【フローニンゲンからの便り】18141-18145:2026年2月2日(月)
- yoheikatowwp
- 15 分前
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タイトル一覧
18141 | 音楽と数学の共通性を感じて |
18142 | 今朝方の夢 |
18143 | 今朝方の夢の振り返り |
18144 | 日々の音色に注意深く耳を傾けること |
18145 | ジュリオ・サグレラスとバッハの音楽語法の身体化に向けて |
18141. 音楽と数学の共通性を感じて
クラシックギターの楽譜と向き合っているときに、数学の問題を解いている感覚が生じるのは偶然ではないのではないかと思う。両者は表面的には音楽と数理という異なる領域に属するが、深層構造においては驚くほど共通している。まず、どちらも記号体系の解読を要求する。楽譜は音高・リズム・強弱・運指といった多層的情報を、限られた視覚記号で圧縮している。数学もまた、数式や記号によって抽象関係を表現する。いずれも、目に見える記号の背後にある構造を再構成する作業が本質である。楽譜を読むとは、単なる音符の逐次処理ではなく、和声進行やフレーズ構造を推論することであり、これは数式から背後の論理構造を読み取る行為に近い。次に、両者とも制約下の最適化を含む。数学の問題は与えられた条件のもとで解を導く過程であり、クラシックギターも身体的制約(ポジション、指の長さ、弦配置)の中で最適な運指や音色を選択する。特に複数の解法が存在する場合、どの解法が最も自然で美しいかを判断する点は共通している。ここでは論理的整合性と審美的判断が交差する。さらに、チャンク化と階層構造も共通している。数学では補題や定理を単位として問題を解く。音楽でも動機、フレーズ、楽章という階層がある。熟達者は細部を一つずつ追わず、構造単位で把握する。これは作業記憶の負荷を減らし、より高次のパターン認識を可能にする。両者とも、部分と全体を往復しながら構造を統合する知的運動である。最後に、予測と誤差修正である。数学では仮説的な解法を立て、途中で矛盾が生じれば修正する。ギター演奏でも、次に来る和声やフレーズ展開を予測し、実際の響きとのズレを微調整する。この予測誤差の最小化という点で、神経系の働きは類似している。さらに両者は、抽象と具体の往復を要求する。数学は抽象概念を扱うが、最終的には具体的解に落とす。ギターも抽象的な楽曲構造を理解しつつ、具体的な指の動きへ変換する。ここでは概念図式と身体図式が交差する。総じて、クラシックギターと数学は、記号を通して構造を読み解き、制約下で最適解を探り、階層的統合を行い、予測誤差を修正するという共通の認知プロセスを共有している。違いは媒介が音であるか数であるかにすぎない。したがって、楽譜と向き合うときに数学的感覚が立ち上がるのは、両者が同じ深層的思考様式を要求しているからなのだろう。フローニンゲン:2026/2/2(月)05:52
18142. 今朝方の夢
今朝方は夢の中で、大学図書館と市民図書館が融合した施設に向かっていた。図書館は丸の内に似た雰囲気のビジネス街にあり、ビジネスビルの中にあった。ビルに近づいていくと、そこで高校時代の三人の女性友達らしき人たちとすれ違ったが、顔をまじまじと見たわけではないので、気のせいかもしれないと思って素通りしてビルの中に入っていった。どうやら向こうはこちらに気づいていたようで、私のあとを追いかける形でビルの中に入ってきた。彼女たちからお茶でもどうかと誘われたが、自分はこれから自らの研究に取り掛かりたかったので丁重に断った。数台あるエレベーターのうちの一つに乗って目的階に行き、席を探して書籍を読み始めた。すると隣に座っている男性がチベット語の書籍を読んでおり、もしかしたら仏教研究に関心があるのかと思い、話しかけてみた。どうやら彼はモンゴルからチベットにかけての文化と地理を研究しているらしく、大学院での研究を進めるにあたってチベット語の習得が必須とのことで、今その学習に力を入れているとのことだった。そこから彼と話をする中で、自分の仏教研究についても触れ、お互い研究を前に進めていこうと励まし合った。研究がひと段落したので、別の書籍を探しに行くと、そこで大学時代の背の高いあるクラスメートと出会った。どうやら彼は博士課程に進学したらしく、修士課程に該当する前期では三つの問いを扱い、後期では六つの問いを扱って論文を執筆する予定とのことだった。だが彼はまだ後期に進学するかどうかは決断していないようだったので、私は彼に後期まで進学して博士号を取得することを強く勧めた。自分のこれまでの経験をもとにした助言によって、彼も勇気付けられたようで、笑顔を浮かべながら博士号を取得することに関して意欲的になったようだった。
次に覚えているのは、高校時代のある友人と台湾に滞在し、その足で中国に旅行に出かける場面である。彼はすでに台湾に訪れたことがあるらしく、ホテルも彼が用意してくれていた。何やら台湾では、歯の形を採取する必要があるらしく、それを登録して初めて観光ができるとのことで、ホテルに到着後しばらくして採取所に向かうことにした。歯の形を採取するというのはおそらく、死亡事故などがあったときに身元を確認するためなのではないかと思った。その予約はわずか25セントとのことだったので、ホテルのラウンジで彼にその金額の小銭を渡した。するとラウンジに、小中高時代の二人の親友(SI & NK)がやって来た。二人のうちの一人が、自分にある質問をしてきた。それは、「これまでの人生で心が折れそうになった時にどうやってそれを乗り越えて来たのか」というものだった。自分のライフストーリーに照らしてこの問いに答えることをドキュメンタリーか何かを作って世の中に公開しようと彼は述べた。心が折れそうになることは日常茶飯事であり、人生は常にうまくいかないことの方が多いので、常に継続して乗り越えている最中のように思えた。そのあたりの話を彼にしたところで、一旦ホテルの部屋に戻ることにした。中国ではホテルであっても水道水は飲まない方がいいと聞いており、台湾も同じなのだろうかと考えた。幸いにも二本ほどペットボトルの水が用意されていたが、それだけでは滞在中のすべての水をカバーできないので、後から買い足しに行こうと思った。スーツのジャケットを掛けて、歯の形の採取に向かうために自室を出た。すると途中でまた別の親友が宿泊している部屋があることに気づいた。というのも彼がドアを開けて部屋で何か作業をしていたからである。彼の部屋に入ると、突然狭いクローゼットのような空間の中に自分がいた。四方の壁は色が異なっており、それぞれの壁には喜怒哀楽の感情が対応しているようで、それぞれの壁に向き合うとその感情が喚起される不思議な空間だった。最後に喜びの壁の方に向いてその感情を得たところでその空間から出た。すると彼がそこにいて、出版間近の原稿を見せてくれた。驚いたことに、彼は自分の専門分野である成人発達理論と唯識思想を見事に架橋しており、同時に一般向けに具体例豊富にわかりやすく説明していた。彼は私に監修者として声をかけることはなかったが、是非とも監修者として関わりたいような本であり、きっとこの本は多くの読者に読まれるだろうという確信があった。歯の形の採取の予約をしてくれた高校時代の友人とラウンジで待ち合わせをしていたが、まだ時間があったので少し外を一人で散策してみることにした。すると突然天気雨が降り始め、雨に濡れてしまうと面倒なことになると思ったので、できるだけ雨に当たらないようにした。天気雨が止んでからは宙に浮いて移動することにした。建物の四階ぐらいの高さでしばらく空を飛んでいると、アパート群が見えてきた。その少し上を飛んで行こうとすると、最上階のベランダで布団を部屋に取り入れようとしている台湾人と思われる若い女性と目が合った。彼女は私に微笑み、私は手を振って応えた。そのアパートを通り過ぎた時、山や川などの美しい景色が眼前に広がっていることは喜ばしいことだったが、ホテルの方向がわからなくなってしまい、少し焦った。すると空を飛ぶ能力に支障が生じ、高度が落ちそうになった。一度冷静になる必要があると思い、一旦地面に降りていき、改めてホテルの方向を確認してからまた空を飛んで移動しようと思った。フローニンゲン:2026/2/2(月)06:18
18143. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢は、自分のこれまでの歩みとこれからの進路とが、ひとつの巨大な知の都市として再構成されつつある過程を象徴しているのではないかと思われる。大学図書館と市民図書館が融合した施設は、専門的学知と公共的実践とを架橋しようとしている現在の志向の投影であろうし、それが丸の内のようなビジネス街に位置していたことは、学問が象牙の塔に閉じるのではなく、社会的現実のただ中に置かれているという自覚を示しているように思われる。高校時代の友人たちとすれ違い、誘いを受けながらも研究を優先した場面は、過去の人間関係や情緒的安心圏よりも、今まさに向き合うべき課題を選び取っている姿勢の表れであろう。だが彼女たちが後を追ってきたことは、過去が切断されたのではなく、今なお自分を見守り続けていることを暗示しているのかもしれない。チベット語を学ぶ研究者との出会いは、言語という媒介を通して未知の領域へ踏み込む覚悟を象徴しているように思える。異文化の地理と精神史に向き合う姿は、唯識や成人発達理論を横断しようとする内的衝動の外在化であろう。また博士課程に進むか迷う旧友に強く助言する場面は、自分自身の逡巡に対して、自分が自分へ語りかけている構図とも解される。台湾で歯型を登録するという奇妙な儀式は、存在の同一性を刻印する行為の象徴であろう。死後の身元確認のための準備という発想は、学問的営為もまた未来の誰かに識別される痕跡を残す営みであるという直観と通じているように思われる。水の安全を気にする場面は、精神的栄養の純度を吟味する態度の反映かもしれない。感情ごとに色分けされた狭い空間は、心の内奥にある四方の壁、すなわち喜怒哀楽の構造化された層を示しているのであろう。それぞれの壁に向き合うことで感情が喚起されるという構図は、感情が外界にあるのではなく、向き合い方によって立ち上がるという唯識的洞察の夢的表現であるように思われる。最後に喜びを選び取って空間から出たことは、感情を統御する主体的姿勢の確認とも読める。親友が成人発達理論と唯識思想を架橋した原稿を完成させていた場面は、自らが構想してきた統合理論が他者によって先に実現される可能性への驚きと同時に、そのヴィジョンが時代的必然であるという確信を示しているのではないかと思われる。天気雨は、祝福と試練が同時に訪れる状況の象徴であろう。宙を飛ぶ能力は、抽象的思考と構想力の飛躍を表しているが、方向感覚を失った瞬間に高度が落ちる場面は、理念が目的地を見失えば力を失うという警鐘であるように思われる。一度地面に降り、方角を確認してから再び飛ぼうとする態度は、理論と実践の往還を示しているのではないか。この夢全体は、自分の人生が過去の縁、現在の研究、未来の国境横断的展望を統合しつつある過程を映し出しているように思われる。そして人生における意味とは、飛翔する力そのものではなく、飛びながらもときに地面に降り、方角を確かめ続ける営みにこそ宿るのではないかと思われるのである。フローニンゲン:2026/2/2(月)08:15
18144. 日々の音色に注意深く耳を傾けること
ブランダン・エイカーの助言は、音色を固定的な成果物ではなく、日々生成されるプロセスとして捉える視座を提示している点に核心がある。音色は設定ではなく、状態であり、しかもその状態は爪の形状、皮膚の乾燥や湿潤、指の角度、接触点、さらには疲労度や神経系の覚醒水準によって絶えず変動する。したがって、昨日得られた理想的なトーンが今日もそのまま再現されるとは限らないという前提に立つ必要があるのである。プロフェッショナルがレパートリーや高度なテクニックに入る前に、まず音色の調整に時間を割くという姿勢は、演奏の基盤を整える行為に他ならない。これは建築における地盤整備のようなものであり、土台がわずかに傾いていれば、上に積み上げる構造物はすべて不安定になる。ギター演奏においても、右手のタッチや左手の圧力が音色の質に直結する以上、音そのものを整える作業は最優先事項となる。ゆっくりとしたウォームアップを一本の指から始めるという提案は、感覚の解像度を高めるための方法論である。一音ごとに耳を澄まし、わずかなノイズや硬さ、響きの偏りを検知しながら、爪のエッジを微調整したり、弦との接触角を変えたりする。この微細な修正の積み重ねこそが、その日の最適な音色に到達するためのプロセスである。さらに重要なのは「音への意識をリセットする」という点であり、これは単なる物理的調整にとどまらず、注意の焦点を再設定する行為でもある。毎日の習慣として、単一の開放弦をゆっくりと弾き、音の明瞭さ、充実感、そして無理のなさを確認することは、演奏の基準点を再構築する儀式である。一音が落ち着いて感じられるまで先に進まないという態度は、速度や技巧への焦燥を抑え、質を優先する姿勢を身体に刻み込む。結果として、日々のばらつきが減少し、表現はより一貫し、舞台上での再現性も高まる。この助言の本質は、音色を偶然の産物にせず、意識的に育成する対象とみなす点にある。トーンを第一優先とする習慣は、演奏全体の安定性を底上げし、表現の幅を拡張し、信頼性を高める。すなわち、音色への徹底した注意こそが、技巧やレパートリーを真に活かすための前提条件なのである。フローニンゲン:2026/2/2(月)10:33
18145. ジュリオ・サグレラスとバッハの音楽語法の身体化に向けて
結論から言えば、長年にわたり特定の作曲家の作品だけを弾き込み続ければ、その作曲家の音楽語法はかなりの程度まで身体化されると考えてよいのではないかと思う。ただし、その身体化の性質は作曲家ごとに大きく異なる。まず、ジュリオ・サグレラスの教則本についてである。サグレラスは技巧の体系化と音楽的基礎形成を目的とした教育的作曲家であり、旋律線の明確さ、分かりやすい和声進行、左右の協応の整理が特徴である。これを何年も弾き込めば、右手の均整、音価の明瞭化、リズムの安定、音型処理の合理性といった基礎構造が身体に刻み込まれるだろう。いわば運動パターンの深層構造が整えられるのである。特にアルペジオ、スラー、ポジション移動の滑らかさは、自動化レベルにまで落とし込まれる可能性が高い。一方で、バッハのゴルトベルク変奏曲は全く異なる次元にあると位置付けている。ここでは対位法的思考、声部の独立、構造的緊張の設計、周期的アーチ構造の感覚が要求される。長期的に取り組めば、単に指が動くという次元を超えて、「声部を同時に聴き分ける神経回路」が鍛えられるはずだ。フレージングは水平線的に捉えられ、和声は機能ではなく運動として感じられるようになるだろう。つまりバッハ的思考様式が内在化される。ただし重要なのは、身体化は二層構造で起こるという点である。第一層は運動学的身体化である。右手の接触角、左手の準備動作、指間独立などが無意識レベルに沈殿する。これは反復によって比較的確実に形成される。第二層は構造的身体化である。和声の方向性、緊張と解放の時間設計、声部間のバランス感覚が「直観的に」分かるようになる段階である。これは単なる反復では足りず、分析と聴覚的内省が不可欠である。したがって、サグレラスとバッハを長年弾き込めば、それぞれの語法は身体に染み込む可能性は高い。しかし偏りも生じ得る。サグレラス中心であれば技術は整うが、構造的緊張設計は限定的になるかもしれない。バッハ中心であれば対位法的感覚は深化するが、ギター固有の多様な音色語彙は狭くなる可能性もある。結論として、両者を弾き込めば身体化は起こる。ただしそれは意図的に聴き、構造を理解しながら行う場合に最大化される。 反復だけでは様式模倣に留まるが、分析的理解を伴えば、作曲家の思考様式そのものが神経系に刻まれると言ってよいだろう。両者の音楽語法を体現化させることを日々意識して楽しみながら練習を続けたい。フローニンゲン:2026/2/2(月)10:54
Today’s Letter
This winter has been the harshest in the past ten years. It offers me an opportunity to cultivate inner strength and resilience—qualities that will serve as essential foundations for my future life. Groningen, 2/2/2026

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