top of page

【フローニンゲンからの便り】18146-18149:2026年2月3日(火)



⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「加藤ゼミナール─ 大人のための探究と実践の週末大学院 ─」も毎週土曜日に開講しております。


タイトル一覧

18146

渡英前の最後の冬の厳しさより/フェルナンド・ソルの教則本

18147

今朝方の夢

18148

今朝方の夢の振り返り

18149

和声思考の身体化に向けて

18146. 渡英前の最後の冬の厳しさより/フェルナンド・ソルの教則本

                                     

時刻は間も無く午前5時半を迎える。今の気温はマイナス6度だが、体感温度はマイナス16度らしい。今年の冬は過去10年間の中で最も過酷であり、オランダで過ごす最後の冬がこうした過酷さを伴うというのは何かのメッセージなのだろう。自分にとってみたら、冬は厳しければ厳しいだけ有り難い。厳しい冬の先には、それに見合うだけの暖かさと優しさ、そして輝きがあるからである。それは自己修練の観点においても当てはまり、厳しい冬の後には必ずより磨かれた自己がある。オランダでの最後の冬を終え、より磨かれた自己を伴って夏からイギリスでの生活を始める。


フェルナンド・ソルの教則本は、クラシックギターの古典的均衡を体現している。ここには三つの補完的機能がある。まず、サグレラス的基礎技術とバッハ的構造思考の中間層を埋める役割である。サグレラスは運動の整序に優れるが、和声語法は比較的単純である。一方バッハは高度な対位法的思考を要求するが、ギター固有の音響バランスへの配慮は必ずしも直接的ではない。ソルはその両者の橋渡しに位置するだろう。和声は機能的で明快、旋律線は歌わせることが前提であり、かつギターという楽器の響きを前提に書かれている。したがって「音楽的構造を理解しながら自然に弾く」という中間的能力が養われることが期待される。次に、音色とポリフォニーの統合である。ソルは声部独立を要求するが、バッハほど抽象的ではない。旋律と伴奏のバランス、内声の処理、分散和音の歌わせ方など、ギター上でのポリフォニー処理の実践的訓練になる。これはバッハの《ゴルトベルク変奏曲》に向かう際の足場として機能し得る。さらに、身体の脱力と古典的フレージング感覚の獲得である。ソルの語法は過度な表情付けを排し、自然な呼吸に基づくフレーズ形成を要求する。これにより、サグレラス的な機械的整然さと、バッハ的な構造緊張のあいだに歌の次元が加わる。ただし注意点もある。ソルばかり弾き込めば、ロマン派以降の和声拡張や色彩的語法への適応は弱くなる可能性がある。また、対位法的密度はバッハほど高くないため、純粋なポリフォニー訓練としては限定的である。総合すると、サグレラスで運動の深層構造を整え、ソルで古典的均衡と声部感覚を育て、バッハで構造的思考を極限まで高めるという三層構造は、偏りを相当程度緩和する設計であると言えるだろう。ソルは「橋」であり、「均衡装置」である。その位置づけを意識して弾き込むならば、補完効果は大きいはずだ。フローニンゲン:2026/2/3(火)05:34


18147. 今朝方の夢   


今朝方は夢の中で、夢を観察する自己として存在していた。そこで観察していたのは、有名な元プロサッカー選手が選手時代に経験した辛い体験である。彼が所属していたチームのスポンサー企業の経営陣には、一人敏腕ながらも非常に乱暴な人がいた。その経営メンバーが彼にある命令を下した。それは、遊園地でのアトラクション開発である。もちろん彼はサッカー選手だったので、アトラクションを一人で一から作ることは不可能であり、彼の実務的役割はアイデア出しを少々行うことぐらいで、一番重要な役割は広告塔として活躍することだった。彼は日本代表にも入っていたので知名度があり、その経営メンバーはそのことに着目したのである。しかし、そのアトラクションは子供の命を奪う危険性のある危ないものだった。見かけは平凡なものだった。大型動物が入っているような檻の中で、お掃除ロボットのようなものが動いているだけである。しかし、そのロボットは時に制御不能になり、人間に危害を加える可能性があったのだ。悲惨にも、実際に死亡事故が起きてしまい、その経営メンバー自分で責任を取らず、彼に責任を負わせようとした。彼は現役中、その事故について謝罪会見を開き、涙ながらに誤っていた。本当は彼は全く悪くなかったのである。選手引退後、彼は当時の事故の真相についてメディアに語った。それによってその経営メンバーは責任を問われただけではなく、刑事事件にも発展した。その経営メンバーはサイコパスであり、社内でも社員たちと過激なシューティングゲームに熱中しており、それが行き過ぎると現実世界でもライフルを乱射して社員を殺していた。そんな過去を持つ男とだった。


もう一つ覚えているのは、不思議な森の中で散策をしている場面である。森には不思議な力があり、森の生命たちの命の揺らぎと自分の命の揺らぎが呼応し、意識状態も変化し、有機的な癒しが起こっていることが感じられた。それを通じて活力が漲ってくる実感があったのである。私は綺麗な川の付近をまず散歩していた。川を眺めると、水中には何種類もの魚が泳いでいた。彼らの優雅な泳ぎを見た後に、一本の大木に吸い寄せられるように近づいていった。大木の足元付近には穴が空いていて、そこに複数の昆虫が共存していた。何か小さな飛んでいる虫が自分の耳元にやって来たが、どうやらこちらに危害を加えようとしているわけではなく、遊びたいと思っているようだった。しかし私は森の先に進まなければいけなかったので、それらの虫を手で払いのけて先に進むことにした。フローニンゲン:2026/2/3(火)05:48


18148. 今朝方の夢の振り返り

         

今朝方の夢において自分は、出来事の当事者ではなく、それを観察する自己として立っている。この構図は、人生において自己を出来事から一歩引いた視点で捉えようとする態度の象徴である可能性がある。元プロサッカー選手の悲劇は、能力や誠実さとは無関係に、構造的な権力の歪みによって責任を押し付けられる存在の比喩であろう。スポンサー企業の経営メンバーは、成果や倫理よりも支配と自己保身を優先する冷酷な力の象徴であり、その命令によって作られた危険なアトラクションは、外見は平凡でありながら内側に暴力性を孕む制度や社会的装置を暗示しているように思われる。選手は広告塔として利用され、事故の責任を負わされる。これは、表象としての自己が構造の罪を背負わされるという構図であり、自分自身がこれまで担ってきた役割や肩書き、期待の投影と無関係ではないのかもしれない。涙ながらの謝罪は、真実とは異なる物語を引き受ける苦しみの象徴であろう。そして引退後に真相を語り、加害者が裁かれる展開は、時間を経て抑圧された真実が顕在化する過程、あるいは自己の内面における倫理的回復の物語である可能性がある。サイコパス的経営者がゲームと現実の境界を失う姿は、虚構と現実の混同、すなわち無自覚な欲望が現実を破壊する様相の極端な象徴と解釈できるであろう。これに対して森の場面は、まったく異なる位相を持つ。そこでは命の揺らぎと自分の命の揺らぎが呼応している。川の魚たちの優雅な動きは、自然な自己展開の在り方、無理なく流れに沿って生きる姿の象徴であろう。大木の根元の穴に共存する昆虫たちは、多様な生命が支え合う無数の関係性のネットワークを示しているように思われる。耳元に来た小さな虫が敵意を持たず、ただ遊びたがっているという感覚は、世界が必ずしも敵対的ではないという直観の表れかもしれない。しかし自分は森の奥へ進むことを選び、虫を払いのける。これは、癒しや安らぎに留まらず、さらに深い探究へ進もうとする意志の象徴であろう。前半の社会的悲劇が構造的暴力と責任転嫁の物語であったのに対し、後半は生命との共鳴と再生の物語である。両者を観察する自己の存在は、善悪や加害被害の二項対立を超えて、それらを包括的に見つめる意識の成熟を示唆している可能性がある。人生における意味としては、外的構造に翻弄される物語を超え、真実を語る勇気と、生命の深層と共鳴する感受性の双方を統合する段階に来ているという暗示であろう。社会的役割の仮面を超えて、より本質的な自己へ歩みを進める時期にあることを、この夢は静かに示しているのかもしれない。フローニンゲン:2026/2/3(火)08:17


18149. 和声思考の身体化に向けて 

                                

ロマン派以降の和声拡張と色彩的語法を本格的に身体化したいのであれば、目的に応じて特化対象を分けるのが合理的のように思える。大きく三系統に整理できる。まず、機能和声の拡張と半音階的緊張を深く内在化したいなら、ショパンが最適だろう。ショパンは属和音の長大な遅延、転調の連鎖、内声の半音階的滑走を高度に洗練させた作曲家である。彼を弾き込むと、和声が「機能」ではなく「呼吸」として感じられるようになるはずだ。特に前奏曲やノクターンは、緊張と弛緩の微細な時間設計を身体に刻む訓練になる。ギターに編曲して取り組む場合でも、和声感覚そのものは十分吸収可能である。次に、色彩的和声と響きの空間化を体得したいなら、ドビュッシーに特化するのが有効なのではないかと思う。ドビュッシーは全音音階、モード、並行和音、非機能的進行を駆使し、和声を重力から解放した。彼を弾き込むと、和声は方向性よりも「色」として知覚されるようになるだろう。ギターという減衰楽器においては、残響の設計や音色コントロールの精度も飛躍的に向上することが期待される。さらに、後期ロマン派的密度とポリフォニックな色彩融合を強化するなら、スクリャービンやワーグナーが有効かもしれない。特にスクリャービンは拡張和音を静止させる独特の浮遊感を持ち、和声を純粋なエネルギー場として扱う。これを身体化すると、響きの緊張密度を直感的にコントロールできるようになることが期待される。ギター作品に限定するなら、アグスティン・ピオ・バリオスやエイトル・ヴィラ=ロボス が現実的かつ強力である。バリオスはロマン派的旋律美と色彩的和声を融合させ、ヴィラ=ロボスは印象派的響きと民族的リズムを統合した。特にヴィラ=ロボスの練習曲群は、和声拡張とギター的色彩処理の両面を鍛える優れた教材である。総括すると、和声の「方向性」を強化するならショパン、和声の「色」を深化させるならドビュッシー、密度と緊張の極限を求めるならスクリャービン、ギター上で実践的に統合するならヴィラ=ロボスが適しているように思う。目的を明確にし、一人に数年単位で特化すれば、その作曲家の和声思考は確実に神経系に刻まれるであろう。フローニンゲン:2026/2/3(火)15:54


Today’s Letter

Today’s dream delivers profound messages, just as my other daily dreams do. Unpacking the meaning of the dream is an important practice for cultivating and refining my psyche. All healing and transformation derive from this practice. Groningen, 2/3/2026

 
 
 

コメント


bottom of page