【フローニンゲンからの便り】17537-17541:2025年10月16日(木)
- yoheikatowwp
- 11 時間前
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タイトル一覧
17537 | 素手かピックか |
17538 | スケールの習得に向けて |
17539 | 今朝方の夢 |
17540 | 今朝方の夢の振り返り |
17541 | ピアノにおけるスケールの習得 |
17537. 素手かピックか
時刻は午前6時を迎えた。まだ夜が明けない中で、今日もまた良遍の文献研究を一歩前に進め、ギターの演奏を旺盛に楽しみたい。先日親友のメルヴィンが自宅に来た際に、ギターのピックをプレゼントしてくれた。ギターを弾く際に「素手で弾くか」「ピックを用いるか」という選択は、単なる奏法の違いにとどまらず、音色の質感、表現の幅、身体感覚の在り方にまで影響を与える根本的な要素である。素手での演奏は、指先の皮膚や爪を直接弦に触れさせるため、音色が柔らかく温かみを帯びる。とりわけクラシックギターやフィンガースタイルでは、指の腹で弦を弾くことで、丸みを帯びた音が得られ、微妙なニュアンスのコントロールが可能となる。また、親指、人差し指、中指、薬指といった複数の指を独立して使うことにより、同時に複数の弦を鳴らすポリフォニックな表現も容易になる。このように素手による奏法は、まるで絵筆で繊細に色を塗り重ねるように、音の陰影やタッチの違いを直接的に描き出すことができるのである。一方で、ピックを用いた演奏は、音色に明確な輪郭と力強さを与える。硬質な素材で作られたピックが弦を弾くことで、アタックがはっきりとし、音量も大きくなる。そのためロックやポップス、ジャズの一部の演奏など、リズムの推進力やシャープさが求められるジャンルで重宝される。ストロークでは一度に多くの弦を均一に鳴らすことが可能であり、ピッキングによる速いフレーズの演奏にも適している。さらに、ピックの厚さや素材によっても音色が変化し、硬いピックなら鋭い音、柔らかいピックなら丸みのある音を得られる。つまりピックは、楽曲に力強さや一体感を与える「槌」のような役割を果たすのである。また、演奏者の身体感覚という観点でも違いがある。素手での演奏は、指先の触覚が直接音に反映されるため、身体と楽器の一体感が強い。弦を押さえる左手と、弦を鳴らす右手との連携が自然に感じられ、弾き手自身の「身体の延長」としてギターを扱うことができる。その反面、力強い音を長時間出すには指先に負担がかかり、爪を整える手間も必要になる。これに対してピックは、指先と弦の間に「道具」という媒介を挟むことで、一定の距離感を生むが、その分、弦の抵抗を軽減し、効率的に音を出すことを可能にする。長時間演奏しても指の疲労が少なく、速弾きやリズム演奏に集中できるのはピックならではの利点である。しかし個人的には、自分が演奏しているナイロン弦のクラシックギターの場合、ピックを使わず素手で演奏していても指は痛くならない。今のところ左手の練習が主なので、確かに左手の指は今その感覚に慣れようとしている最中で皮膚が厚くなろうとしている過程にある。いずれにせよ、音楽的な表現力という観点からみると、素手は「多声的・繊細な響き」に向いており、ピックは「単声的・リズミカルな力強さ」に適していると言えるだろう。しかし実際には、両者を使い分けたり組み合わせたりすることで表現の幅は大きく広がる。例えば、アルペジオ部分は指で弾き、サビやクライマックスではピックでストロークするなど、場面に応じて奏法を切り替えることで、楽曲全体にダイナミックな起伏を生み出すことができる。結局のところ、素手とピックの違いは「直感的な身体性」か「効率的な道具性」かという対比に集約される。どちらが優れているというよりも、演奏者が求める音のキャラクターや楽曲の性質によって最適解は変わる。素手の温かく繊細な響きは、人間の呼吸や感情をそのまま音に宿すようであり、ピックの鋭く力強い響きは、リズムとエネルギーを前面に押し出す。演奏者はこの両者の特性を理解し、状況に応じて使い分けることで、ギターという楽器の多彩な可能性を最大限に引き出せるのである。今のところ自分はギターと直接的に繋がる感覚を大切にしているので素手で練習しているが、上記のように場面に応じて切り替えれるようになることも魅力であるから、ピックを用いることもどこかの段階で検討したい。フローニンゲン:2025/10/16(木)06:08
17538. スケールの習得に向けて
ギターにおけるスケールの体系は、メジャー、マイナーといった基本的なものから、モード、ペンタトニック、ブルース、さらにはジャズ理論に基づくオルタード・スケールやディミニッシュ・スケール、対称型スケールまで数多く存在する。理論的に整理すれば有限ではあるが、細分化されたポジションや指板上のバリエーションまで含めると、その数は膨大である。したがって「全てを習得しているギタリストはどの程度いるか」という問いに答えるとすれば、世界的に見てもごく一部のプロフェッショナル、特にジャズやフュージョン、クラシックの分野で長年の研鑽を積んできた演奏家に限られるだろう。一般的なロックやポップスのギタリストであっても、実際には数種類のスケールを応用して十分な表現を可能にしており、全てを網羅しているケースは稀である。では、スケールを「自由自在に弾ける」ようになるにはどうすべきか。まず重要なのは、指板を地図のように俯瞰できる視覚的理解である。単にスケールを上下に弾くだけでなく、任意のポジションから始め、どの音に移行しても旋律が自然に流れるように練習する必要がある。そのための第一歩は、CメジャーやAマイナーペンタトニックといった基本スケールを指板全体で弾けるようにすることだろう。次に、スケール練習をフレーズ化し、リズムの中で使いこなす訓練を積む。メトロノームを用い、スウィングやシンコペーションなどのリズムを意識してスケールを歌わせる感覚を養うことが大切である。また、ジャズの即興練習で用いられる「コードごとにスケールを切り替える」アプローチを取り入れると、理論と実践が結びつき、自然に使い分けができるようになるはずだ。さらに、耳を鍛えることが欠かせない。スケールを単なるパターンとして覚えるのではなく、各音が持つ響きや緊張感を身体感覚として理解する。例えば、メジャースケールの7番目の音は解決への強い欲求を持つが、ブルースではその緊張をあえて引き延ばして表現力を増す。このように音の性格を把握すれば、実際の演奏で即興的にスケールを選び、自在に変化させることが可能になる。では、習得に必要な年数はどの程度か。毎日1~2時間程度の集中した練習を継続した場合、基本的な主要スケール(メジャー、マイナー、ペンタトニック、モード)を指板全域で使いこなすにはおおよそ2~3年が目安となるかもしれない。そこからさらにジャズやクラシックに必須の複雑なスケール群を習得し、即興の中で自然に使い分けられるようになるには、少なくとも5~10年の鍛錬が必要になるだろう。もちろん、個人の資質や学習環境、指導者の有無によって大きく変わるが、「全てのスケールを自在に扱う」水準に到達できるギタリストは、プロの中でもごく一部である。結論として、スケールの網羅は目標というより方向性であり、実践的には自分の表現に必要なスケールから着実に習得していくのが最も効果的である。そしてその過程で、耳と指板感覚を鍛え続けることが、最終的に「自由自在」の境地へ至る道となるのである。それを念頭に置いて、スケールの習得を楽しみながら行っていきたい。フローニンゲン:2025/10/16(木)06:14
17539. 今朝方の夢
今朝方は夢の中で、コロンビア大学でMBAを取得したゼミの友人を見慣れない部屋の中で話をしていた。雰囲気としてどうやら自宅のようでもあり、実際にすごくリラックスしている自分がいた。そこで私は彼にIELTSのスピーキングの問題を突然出題してみたところ、彼は固まった。彼は名門のコロンビア大学でMBAを取得しており、その際にTOEFLを受験していたはずであるし、アメリカでスピーキング力を向上させていたはずなので、まさか固まるとは思っていなかったが、しかしIETLSとTOEFLのスピーキングは随分と勝手が違うのでそれも当然かもしれないと思った。まさにカート・フィッシャーの理論でいうところのタスクが変わると私たちの能力レベルが変動するということを彼は示してくれたかのようであった。話を聞いてみると、彼はTOEFLのスピーキングでは満点を取得しているようだった。しかしどうやらそれは2割簡単なバージョンのTOEFLを通じてとのことで、そのような簡単なテスト形式があることを知って少し驚いた。せっかくなのでもう少し彼とIETLSのスピーキングの問題を通じて遊んでみることにした。
次に覚えているのは、サッカーの合宿に参加している場面である。その日から学校のグラウンドで合宿が行われることになっており、初日を楽しみにして迎えた。朝食を軽めに摂り、いざ練習場に出て行った時に、数人ほどの友人がグラウンドにいたので彼らとウォーミングアップがてらパス交換をした。すると、気づけば再び校舎の中にいたのだが、1階の少し開放的なスペースで焼き物屋があることに気づき、そこで焼かれている食べ物の良い香りに誘われてそちらに向かったところ、驚いたことにそこで働いていたのはある女性の知人だった。まさかその店を切り盛りしているのがその方だとは全く想像しておらず、大いに驚いたが、その方が焼き物を焼く姿はとても格好良く、似合っているように思えた。それを伝えたところ、その方は笑顔を見せて喜んでいた。それもあってか、焼き魚を追加で焼いてくれ、先ほど朝食を食べたが、これから始まる練習に向けてしっかりと朝食を摂っておこうと思った。とは言え、食べてすぐは動けないので、午前中に組まれていた5つのメニューのうち、最初のメニューはどうやらスキップしてもいいとのことだったので、2つ目のメニューから練習を始めることにし、数人の友人と一緒に今から焼き魚と野菜をメインにしっかりと朝食を摂ってエネルギーを補給しておこうと思った。フローニンゲン:2025/10/16(木)06:26
17540. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢の第一場面で、自分はコロンビア大学でMBAを修了した友人と会話していた。舞台は自宅のような、外界から切り離された静謐な空間であり、自分は深くリラックスしていた。彼にIELTSのスピーキング問題を出題したとき、彼が突然固まった姿は、単なる反応ではなく、自分の内面における「知の形式の転換点」を象徴していたように思う。つまり、彼は「成功者」「言語の達人」という象徴でありながら、異なるタスク状況(IELTSという新たな枠組み)に置かれたときに動揺した。その姿は、まさにカート・フィッシャーが指摘するように、「能力とは文脈依存的で動的なものであり、タスクの構造が変わればスキルの表出も変わる」という真理を可視化していた。自分は夢の中で理論と現実が溶け合う瞬間に立ち会っていたのである。彼の「TOEFL満点」も、「2割簡単なテストでの満点」という但し書きがついており、それは自分自身の内なる批判的知性が「成果や肩書きの背後にある文脈の相対性」を見抜こうとする眼差しを象徴していた。夢の中の自分は、単に友人と遊んでいたのではなく、「学びとは何か」「能力とは何か」を実験していたのである。次の場面では、サッカー合宿という象徴的な空間に移行する。ここでの「サッカー」は、自分の人生における「協働と身体知の覚醒」を表している。学問的・理論的な前半の場面から、肉体的・経験的な実践の場へと舞台が移ることで、夢は抽象的理解から具体的実践への移行を暗示している。自分は練習を前に軽い朝食を摂り、仲間とパス交換をして身体を温めていた。この「パス交換」は、他者との呼吸の一致、つまり心的共鳴を示す。知的対話から身体的対話への移行は、自分の内面が「頭で理解する知」から「身体で感じ取る知」へと深化していることを物語っている。やがて自分は校舎の中に戻り、「焼き物屋」に出会う。この焼き物屋は、物質的な火と香りを媒介として「変容」を象徴する空間である。火は浄化と再生の象徴であり、そこで働く女性の知人の姿は、自分の内なる「創造的女性性(アニマ)」の現れである。彼女が焼き魚を焼く姿が格好良く見えたという感情は、自分の中で「創造しながら生きる力」への尊敬と憧れを意味する。しかも彼女は笑顔で応じ、自分に焼き魚を追加してくれた。これは、自分が自分の内なる女性性を肯定的に受け入れた瞬間であり、その受容が新たなエネルギー(食物)として自分に返還されたことを意味している。魚はしばしば「深層意識からの贈り物」の象徴であり、それを朝食として摂るという行為は、自分が今まさに「潜在意識の滋養」を自我の活動エネルギーに変換していることを暗示している。さらに、午前の練習メニューのうち最初をスキップしても良いという設定は、自分の無意識が「すべてを完璧にこなさなくてよい」という柔軟性を学び始めたことを表している。知的・精神的な成長の道では、すべての課題を直線的に消化する必要はなく、リズムと余白を持つことが成熟の徴である。自分は魚と野菜という自然の恵みを摂りながら、次の練習に備えていた。それはまさに「心身の統合」の準備過程であり、理論(知)・身体(行)・感情(情)が1つの生命のリズムの中で再統合されようとしている。この夢全体は、自分の内面における「学びの統合」と「生成的知の覚醒」を描いている。知的探究(MBAの友人との対話)から、身体的実践(サッカー合宿)へ、そして創造的生活(焼き物屋の女性との出会い)へと流れる三段階の構造は、まるで自分自身の発達過程を象徴的に再演しているようである。人生において自分は、もはや知識の蓄積や成果の評価ではなく、「文脈の中で生きられる知」「他者と響き合う知」「創造的に日常を焼き直す知」を求めている。この夢は、自分がその方向へ確実に歩み始めたことを静かに告げているのである。フローニンゲン:2025/10/16(木)06:43
17541. ピアノにおけるスケールの習得
今日も午前中に十分なギター練習をした。基礎技術が堅牢になるまでは特に集中的なトレーニングをしていき、ギターの練習の合間に休憩がてら仏教研究の専門書を読むような生活をしていきたいと思う。早朝にギターのスケールについて書き留めていたと思うが、ピアノにおいてもスケールの数は膨大である。基本となるメジャー・スケールとナチュラル/ハーモニック/メロディックの各マイナー・スケールを全24調で網羅すれば、それだけでもかなりの量になる。さらにモード、ジャズにおけるオルタード・スケールやディミニッシュ・スケール、全音音階、クロマチック・スケールなどを含めれば、理論的には数えきれないほどの体系が存在する。ピアノの場合、鍵盤が音階ごとに視覚的に同一のパターンを保っているため、ギターよりも構造が理解しやすいという利点はある。しかし、全調・全スケールを自在に扱えるピアニストはやはり限られており、それはクラシックの高度な演奏家や、ジャズの即興演奏家の中でもトップレベルに達した人物に限られるのだろう。ピアノでスケールを自由自在に弾くためには、まず指使い(フィンガリング)の確立が不可欠である。多くのスケールには伝統的に推奨されるフィンガリングが存在し、それを守ることで流れるような演奏が可能になる。例えばCメジャーやAマイナースケールは指の自然な動きを利用して無理なく弾けるが、黒鍵を多く含むスケールでは指の切り替えが頻繁に必要となり、ここに熟練が求められる。したがって、全調のスケール練習を系統的に行い、両手で均等に練習することが、ピアニストにとって最初の大きな壁である。次に重要なのは、スケールを単なる練習課題としてではなく、即興や作曲における「語彙」として扱うことである。ジャズや即興演奏においては、コード進行ごとにスケールを即座に切り替える能力が必要とされる。例えばⅡ–Ⅴ–Ⅰ進行では、ドリアン、ミクソリディアン、メジャースケールを瞬時に選び取り、メロディに落とし込むことができなければならない。これは指の運動だけでなく、耳と理論的理解を統合した学習によって初めて可能になる。ピアニストはしばしば、スケールを「耳で聴いて判断する」訓練を重ね、和声の緊張と解決を音感として捉えられるようにしている。さらに、スケールを使いこなすにはアルペジオや分散和音との結びつけが欠かせない。ピアノは和音を同時に弾く楽器であるため、スケール練習とコード練習を併行することで、即興時に「コードとスケールの接点」を直感的に選べるようになる。クラシックの世界でも、ショパンやリストなどのエチュードにはスケールを応用した技巧が数多く含まれており、それを演奏することで音階練習を超えた実践的活用が身につく。必要な鍛錬期間について見積もると、基礎的な24調のスケールを両手で流暢に演奏できるまでに、毎日1時間前後の練習を継続しておおよそ2~3年が必要なのではないかと思う。その後、モードやジャズ特有のスケールを即興に応用できるようになるまでにはさらに3~5年、そして全てのスケールを自在に用いて音楽的に意味あるフレーズを作れる段階に至るまでには、少なくとも10年前後の積み重ねが必要と考えられる。もちろん、幼少期から体系的に訓練を受けた音大生やプロ志向の学習者であれば、もう少し早く到達することも可能だが、「全スケールを実践的に使いこなす」という水準は依然として少数の熟達者に限られる。結論として、ピアノにおけるスケール習得もまた「すべてを完璧に網羅すること」より「必要に応じて自在に活用できること」が実践的な目標となる。鍵盤の構造はスケール体系の理解を助けるが、最終的にそれを音楽的に表現するには、耳と理論、指の技術を統合する長年の訓練が欠かせないのである。そのようなことを考えながら、近い将来ピアノ演奏も始めてみたいという気持ちが高まってくる。フローニンゲン:2025/10/16(木)12:00
Today’s Letter
I am fully content to express myself through the language of music while playing the guitar. Of course, this journey has just begun, but I am already in the ocean of joy and pleasure. Groningen, 10/16/2025
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