【フローニンゲンからの便り】17449-17452:2025年9月28日(日)
- yoheikatowwp
- 2 日前
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タイトル一覧
17449 | 季節の深まりと共に/今日の計画 |
17450 | 今朝方の夢 |
17451 | 今朝方の夢の振り返り |
17452 | AIと協働する近い将来の学術論文の執筆について |
17449. 季節の深まりと共に/今日の計画
時刻は午前6時半を迎えた。今の気温は10度と低いが、今日は19度まで気温が上がるようなので比較的暖かい。来週からは気温が15度までしか上がらない日も出てくる。秋の深まりと共に自分の取り組みを少しずつ前に進めていこう。昨日の第151回のゼミナールのクラスからは、嬉しいことにまた新たな受講生の方をお迎えすることになった。その方はかつての自分の上司であり、こうして元上司と14年ぶりに邂逅を果たしたことへの喜びの感謝の念を感じていた。毎週末のゼミナールの場は、自分にとって無くてはならない学習実践コミュニティであり、毎週少しずつミクロな発達を遂げている自分がいる。現在は成人発達理論を集中的に扱っているが、いつかはサブゼミの形でもいいので、これからの自分の専門分野になる唯識についても扱っていきたいと思う。季節の深まりと同じく、ゼミの場もまた深まりを見せていくことを楽しみにしている。
今日は午前と午後ではやることが少し違う。午前中は、良遍の『唯識空観』に関する論文の執筆に従事する。すでにある程度のドラフトが出来上がっていたこともあり、冒頭の背景説明の文章と翻訳箇所の加筆修正を昨日の段階で完成させた。残るはこの論文のメインとも言える註釈パートで、その箇所を今日から加筆修正していく。今日の取り組みがどこまで進むか次第だが、順調にいけば今日と明日ぐらいで加筆修正は完了するのではないかと思う。そうしたらそこからまた原稿を寝かせておき、可能であればこの論文についてもテッド・フゥイ教授とヤン・ウェスターホフ教授の指導を受けながら協働して論文を投稿したいと思う。今日の午後からは、イギリスの大学院に訪問する旅の各種予約をしておきたい。すでに日程は決めているし、KLMの航空券の価格なども調べ、それぞれの街のホテルの目星もつけているので予約は比較的速やかなのではないかと思う。この予約が完了したら再び論文の執筆に戻って来たいと思う。フローニンゲン:2025/9/28(日)06:53
17450. 今朝方の夢
今朝方は夢の中で、見慣れない宿に宿泊している場面があった。友人たちと外で運動をして汗をかいた後に、宿の大浴場に行こうとした。すると宿泊している広い部屋で高校時代のある友人と遭遇した。彼は英語の学習をしていて、テキストをぶつぶつと音読していた。その発音はかなり綺麗なもので、いつの間に彼は英語の発音を磨いたのだろうと感心した。彼が私に気付いた時に一旦音読をやめて、彼は笑顔でこちらに向かってきた。彼は大柄ながらも優しさがあり、そこから少し英語学習について話をした。彼との話を楽しんだ後に大浴場に向かおうとしたら、気づけばもう風呂から上がっていて、湯冷ましがてらくつろいでいた。休憩室でゆっくりしていると、ある有名な科学者の方の書籍の編集を担当した編集者の方と偶然にも会った。驚いたことに、その方が担当した書籍はこの12年間で累計390万部に到達しており、大ヒット作だった。その書籍がなぜそれほどまでに売れたのかについての話を興味深く伺いながら、最後にその方は、当時は出版社に勤めていたこともあり、編集者として印税の分前をもらうことはなく、それは惜しいことであったと笑いながら述べた。自分もこれらからいくつかの書籍の出版が控えており、これから出す書籍はどれくらい人々に読んでもらえるだろうかと考えさせられた。
次に覚えているのは、見知らぬ日本人女性2人と話をしていた場面である。そこでは最初は何気ない話をしていたが、あるところで私が、「~させられた」という受動表現を使うと、その表現に対して1人の女性が違和感を表明した。自分としては自ら能動的にそれを行なったわけではなく、世界から導かれてその行動に出たことを伝えたかったため、受動表現が最適だと思ったが、その女性はとにかく能動的な表現を好む人のようだった。その点に関して私たちはお互いに異なる価値観を持っていることが判明し、それを踏まえてここからの対話をしていこうと思った。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2025/9/28(日)07:09
17451. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢には、いくつかの重層的な場面が織り込まれており、それぞれが自己形成と社会的関係、さらには世界との対話の在り方を象徴していると考えられる。最初に現れた「見慣れない宿」は、人生の一時的な滞在地、すなわち現実の中での過渡的な場面を象徴している。宿という場所は帰属と非帰属の中間にあり、そこに滞在することは、自己の現在位置を再確認しつつも、まだ確定していない未来への途上を意味する。その中で運動を終えて大浴場に向かう流れは、身体の浄化と再生の象徴であり、汗をかいてから湯に浸かるというプロセスは、努力と報酬、緊張と弛緩のリズムを示している。宿の部屋で出会った高校時代の友人は、過去の自己の一部を現在に呼び戻す存在である。彼が英語の発音を磨き、堂々と音読している姿は、自己が無意識に比較してしまう成長のモデルでもある。「彼はいつの間に成長したのだろう」という驚きは、自己の歩みを相対化する契機であり、同時に他者の努力を純粋に認める姿勢を映し出している。その友人との英語学習についての会話は、自己が追い求めている知的探究心を外側から反射させる場面であり、過去と現在の自己の橋渡しを担っている。続いて大浴場から気づけば既に上がっていたという場面の飛躍は、時間の流れを省略する夢特有の象徴である。これは「学びと浄化はすでに済んでいる」という潜在意識の感覚を映し出している。休憩室で出会った編集者は、社会的成功の象徴である。12年間で390万部という数字は、単なる実績ではなく「人々に影響を与える言葉の力」を象徴している。その編集者が印税を得られなかったと笑いながら話す場面は、成功の光と影、成果の本質が必ずしも金銭的報酬とは一致しないことを示唆している。自分自身がこれから出版する書籍に思いを馳せる心の動きは、この編集者を「未来の自分の鏡像」として受け止めている証である。つまり、夢は「出版という行為の本質は自己の成果をいかに世に届けるかであり、必ずしも所有や利得だけに意味はない」という洞察を与えている。次に登場した見知らぬ女性2人との対話は、言語表現と価値観の根本的な相違を象徴する。自分が「~させられた」という受動表現を選んだのは、自己の主体性を否定するものではなく、むしろ「世界との共鳴によって行動が導かれる」という自己理解を言語化した試みである。しかし女性の1人がそれを拒む場面は、現代社会における「能動性の偏重」を示している。社会はしばしば「自分が選んだ」「自分が決めた」という能動的語りを理想とするが、夢の中の自分は「導かれることの意義」を弁護しているのである。ここに、自己の哲学的立場が象徴されている。すなわち、人間存在は世界との相互作用の中で生成されるものであり、完全な能動も完全な受動もなく、そのあわいで生きるのが人間であるという理解である。この夢全体を貫くテーマは、「自己の在り方をめぐる対話」である。過去の友人との邂逅は「学びと成長の相対化」を示し、編集者との会話は「社会的成功とその本質」を問い、女性たちとの議論は「言語を通じた世界観の違い」を映し出している。それらを統合すると、この夢は「自己は他者と世界との出会いによって形づくられる」というメッセージを放っている。人生における意味として、この夢は「自分の歩みを他者の成長や成功と比較する必要はなく、むしろそれらを鏡として自らの軌跡を照らし出すことが大切である」ことを示している。同時に、「能動か受動か」という二分法を超えて、世界に導かれながら能動的に応じていく在り方こそが、真の主体性である」と教えているのである。フローニンゲン:2025/9/28(日)07:25
17452. AIと協働する近い将来の学術論文の執筆について
近い将来の学術執筆は、生成AIとの協働を前提とした営みへと移行していく可能性が高いのではないかということについて考えていた。すでに多くの研究者がAIを利用して草稿を整えたり、文献レビューを要約させたりする実践を始めており、そのあり方は「ジグソーパズルのピースを当てはめる」ような作業に似ている。AIが断片的な文章や知識のピースを提示し、それを学者が自らの研究目的に沿って組み替え、磨き上げていく。そこには明らかな効能と同時に、無視できない限界が存在する。
まず効能として挙げられるのは、発想の拡張である。生成AIは膨大なデータから関連文献を素早く結びつけ、研究者が見落としがちな視点を提供できる。これにより思考の幅が広がり、新たな研究の組み合わせが生まれる。次に、下書き作成の迅速化も大きな利点である。研究者は従来、構成や基礎的整理に多くの時間を費やしてきたが、AIにより骨格を整えることで、より核心的な洞察や分析に集中できるようになる。また、AIの言語表現力は、学術的文体の統一や洗練に資する。特に非ネイティブ研究者にとっては、国際的な論文執筆を支える有力な補助となる。そして最後に、AIは多領域を横断する知識統合に優れ、学際的研究の「橋渡し役」として大きな役割を果たす可能性がある。
一方で限界も明確である。最大の問題は独創性の不足である。AIは既存のデータから確率的に最も尤もらしい文章を導き出す仕組みに依存しているため、全く新しい発見や飛躍的な洞察を生み出すことは難しい。次に、知識の文脈依存性の理解にも限界がある。学術研究は単なる事実の積み重ねではなく、その意義や歴史的背景をどう位置づけるかが本質であり、この部分は今のところ人間に強みがある。さらに、AIの出力にはしばしば誤りや虚偽の情報が混じるため、最終的な正確性の責任は常に学者にある。そして最後に、依存の危険性も指摘できる。AIが便利であるがゆえに、研究者が自ら苦心して問いを育てるプロセスが失われれば、研究そのものの深度は浅くなる。
以上を踏まえると、生成AIは学術執筆において強力な「助手」あるいは「編集者」としての効能を発揮する一方で、問いの設定や独自の飛躍的発想といった研究の核心部分は人間の学者に残されている。AIは数多くのピースを用意し、それを効率よく並べる支援をしてくれるが、完成図を構想し、そこに生命を吹き込むのは人間にしかできない。むしろAIの普及によって、学問における人間の役割はより鮮明になるだろう。すなわち、効率的に知識を組み立てることではなく、「何を問い、なぜそれが重要かを語る力」こそが、これからの学者に最も強く求められる資質となるのではないだろうか。フローニンゲン:2025/9/28(日)11:25
Today’s Letter
My existence continues to reincarnate each day. As it does, I feel the joy of rebirth, which becomes the vital source of my existential energy. Groningen, 09/28/2025
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