに他者の内的成長を触媒する位置にあることを示している可能性がある。減価償却という概念が語られることは、価値の時間的配分、資源の再評価、人生の投資回収といった象徴的テーマを内包しているのかもしれない。さらに変身能力の場面は決定的である。外見は再現できるが心は自分のままであるという制約は、役割を演じても主体性は失われないという自己理解を示している可能性が高い。他者になれるが他者にはならないという構図は、共感能力と自我の確立の両立を象徴しているのであろう。ボスに変身して悪戯をしようと微笑む場面は、権威構造を相対化する余裕、あるいは自己の力を遊戯的に扱える段階に達していることの示唆かもしれない。全体としてこの夢は、知の頂から原点の海へ、個人能力から社会的役割へと往還しながら、自分が「導く者」「越境する者」「変身できる者」としての統合段階にあることを象徴している可能性が高い。人生における意味としては、すでに備わっている能力を恐れずに使い、知と身体、理論と実践、自己と他者を架橋する存在へと進化せよという無意識からの促しであると推量される。フローニンゲン:2026/2/12(木)07:42
18198. 基礎そのものを楽しめる状態
学術研究でもクラシックギターでも、「基礎そのものを楽しめる状態」に到達したとき、成長のエンジンは外発的動機から内発的動機へと切り替わる。まず学術研究について考えると、基礎とは原典講読、語学訓練、文献精読、註解の比較、概念の厳密な定義づけといった地道な作業である。とりわけ仏教研究のように文献学的厳密さが求められる領域では、サンスクリット・漢文・チベット語の形態論や構文解析が日常的な営みとなる。この過程を「将来の論文のための下準備」と感じている限り、努力は消耗的になりやすい。しかし、語形変化そのもの、語義の揺らぎの分析そのもの、写本間の異読の差異そのものに美を見出せるようになると、研究は目的達成型の活動から探究そのものが快楽となる活動へと転化する。すると成果は副産物になる。これは長期的には圧倒的に強い。クラシックギターも同様である。基礎とはスケール、アルペジオ、サグレラスの単純な練習曲、右手の独立、左手の分離運動、メトロノームによる超低速練習などである。これを「曲を弾くための準備」と感じている限り、基礎は退屈であり、練習は意志力に依存する。しかし、例えば開放弦の音色変化や、i-m交替の微細な均等性、薬指と小指の神経支配の改善そのものに興味が向くと、基礎は観察対象になる。身体図式が再編成されていく過程そのものが面白くなる。ここに至ると、練習は義務ではなく実験になる。今の自分はまさに、日々そうした実験を楽しんでいる。さらに重要なのは、基礎を楽しめるということは、「時間の地平が長期化している」ことを意味する点である。成果志向の心性は短期的報酬に依存する。一方、基礎志向の心性は十年単位で物事を見ている。神経可塑性も、言語能力も、技巧も、すべては反復によってのみ安定化する。基礎を愛せる人は、反復を苦痛と感じない。したがって累積効果が桁違いになる。ただし一つ注意がある。基礎を楽しむとは、停滞を正当化することではない。基礎を深めることと、基礎に逃げ込むことは異なる。前者は精度を上げ続ける行為であり、後者は挑戦を回避する行為である。例えばスケール練習を楽しみながらも、必ずテンポやダイナミクス、ポジション移動の難度を上げていく姿勢が必要である。学術でも同様で、原典講読を楽しみながらも、常により難解なテクストや新たな理論枠組みに挑戦することが前提となる。基礎を楽しめる状態とは、構造的に言えば「プロセス中心のアイデンティティ」が確立している状態である。自分は成果を出す人間である、ではなく、自分は基礎を磨く人間である、という自己理解である。この転換が起きると、競争や比較から自由になり、他者のスピードではなく、自分の精度が尺度になる。ゆえに、学術研究でもクラシックギターでも、基礎を楽しめるようになった段階は、長期的発達の観点から見れば大変望ましい。ただしそれは終点ではなく、むしろ真のスタート地点である。基礎が楽しいということは、成長が無限に持続可能であることを意味しているからである。フローニンゲン:2026/2/12(木)09:34
18199. 脱力セーハの本質
脱力セーハの本質は「力を抜くこと」ではなく、「必要な神経発火だけを残すこと」である。問題は筋力ではなく、運動単位の過剰動員にある。多くの場合、セーハで苦しくなるのは、力が足りないのではなく、使いすぎているからである。まず前提として理解すべきは、セーハは指一本の仕事ではないということである。実際には、前腕回内筋群、母指内転筋、広背筋を含む引き寄せ連鎖が関与する。したがって神経系トレーニングの目的は、「局所圧迫型」から「全体支持型」への再配線である。第一段階は、「最小閾値探査」である。フレットを押さえずに指を弦に触れる。そこから1mmずつ圧を増やし、音が鳴る瞬間の最小圧を探す。鳴った瞬間にそれ以上の力を入れない。これを全弦で行う。この練習は筋トレではなく感覚校正である。脳に「これで十分」という新しい基準を教える作業である。第二段階は、「脱力オン・オフ訓練」である。4拍セーハ → 4拍完全脱力(弦に触れるだけ)を繰り返す。重要なのは、脱力局面で前腕に残留緊張がないかを観察することである。神経系は持続収縮を安全と誤認する傾向があるため、意図的にオフを挟むことで再学習させる。第三段階は、「骨支持感覚の確立」である。指腹ではなく親指側エッジで軽く触れ、背中からネックを引き寄せる。ここで左手単体で押すのをやめる。広背筋が微細に参加すると、前腕屈筋の発火が減る。このときの感覚は「押す」ではなく「吊る」に近い。第四段階は、「動的セーハ分解」である。フルセーハをいきなり固定しない。6弦だけ → 6–5弦 → 6–4弦 → 全弦、と段階的に増やす。脳は一括処理よりも段階的負荷増大の方が効率よく最適化する。これは運動学習の漸進的過負荷原則に合致する。さらに高度な訓練として、「微振動緩和法」がある。セーハ状態でごく微細に前腕を揺らす。緊張が強いと揺れない。揺れが生まれる程度の最小圧に調整する。これは共収縮(agonist-antagonist同時緊張)を減らす訓練である。重要なのは「鳴らそう」としないこと。鳴る構造を整えることで結果として鳴るのである。最後に基準を一つ考えてみたい。セーハ中に呼吸が止まるなら、力が多い。セーハ中に会話できるなら、適正圧に近い。脱力セーハは筋力の問題ではなく、運動制御の精度の問題である。神経系が最適化されれば、力は自然に減る。そしてその状態が安定すると、持久力も音質も同時に向上するだろう。フローニンゲン:2026/2/12(木)10:19
18200. モード(教会旋法)のスケール練習
モード(教会旋法)のスケール練習の意義は、単に「新しい音階を覚える」ことではない。耳・指・和声感覚の三点を、長調/短調の重力(トニックへの帰結)からいったん解放し、別種の重力場を身体化する訓練である。クラシックギターにおいては特に、運指の型を増やす以上に、音の方向性(フレージングの必然)と、和声の色彩(響きの輪郭)を変える効果が大きい。第一に、耳の訓練としての意義である。長調・短調に慣れた耳は、無意識に「導音→主音」「属→主」の吸引を探してしまう。モード練習はこの自動運転を止め、「終止感の中心がどこにあるか」「特徴音がどの瞬間に色を決めるか」を聴き分ける精度を上げる。例えばドリアンなら長6度、フリジアンなら短2度、リディアンなら増4度、ミクソリディアンなら短7度が「香りの主成分」である。これらを意識的に浮き立たせ、同時にやり過ぎないバランスを学ぶことで、単音の意味づけが強くなる。ギターの単旋律は、こうした意味づけの濃度で音楽になる。第二に、指板理解の再編成である。多くの人はスケールを「運指パターン」として覚える。だがモードをやると、同じ7音でも中心(tonal center)が変わり、同一の音列が別の機能を帯びる。ここがポイントである。音名は同じでも役割が変わるため、指板上で「同じ形をなぞる」だけでは成立しない。中心音への帰着、特徴音への着地、半音の緊張の置き場所が変わるのだ。結果として、ポジション移動の意味が、「形の移動」から「重力場の移動」へ変わる。これはギター的には、移弦とポジションの設計力を上げる。第三に、和声感覚の拡張である。クラシックギターは和声楽器であり、旋律の背後に常に和声の仮想が走る。モード練習は、機能和声のI–V–Iだけでなく、持続低音(ドローン)、ペダルポイント、和声の浮遊、非機能的進行、そして近代以降の色彩和声に自然に接続する。例えば、リディアンはメジャーなのに浮遊感が強い。フリジアンは暗いが異国性がある。ミクソリディアンはブルース的・民謡的な開放感がある。これらの色が身体化されると、タレガやアルベニス編曲、ヴィラ=ロボス、さらには現代作品の解釈で、音の置き方が変わるだろう。譜面に書かれていない響きの意図を推測しやすくなるのだ。第四に、即興や作曲だけでなく、クラシックの解釈にも効く点である。クラシックギターのレパートリーには、旋法的要素が頻繁に現れる。スペインもののフリジアン(いわゆる「スペイン旋法」的運用)、民謡由来のミクソリディアン、教会音楽的なドリアンなどである。モード練習をしていると、そこに現れた特徴音を「ただの臨時記号」ではなく「語法」として捉えられる。すると運指やアーティキュレーションの選択に根拠が生まれる。特定音をわずかに前に出す、ビブラートを深くする、逆に淡く通過させる、そうした判断が理屈ではなく感覚で出るようになる。では、始めるタイミングはいつが良いだろうか。結論としては、「長調・短調の基礎が最低限自動化した後」が最も効率的だろう。具体的には次の条件が揃った頃である。(1)メジャー/ナチュラルマイナーの2オクターブスケールを複数ポジションで、音のムラなく、一定テンポで弾ける。(2)移弦・ポジション移動で右手左手に過剰緊張が出ない。(3)スケール練習が形の再生ではなく、音程を聴きながらできる(少なくとも主音がどこか迷わない)。(4)簡単な終止(V–I, iv–V–iなど)の響きの帰結感を耳が理解している。これがない段階でモードに入ると、情報量が増えすぎて「パターン暗記」に戻りやすい。モードの価値は耳と機能感覚の更新にあるので、土台の自動化が先である。ただし例外もある。長調短調の練習に飽きてモチベーションが落ちるタイプなら、早めに少量導入した方がよいだろう。基礎を楽しむ力が既にあるなら、モードはむしろ基礎の「味変」として機能する。重要なのは量で、全モードを一気にやらないことだ。最初はドリアンとミクソリディアンの二つで十分である。理由は、長調・短調との差異が明確で、耳が掴みやすいからである(ドリアン=短調+長6度、ミクソリディアン=長調+短7度)。進め方の基本設計として、モードは「同じ親スケールの開始音を変える」練習ではなく、「中心音を固定し、特徴音の役割を固定する」練習である。例えばDドリアンをやるなら、Cメジャーの音列を使うのではなく、「Dを家として感じる」ように、Dに帰着するフレーズを作り、AやCへの寄り道をどう処理するかを聴きながら弾く。可能なら低音Dのドローン(開放4弦)を鳴らしながら行うと、モード感が急激に立ち上がるだろう。最後に、実利的な判断基準を置く。今の練習の中で「スケールは弾けるが音楽にならない」「同じ長調短調の色に飽きる」「スペイン系の響きの根拠が欲しい」「現代寄りの色彩感覚を鍛えたい」と感じているなら、モード導入はちょうど良いタイミングと判断できそうだ。逆に「まだ音が均一に出ない」「左手が固まる」「リズムが不安定」という段階なら、モードは少量に留め、まずは長調短調の均質化を優先した方が伸びが速いと考えられる。フローニンゲン:2026/2/12(木)11:58
Today’s Letter
I remain in a state of deep relaxation. This calmness enriches my life more and more. Relaxing both body and mind is the key to bliss. Groningen, 2/12/2026