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【フローニンゲンからの便り】17470-17474:2025年10月3日(金)



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タイトル一覧

17470

将来の指導教官候補との面会予定が着実に決まって

17471

今朝方の夢(その1)

17472

今朝方の夢(その2)

17473

今朝方の夢の振り返り(その1)

17474

今朝方の夢の振り返り(その2)

17470. 将来の指導教官候補との面会予定が着実に決まって    

                         

今朝方は夢の中で、見慣れない宿に宿泊している場面があった。友人たちと外で運動をして汗をかいた後に、宿の大浴場に行こうとした。すると宿泊している広い部屋で高校時代のある友人と遭遇した。彼は英語の学習をしていて、テキストをぶつぶつと音読していた。その発音はかなり綺麗なもので、いつの間に彼は英語の発音を磨いたのだろうと感心した。彼が私に気付いた時に一旦音読をやめて、彼は笑顔でこちらに向かってきた。彼は大柄ながらも優しさがあり、そこから少し英語学習について話をした。彼との話を楽しんだ後に大浴場に向かおうとしたら、気づけばもう風呂から上がっていて、湯冷ましがてらくつろいでいた。休憩室でゆっくりしていると、ある有名な科学者の方の書籍の編集を担当した編集者の方と偶然にも会った。驚いたことに、その方が担当した書籍はこの12年間で累計390万部に到達しており、大ヒット作だった。その書籍がなぜそれほどまでに売れたのかについての話を興味深く伺いながら、最後にその方は、当時は出版社に勤めていたこともあり、編集者として印税の分前をもらうことはなく、それは惜しいことであったと笑いながら述べた。自分もこれらからいくつかの書籍の出版が控えており、これから出す書籍はどれくらい人々に読んでもらえるだろうかと考えさせられた。


次に覚えているのは、見知らぬ日本人女性2人と話をしていた場面である。そこでは最初は何気ない話をしていたが、あるところで私が、「~させられた」という受動表現を使うと、その表現に対して1人の女性が違和感を表明した。自分としては自ら能動的にそれを行なったわけではなく、世界から導かれてその行動に出たことを伝えたかったため、受動表現が最適だと思ったが、その女性はとにかく能動的な表現を好む人のようだった。その点に関して私たちはお互いに異なる価値観を持っていることが判明し、それを踏まえてここからの対話をしていこうと思った。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2025/9/28(日)07:09


17471. 今朝方の夢(その1) 

                         

今朝方はいくつか印象的な夢を見ていた。最初の夢の場面では、見慣れない旅館に宿泊していて、父と一緒に温泉に向かった。温泉にゆっくり浸かった後に、最後の締めとして冷水シャワーを浴びると、それがとても心地良かったのだが、冷水シャワーを浴び始めてしばらくすると、自分の意識が肉体から離脱した。冷水によって神経に変化があり、特殊な脳内物質が分泌され始めたからなのだろうか、幽体離脱的な体験が起こったのである。しかしよくある幽体離脱のように、天井の上から自分の肉体を眺めるのではなく、横からしかも少し屈んだぐらいの角度から自分が冷水シャワーを浴びている様子を観察していた。すると、父も冷水シャワーを浴び始めたが、その間に多くの客がやって来て、彼らが洗い場で水を使っていることもあって、父のシャワーの水量はとても少なかった。自分も再び温水シャワーを浴びて、また最後に冷水シャワーを浴びたかったのだが、その水量では難しそうだった。しかし念のため挑戦してみることにし、微量の冷水シャワーを浴びて更衣室に上がることにした。

個人的には次の夢がある観点において最も印象に残る夢の1つだと言えるかもしれない。夢の中で私は、見慣れない学校の校舎の裏の丘の上にいた。自分はその学校の生徒ではないがそこで寛いでいると、その学校の生徒と思われる男女の集団が丘の上のベンチにやって来た。ちょうど明日は大学入試があり、彼らと自分はどうやら同じ大学を受験することになっているらしかった。彼らは進学校の生徒で、大学はその学校の近くにあったので、その大学に通う先輩たちも多く、入試に関するノウハウが後輩たちにも伝わっているようだった。一方私は地方から出て来た身で、単身この地に乗り込んで受験するという環境のギャップがあった。彼らは和気藹々と楽しそうに話をしており、受験も楽に突破できそうな雰囲気を発していた。自分は受験のことは傍に置き、体力の回復に努めることにし、明日の本番で最大限のパフォーマンスが発揮できるように十分な休息を取っていた。彼らが記念撮影をし始めると、自分が横になっているところまでやって来て、危うく自分も写真に映りそうになったが、自分は体勢を変えて写真にできるだけ入らないように心掛けた。そう言えば彼らはこの丘にやってくる時から気分上々で、バレエダンスの動きをしながらやって来たことを思い出した。おそらく彼らはバレエの演技を劇場で見ていたのだろう。そうした心の余裕のある彼らと同じく自分にも心の余裕はあったが、一点明確に違ったのは彼らはチームで入試をゲーム感覚で楽しんでいたのに対し、自分は孤立した状態でそれを突破しようとしていたことである。すると突然、丘の下から他校の不良集団がやって来た。彼らは丘の上にいる私たちに睨みを利かせており、丘の中腹に差し掛かった途端に、突然黒い霧に変化した。その不気味な黒い霧が私たちの方に一気に近づいて来たので、私たちは一目散に逃げることにした。先ほどまで同じ集団として固まっていた生徒たちは拡散し、私と一緒に逃げ始めたのは、先ほどまではいなかった小中学校時代のある親友(KF)だった。彼と走って丘を降り始めると、今度は丘の下から不良集団の仲間である大量の騎馬隊がやって来た。どうやらその騎馬隊は銃や刀を持っているようで、彼らに捕まると命はないと思ったので、逃げる方法を変えることにした。友人の彼に空を飛んで逃げようと持ちかけ、私たちは空を飛び始めた。その瞬間に彼は消え、自分だけが空を飛ぶ形となった。すぐさまその丘を離れることはできたが、近くの大陸まで随分と距離があることを自分は知っており、無事にそこに辿り着けるか心配だった。先ほどまで体力を回復させるために寝てはいたが、空を飛び始めると、天候が急に悪化し、強い雨風に見舞われた。また視界も真っ暗で、先に何があるか見えない状況だった。履いていた半ズボンの左ポケットにはスマホがあり、一度雲の上の穏やかな領域に出てからスマホのGPSで現在地を確認しようと思った。右ポケットにはジムのロッカーの鍵が入っていて、左右のポケットのファスナーを閉めて、両者を海に落とさないように心掛けた。確かに強風ゆえに自分で速度をコントロールすることは難しかったが、逆に風に乗れば楽に空を飛んでいけるとも思った。それに慢心していると、右手に持っていたチョコレートを海に落としてしまい、その瞬間にチョコレートが着水する音が聞こえてまずいと思った。というのも、飛び始めてすぐは非常に高い高度を維持していたが、着水音が聞こえたということは高度が下がっている証拠だと考えたのである。しかし時すでに遅しで、気づけば自分の腹がもう海面スレスレのところまで来ていて、体が海に着水してしまった。冬の海の気温は極めて低く、服を着ていたこともあり、一度着水してしまうと、濡れた服が邪魔になり、再び空を飛ぶことは不可能に思えた。そこで自分は強烈に死を覚悟した。誰も助けてくれる人がいないどこかの海の只中に放り投げ出され、死を覚悟して諦めの気持ちが生じた瞬間に目を覚ました。時刻はまだ午前2時半を迎えたところだった。フローニンゲン:2025/10/3(金)08:14


17472. 今朝方の夢(その2) 

               

先ほどの夢の振り返りをする前に、一度目覚めた後に続きとして見ていた夢についても振り返りたい。その夢でもまた空を飛んでいる自分がいた。夢の中で私は、山口県の地元にいて、かつて小学校の帰り道によく歩いていた海沿いの道を懐かしく歩いていた。かつては野良犬がいたこの場所は、今ではもう野良犬の姿は全く見られなくなり、新しい家が多く建っているのが目に留まった。しばらく歩いていると、ふと空を飛んで移動したくなり、空を飛び始めた。すると、強い風に流されて一瞬にして全く別の県にまで飛ばされてしまった。先ほどまでいた地元に戻るために、その風の力を利用しようと考えたが、最初はコントロールがとても難しく、うまく風に乗れなかった。ところがすぐさま意識を使わなくても自然に風に乗れるようになっていて、気づけば元いた場所まで帰ってきた。それらの一連の出来事はあっという間の出来事であり、自分でも何が起こったのかよく掴めない放心状態に少しなった。もう一度辺りの見慣れた景色を眺めることで、体をグラウンディングさせて再び歩き始めることにした。


最後に見ていた夢は、フローニンゲンの今の自宅を舞台にしたものだった。呼び鈴のない家のドアを叩く音が聞こえ、この家のドアまでやって来れるのは門内の住人だけのため、近所の誰かかと思った。ドアを開けると、そこには郵送会社の制服を着た見知らぬオランダ人男性がいて、その男性は笑顔で大きな郵便物を自分に渡した。どうやら何かの検証で、最新の大型テレビと巨大なモニターが当たったようで、それを彼は運んでくれたのである。正直なところテレビを見る習慣はないので、それは新品のまま売却しようと考えたが、とりあえず家の中に運び入れてもらうことにした。すると、その男性の背後に不動産会社のオランダ人女性が立っていて、今からこの家を見学させて欲しいと述べた。どうやらこの家を借りたいと思っている人がすでに複数人いるらしく、部屋は片付いていないが見学の承諾をすると、ゾロゾロと15人の人たちが家の中に入ってきた。まず2階を案内することにし、彼が2階に上がってきて驚いたのは、書籍の多さだった。床の至る所に積み重ねられた学術書を眺めながら、彼らは感嘆の声を漏らしていた。見学に来たのはオランダ人だけではなく、その中に日本人もちらほら混ざっていた。驚いたことに、その中に高校時代に軽音部に所属していたある友人がいて、彼が私の楽譜のコレクションに手を伸ばし、中身を開いて音楽記号についてあれこれ質問してきた。彼以外の見学者はすでに家の外に出ていたが、彼だけは好奇心に目を輝かせながら楽譜を手にしてこちらに話しかけて来たので、彼を邪険に扱うことはせず、むしろ自分が持っている文献に関心を示してくれたことは嬉しかったので、彼と少しばかり楽譜を元に会話を楽しんだ。今朝方はそのような一連の夢を見ていた。フローニンゲン:2025/10/3(金)08:36


17473. 今朝方の夢の振り返り(その1) 

                         

この夢全体には「浄化」「挑戦」「孤立」「飛翔」「失速」「死のイメージ」という一連の流れが存在している。第一の場面、見慣れない旅館と温泉は、自分がこれまでに属してきた環境を離れて、一時的に休息し自己を再調整する「移行の場」を表している。温泉が「温かい羊水」であるなら、冷水シャワーはその羊水からの強烈な目覚めの刺激であり、肉体から意識が離れる感覚は「古い自己」から距離を取り、新しい自己を外から観察する萌芽的な力の兆しである。しかも自分は天井からではなく横から屈んだ姿勢で自分を見ていた。これは「超越的な視点」というよりも「現実にまだ根差した移行的な視点」を示し、完全な超脱ではなく、現実に半身を残した形で自己変容を試みている姿勢を映している。父親も冷水シャワーを浴びるが水量が少ないという描写は、自分の成長に対して父の影響が徐々に薄れ、自分自身がその不足を感じながらも挑戦を続けている心理を示唆しているかのようだ。第二の夢では、場面が温泉という内面的再生の空間から、丘という外界的な「試験の前の待機場」に移る。ここでの自分は孤立しており、進学校の生徒たちはチームで、踊るように、演劇のように入試を「遊戯化」している。彼らの「余裕」は、自分がこれまでに外部世界で感じてきたシステム的優位・情報格差を象徴し、自分が自分自身の努力と静かな休息だけでそれを突破しようとしている姿勢を浮き彫りにする。彼らが記念撮影をし、自分ができるだけ写らないようにする場面は「他者の物語に巻き込まれないで、自分の物語を保とうとする意志」を示す。つまりこの丘は「社会的に編まれた集団の物語」と「個人が自力で紡ぐ物語」との境界線なのだろう。しかしそこに黒い霧と騎馬隊が現れる。これは試験という単なる社会的挑戦を超え、もっと原初的な「恐怖」や「破壊力」としての人生の試練を表している。黒い霧は集団の形を失った脅威であり、騎馬隊は武装した制度的圧力を暗示する。それに対して自分は小中学校時代の友人とともに逃げ始める。彼は「幼少期の自己」「純粋な原点」の象徴であり、自分が極限状況で呼び戻す内的資源である。しかし空を飛び始めると彼は消える。これは「飛翔」という超個人的な挑戦に入るとき、人は誰とも共有できない孤独に入らざるをえないという現実を示す。空を飛ぶことは「意識の拡張」「未知の地平への突入」であり、そこには風に乗れば楽に進めるという誘惑もある。しかし同時に、天候が悪化し、視界が真っ暗になり、左ポケットのスマホと右ポケットの鍵を落とさないように必死に守っている自分は「自分のアイデンティティの座標(スマホ=現在地確認の道具)」と「自分の帰る場所(鍵=個人の基盤)」を死守しようとしている。これは精神的冒険の中で自己同一性と現実へのアンカーを失わない努力の象徴である。右手のチョコレートを落とし、それが海に着水する音を聞く場面は、甘さ=人生の報酬感覚を手放した瞬間に「高度が下がる」ことを悟る構図である。飛翔の維持には単なる快楽の持続ではなく、より深い覚悟が必要であることを夢は教えている。結果として自分は冬の海に落下し、濡れた服が重く再飛翔が不可能に思える絶望の中で死を覚悟する。ここはまさに「小さな死」であり、象徴的な自己の終焉である。そしてその瞬間に目覚めることは、夢が「一度自己を死なせ、目覚めさせる」儀式的なプロセスを持っていたことを意味する。この夢全体は、温かい温泉から冷水への浄化、丘での孤立と集団の対比、黒い霧と騎馬隊という脅威、友人の消失、空の飛翔と落下、死の覚悟という連鎖を通して、「自分の内なる通過儀礼」を描いている。つまり、過去の保護的環境(父・温泉・友人)から離れ、他者の物語に巻き込まれず、自分だけの挑戦に孤独に挑み、甘美な安全(チョコレート)を手放し、古い自己が一度死ぬことによって、新しい自己が誕生するプロセスである。海に落ちた自分は実際には目覚めており、これは「溺死」ではなく「誕生」である。午前2時半という時刻は、夜の最も深い時間帯であり、そこから目覚めることは「暗闇を越えた気づき」を象徴している。人生における意味として、この夢は「真に自立するためには、一度誰とも共有できない孤独な飛翔を経験し、そこで古い自己を死なせなければならない」ということを示している。そしてそのプロセスは恐怖や不安を伴うが、スマホ(座標)と鍵(基盤)を手放さない自分の姿勢が示すように、核心的な自己認識と基盤を保ち続けるならば、たとえ海に落ちても新たな自分として再び立ち上がることができる。そのための「小さな死」と「象徴的な飛翔」を夢は緻密に演出していたのだろう。フローニンゲン:2025/10/3(金)09:20


17474. 今朝方の夢の振り返り(その2)

                     

この夢の連なりは、自分の内的な「移動」「変容」「帰還」「承認」の諸相を織り込みながら展開されている。第一の夢は山口県の海沿いの道に始まる。そこは幼少期の帰り道であり、記憶の深層に刻まれた「原風景」である。かつて野良犬がいたという事実は、制御できない外的な脅威や不安を象徴しているが、今ではその姿は消え、新しい家々が並ぶ。その変容は「過去の恐怖が時間とともに鎮まり、成長の証としての新しい秩序が築かれている」ことを物語る。自分がそこを懐かしみつつ歩く姿は「過去を振り返りながら、今の自分の立脚点を確認する」営みそのものに見える。やがて自分は空を飛ぶ。ここで重要なのは「風に流される」という受動的な要素と、「風に自然に乗れるようになる」という能動と受動の逆転である。最初は風に翻弄されるが、やがて風に任せても自然に元の場所に戻れるようになる。これは「人生の制御不可能な力に抗おうとする緊張」から「その力に委ねることで自然に調和を取り戻す感覚」へと移行する姿である。つまり、外的環境や運命の流れを拒むのではなく、信頼し預けることで、本来の自分の基盤に帰還できるという象徴である。その帰還後に放心し、改めて景色を見直してグラウンディングする場面は、「一度外に連れ去られて戻った後に、かえって以前よりも強く現実感を抱く」体験を示している。第二の夢はフローニンゲンの現在の住まいが舞台となる。ここに現れるのは「贈与」と「訪問者」である。まず郵便会社の男性が大きな郵便物を運んでくる。中身は大型テレビとモニターであり、自分の日常に必要不可欠ではない贅沢な品である。それを新品のまま売却しようと考える姿は「表層的な物質的贈与を、自分の価値観に基づいてどう活かすか選び取ろうとする態度」を示している。つまり与えられたものを無条件に受け入れるのではなく、自分の基準で意味づけし直そうとする主体性の表れである。次に現れるのは不動産会社の女性であり、さらに続くのは大勢の見学者たちである。これは「自分が築いてきた生活空間と知の財産」が他者の眼差しにさらされる状況を象徴している。特に2階に散乱する学術書に彼らが感嘆する場面は、これまで蓄積してきた知の成果が「外部からの認知と評価」に触れる瞬間を描いている。それは自分の学びや探究が、内的な営みとして閉じられていたのではなく、外の世界へと共有可能な価値を持ち始めていることを示す。この訪問者の群れの中に日本人も混ざっており、さらには高校時代の友人が現れる。彼が楽譜に関心を示し、自分に質問を投げかける場面は、「過去の人間関係が自分の現在の知的・芸術的営みに橋をかける」瞬間である。見学者の多くが去っても彼だけが残り、好奇心の輝きとともに自分と対話する姿は、「多数からの外的承認」を超えて「少数の真の共鳴者」との出会いの重要性を告げている。つまり、自分の知の探究は数的な評価よりも、心から関心を寄せる少数との交流によって生き生きとした意味を帯びるのだという示唆である。これらの夢を総合すると、自分の意識は「過去の原風景への帰還」「風に委ねることによる再定位」「外部世界からの承認と内的共鳴」という三重の主題を体験している。第一の夢は「過去と現在の調和」、第二の夢は「未来への社会的承認」を描いている。そして両者をつなぐのは「飛翔」である。空を飛ぶことは単なる逃避ではなく、未知の力に委ねてみることで意外な帰還が可能になるという教訓を含む。フローニンゲンの夢においても、自分の空間が他者に開かれる場面を経て、最終的には友人との一対一の対話に帰着する。人生における意味として、この夢群は「自己の歩んできた道と現在の居場所を深く見直し、社会からの承認や多数の視線に動じることなく、真に共鳴する他者と知を分かち合うこと」がこれからの自分に求められていることを示している。風に翻弄されても最終的に自分の原点に帰り着くように、人生もまた偶然と不可抗力に満ちているが、それを信頼し委ねることで本来の軌道に戻ることができる。そしてその過程で現れる少数の真の友や共鳴者こそが、自分の探究を次の段階へ導く存在である。この夢は、孤立した努力と偶然の力を通じて、他者との深い共鳴に至る道筋を象徴していたのである。フローニンゲン:2025/10/3(金)13:42


Today’s Letter

I cherish every dream I had last night, as each is a treasure for self-discovery. Dreamwork guides my life in an authentic and profound way. Groningen, 10/03/2025

 
 
 

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