【フローニンゲンからの便り】18174-18178:2026年2月8日(日)
- yoheikatowwp
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タイトル一覧
18174 | 和声空間の身体化に向けて |
18175 | 今朝方の夢 |
18176 | 今朝方の夢の振り返り |
18177 | 因縁生起と量子の生成 |
18178 | リアルタイム・バイオフィードバック装置としてのクラシックギター |
18174. 和声空間の身体化に向けて
和声空間を身体化することについて昨日に引き続き考えていた。和声空間の身体化とは、和音や調性、機能和声の進行を、頭で理解する抽象的な理論としてではなく、身体感覚として直接的に把握できる状態を指す概念である。単なる知識としてのトニック・ドミナント・サブドミナントではなく、それらが空間的な「重力」「方向性」「張力」として感じ取られる段階である。和声は本来、時間の中で展開する音の関係性であるが、熟達した演奏家にとっては、それは三次元的な地形のように感じられることがある。例えば主和音は安定した平地、属和音は傾斜のある斜面、増和音や転調は急激な段差や視界の転換のように体感される。これは単なる比喩ではなく、長期の反復練習によって神経回路が再編成され、和声進行が運動予測と結びつくために生じる現象である。ここで重要なのは「予測」である。脳は常に次に来る音を予測している。機能和声に十分に浸された身体は、Vを弾いた瞬間にIへの重力を感じる。このとき理論を思い出しているのではない。指が、耳が、呼吸が、すでに解決を待ち構えている。和声進行は思考の対象ではなく、運動準備の一部となる。これは運動野、聴覚野、前頭前野の統合的活動によって成立していると考えられる。クラシックギターの実践においては、和声空間の身体化は特に顕著である。右手のアルペジオが和音を時間方向に展開するとき、左手は単なる押弦動作を超え、和声の重心を探る触覚的センサーとなる。バッハの声部進行を弾き込むと、各声部の独立性と同時に垂直的統合が身体内で感じられるようになる。ある声部が緊張を作れば、別の声部がそれを受け止める。この関係性が指先でわかる段階に至ると、演奏は「弾く」行為から「和声の流れに乗る」行為へと変わる。この身体化には段階がある。初期段階では理論的理解が先行する。次に、聴覚的識別が鋭くなる段階がある。さらに進むと、和声が運動パターンと結びつき、譜面を見た瞬間に身体が和声的方向を予期する。最終段階では、転調や借用和音さえも恐れではなく、空間的移動として快感を伴うようになる。ここでは調性感は固定された座標ではなく、移動可能な地平となる。重要なのは、和声空間の身体化は量的練習時間の積み重ねと質的集中の両方を必要とする点である。ただ音を繰り返すだけではなく、各和音の機能と感触を意識的に味わうことが不可欠である。アルペジオ練習やバスラインの歌唱、声部ごとの分解練習は、和声地図を身体内に刻む具体的方法である。最終的に、和声空間が身体化されると、演奏は正確さの追求を超える。フレージングは自然な呼吸となり、緊張と解放は筋肉の収縮と弛緩のように感じられるだろる。ゾーンに入るとは、和声重力と身体重心が一致する瞬間である。そこでは理論は消え、空間がそのまま運動となる。和声は外在的構造ではなく、身体の延長となるのである。フローニンゲン:2026/2/8(日)04:54
18175. 今朝方の夢
今朝方は夢の中で、小中学校時代を過ごした社宅の自室の中にいた。そこで私は机に向かって勉強を始めようと思い、クラシック音楽のプレイリストを流すことにした。ピアノ曲がいいのかクラシックギター曲がいいのかを一瞬考え、結果として後者を選んだ。いざ勉強を始めてみると、本の中に挟んでいた三つのノートの切れ端が机の上に落ちた。それぞれを眺めると、もはや不必要な内容のメモだと分かり、処分することにした。そこには自分の秘密の考えが記されていて、他の人に見られないようにするためにゴミ袋の奥の方に捨てることにした。本を読み始たら、自分の脳内にはあるアクションゲームが開始されており、それをプレーしたところ、10秒でやめた。特に面白さを感じられなかったのである。するとそこからは、二人のキャラクターが戦う格闘ゲームの様子が浮かび、二人が戦っている場に臨場感を持って居合わせるような形となった。二人の戦いに関しては二ラウンド目まで観戦し、再び意識が自室に戻った。すると、父方の祖母の声がして、襖を開けると、そこに実際に祖母がいたので驚いた。どうやら父の車で一緒にここにやって来たようだった。父は今別の場所にいて、自分が社会人になった時に加入してくれた保険の解約手続きをしてくれていた。母が電話で父と話をしており、父からもう一度本当に保険を解約していいのかの意思を問われた。自分にとってはその保険は全く意味がないと思ったので、即座に解約をしてもらうことにした。合計で16年ほど月々積み立てた金額が還付されるとのことで、それを受け取ったら、日本円で保持していてもしょうがないので、ビットコインの追加購入に充てようと思った。
それ以外に覚えているものとしては、友人と包装紙に包まった食べ物を口にした時に、それがハムの塊だと知って少し気持ち悪くなった場面があった。加工肉は体に有害であり、有害なものを体内に取り入れてしまったことを後悔した。もちろん少量だったので、それがすぐざま体に悪影響を及ぼすわけではないと思いながらも、不要なものかつ有害なものを口にしてしまって、精神的にも非常に後味が悪かったのを覚えている。フローニンゲン:2026/2/8(日)05:07
18176. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢は、自分が過去の自己像と現在の自己像、そして未来への投資判断とのあいだで、深層的な再編成を行っている過程を象徴しているように思われる。小中学校時代を過ごした社宅の自室にいるという場面は、自分の原初的な自己構造、すなわち人格の基層が形成された空間への回帰を意味しているのであろう。その部屋で机に向かい、勉強を始めようとする姿は、自己形成の原点に立ち返りながら、再び知的営為によって自らを構築し直そうとする姿勢の表れであると考えられる。ピアノではなくクラシックギターを選んだことは、より身体化され、自分の血肉となっている実践を選択したという象徴であり、思索よりも身体知を伴う探究を優先する心的傾向を示しているのかもしれない。本から落ちた三つのノートの切れ端は、かつての秘密の思考や未熟な信念、あるいは他者に見られたくない自己像の断片を表している可能性がある。それらがもはや不要であると直感し、他者の目に触れぬよう処分する行為は、自己物語の編集作業であり、アイデンティティの再統合であろう。過去の思考様式を廃棄しつつも、それを自らの責任のもとで静かに葬る態度には、成熟の兆しが見える。脳内で始まったアクションゲームを10秒でやめた場面は、刺激や即時的快楽への関心がすでに低下していることを示唆しているようである。続いて浮かんだ格闘ゲームを観戦するという構図は、内面に存在する二つの力、例えば理性と衝動、安定と挑戦、保守と革新といった対立軸を客観的に観察する自己の姿勢を象徴しているのであろう。自分はもはや戦う当事者ではなく、対立を俯瞰する観察者へと位置を移しているのである。祖母の出現は、血縁的時間軸、すなわち家系や伝統との再接続を意味している可能性がある。父が保険解約の手続きを進めている場面は、過去に設計された「安全保障的な未来設計」を手放すかどうかの問いであり、自分がそれを即断することは、安定よりも自律的選択を優先する価値観の明確化であろう。16年積み立てた資金をビットコインに回そうとする発想は、固定的制度への信頼から、流動的で自己責任的な価値保存へと重心が移行していることを象徴しているのかもしれない。ハムを口にして後悔する場面は、身体への異物混入という形で、価値観に反する選択をした際の微細な違和感を示しているようである。少量であっても有害なものを取り入れたという感覚は、倫理的純度への強い志向、あるいは自己統制の水準が高まっている証左であろう。総じてこの夢は、自分が過去の自己を整理し、不要な観念や制度的依存を手放しつつ、より身体化された実践と主体的な未来設計へと舵を切ろうとしている過程を映し出しているように思われる。人生における意味とは、与えられた枠組みを継承することではなく、自ら選び直し、不要なものを削ぎ落としながら、より本質的な価値へと資源を再配分していく不断の編集作業そのものにあるのかもしれない。フローニンゲン:2026/2/8(日)06:17
18177. 因縁生起と量子の生成
唯識においては、あらゆる法は自性をもって独立に成立するのではなく、必ず因縁と増上縁など複数の条件の和合によって生起すると理解される。因とは直接的な生起の種子であり、縁とはそれを助成する諸条件である。特に増上縁は、主因ではないが、その成立を強力に後押しする環境的・状況的条件を指す。この枠組みは、存在を実体ではなく過程として把握する点に特徴がある。この観点を量子の生成に照らすならば、量子もまた固定的粒子として「それ自体で」存在するのではなく、場の励起や相互作用という条件の集積によって顕現する過程と見ることができる。現代物理学、とりわけ量子場理論では、電子や光子は独立した小さな実体というよりも、基底にある場の振動状態として理解される。場そのものが基盤であり、粒子はその一時的な励起である。この構図は、唯識における種子と現行の関係に類比的である。阿頼耶識に蔵された種子が因となり、適切な縁が整うと現行として顕在化するように、量子もまたエネルギー条件や相互作用の閾値が整うことで観測可能な状態として現れる。例えば真空における対生成は、何もない空間から粒子が突然生まれる現象のように見えるが、実際には量子場の揺らぎという潜在的条件が常に存在している。そこに十分なエネルギーという増上縁が加わることで、仮想状態が実在的粒子として確定する。この確定は観測行為と深く関わる。観測装置との相互作用が波動関数の収縮をもたらし、可能態の重ね合わせが特定の結果へと限定される。この過程は、唯識でいう「識の転変」にも通じる。外在的実体が独立に立ち現れるのではなく、条件的関係網の中で特定の様相が顕在化するのである。重要なのは、量子もまた固定的自性をもたない点である。位置も運動量も同時に確定できず、存在は確率振幅として記述される。これは自性を否定し、依他起性として諸法を理解する唯識の枠組みに構造的に響き合う。量子の生成は、物質的実体の誕生というより、条件が整ったときに成立する相関構造の顕現と捉えるほうが適切である。もっとも、両者を単純に同一視することは慎重でなければならない。唯識は認識論的かつ解脱論的体系であり、量子論は経験的予測理論である。しかし、存在を固定的本質ではなく、条件的生成として理解する視座において、両者は深い共鳴を持つ。量子の生成を因縁生起の観点から見るならば、それは「無からの創造」ではなく、潜在的可能性が条件の充足によって一時的に現象化する過程であると言える。存在とは実体ではなく、縁起的出来事なのである。フローニンゲン:2026/2/8(日)06:21
18178. リアルタイム・バイオフィードバック装置としてのクラシックギター
クラシックギターの練習中に、鳴っている音からその日の自分の身体状態や心の状態がわかるかのようだ。その感覚は錯覚ではない可能性が高い。クラシックギターという楽器は、身体と音の距離が極端に近い楽器である。鍵盤や管楽器と比べても、弦の振動はほぼ直接、指の接触条件によって決まる。したがって、音は身体状態の高解像度センサーとして機能する。まず身体的側面である。右手のタッチ角度、爪の当たり方、指の脱力の度合い、左手の圧力と到達精度――これらは筋緊張や神経系の興奮度を即座に反映する。交感神経が優位であれば、無意識にアタックが強くなり、音は硬質で輪郭が立ちすぎる傾向が出る。疲労が蓄積していれば、微細運動制御が鈍り、発音の立ち上がりがわずかに遅れ、レガートの接続が粗くなる。逆に、副交感神経が優位で身体が整っている日は、弦への接触が深く安定し、倍音が豊かに広がる。これは神経科学的には、運動野と感覚野のフィードバック・ループの問題である。指先の触覚入力は即座に聴覚情報と統合され、小脳で誤差修正が行われる。コンディションが良い日は、この誤差修正が高速かつ精密に回る。いわば「内部キャリブレーション」が整っている状態である。次に心理的側面である。音色は感情状態を強く反映する。焦りがあればテンポが微妙に前のめりになり、音価が短くなる。心理状態が良い日はフレーズの呼吸が自然に伸びる。迷いがある日は、強弱のコントラストが曖昧になることが多い。これは単なる気分の問題ではなく、前頭前野の負荷や注意資源の配分が運動出力に影響するためである。さらに深い次元では、「身体図式(body schema)」の統合度が音に現れる。長時間の反復練習によって、指の運動は意識的制御から無意識的制御へ移行する。身体と楽器が一つの拡張系になるほど、音は滑らかになる。逆に生活リズムが乱れたり睡眠不足があったりすると、その統合感が崩れ、どこか分離した響きになる。重要なのは、音を単なる結果としてではなく、診断ツールとして聴く姿勢である。今日は高音が刺さるのか、低音が痩せるのか、和声が濁るのか――それを丁寧に観察すると、筋緊張、呼吸の浅さ、集中の質が読み取れる。この状態は、ある意味で瞑想に近い。音を通じて自己の状態を観察する行為は、心身の微細な変化を可視化するプロセスである。楽器は鏡ではなく、拡大鏡である。微細な緊張や迷いを増幅して返してくる。したがって、鳴っている音からその日の身体状態や心の状態がわかる感覚は、実際には高度な感覚統合の結果である可能性が高い。練習を重ねるほど、その感度は上がる。最終的には、音を聴くだけで「今日は整っている」「今日は無理をしている」と即座に判断できるようになるだろう。クラシックギターは単なる音楽表現の道具ではなく、自分にとっては神経系と精神状態のリアルタイム・バイオフィードバック装置でもあるのである。フローニンゲン:2026/2/8(日)13:31
Today’s Letter
My entire existence resonates with the universe’s vibrations, and each one moves in harmony with the pulse of my being. Groningen, 2/8/2026

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