【フローニンゲンからの便り】17284-17287:2025年8月26日(月)
- yoheikatowwp
- 8月28日
- 読了時間: 11分

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タイトル一覧
17284 | 宇宙の形に思いを巡らせて |
17285 | 今朝方の夢 |
17286 | 今朝方の夢の振り返り |
17287 | ブラックホールについて |
17284. 宇宙の形に思いを巡らせて
時刻は午前7時に向かっている。今の気温は13度と肌寒いが、今日は久しぶりに25度まで気温が上がるので暖かさを感じられるだろう。午後には少し時間を取って、気分転換がてら家に絡みついている枝葉を刈っておきたい。
数日前に宇宙の形はどのようなものなのだろうかと考えていた。宇宙の形を問うことは、私たちが住む時空の「幾何学」と「全体像」を問うことに他ならない。身近な比喩を交えながら整理すると、その姿はかなり具体的にイメージできるのではないかと思う。まず、宇宙の形はユークリッド的な「平面」だけでなく、三種類の可能性で語られる。すなわち正の曲率(球面型)、負の曲率(鞍型)、曲率ゼロ(平坦型)である。これを例えるなら、球面型は「地球の表面」であり、進み続けると出発点に戻ってくる閉じた世界を意味する。鞍型は「馬の鞍」のように広がり続ける空間であり、平坦型は「果てしない机の上」に似ていて、どこまで行っても曲がらない。この三種類の幾何学が宇宙の大域的な形の候補となる。次に、観測的に私たちがどの形に住んでいるかをどう調べるのか。ここで役立つのが宇宙背景放射(CMB)の観測である。CMBに刻まれた揺らぎの角度の広がり方を測定することで、空間の曲率を推定できる。その結果、最新の観測(WMAP、Planck衛星など)は「宇宙は限りなく平坦に近い」ことを示しているとのことである。つまり、果てしない机のような姿が最有力なのである。ただし誤差の範囲では球面や鞍型も完全には排除されていないため、形はまだ確定していない。また、「形」という問いには「宇宙は有限か無限か」という問題も含まれる。球面宇宙のように閉じていれば有限であるが、端は存在しない。これは「ゲームのマップがループしていて出口がない」ような感覚である。平坦型や鞍型の場合は空間が無限に広がる可能性があり、これは「無限に続く碁盤」に似ている。有限であれ無限であれ、宇宙には「壁」や「外側」は存在せず、形は自己完結した時空の性質として理解される。さらに、宇宙の形には「トポロジー構造」の側面もある。平坦であっても、トーラスのようにドーナツ型に接続されている可能性も理論的には考えられる。もしそうであれば、宇宙を進み続けると別の方向から戻ってくるような効果が生じる。この比喩は「テレビゲームの画面」を考えるとわかりやすい。画面の右端から出ると左端に戻るように、宇宙の空間も繋ぎ合わせ次第で「閉じているのに平らに見える」ことがある。観測的にはCMBの中に繰り返しパターンが見つかればその証拠になるが、現在のところ決定的な兆候はない。こうした議論を記憶に定着させるには、3つの比喩を順に思い浮かべると良いだろう。「地球の表面=閉じた有限宇宙」「果てしない机=平坦な無限宇宙」「馬の鞍=開いた無限宇宙」。さらに「ゲーム画面=トーラス型の宇宙」と追加すれば、形の可能性は直感的に整理できる。総じて言えば、宇宙の形とは「空間の曲率」と「トポロジー」によって決まるものであり、最新の科学はそれが「ほぼ平坦」であることを示している。ただし有限か無限か、トポロジーが単純か複雑かは未解決のままである。私たちが空を見上げるとき、実はその光が空間の幾何学を描き出している。果ての形を探るという営みは、宇宙の輪郭をなぞるだけでなく、存在そのものの枠組みを理解しようとする試みでもあるのである。フローニンゲン:2025/8/26(火)06:59
17285. 今朝方の夢
今朝方の夢はまず、満天の星空の下で見知らぬ自分よりも少し若い日本人の女性と話をしていたのを覚えている。見事な星空を眺めながら話は弾み、この街の中で他にも星を眺めてゆったりと時間を過ごしている人の姿を想像した。しばらく話をしていると眠くなって来たので、せっかくなので屋上に行ってそこにあるリクライニングの椅子にそれぞれ腰掛けて寝ながら星を眺めようと提案した。引き続き星空を眺めながら優雅なひと時を過ごしていたことを覚えている。
次に覚えているのは、見慣れないサッカーグラウンドでサッカーの試合をしていた場面である。前半が終わり、後半に入る前に仲間内で後半の戦略を練った。後半から相手は足の速いセンターバックを出してくることが分かっており、彼をどう攻略するかを話し合った。その試合の中で自分は司令塔を務めており、こちらの左右のウイングをどのように使っていくかが後半の鍵を握るが、ウイングにパスを出すときにセンターバックのその選手にパスをカットされないようにしなければならないと話し合った。遅いパスを出しているとカットされてカウンターを喰らう可能性があり、早すぎるパスはウイングの選手が受け取れない可能性もあった。そのあたりの塩梅を加味しながらパスを出すことが後半の自分に求められた最大の役割だった。最初はそれは難題のように感じられたが、自分ならきっとできるだろうと自信が湧いて来たところで後半となった。
最後にもう1つ覚えている夢は、見慣れない大浴場の更衣室にいた場面である。今から風呂に入ろうとして着替えていると、小中高時代の2人の友人(JK & NK)が更衣室の床をモップで掃除していた。片方の友人に声を掛けると、どうやら掃除当番に該当したために掃除しているとのことだった。彼らが床を綺麗にしてくれているおかげで心地良く更衣室が使えることに感謝した。服を脱ぎタオルを持って浴室の方に向かった時にふと、中で水分補給が必要になるかもしれないと思ったので、持ってきた500mlの魔法瓶の水筒に水を入れて中に持っていこうと思った。ウォーターサーバーから水を汲み、いざ水筒に満タンに水が入ったところで浴室に向かった。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2025/8/26(火)07:11
17286. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢の3つの場面は、それぞれ異なる象徴を孕みながらも、深層においては「自己の成熟過程と人生における役割意識」を映し出していると解釈できるだろう。第一の場面である星空の下の対話は、宇宙的な広がりと親密な交流が重なり合う象徴である。見知らぬ少し若い日本人女性は、自己の内面に潜む可能性や未来の分身であり、まだ現実には形を取っていない「未熟な自己像」として現れていると考えられる。満天の星空は、個人を超えた広大な秩序や、人生に潜む無限の可能性を表しており、それを共に眺めることは「他者との分かち合いを通して宇宙的な視野を獲得する」行為である。屋上のリクライニングチェアに腰掛けて眠り、星を眺め続ける姿は、日常の緊張を手放し、より高い次元から人生を俯瞰しようとする態度の象徴だと言えるだろう。そこには「安心して委ねることによって到達できる精神の静けさ」が表現されている。第二の場面であるサッカーの試合は、人生における戦略的な役割遂行の象徴である。司令塔としてチームを牽引する自己は、現実においても人間関係や仕事の場で「他者を生かしつつ全体を調和させる位置」に立とうとする自己像の投影である。相手チームの速いセンターバックは、人生において避けられない障害や制約の象徴であり、その突破は単なる力や情熱ではなく、タイミングと配慮を伴った「バランス感覚」によって可能になることが示されている。遅すぎれば挫折し、早すぎれば周囲がついて来られない、という状況は、まさに人生の選択においても「熟慮と即断の間の微妙な間合い」を測ることの重要性を暗示している。後半に向けて「自分ならできる」という確信が湧いたことは、困難を前にしても内的な力に基づく信頼を持てる段階に達していることを表している。第三の場面である大浴場の更衣室は、浄化と再生を意味する象徴である。そこで登場する旧友は、過去の記憶や自我の古層に繋がる存在であり、その友が掃除をしている姿は「過去を整理し、次なる段階へ移行するための基盤を整える無意識的働き」を象徴している。自ら風呂に入る直前で水筒に水を満たす行為は、浄化の場に臨むにあたって必要な滋養や精神的支えを準備する姿として解釈できる。つまり「自己を清め刷新するためには、内的資源を十分に備える必要がある」という無意識の洞察がここに現れている。以上を総合すると、この夢は「人生の諸局面において、宇宙的な広がりを忘れずに保ちながら、戦略的に状況へ対処し、最終的には自己を浄化・再生する」という三段階の流れを象徴していると言えるだろう。星空はビジョンの広大さ、サッカーは実践における精妙な判断力、更衣室と水筒は自己更新のための基礎的準備を示している。これらは夢見た者の人生において「自らの役割を果たしつつ、より大きな秩序との調和を目指すべきである」という方向性を示唆している。すなわち、人生における意味は、未来の自己像との対話を通して視野を広げ、現実の困難を戦略的に乗り越え、過去を整理して新たな段階に進む、その連続的な営みの中に見いだされるのだろう。フローニンゲン:2025/8/26(火)07:29
17287. ブラックホールについて
すっかり秋めいて来たフローニンゲンは、日々実に爽快感を味わわせてくれる。先ほど朝のジョギングとウォーキングに出かけたのだが、とても心地良く、秋を感じさせる朝の陽光を享受していた。そこから自宅に戻ってきて、自宅の外の2つの椅子とテーブルに水をかけて綺麗にした。それは家のオーナーのフレディさんとペイトラさんが提供してくれたものだが、この4年間一度も使ったことがなく、蜘蛛の巣が張り付いていたり、汚れが目立っていたので綺麗にした次第である。そのような日常的な事柄に従事しながら、ブラックホールについて考えていた。ブラックホールとは、重力があまりに強いために光さえ脱出できない領域を指す。一般相対性理論の帰結として1910年代から予言されていたが、長らく理論上の奇妙な解と見なされてきた。今日では電磁波観測や重力波観測を通じて、その存在は確実な天体現象として確認されている。ブラックホールを理解するには「重力の落とし穴」という比喩が役立つ。通常の恒星や惑星は、ボウルのように時空をくぼませている。そこに小石(光や物質)が転がると、くぼみを抜け出すにはある程度の速さ、すなわち脱出速度が必要になる。地球の場合は約11km/s、太陽の場合は600km/sほどである。ところがある限界を超えると、必要な脱出速度が光速に達し、それ以上速いものは存在しないため、光も含めて何も抜け出せなくなる。その「底なしのくぼみ」がブラックホールである。では、どうやって誕生するのか。典型的なのは大質量星の進化である。恒星は核融合によって内側から外へエネルギーを放射し、その放射圧が重力と拮抗して恒星を支えている。しかし恒星が寿命を迎えると核燃料が尽き、放射圧が弱まり、重力が勝って崩壊が始まる。太陽程度の質量なら白色矮星(わいせい)に、大質量なら中性子星になるが、それでも質量がさらに大きいと中性子の縮退圧さえ重力に敗れ、完全な重力崩壊が起こる。その結果、星の中心は無限に近い密度の「特異点」となり、その周囲に「事象の地平線」と呼ばれる境界が形成される。これがブラックホールの誕生である。比喩をもう1つ用いれば、ブラックホールは「見えない監獄」に似ている。外から中を見ることはできても、中に入った者は決して外に出られない。事象の地平線は監獄の鉄壁であり、それを越えると外の世界と情報を共有できない。時間さえも中で止まったかのように外部からは見える。ブラックホールにはいくつかの種類がある。恒星質量ブラックホールは太陽の数倍から数十倍の質量を持ち、恒星の死から生まれる。さらに、銀河中心には太陽の百万倍から数十億倍の質量を持つ超大質量ブラックホールが存在しており、その形成は銀河の進化と深く関わると考えられている。さらに中間質量のブラックホールや、初期宇宙に誕生した原始ブラックホールも仮説として研究されている。誕生の場面をもう少し直感的に描けば、大質量星は人生最後の瞬間に「自己崩壊」を遂げ、超新星爆発として外層を吹き飛ばす。その残骸として残った中心核があまりにも重ければ、周囲の空間を押し潰して「見えない穴」を生む。この過程は「壮大な自壊による再生」とも言える。星は死ぬが、その死が新たな天体現象の源となるのである。記憶術としては、三段階で覚えると整理しやすい。「ボウル→光速→閉じ込め」という流れだ。まず「ボウル」で重力のくぼみをイメージする。次に「光速」に達するほど深いくぼみを想像する。そして最後に「閉じ込め」、つまり事象の地平線を越えると何も出られない監獄が完成する、と覚えれば良いだろう。総じて、ブラックホールは「重力の極限」であり、「星の死から生まれる新たな存在」である。観測的にはもはや空想ではなく、X線放射や重力波、さらには事象の地平線望遠鏡による影の撮影を通じて、その姿は明らかになりつつある。宇宙の最も暗い場所にして最も明るい謎、それがブラックホールなのである。フローニンゲン:2025/8/26(火)10:12

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