【フローニンゲンからの便り】18135-18140:2026年2月1日(日)
- yoheikatowwp
- 20 時間前
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タイトル一覧
18135 | 神経制御の裾野を広げる長期投資 |
18136 | 今朝方の夢 |
18137 | 今朝方の夢の振り返り |
18138 | SNSの一切の不使用によるウェルビーイングの向上 |
18139 | 神経系と認知構造の再編成 |
18140 | ミラーニューロンの活性化を意図した注意深い観察 |
18135. 神経制御の裾野を広げる長期投資
昨日の日記の内容を受けて、日中の実践では従来どおりp–i–m–aの四指体系を用い、夜の基礎練習で右手小指の独立性を高めるという二層構造の練習をしていくことにした。それは、長期的にはいくつかの合理的効能をもたらす可能性がある。重要なのは、小指を今すぐ実戦投入する指としてではなく、神経制御の拡張訓練の対象として位置づける点である。第一に神経可塑性の観点である。小指は薬指との腱連結が強く、独立性が弱いがゆえに、そこに意識的刺激を与えることは運動野の分化を促す。未分化な運動単位を丁寧に制御する訓練は、隣接指の精密制御にも波及効果を持つ。結果としてi–m–aの分離度が向上し、トレモロや高速アルペジオの均質性が高まる可能性がある。直接使わなくても、間接的に全体の解像度を押し上げることが期待される。第二に脱力制御の洗練である。小指を動員しようとすると、前腕や手背に無駄な緊張が入りやすい。そこを最小限の緊張で制御する訓練は、右手全体の緊張管理能力を高める。結果として通常の四指奏法に戻ったとき、手のアーチや接触角度がより繊細に保たれるだろう。これは音色の安定とダイナミクス制御の向上につながるはずだ。第三に負荷分散の可能性である。将来的に特定のレパートリーや拡張奏法で五指分担が有効な局面が出現した場合、基礎的独立性が確保されていれば応用が容易になる。現時点で使わなくとも、選択肢を保持していること自体が技術的自由度を拡張する。第四に運動学習の観点である。夜に行うという設計は、日中のパフォーマンスを乱さず、基礎的再配線を行う意味で合理的である。演奏直前にフォームを揺らすのはリスクが高いが、独立練習として隔離すれば既存運動プログラムを保護しながら新規回路を育成できる。ただし留意点もある。小指強化が目的化すると、右手の基本フォームが崩れる危険がある。四指奏法の安定が前提であり、小指練習は補助的であるべきである。また過度な負荷は腱炎リスクを高めるため、低強度・高精度で行うことが望ましい。総じて、この方法は、すぐに音楽的成果が出る投資ではなく、神経制御の裾野を広げる長期投資である。直接の実用性よりも、運動精度・脱力・選択肢拡張という間接効果が主たる効能となる。四指の完成度を守りながら、将来の可動域を静かに広げる戦略と位置づけるのが妥当である。フローニンゲン:2026/2/1(日)05:19
18136. 今朝方の夢
今朝方は夢の中で、実際に通っていた小学校の校舎の中にいた。時刻はちょうど放課後前の掃除の時間であり、全校生徒が掃除に勤しんでいた。掃除の前に自分は体育館で遊んでいた。裸足で駆け回っていたので、気がつくと足の裏が随分と汚れていた。なので足の洗い場に行って、足の裏を綺麗にすることにした。水を出して足を洗っていると、ある先輩の弟がやって来た。彼とは親しくしている関係だったので、彼は笑顔を浮かべて嬉しそうにこちらに話しかけてきた。足を洗いながら彼と話をしていると、彼は手に持っていた布製の袋に水を入れて、イタズラの一環として自分に水をかけてきた。幸いにもそれは少量の水で、むしろそれを浴びることで気持ちが良かった。彼はイタズラをした後にも憎めない笑顔を浮かべていた。足を洗い終えたところで教室に戻ることにした。教室に戻ってみると、一学年下の後輩たちがせっせと教室を掃除しており、自分の学年の教室ではなかったが、自分は彼らを手伝うことにした。すでに教室の掃除をしている人数は足りていたので、私は廊下の掃き掃除をすることにした。廊下で掃き掃除を始めると、そこに高校時代の音楽の先生がやって来て、私が担当エリアを超えて掃除をしていることを注意してきた。廊下の埃を下の階に下ろして行き、そこで下の階の埃と合わせて捨てようと思っていたのだが、先生にはその意図が伝わっておらず、自分が廊下の埃を下の階に単に落としているように見えたのかもしれないと思った。先生に簡単に事情を説明すると納得してくれ、自分が思ったように掃除をすることができた。
この夢の場面の前に、見慣れない田舎町の小さな駅で友人たちと列車を待っている場面があったのを覚えている。そこは山に囲まれており、大変長閑だった。自分の脳裏には、その町の高校から母校の大学に進学する人が出たというちょっとしたニュースが流れていた。彼は元々理系のようで、数学が抜群にでき、数学力を活かして入試を突破したらしかった。すると脳内に、今度は別の高校の才能豊かな女子生徒が推薦入試で母校に進学したというニュースが流れた。彼女は英語を含めて語学が極めて堪能で、それと積極的な課外活動が評価されたらしく、大学入学前から色々な活動にも従事し、さらには地元の大学にも準備として通っており、そこでもすでに自らの探究生活を始めていた。そのようなニュースを脳内で視聴していると、列車がやって来る時間になった。すると友人の一人が線路の脇に立ち始め、別の友人はそれが危ないと思った。私は列車好きの彼は間近で列車を見たいのだろうと思って止めることをせず、静観していた。背後にある山の景色がすこぶる美しく、列車が遠くにやって来たのを確認すると、見納めになるかもしれない雄大な山々をぼんやり眺めることにした。フローニンゲン:2026/2/1(日)05:34
18137. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢は、自分の内的発達の層が幾重にも折り重なって立ち現れている象徴的な場面であるように思われる。舞台が実際に通っていた小学校であることは、現在の自己が最も基礎的な形成期へと回帰していることを示しているのかもしれない。放課後前の掃除の時間という設定は、何かが一区切りつく直前の「整理」と「浄化」の時期を象徴している可能性がある。体育館で裸足で駆け回り、足の裏が汚れていたという場面は、自分が純粋な衝動や身体性のままに活動してきた結果、無自覚のうちに様々な経験の痕跡を蓄積してきたことを示唆しているのかもしれない。そして足を洗う行為は、歩んできた道の痕跡を一度洗い清め、次の段階へと向かうための意識的な浄化の儀式であるようにも思われる。そこに現れた先輩の弟は、年少でありながら親しみを持つ存在であり、自分の内なる無邪気さや遊び心の象徴である可能性がある。水をかけられるという軽いいたずらは、予期せぬ刺激や他者からの影響を受け入れる柔軟性を示しているのかもしれない。それが不快ではなく、むしろ心地よいものであったという点は、自分が外界からの小さな混乱や揺さぶりを成長の潤いとして受け取れる段階にあることを示唆しているように思われる。教室に戻り、本来自分の担当ではない場所を手伝う場面は、役割を超えて全体に奉仕しようとする姿勢を象徴している可能性がある。廊下の埃を下の階に落としてまとめて処理しようとする発想は、表層的な整理ではなく、より大きな視野で全体を統合しようとする意図を示しているのかもしれない。しかしその意図が最初は誤解されるという展開は、自分の構想や方法が他者に即座には理解されないことを暗示しているように思われる。それでも説明すれば理解され、最終的に思うように掃除ができるという流れは、対話によって誤解を解き、自らのビジョンを実行していく力が備わりつつあることの象徴である可能性がある。前段の田舎町の駅の場面は、人生の分岐点を象徴しているように思われる。山に囲まれた静かな駅は、外的競争から一歩離れた内省の場であり、そこで流れる進学のニュースは、自分の中にある複数の可能性や能力の投影であるのかもしれない。数学に秀でた理系の彼と、語学や活動で評価された彼女は、自分の中の論理的能力と表現的・実践的能力という二つの資質を象徴している可能性がある。列車は人生の進路そのものであり、線路脇に立つ友人はリスクを取って間近で体験しようとする衝動を表しているのかもしれない。それを止めず静観する態度は、自分が他者の選択を尊重しつつ、自らは一歩引いた視点から全体を眺めようとする立場にあることを示唆しているように思われる。そして列車そのものよりも背後の山々を見納めかもしれないと眺める姿勢は、出来事そのものよりも、その背後にある大きな時間や風景、すなわち人生全体の文脈を見つめようとする意識の表れである可能性がある。総じてこの夢は、自分がこれまでの歩みを一度洗い清め、内なる資質を統合し、誤解を恐れずに全体を見渡す視座へと移行しようとしている過程を象徴しているのかもしれない。人生における意味は、目の前の列車に飛び乗ることだけではなく、山並みのように長い時間軸を見据えながら、自らの歩みを丁寧に清め続けることにあるのだと示唆しているように思われる。フローニンゲン:2026/2/1(日)07:03
18138. SNSの一切の不使用によるウェルビーイングの向上
SNSを一切使わなくなって、生活の質、ウェルビーイングの度合いが間違いなく大きく向上しているのを実感している。自分の探究や実践に十分に時間を使うことができ、集中力高くそうした活動に従事できていることがその要因だろう。SNS利用が生活の質やウェルビーイングを下げうる点については、ここ十数年で相当数の実証研究が蓄積されている。結論は単純ではないが、受動的・長時間・無目的な利用が増えるほど、主観的幸福感の低下や抑うつ傾向と関連するという傾向は比較的一貫している。まず社会的比較の問題がある。SNSは他者の編集された成功場面に継続的に曝露される環境である。レオン・フェスティンガーの社会的比較理論の枠組みで言えば、上方比較が慢性的に生じやすい。複数の縦断研究では、閲覧時間の増加が自己評価の低下や不満感と相関することが示されている。とりわけ受動的スクロールは幸福度低下との関連が強い。次に注意資源の分断である。通知設計は間欠的強化スケジュールに近く、行動心理学的には習慣化を促進する構造を持つ。頻回の注意切替は前頭前野の実行機能に負荷をかけ、深い集中(いわゆるディープワーク)を困難にする。研究では、タスク中断が増えるほど主観的疲労感と生産性低下が生じることが示されている。さらに、睡眠への影響である。夜間のスクリーン曝露はブルーライトによるメラトニン分泌抑制を引き起こし、入眠潜時を延ばす。また心理的覚醒を高めるコンテンツ接触も睡眠質を下げる要因となる。睡眠の質の低下は気分障害リスクと直結する。また、情動感染と過剰刺激である。SNS空間では怒りや不安を喚起するコンテンツが拡散されやすい。情動はネットワーク上で伝播することが示されており、否定的情動への慢性的曝露はストレス水準を上げる。最後に、自己同一性の外部化である。承認指標(いいね数、フォロワー数)が自己価値評価に結びつくと、内発的動機づけが弱まりやすい。自己決定理論の観点からは、自律性が侵食されることでウェルビーイングが低下する可能性がある。もっとも、能動的なコミュニケーションや目的志向型利用は必ずしも悪影響を持たないとする研究もある。問題は量と質である。SNSを断つことで集中時間が増え、探究や実践に深く没入できる状態は、注意資源が再統合された結果と考えられる。自己の内発的関心に基づく活動はフロー体験を生みやすく、これは心理的充足と強く関連する。外部比較と断続的刺激が減少することで、評価基準が内在化し、情動の安定も高まる。総じて、SNSは中立的道具であるが、設計上は注意奪取型である。その構造に対抗しない限り、時間・注意・自己評価の三領域で生活の質を侵食しうる。利用停止によってウェルビーイングが向上した実感は、理論的にも経験的にも十分に説明可能である。フローニンゲン:2026/2/1(日)07:18
18139. 神経系と認知構造の再編成
学術研究とクラシックギターはいずれも外見上は異なる営みであるが、神経系と認知構造の再編成という観点から見ると、共通の原理に従っている。重要なのは、単なる反復ではなく、構造的変容を意図的に促すことである。第一に、予測誤差を意識的に扱うことである。脳は常に予測と結果との差分を最小化しようとする。ギターにおいては、頭の中で想起した音色やフレーズと実際の音との差を精密に聴き取ることが不可欠である。この誤差を曖昧にしたまま反復すると、粗い回路が固定化される。一方、学術研究では、仮説と現実、概念と事例、理論と批判とのずれを徹底的に検討する姿勢がそれに相当する。誤差を避けるのではなく、むしろ誤差を資源とする態度が再編成を加速する。第二に、チャンク化を促す練習設計である。高度技能は要素の統合によって成立する。ギターでは運指・リズム・音色を個別に練習した後、それらをフレーズ単位で再統合する必要がある。学術研究でも、個々の文献理解にとどまらず、理論群を体系として束ねる作業が不可欠である。部分と全体を往復する設計が、神経回路の階層化を促す。第三に、負荷の漸進的増加である。神経可塑性は適度な困難に反応する。容易すぎる反復は変化を生まないが、過度な負荷は回路を不安定にする。ギターであればテンポやポジションを段階的に上げること、研究であれば抽象度を一段ずつ高めることが重要である。この「近接発達領域」に相当する領域での訓練が再編成を最も効率化する。第四に、内省とメタ認知である。身体図式も概念図式も、無意識のままでは粗雑に固定化されやすい。演奏後にどの感覚が過剰でどこが脱力できていないかを観察すること、論文執筆後に思考の前提やバイアスを点検することは、回路の再配線を意識化する行為である。ここで質的差が生まれる。第五に、回復と統合の時間を確保することである。睡眠中には記憶再活性化が起こり、回路の安定化が進む。過度な連続負荷は統合を阻害する。集中と休息のリズムを設計することは、再編成を完成させる条件である。結局のところ、学術研究もギターも、時間の長さよりも「どのような誤差を、どの程度の精度で観察し、どの階層で再統合したか」によって神経系は変わる。運動と音と意識を一体化する姿勢、概念と経験と批判を統合する姿勢こそが、深層的再編成を引き起こす鍵である。フローニンゲン:2026/2/1(日)09:46
18140. ミラーニューロンの活性化を意図した注意深い観察
プロのクラシックギタリストの演奏を観察することは、神経科学的に見てミラーニューロン系を活性化させる可能性が高いのではないかと思う。ミラーニューロンとは、他者の行為を観察するだけで、自分が同じ行為を実行するときに活動する運動関連ニューロン群である。一次運動野そのものというよりも、前運動野、下頭頂小葉、補足運動野などのネットワークが関与する。熟達者の精緻な指運動や脱力の様式を視覚的に追うと、自身の運動表象も部分的に同時活性化されると考えられる。その効能は大きく三つある。第一に、運動プログラムの予備活性化である。高度に洗練されたフォームや運指の流れを観察することで、自身の脳内に「正解モデル」が形成される。これは予測符号化の観点から言えば、理想的運動の内部モデルを更新する行為である。第二に、誤差検出能力の向上である。優れた演奏を繰り返し観察すると、微細なタイミング差や音色変化への感度が高まり、自分の演奏とのズレを精密に比較できるようになる。第三に、情動的共鳴である。音楽的表現に対する共感回路が働くことで、単なる運動模倣ではなく、フレーズ意図や緊張緩和構造まで内在化しやすくなる。ただし、受動的視聴だけでは効果は限定的である。ミラーニューロン系をより活性化させるには、いくつかの工夫がある。第一に、能動的シミュレーションである。演奏を見ながら、自分の指が同じ動きをしていると想像する。可能であれば楽器を持ち、実際に空中で模倣運動を行う。これにより視覚入力と運動表象が強く結合する。第二に、部分観察である。全体を漠然と見るのではなく、右手のタッチ、左手の脱力、重心移動など特定要素に焦点を当てる。焦点化された観察は回路の特異的強化につながる。第三に、スロー再生と通常再生の併用である。速度を落とすことで運動系列の構造を分解し、その後通常速度で統合する。この分解と再統合がチャンク形成を促す。さらに効果を高めるには、観察直後に短時間でも実演することである。観察によって活性化した回路は可塑的な状態にあるため、そのタイミングで実際に弾くと髄鞘化とシナプス強化が進みやすい。これは運動学習研究でも支持される原理である。また、録画した自分の演奏をプロの映像と交互に見ることで、自己と他者の運動表象を比較しやすくなる。重要なのは、観察を「鑑賞」で終わらせず、「内的実行」に変換することである。視覚入力を運動予測へ、運動予測を実演へと循環させるとき、ミラーニューロン系は最も有効に働く。結果として、フォームの洗練、音色制御の精度向上、そして身体図式の再編成が加速する可能性が高い。フローニンゲン:2026/2/1(日)11:55
Today’s Letter
My mind is gradually becoming like a mirror that reflects things just as they are. I wish to keep polishing this mirror until it is no longer separate from reality itself. Groningen, 2/1/2026

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