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【フローニンゲンからの便り】17475-17478:2025年10月4日(土)



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タイトル一覧

17475

ゼミナールの第152回のクラスの予習(その1)

17476

ゼミナールの第152回のクラスの予習(その2)

17477

今朝方の夢

17478

今朝方の夢の振り返り

17475. ゼミナールの第152回のクラスの予習(その1)   

                       

時刻は間もなく午前6時半を迎える。今日は珍しく、早朝から激しい雨が降っている。さらに珍しいのは、今日は一日中雨とのことである。この土地では、一日中雨が降ることは年間を通してほとんどないが、今日はそうした日のようだ。風も強くて外には出れない感じなので、今日は朝のジョギングの代わりに自宅でHIITを行おうと思う。


今日はゼミナールの第152回のクラスがある。その予習として課題文献の該当箇所を読むことに加えて、事前に受講生の皆さんに共有した5つの問いにも自分なりの答えを用意しておきたい。1問目は、「LAS(Lectical Assessment System)における「inter-rater reliability(評定者間信頼性)」は、なぜ発達指標の妥当性を示す上で最初のステップとみなされるのですか?」というものだ。妥当性は「その指標が狙っている構成概念を本当に測れているか」を問う基準であるが、その前提として「誰が測っても同じ結果になる」すなわち信頼性が確保されていなければ議論が成り立たない。古典的テスト理論では、テストで得られる点数は「その人の本来の実力」と「偶然的な誤差」の合計として考えられる。評定者の評価が一致しないと、そのズレは誤差の大きさを増やすことになり、実力の正確な把握が難しくなる。誤差が大きければ、どれほど洗練された妥当化研究(収束的・弁別的・基準関連など)を積み上げても、その相関や効果は減衰し、結論の解像度は下がる。したがって「まず誤差を抑える」こと—すなわち評定者間信頼性の確認—が第一歩になる。LASは訓練を受けた評定者同士で半レベル以内で80~97%の一致率が報告され、さらに実務上はマスター評定者との1/3レベル以内85%以上の合致を維持することが要件とされている。これは「同一の言語パフォーマンスを、異なる評定者が同じ“定規”で読み解けている」ことの実証である。もしここで一致が得られないなら、後続の妥当性証拠—例えば他指標との高相関やRasch適合—は、構成概念ではなく評定者の癖を測った結果に過ぎない可能性が残る。ゆえに、評定者間信頼性は妥当性検討の論理的・方法的な出発点である。2問目は、「Raschモデリングの特徴は「モデルがデータに合うか」ではなく「データがモデルに適合するか」を検証する点にあります。この違いが、LASのような発達評価においてどのような意味を持つのか説明してください」というものだ。一般的な多変量回帰などは「与えられたデータをいかに良く記述できるか」という“最適当てはめ”の発想であるのに対し、Raschは逆に「客観的測定の要件(等間隔性・不変順序・普遍適用性)を満たすデータか」を問う。つまりモデルの都合にデータを合わせるのではなく、データの側が“定規(物差し)の基準”に耐えるかを検査する。発達評価にとってこれは決定的で、LASが「内容から独立した構造の尺度」として機能するためには、レベル間の距離が一定(等間隔)であり、難易度順序が被験者や課題に依らず不変(測定の不変性)である必要がある。具体的には、Raschモデリングは、LASや他の指標で出た点数をすべて「同じ物差し」に載せ直し、直接比較できるように換算する。比喩を用いる、「摂氏と華氏の温度を同じスケールに揃えて比べられるようにする」のと同じ働きを、Raschは発達スコア間で行っているということである。そして、項目(あるいは発達レベル)の難易度と個人能力を同一次元上に配置する。infitやoutfitと呼ばれる適合度の指標を使えば、データの中で「この問題の結果だけおかしい」「この採点だけ極端にズレている」といった不整合を見つけ出すことができる。比喩で言えば、「テスト問題の中に1つだけ、全員が異常に間違える問題があると、それは問題そのものが測定に適していないかもしれない。適合統計はそういう“外れ”を見つけ出すセンサーのような役割を果たす」ということである。それを通じて、“定規として不適切な歪み”を除去できる。結果として、LASとコールバーグやアーモンなど領域特定型の発達測定をRaschで同一物差しに載せると相関0.92(R²=0.85)が得られ、両者が共通の潜在次元を測っていることを、単なる相関の大きさ以上に測定学的に健全な根拠で示せる。要するにRaschは、「モデル選択の巧拙」ではなく「測定そのものの健全性を保証」し、LASが「どの段階間も同じ距離で、順序が変わらず、内容に左右されない共通の物差し」として正しく働いているかを確かめ、必要なら微調整する役割を担う。3つ目の問いは、「コールバーグやペリーなどの領域特定型指標がLASと高い相関を示したことは潜在次元の存在を示唆しました。この結果を踏まえ、発達心理学における「構造」と「内容」の区別をどのように再定義できるかを論じてください」というものだ。比較研究の帰結は、道徳・認識論・評価的推論といった内容領域の違いにもかかわらず、各指標が実際には同一の潜在構造—階層的複雑性(altitude)—に敏感であったという点で合流する。この事実に即して再定義するなら、「構造」とは、積み木を同時にどれだけ積み上げられるか、その積み木をただ並べるのではなくどれくらい大きな形に組み合わせられるか、さらにその形全体を1つの設計図としてまとめあげられるか、という“思考の設計力”を指しており、「内容」とはその構造が現れる主題・語彙・価値領域である。すなわち、構造=領域一般的な生成規則、内容=領域固有の意味素材という二層化である。この再定義の含意は3つある。第一に、測定の主対象を構造に据えることで、異なる領域間比較が可能になる。Raschを介してスコアを等間隔に再標定し、LASで“同一定規”に揃えれば、道徳的熟慮と認識論的熟慮の発達高度の整合を検証できる。第二に、実践上の“段階判定(レベル判定)の誤謬”を避けられる。すなわち、特定の専門用語や世界観の表明を「高い段階の証拠」と誤解せず、発話の深層構造(どの程度の複雑性を協応しているか)を測定基準にする。これにより、同じ構造段階の内部に内容多様性(水平的健全性)があり得ること、逆に洗練された言い回しでも構造は未熟な場合があることが理解できる。第三に、理論的な研究では、「発達全体に共通する構造」と「特定の領域にだけ関わる内容」という2つの要素を区別して考える見方を取ることが可能である。比喩的表現で言えば、発達を研究する際には、「建物全体を支える骨組み(発達構造)」と「部屋ごとに異なる家具や装飾(領域内容)」という2つの要素を同時に見る二重の視点を取ることができるということである。設計上は、構造をLASで定量化し、内容は質的・現象学的・文化歴史的手法で記述する混合方法論が適合する。総じて、再定義の核心は「発達の同一性条件は“何を語るか”ではなく“どう組織化して語るか”にある」という転回である。LASはこの転回を計量的に支え、内容横断の比較・統合—例えば、心理測定・教育カリキュラム・リーダー育成の共通座標軸—を提供する。これにより、発達心理学は領域依存のモザイク(各領域の研究成果が「つぎはぎ状」に積み上げられている状態)から、構造主導の統合科学へと一段抽象度を上げて進むことができる。フローニンゲン:2025/10/4(土)06:44


17476. ゼミナールの第152回のクラスの予習(その2)

     

4つ目の問いからは応用的な実践に関わるものとなる。4つ目の問いは、「教育現場で生徒の発達段階を評価するためにLASを用いる場合、従来の単一スコアによる評価と比べて、どのような利点が期待できるか具体的な事例を挙げて説明してください」というものだ。従来の発達評価、例えば「あなたはステージ5にいる」といった単一スコア型の評価は、生徒の発達全体を1つの段階に押し込めてしまう傾向がある。この方式では、ある領域では高い統合度を示していても、別の領域でまだ初歩的な段階にとどまっているといった発達の非均質性を捉えにくい。その結果、教育的介入は「もう少し内省的になりなさい」といった抽象的アドバイスに留まることになる。これに対してLASは、一人ひとりの言語的パフォーマンスを複数の課題で評価し、それぞれを同一の“定規”で測ることが可能である。すなわち、道徳的推論、科学的推論、リーダーシップ的判断といった異なる領域を、共通の発達メートルで整列させることができるのである。これにより、同じ生徒であっても、数学の推論ではステージ6、倫理的判断ではステージ5、社会的視点取得ではステージ4/5といった「プロファイル的把握」が可能となる。このことに基づいて、教育実践における利点は2つ挙げられる。第一に、多次元的な能力の把握である。例えば理科の授業で高度な抽象的推論を展開できる生徒が、作文課題ではまだ表象的(具体的)な視点しか使えない、という状況が可視化される。第二に、それに基づくカスタマイズされたカリキュラム設計である。教師は全体平均値に基づく一律的な授業を行うのではなく、生徒が特定領域で停滞しているならそこに焦点を当てた課題を与え、逆に強みがある領域にはより発展的な課題を提示することができる。例えば、中学生の道徳授業で「公共空間でのマナー違反」に関するディスカッションを行ったとする。従来の評価では「成熟しているか否か」という大雑把な結論しか導けないが、LASを用いれば「多面的に考えられるが、抽象的原理への統合は不十分」といった構造的診断が得られる。これに基づき教師は「複数の立場を比較し、そこから共通原則を導く」という次の段階に進むための練習課題を設計できるのである。要するに、LASの利点は「一律の段階判定」から「プロファイル型の診断」への転換を可能にし、個別最適化された教育環境を整える基盤を提供する点にあると言える。5つ目の問いは、「LASは「定規」のように発達構造を測定することに優れている一方で、現象学的・解釈学的アプローチに乏しいという限界も指摘されています。もし組織開発やリーダーシップ育成にLASを導入する立場であれば、この限界をどのように補完しつつ実践設計を行いますか?」というものだ。LASは思考の複雑性を客観的かつ定量的に測る強力なツールであるが、それだけでは「その人物と共に働くとはどういう体験か」「その言葉が他者にどのような影響を与えるか」といった質的次元を把握することはできない。組織開発やリーダー育成においては、この「生きられた経験」や「社会的文脈」が欠けると、単なる認知発達スコアの提示に終わり、実践的価値は減じることになる。したがって、3つの補完策を提案したい。第一に、360度評価の導入である。部下・同僚・上司からのフィードバックを組み合わせ、LASで示された構造的複雑性が実際の職場でどのように発揮されているかを確認する。例えば、LASでステージ7の戦略的統合が可能と判定されたとしても、現場ではその洞察が「伝わりにくい」あるいは「過剰に複雑すぎて実用的でない」と受け止められる場合がある。こうしたギャップはLAS単独では掬い取れない。第二に、ナラティブ・アプローチの併用である。リーダー自身に過去の意思決定経験や葛藤場面を語らせ、その物語の中でどのように意味づけや自己認識が形成されているかを解釈的に分析する。これにより、LASが示す階層的複雑性と、本人が主観的に経験している成長過程を照合することができる。第三に、現象学的インタビューやコーチングセッションを用い、リーダーが自らの内的動機や価値観を言語化する機会を設けることである。これは単なる発達スコアではなく、「なぜそのような判断をするのか」という内的次元を可視化し、組織文化との関係性を探る上で有効である。このように、LASを「構造の定規」としての客観的基盤に位置づけつつ、それを体験的・関係的・文化的データと三位一体で運用することが望ましい。具体的には、リーダー育成プログラムを三層構造に設計する。すなわち、(1)LASによる構造的評価、(2)360度フィードバックやナラティブ分析による関係的評価、(3)本人の内省を促すコーチングによる主観的評価である。これにより、LASの強みである「測定の客観性」と、他手法の強みである「意味の厚み」とを統合することが可能となる。結論として、LASは単独では「高さ」を測る定規にすぎない。しかし、補完的手法を組み合わせれば、その高さがどのように「生きられ」「共有され」「文化に根付くか」を理解でき、組織開発やリーダーシップ育成においてより実践的で持続的な成長支援を可能にするのである。フローニンゲン:2025/10/4(土)06:54


17477. 今朝方の夢 

                 

今朝方は夢の中で、砂浜の上に建てられた家の中にいた場面があった。海は目の前で、バルコニーに出て海を眺めようと思ったら、バルコニーのテーブルに見知らぬ若い男性がいて、タバコを吸って寛いでいた。私はすぐに声を掛けたところ、その男性はすぐさまテーブルから立ち去って、波打ち際の方に消えていった。この場面のすぐ後に、中学校時代にお世話になっていた女性の数学の先生と小中高時代のある友人(YU)と3人で当時の思い出話を楽しく語り合っていた。先生は当時大学を卒業してすぐに教師になり、非常に若かった。そんな先生とやんちゃな自分達がどのように関係性を深めていったのかは良き思い出であり、それを語り合うことは実に喜びに満ちていた。さらに夢の場面は流れるようにして続いていった。次の場面は、自分がストリートアートを描いているものだった。それに没頭していると、中学校時代の部活の一学年上の先輩が2人やって来た。平素は2人の先輩とはとても仲が良かったのだが、なぜか先輩は絵を描いている自分にちょっかいを出してきて、絵を酷評するようなことを述べた。その瞬間に自分の理性は消えており、先輩を殺す勢いで殴り始めた。殴り始める前から理性はなかったが、実際に殴り始めると、共感能力は0になり、先輩の痛みをこちらは感じることなく、まず先輩の顔は原型を留めないほどにぐちゃぐちゃになった。ストリートアートの近くに横たわった2人の先輩にトドメを刺すかのように、両腕と両脚を複雑骨折させて立ち上がれないようにした。その瞬間に自分は、アート作品が完成したかのような歓喜に満ち溢れ、恍惚感に浸った。だがその直後に我に返り、先輩が仕返しをすることはないと思ったが、どこか別の場所に引っ越そうと思った。この場面を受けて一度目を覚ましたが、再び眠りにつくと、最後の場面として、2匹の黒猫が自分の部屋に迷い込んでいる場面が現れた。どうやら自分はそれらの猫を飼っているらしく、迷い込んで来たというよりも遊びに来たと述べた方が正確かもしれない。2匹の黒猫は大きさが違い、1匹はまだ生まれたばかりぐらいの大きさで可愛らしかった。特にその子猫は、ベッドと壁の隙間に入り込んで、それを通路側りに歩くことを好んでいるようだった。自分は少しやるべきことがあったので、一旦2匹の猫を部屋の外に出すことにした。2匹はとても大人しく、自分の意思に従うように速やかに部屋の外に出てくれた。ただし、やはり自分に構って欲しいと思っているのか、ドアの外でじっとし始めた。フローニンゲン:2025/10/4(土)07:23


17478. 今朝方の夢の振り返り

  

今朝方の夢全体の流れを貫いているのは「創造と破壊」「記憶と現在」「孤独と親密」といった二項対立が絶えず交錯し、揺れ動く意識の舞台であるかのようだ。最初の砂浜に建てられた家の場面は、基盤の不安定さを象徴している。砂浜という流動的な土地に建てられた住居は、いつ崩れてもおかしくない暫定的な基盤であり、自我の立脚点の不確かさを映し出す。その家のバルコニーに居座る見知らぬ若い男性は、自分の無意識に潜む「異物」のような存在であり、侵入者であると同時に、自分の内部に芽生えるもう1人の自分の影とも読める。煙草をくゆらせる姿は享楽や怠惰、あるいは一時的な快楽への誘惑を示唆するが、自分が声を掛けると即座に去っていくことから、それは強固に根を張るものではなく、ただ過ぎ去る衝動であったと言えるかもしれない。次の場面で登場するのは、中学時代の数学教師と友人との思い出語りである。そこには安心感と懐かしさ、そして学びと友情という肯定的な記憶が息づいている。特に若き教師との交流は、自己形成期における「他者との関わりによる自己の磨き上げ」を示し、その記憶を語り合うことは、自らの成長の基盤が良き関係性の中で育まれてきたことを再確認する営みであった。つまり、侵入者の影と対比するように、ここでは「自分を支えた人間関係」という肯定的な構造が強調されている。だが夢は一転し、ストリートアートの場面では「創造と暴力」が絡み合う。創作行為に没頭していた自分に先輩が介入し、作品を否定する。その否定は、外部からの批評や評価に直面した際の自己の脆弱さを象徴する。そこで自分は、批評を受け止めるのではなく、暴力という極端な手段で反応する。理性の喪失、共感の消滅、相手を徹底的に破壊することによって、逆説的に「作品完成の恍惚感」を味わうという構造は、創造衝動が同時に破壊衝動を内包していることを示す。ここにはアルテミスの矢のような二重性があり、「創造の歓喜は破壊の刃と紙一重である」という無意識の深層が暴かれている。やがて自分は「仕返しの不安」を抱き、引っ越しを考えるが、これは暴力による支配が安定をもたらさず、むしろ逃避を必要とすることを示す。最後の場面に現れる2匹の黒猫は、夢全体を総括するかのような存在である。黒猫はしばしば直観、魔術性、潜在意識との接点を象徴する。大小2匹の姿は「未熟な影」と「成熟しつつある影」を対比させ、自分の中に共存する可能性の萌芽と既に育った直観力を表している。子猫がベッドと壁の隙間を好む姿は、「表には現れない潜在的な可能性が狭間に宿っている」ことを示し、それはやがて成長して大きな力になるだろう。自分は猫を部屋の外に出すが、猫は従順に従いながらもドアの外に留まり、再び内に入りたがる。この構造は、無意識的な直観や創造衝動を一時的に外に押し出しても、再び自分の意識の扉を叩き続けるという現象を象徴している。人生における意味として、この夢は「自己の内部に潜む多様な衝動や影をどのように統御し、創造性へと昇華させるか」という課題を提示している。侵入者の影、懐かしい人間関係、暴力的破壊と歓喜、黒猫という象徴はすべて、内面の異なる側面を映す鏡である。人はしばしば批評や拒絶に直面し、そのとき暴力的に反応するか、あるいはそれを受容して深化するかが問われる。夢の中では暴力が選ばれたが、最終的に黒猫が示したのは「直観と遊び心こそが真の創造を導く」という別の可能性である。すなわち、この夢の核心は、過去の関係性から得た安心感を基盤にしつつ、破壊的衝動を抑圧ではなく創造へと転化し、潜在する直観の声を大切にすることによって、人生の芸術を完成させるべきだというメッセージなのだろう。フローニンゲン:2025/10/4(土)07:38


Today’s Letter

Each dream I had last night carries a precious message for my psychological development. The more I try to decipher its meaning, the more it helps me deepen my self-understanding. I am grateful to the ālaya consciousness for generating such profound dreams every night. Groningen, 10/04/2025

 
 
 

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