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【フローニンゲンからの便り】17440-17443:2025年9月26日(金)


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タイトル一覧

17440

良縁への感謝と論文の協働執筆に向けて

17441

今朝方の夢

17442

今朝方の夢の振り返り

17443

『中道事』に関する論文ドラフトのレビューを終えて

17440. 良縁への感謝と論文の協働執筆に向けて 

 

Pagesが不具合を起こし、先ほど執筆した日記が消えてしまった。どうやら一気呵成に執筆していて、途中で一度もセーブをしなかったために、過去の履歴から復元しようと思ってもそのデータがなかった。それを受けて今後はこまめにセーブをしておくことを習慣づけておきたい。この経験をもとに、今後Pagesで論文を執筆している時の注意点が新たにできてよかったと思う。せっかく執筆していた論文の内容が消えてしまうのは、日記の内容が消えてしまうのと同等かそれ以上にもったいないことである。


先ほど執筆していた日記の内容の重要な事柄を振り返ると、イギリスの大学院の出願に向けて、自分の関心を4校の教授たちに伝えたことによって、また発見があり、良縁が広がりつつあるということである。とりわけオックスフォード大学のケイト・クリスビー教授からは古典中国語のテッド・フゥイ教授と日本仏教の専門家であるSOASのルシア・ドルチェ教授を紹介してもらった。実際に2人とはすでにメールでやり取りが始まっており、2人を紹介してくださったクリスビー教授には深く感謝している。まだ出願準備の段階だが、すでにヤン・ウェスターホフ教授とテッド・フゥイ教授とは協働できるイメージが湧いており、今取り掛かっている良遍の『中道事』の註釈論文の執筆に協働著者として協力してもらえないかと近々打診してみる予定である。それはすでにドラフトがしばらく前に出来上がっており、昨日から加筆修正を始めた。すでに冒頭の論文概要と意義を説明する箇所については昨日の段階でレビューが終わり、今日から翻訳の箇所を加筆修正していく。翻訳の箇所は外部の文献を参照する必要がないので、翻訳の精度だけに意識を向ければいい。それが終われば註釈の箇所となり、ここが一番の山場である。そこでは改めていくつかの新たな文献を参照しながら、ドラフトの内容を肉付けしていこうと思う。他の習慣と同じく、論文を執筆することを毎日の習慣にしたい。良遍の漢文文献を転写することを毎日愚直に行っていると、自分が気づけば遠いところまでやって来ていたことに気づく。これと全く同じことを論文を執筆するということにも当てはめて取り組みたいと思う。継続は力なり。千里の道も一歩からである。フローニンゲン:2025/9/26(金)07:08


17441. 今朝方の夢


今朝方は夢の中で、大型バスを運転して、見慣れない山道を走っていた場面があったのを覚えている。山の頂上に向かって螺旋状にぐるぐるとバスを走らせていると、頂上付近でカーブを曲がり切ることができず、ガードレールのない道の外に落ちてしまい、そこからスローモーションで地上に落ちていった。地面に近づいていく際に、自分でどこに着地するかをある程度コントロールできたので、最初は湧き水に着水しようかと思った。それで衝撃を防げると思ったのである。しかし咄嗟に考えを変えて、湿地に着地することにした。それは功を奏し、無事に着地できたのだが、着地した瞬間に、天から2Lの牛乳パックが降ってきた。私はそれをキャッチして、バスに乗っていた人たちの栄養補給として共有しようと思った。手元にはコップがなかったので、コップを探しに歩き始めたところ、目の前に古びた建物があり、その中にコップがありそうな予感した。ところが、その建物の前の地面には無数の赤子の死体が散乱していた。奇妙なことに、それらの死体は腐敗はしておらず、むしろ死体とは思えないほどに輝いていたのである。光り輝いてはいたが、死体は死体なので踏まないようにし、その場を速やかに去ることにした。すると救助隊がやってきて、私たちを無事に救助してくれた。


次に覚えているのは、見慣れない塾の教室で勉強をしている場面である。そこには小中高時代の2人の友人(TO & HY)がいて、彼らと小さなテーブルを共有して一緒に勉強していた。友人のうちの1人が立ち去り、彼が立ち去った後に残したトイレットペーパーを使ってテーブルの汚れを拭こうとしたら、立ち去った彼はなんとトイレットペーパーに国語の記述問題の解答をびっしり書いており、それを気づかない形で消してしまったことを申し訳なく思った。もう1人の友人も後でちゃんと謝ったほうがいいと私に述べ、自分もそうすることにした。休憩がてら立ち上がって隣の部屋に行くと、そこではかつてお世話になっていた塾の先生がかつての塾仲間に勉強を教えていた。私もそこに加わり、数学の問題に取り掛かったところ、やたらと計算が長い厄介な問題だと気づき、これは自分の計算がどこかで間違っているのか、この問題は本当に計算力を試す問題なのかを迷った。隣にいた数学の得意な友人に小声で感触を尋ねたところ、どうやら本当に計算力を試す問題のようだった。そうと分かればまだ希望があり、引き続き根気よく計算をしていくことにした。ところがあるところでふと、自分はなぜこのような勉強をしているのかに疑問を持った。自分にはすでにやりたい勉強が他にいくつもあるのだから、それをもう始めて仕舞えばいいのではないかと思ったのである。そう思った瞬間に、自分は塾を辞める決断をした。ちょうど先生は教室から離れており、先生が戻ってきたタイミングで退塾について申し出ようと思ったが、それも待っていられないと思ったので、置き手紙を残してすぐさま塾を辞めようと思った。自分はやると決めたことには何の躊躇もなく取り組む性格であり、そこまでに何かに取り組んでいたとしてもそれをある種の損切りとしてスパッとやめられる資質があることを再確認した。フローニンゲン:2025/9/26(金)07:35


17442. 今朝方の夢の振り返り

     

今朝方の夢の第一の場面は、大型バスを運転して山道を登る姿である。バスは多くの乗客を乗せていることから、自己のみならず周囲をも導く責任を象徴している。山の頂上に向かって螺旋を描きながら進む光景は、人生や精神的探求が直線的ではなく反復と高まりを繰り返す過程であることを暗示する。頂上付近でカーブを曲がり切れずに落下する出来事は、制御を失う不安や限界の認識を表しつつも、落下の中にあって「どこに着地するかを選べる」という主体性が残されている点が重要である。水か湿地かという選択は、受動的な保護(湧水)か能動的な柔軟性(湿地)かという岐路であり、後者を選んで無事に着地することは、危機においても状況に適応する柔軟な判断力を象徴している。その直後に天から降ってくる牛乳パックは、大地に再び立った者への天啓的な贈与であり、生命維持の栄養を周囲と分かち合おうとする姿勢は、失敗や危機を超えて他者に資する精神を映し出している。しかしその供給を実現するために必要な「コップ」を探す過程で、光り輝く赤子の死体が散乱している場に行き着く。死体が腐敗せずに輝くという逆説は、死の中に潜む新生の可能性、あるいは犠牲の輝きであり、それを踏まぬよう避けて立ち去る姿勢は、生命の根源的な神聖さに対する畏れを示している。ここで牛乳(養育)と赤子(未生の可能性)が結び合わされており、夢全体に「育む」「次世代に渡す」というモチーフが流れている。救助隊の登場は、最終的に外部からの支援が介入し、人間の力だけでは完遂できぬ局面を補ってくれるという信頼の現れである。次の場面は、塾という学び舎に移行する。そこで友人の残したトイレットペーパーに答案が記されており、それを不注意で消してしまったことへの罪悪感は、他者の努力を無にする無自覚な行為への悔恨である。同時に、それを「後で謝ろう」と共有する友人との対話は、誠実さと関係修復の意識を示す。続いて数学の煩雑な問題に取り組む姿は、人生の課題が複雑で長期的な集中を要するものであることを象徴している。途中で「なぜ自分はこれをしているのか」という根源的な問いが生じ、やがて退塾を決断する場面は、自己の時間と精力を真に価値ある対象に振り分けるための損切りの象徴である。置き手紙を残して潔く去る決断は、人生において「惰性ではなく本心に基づいて方向転換する」主体的資質の再確認であり、夢の前半で垂直的に落下しながらも軟着陸した柔軟さと呼応している。夢全体の流れは、上昇を志向するがゆえに転落し、転落の中で新たな柔軟性と他者への配慮を学び、そこから「本来の学び」に回帰していくという構造を示しているかのようだ。山の道、牛乳と赤子、数学の問題、退塾の決断はすべて「自己の使命と選択の自由」をめぐる象徴である。人生における意味として、この夢は「自らの歩む道において危機や逸脱は必然的に訪れるが、その局面においても柔軟な判断と他者への配慮を忘れなければ、むしろ本来の志に立ち返る契機となる」という洞察を与えている。つまり、真に自分の道を生きるとは、惰性に留まらず、危機に学び、損切りを恐れず、新たな志へと進み続ける姿勢に他ならないのである。そのようなことを教えてくれる夢だった。フローニンゲン:2025/9/26(金)07:51


17443. 『中道事』に関する論文ドラフトのレビューを終えて

        

今日も大変実りある1日を過ごしていた。この充実感をもたらしてくれているのは、早朝の冷水シャワーや朝のジョギングおよびウォーキングだけではなく、自分の最大の情熱である唯識研究を形にしていく論文執筆にあると言える。これまで温めて来た論文の原稿を昨日から本格的に加筆修正し始め、今日のレビューが終わった。幸いにも良遍の『中道事』は漢文で2ページほどしかなく、翻訳も註釈もそれほどの分量ではなく、自身の仏教研究における最初の査読付き論文に相応しいのではないかと思う。すでに自分の研究に対して非常に好意的に受け止めてくださっているテッド・フゥイ教授に翻訳箇所のレビューをお願いし、第二著者か第三著者になってもらえないかとお願いした。同様に、註釈箇所に関しては中観の専門家であるヤン・ウェスターホフ教授に註釈箇所のレビューをお願いする形で第二著者か第三著者になってもらえないかと打診した。金曜日の夜にそのメールを送ったため、返信は来週以降になるだろう。2人がどこまで自分のこの研究に関与してくれるかわからないが、何はともあれ尋ねてみないことにはわからないため、まだ大学院に所属しているわけではないが、あえて大胆に協働のお願いをした次第である。自分としては、2人に協働してもらえるのであれば大変心強い。正直なところ、この論文をどこのジャーナルに出版していいのかもまだ土地勘がないのでわかっておらず、その点もフウィ教授とウェスターホフ教授に相談したいと思う。『中道事』の原稿は一旦寝かせることにし、この勢いで次の漢文文献を取り上げた論文のドラフトを加筆修正していきたいと思う。今すぐには決められないが、『唯識空觀』もまた漢文の分量が少ないため、短い査読付き論文を執筆していくにあたって望ましいのではないかと思う。早速明日から、この文献のドラフトの加筆修正を始めていこう。自分は学術文献を読むことと書くことを最大の楽しみとする人間なのだと改めて実感する。それらに従事しているだけで至福さが内側から溢れ出してくる。自分のウェルビーイングの厳選は、学術文献を読むことと書くことにある。このことを忘れずに、明日からも毎日何かしらの論文の執筆に携わっていきたいと思う。フローニンゲン:2025/9/26(金)19:29


Today’s Letter

A morning routine of jogging and walking creates a harmonious rhythm in my daily life. It also fosters both my physical and psychological well-being. Regular exercise, along with quality food and sufficient sleep, is indispensable for my overall well-being. Groningen, 09/26/2025

 
 
 

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