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【フローニンゲンからの便り】17280-17283:2025年8月25日(日)


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タイトル一覧

17280

GRW理論について

17281

今朝方の夢

17282

今朝方の夢の振り返り

17283

論文集“The Philosophy of Cosmology”について

17280. GRW理論について  


時刻は午前7時を迎えた。フローニンゲンは、めっきり秋の寒さを感じられるようになり、今の気温は12度である。しかし今日から数日間は夏の命の残り火を燃やすかのように20度を超えてくる。今日の最高気温は22度とのことで、幾分暖かさを感じられるだろう。明日の最高気温は25度なので、暖かさに期待したい。


GRW理論(Ghirardi–Rimini–Weber theory)は、量子力学における「測定問題」を解決しようとする代表的な崩壊(collapse)理論である。通常の量子力学では、粒子の状態は重ね合わせとして表されるが、測定の瞬間に突然「収縮」して1つの結果が現れる、と規定されている。しかし「なぜ、どのように」収縮が起こるのかはボルン則と観測行為に頼っており、自然法則の一部としては十分に説明されていない。そこで1986年にGhirardi、Rimini、Weberが提案したのがGRW理論であり、これは「収縮」を人間の観測に依存させるのではなく、自然法則そのものに組み込むことで物理的に記述しようとする試みである。この理論の核心は、量子状態が普段はシュレーディンガー方程式に従って滑らかに進化する一方で、ランダムなタイミングで確率的に「局在化」するという仮定である。具体的には、1つの粒子はおよそ10^15秒に一度(すなわち数億年に一度)という非常に低い頻度でガウス型の位置局在を受ける。単一の電子や原子にとってはほとんど無視できるほど稀な出来事であるが、巨視的物体のように膨大な数の粒子から成る場合には、どこかの粒子がほぼ常に局在化を経験する。その効果が全体系に波及し、結果として巨視的な物体の重ね合わせは非常に短時間で消滅し、私たちが経験するような「はっきりした位置」や「確定した状態」が現れる。この仕組みがGRWの要点である。この概念を比喩で捉えると理解しやすい。広い草原に無数のコオロギがばらばらに鳴いているとする。通常の量子力学では、その音は重なり合い、どの旋律が聞こえるかは曖昧なまま進む。しかしGRW理論では、時折ランダムに一匹のコオロギが「強調」され、その声に全体が同調して特定のメロディーが前面に出る。個々のコオロギ(粒子)ではめったに起きないが、群れ全体(巨視的物体)では常にどこかで強調が起きるため、はっきりとした旋律(確定結果)が形成されるのである。記憶術の工夫としては「GRW=ガウス・ランダム・ワールド」と置き換えると覚えやすいだろう。すなわち、ガウス型(Gaussian)の波束がランダムに世界を局在化させるという意味である。また、場所法を応用して家の中にイメージを配置することも効果的だ。玄関には「サイコロを振る巨人」を立たせる。これは粒子がランダムに局在する様子を象徴する。リビングには「ぼんやりした影が突然くっきりと固まる」絵を思い浮かべる。これは重ね合わせが収縮して明確な状態になる瞬間を表す。そして寝室には「無数の粒が光っている中で、一粒だけが強烈に輝き、他を巻き込む」映像を置く。これで巨視的物体が確定状態を保つ理由を連想できるだろう。GRW理論の意義は、測定問題を人間中心的な観測から解放し、自然法則に内在する確率的メカニズムとして説明した点にある。しかし課題も多い。第一に、エネルギー保存則にわずかな違反が生じることが指摘されており、厳密に整合的な形で定式化する必要がある。第二に、パラメータの選び方(局在の頻度や幅)をどう正当化するかが問題であり、異なる値を取れば現実の物理現象と矛盾しかねない。第三に、未だ直接的な実験検証は難しく、干渉実験や高精度測定で間接的にGRW的効果を探る研究が続いている段階である。総じてGRW理論は、量子の奇妙な振る舞いを「偶然のサイコロが時折振られる世界」という形で理解させてくれる枠組みである。草原のコオロギの比喩や「ガウス・ランダム・ワールド」という記憶術を通じて覚えれば、観測に依存せず自然に確定が起きる仕組みを頭に定着させやすい。量子論の深い謎に対する1つの解答として、GRWは未完ながらも魅力的な探究の道を切り開いているのである。フローニンゲン:2025/8/25(月)07:14


17281. 今朝方の夢


今朝方は次のような夢を見ていた。夢の中で私は、京都風の街中にいて、通りで行われているキックターゲットの競技を眺めていた。そこには2人の元日本代表のすでに現役を退いた方々がいて、2人が楽しそうに競い合ってキックターゲットの的を射抜いていた。2人のキックの精度は極めて高く、2人とも残り2枚までやって来た。残りの2枚は小川を挟んで向こう側のターゲットに向かって蹴らなければならず、難易度が上がっていた。片方の人が助走の距離を変え、いざボールを蹴ると、惜しくもフレームに当たり、ボールは小川に落ちてしまい、下流の方に流れていった。すると、近くにいたゼミの受講生のある知人の方が、「流れていったボールはちゃんと自然の一部になる」というようなことを述べており、流れていったボールは何らかの形でリサイクルされるのだと思った。いよいよ最後の挑戦者となったもう1人の方も惜しくも最後のキックは外れてしまった。するとその瞬間に空間に変化が生じ、長い廊下が現れた。私は宙に浮いていて、廊下の両脇にびっしりと積まれている大量の専門書が自分のものだと分かった。どうやら自分はそれらの書籍を一般の人に公開し、貸し出しを行なっているようだった。まるで自分の図書館を持っていて、それを市民に解放しているかのようであった。宙に浮きながら廊下の奥へと進んでいくと、途中で積まれた本の上の部分が崩れている箇所があり、直近で誰かが何らかの本を借りていったのだろうと思った。バランスが崩れそうになっているその箇所を手で直して、さらに奥へと進んでいった。すると、前職時代のマネージャーの上司がいたので、宙から地面に着地しながら声を掛けた。その方は本屋のレジに1冊の本を持っていこうとしている最中で、本を見ると、2人の同姓(今井)の男性が現代の金融について語っている対談本のようだった。その本について元上司から話を聞いていると、ある1人知人が現れ、3人で少し立ち話をすることになった。その時に、英語の“invert”と“convert”の違いはなんだったかについて話し合い、3人の考えは最初は割れたが、議論しながら少しずつ共通理解を修正していった。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2025/8/25(月)07:27


17282. 今朝方の夢の振り返り

     

今朝方の夢は三幕構成の転地である。第一幕の京都風の街並みは、伝統と現代が重ね書きされる境界都市としての心象であり、そこで行われるキックターゲットは、点を射抜く線的意志と遊戯性の均衡を示す儀式であるように思える。現役を退いた2人の元代表は、勝負のための技ではなく熟達そのものの気配を纏う「過去の力」であり、残る2枚が小川を越えた先に置かれている配置は、精度から越境へ、競争から移行へという課題の更新を告げている。フレームに当たり川へ落ちたボールは、目標未達を「循環へ返す」出来事へと変換し、ゼミの受講生の言葉は失敗を自然史の一部へと統合する倫理の声である。最後の挑戦者の惜敗は勝敗の幕引きとなり、目的の収束が空間の転位を呼び、第二幕の長い廊下——内的アーカイブ——が立ち上がる。廊下の両脇に積まれた専門書は知の蓄積を超えて「公共化された自己」の象徴である。宙に浮く身体は所有から執行への重力を一時停止し、貸し出しという形で知が往還することを、個の図書館という像に凝縮している。崩れかけた書籍の山を手で整える所作は、思想の配架を保つ管理の徳であり、最近の借用の痕跡は、知が死蔵ではなく他者の中で二次発酵を始めている証である。奥へ進む動線は、より深い蔵書区画=専門性への潜行であると同時に、開架の理念を支える現実的メンテナンスへの意志を示す。第三幕で地面に着地し、前職の上司と言葉を交わす場面は、知の公共化が制度や資本の文脈と接続される必然を映す。2人の「今井」による現代金融の対談本は、同名二者の鏡像性が示すように価値の評価軸が二重化しうること、すなわち1つの名の下に複数の語りが共存する現代的条件を指し示す。ここで交わされる“invert”と“convert”の差異をめぐる議論は、この夢の内的操作を言語化する鍵である。反転は視座を裏返し枠組みの内と外を交換する運動であり、転化は意味や形態を別の制度へ移送する翻訳的運動である。最初は見解が割れ、やがて共通理解が修正されてゆく過程そのものが、自己の営みが競技的精度から対話的精度へ、点の命中から関係の整合へと主題を更新していることを示している。全体として、街路の的と小川は「こちら」と「あちら」を隔てる境界であり、川へ流されたボールは、未完了を自然の循環へ託す成熟の合図である。その手放しが内的図書館を開架へ転ずる契機となり、浮遊と着地の往復が超脱と実務、理念と制度の呼吸を整える。金融の書物は価値の流通設計を、語義をめぐる対話は意味の配電盤の再配線を要求する。ゆえにこの夢は、的を射抜く者から書物を循環させる司書へ、競争者からキュレーターへ、単独の達人から公共の編集者へとアイデンティティが推移していることを宣言するものだと読み解けそうだ。この夢が人生に示す意味は、成果を川へ返す勇気と、その放下によって開く知の共同体を設計せよという勧告である。反転の批判性で自他の枠を点検し、転化の翻訳性で専門知を市民語へ架橋せよ。伝統と現代、理想と制度、遊戯と責任の間に橋を架け、個人の熟達を公共の循環へと解き放つとき、自分の仕事は図書館のように静かに、しかし確実に都市の血流となるのではないかと思う。フローニンゲン:2025/8/25(月)07:48


17283. 論文集“The Philosophy of Cosmology”について  

   

時刻は午後4時半を迎えた。今日の最高気温は21度だったこともあり、午後にジムに出かけた際にはとても爽快感を感じた。暑さは微塵もなく、同時に寒くもなかったが、若干肌寒さを最初に感じたほどである。振り返ってみると、結局今年も昨年に続き冷夏だった。8月に入ってから30度を超えるような真夏日は1日か2日しかなかったように思う。


昨日から、ケンブリッジ大学出版局から2017年に刊行された“The Philosophy of Cosmology”という書籍を再読し始めた。本書は、物理学と哲学の境界領域に立ち、宇宙論が抱える根本的な問いを包括的に扱った学際的論集である。本書は宇宙論を「観測と理論の科学」としてだけでなく、「存在と認識の哲学」として捉え直し、その射程と限界をめぐる議論を整理している。以下ではその内容を全体的に解説する。まず第I部では、「宇宙論とは何を対象とし、どのように検証可能か」という根源的な問いが提示される。宇宙論は1つの宇宙という唯一の対象を扱うため、通常の科学のように「多数のサンプルによる統計的検証」が困難である。エリスらは、理論が観測にどのように支えられるか、また宇宙論がどの時点で哲学的推論へと接近せざるを得ないかを論じている。加えて「なぜ何かが存在するのか」という形而上学的な問いも含まれ、宇宙論が哲学と交差する必然性が強調される。第II部は「宇宙の構造と宇宙論の構造」を扱う。バローやウザン、プリマック、シルクらは、宇宙の大規模構造の形成や銀河生成をめぐる理論を整理し、物理定数や初期条件が構造形成にどのように寄与するかを明らかにする。ここで議論されるのは単なる観測事実の集積ではなく、「なぜこのような構造が出現しうるのか」という必然性のレベルであり、そこには「微調整問題」や「人間原理」が関わってくる。すなわち、物理定数がわずかに異なるだけで星や銀河は成立せず、生命は存在し得ないという事実が、宇宙論の哲学的射程を拡大させている。第III部では「宇宙論の基礎:重力と量子」がテーマとなる。ハートルとヘルトグは観測者の役割を強調し、量子宇宙論において「観測者の自己位置」が理論にどのように組み込まれるべきかを探る。スメンクはインフレーション理論の検証可能性を問う。インフレーションは多くの宇宙論的難題を解決する強力なモデルだが、その予測を観測でどこまで裏づけられるのかは未解決の課題である。さらにキャロルらによる「ボルツマン脳」問題の検討も収められており、これは「もし宇宙が永遠に続くなら、私たちのような観測者よりも、偶然の熱的ゆらぎによって一瞬だけ意識を持つ“脳”の方が多数派になるのではないか」という逆説(無限の時間があれば、進化という複雑な過程を経なくても、ランダムな偶然によって意識のようなものが発生する確率が累積し、それが「普通の観測者」よりも優勢になるのでは、という問い)である。このような議論は宇宙論の物理的理論に哲学的パラドックスが深く入り込んでいることを示す。さらに後半部(IV部・V部)では、量子重力や多元宇宙、方法論的課題が扱われる。量子重力の基礎に関しては、一般相対論と量子力学を統合する試みが宇宙論にどのような影響を与えるかを検討する。また、多元宇宙論は微調整問題の解答として浮上するが、測度問題や典型性の仮定といった哲学的課題を抱えている。方法論的な章では「宇宙論を科学としていかに検証可能にするか」「どのような理論が“良い説明”と見なされるべきか」といった科学哲学の中心的問いが議論される。本書全体の特徴は、物理学者と哲学者の双方が寄稿している点にある。宇宙論という学問は観測データと理論モデルの間で進展するが、唯一の宇宙という対象ゆえに検証や反証の基準が曖昧になりやすい。その曖昧さを哲学的に吟味することで、宇宙論がどこまで科学であり、どこから哲学的推論になるのかを明らかにしようとしている。まとめると、“The Philosophy of Cosmology”は、宇宙論を取り巻く科学的・哲学的課題を包括的に整理した書物である。微調整問題、人間原理、多元宇宙論、ボルツマン脳、インフレーションの検証可能性、観測者の自己位置といった論点はすべて「宇宙とは何か」「科学とは何を意味するのか」という二重の問いに帰着する。本書は、宇宙論の最前線に哲学的思索が必然的に絡み合うことを示す、学際的なマイルストーンと言えるだろう。フローニンゲン:2025/8/25(月)16:43


Today’s Letter

I am always absorbed in the dimensionless universe. There is no boundary between the cosmos and myself. Groningen, 08/25/2025

 
 
 

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