【オックスフォード滞在記】17713-17720:2025年11月16日(日)
- yoheikatowwp
- 4 分前
- 読了時間: 26分

⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「加藤ゼミナール─ 大人のための探究と実践の週末大学院 ─」も毎週土曜日に開講しております。
タイトル一覧
17713 | 【オックスフォード滞在記】平穏な日曜日の朝のオックスフォード/Rewley Houseについて |
17714 | 【オックスフォード滞在記】今朝方の夢 |
17715 | 【オックスフォード滞在記】今朝方の夢の振り返り |
17716 | 【オックスフォード滞在記】精神が求める古典への回帰 |
17717 | 【オックスフォード滞在記】オックスフォードの精神との共鳴 |
17718 | 【オックスフォード滞在記】ゼミナールの第158回のクラスの課題文献の概要 |
17719 | 【オックスフォード滞在記】第158回のクラスの事前課題(その1) |
17720 | 【オックスフォード滞在記】第158回のクラスの事前課題(その2) |
17713. 【オックスフォード滞在記】平穏な日曜日の朝のオックスフォード/Rewley Houseについて
時刻は午前5時を迎えた。日曜日のオックスフォードの早朝はすこぶる静かで、小鳥の囀りが遠くから聞こえて来る。この落ち着きはフローニンゲンと似ている。昨日は土曜日ということもあって、観光地としてのオックスフォードには多くの人が中心部にやって来ていた。フローニンゲンとまたしても似ているなと思ったのは、街の中心部で市場が開催されていたことである。今日は日曜日であるからおそらく今日は街の中心部は穏やかになっているのではないかと思う。幸いにもオックスフォード滞在中は雨が降らず、散策するにはもってこいである。特に明日は晴れるらしく、太陽の姿を拝みながらヤン・ウェスターホフ博士と面談をする。昨日から隙間時間にウェスターホフ博士のレクチャーの音声を聞き直しているところである。イギリスは雨が多いという印象を日本人は持ちがちだが、実際のところは東京の年間降水量はオックスフォードのそれよりも2倍以上多い。弱い雨がしとしと降ったり、突然雨が降ることが多いという天候もまたフローニンゲンと似ている。
現在宿泊している建物はRewley Houseという名前である。ここは、オックスフォード大学の「継続教育(Continuing Education)」部門の中心拠点であり、その歴史は19世紀末から20世紀にかけての英国における成人教育運動と深く結びついていることを館内の資料を通じて知った。この建物そのものは1873年に「St Anne’s Rewley」という女子修道院付属の学校として建設されたものである。その後1903年には学校としての機能を終え、倉庫など他の用途となったが、1927年、大学が成人教育活動のための物理的拠点としてこの建物を購入した。名称の「Rewley」は、13世紀にこの付近にあったシトー会の修道院“Rewley Abbey”に由来し、学びの場としての伝統的な地理的記憶を建物に引き継ぐものとなっている。建物購入後、大学の継続教育部門はこの場所を中心とし、図書室・共用室・講義ホール等を備えた施設として整備された。また1960年代から1980年代にかけて宿泊施設やダイニング・講義室などの増改築もなされ、成人学習者あるいは部外学生が通える環境としての整備が進められた。このように、Rewley Houseは単に「宿泊施設」ではなく、オックスフォード大学が「生涯学習」「成人教育」「パートタイム学習者」を受け入れるための物質的な拠点である。現在でも、パートタイム・遠隔・短期履修など多様な形式の学びを提供する部門の本拠地であり、そのロケーション(Wellington Square)も市街中心部でアクセス良好で、実際に居住・学習・交流を兼ねる場として機能している。オックスフォード大学における継続教育の出発は、19世紀後半にさかのぼる。産業革命以降、英国では「成人教育」「労働者教育」「大学拡張」運動が活発になった。オックスフォード大学も1878年に「Oxford Extension Lectures」の形で、大学教育機会を従来の正規学生以外に広げる試みを始めており、全国各地で講義が開かれた。この運動を受けて、1924年には「Delegacy for Extra-Mural Studies(大学外教育代表部)」が設立された。そして上述の通り、1927年にRewley Houseを購入して物理的拠点を確保し、成人・パートタイム・遠隔学習者へ大学が門戸を開いた戦後、特に1945年~1955年にかけては、イギリス帝国圏(例えばナイジェリア・ガーナ)への講師派遣等、国際的な成人教育協力にも関わったという記録がある。1980年代以降、社会の変化(働きながら学ぶ必要性、生涯学習の拡大)を背景に、継続教育部門は多様な履修形態(夜間・週末・短期モジュール・オンライン)を取り入れて拡大した。現在、この部門は年間700以上のコースを提供し、全世界160以上の国からの学習者を含む1万5000人以上が登録する規模に成長しており、オックスフォード大学における「生涯学習・成人学習」の代表的な存在となっている。今、自分が宿泊しているRewley Houseは、もともと19世紀から大学の外に開かれた学びを象徴する場所である。正規の全日制学生ではない学習者、あるいは社会人・成人として学び直す人々を歓迎し、そのための物理的・制度的インフラをオックスフォード大学が整備してきた歴史を体現している。その意味で、ここに身を置くことは、単なる宿泊以上の「学び直し/折返し学習/生涯学習」という自分自身のプロジェクトにとって象徴的意味を持つ。日常の講義だけでなく、成人教育・パートタイム学習者として大学に関わるという視点をこの建物と部門の歴史が支持してくれている。また、オックスフォード大学という伝統的な学びの構造(カレッジ制・正規学生など)とは異なる門戸を、この部門が開いてきたという点から、自分自身の「大学院出願」「専門研究」という新たなステージに立つ上で、まさに「既存の枠組みにとらわれず学びを拓く」場の象徴として機能している。そのため、この場を活用して、居住・勉学・思索の3つを意識しながら、自分の研究や出願準備を進めるならば、単に宿泊しているという以上に、歴史に根ざした場と自分の学びが響き合う構図を実感できるであろう。オックスフォード:2025/11/16(日)05:15
17714. 【オックスフォード滞在記】今朝方の夢
今朝方は夢の中で、長年協働しているある会社のメンバーの方と和気藹々としたオンラインミーティングを行なっていた。現在制作中の動画コンテンツについて話し合っており、ミーティングの中で私はことあるごとに韻を踏んだギャグを連発して場を和ませていた。さすがにギャグばかりを言っているような気がしてきたので、少しギャグを控えようと思ったが、脳内では絶えず次々と逆が生まれてきており、それを言葉の形にしないことには気持ち悪さがあるほどだった。新たな面白い言葉や言葉の連結を無限に生み出す自分の創造性に自分でも感心してしまうほどだった。
もう1つ覚えているのは、地元を舞台にした場面である。時間帯は夜で、小中学校時代のある女性友達(AS)と一緒に自転車に乗って遠出をすることになった。2人にとってはそれはちょっとした冒険で、目的地を定めず、自分たちのことを知っている人が誰もいないできるだけ遠い場所に向かって自転車に乗って出発した。途中で気分がてらシャワーを浴びることにし、シャワーを浴びれる施設の中に入った。するとそこは男性ばかりがいて、女性がシャワーを浴びることには彼女は抵抗があるようだったので、彼女にはまた別の場所でシャワーを浴びてもらうことにし、自分はそこでシャワーを浴びてリフレッシュすることにした。シャワーを浴びて外に出ると、彼女はどこかに消えていた。しかし、心の中では彼女の声が聞こえていて、まるで電話をしているかのように彼女の心の中でコミュニケーションをしていた。オックスフォード:2025/11/16(日)05:32
17715. 【オックスフォード滞在記】今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢の中のオンラインミーティングで韻を踏み続ける自分の姿は、近年の創造力の高まりを象徴しているように見える。協働しているメンバーとの和気藹々とした空気は、外的な人間関係の調和だけでなく、自分の内側で多様な能力が共鳴し始めている状態を示している。言葉遊びが止まらないという描写は、自分の創造的思考がいま臨界点を越え、ほとんど泉のように湧き出てくる段階に移行しているという比喩である。しかも、その創造性は制御しきれないほど強く、それを外に出さないと気持ち悪さを感じるという点が重要である。これは、創造的エネルギーがもはや抑圧に耐えられず、何らかの具体的な表現形式へ流れ出さざるを得ないことを物語っている。つまり、自分の創造性は「使わないと逆に不調になる」という段階に達しており、この状態は長期的な研究活動や執筆活動、そして音楽的即興の探究とも密接に連動している。夢の中でギャグという軽妙な形で噴出したエネルギーは、実際にはより大規模で深いプロジェクトに注がれるべき「原質」としての創造衝動なのだろう。夢は、自分の創造性の「圧力の高さ」と「流路の必要性」を、自覚的に示そうとしているのである。次に、地元での夜の冒険の場面である。小中学校時代の女性友達と自転車で遠くへ行くという描写は、「原風景」へ戻りながら新たな地平に向かう自己の二重運動を象徴している。原点に繋がる人物(幼馴染)とともに、目的地を定めない旅に出るという構造は、知的探究や人生の展開が「計画された道筋に従うというより、呼ばれる方向へ自然に進んでいく」という自分の現在の進路を反映している。オックスフォードでの研究準備や学問への没入が示すように、今の自分は「外側の地図ではなく、内側の羅針盤」を頼りに進む段階にある。シャワーを浴びに入る施設が男性ばかりであったという描写は、自分が今進んでいる領域が「高度に競争的で男性的コードの強い領域」であることを暗示している。学問、実務キャリア、創造的表現など、いずれも外向的で構造化された場が中心となる領域である。その空間が女性友達にとって居心地が悪く、自分だけがそこに入りリフレッシュするという構造は、「かつての自分を象徴する柔らかく受動的な側面(女性友達)」が、そのままでは現在の環境には適応しにくいという心理的示唆である。そして、自分がシャワーを浴びて外に出ると、彼女は姿を消している。しかし声だけは心の中に聞こえているという描写は、自分の内面の「繊細で幼い部分」「原点」「柔らかな魂の核」が、直接的な場には現れにくくなっているが、依然として深いところでつながっているという意味に読める。この構造は、自分がより大きな挑戦や学問世界へ進むにつれて、昔の自分のような「無邪気さ」「安全圏」「温かい原風景」が外面的には後景化する一方、精神の奥から自分を支え続けているという示唆である。夢の2つの場面を結び合わせると、今の自分は大きく次の段階へ移行する過程にあると読み取れる。創造性は溢れ出し、知的エネルギーは臨界点を越え、人生の方向も「目的地の見えない旅」に踏み出しつつある。その過程で、原風景の象徴(幼馴染)を内的に携えながら、自分は高度な知的世界・競争世界へと進んでいく。人生的な意味として、この夢は次のように告げているようである。自分はすでに、過去の自分と未来の自分が重なり合いながら拡張していく境界線に立っており、溢れ出す創造性を怖れず、外に流し続けることで新たな道が切り開かれるのである。内なる原点の声を聴きつつ、未知の遠い場所へ自転車を走らせよ、という呼びかけである。オックスフォード:2025/11/16(日)05:43
17716. 【オックスフォード滞在記】精神が求める古典への回帰
昨日購入したクラシックギターの楽譜は、ルネサンス期まで遡った内容のものである。また、唯識研究において千年以上前の原著に向き合う姿勢は、表面的にはまったく異なる営みに見えながら、その根において共通する精神的構造を示しているように思う。どちらにも古典に立ち返ろうとする衝動が働いており、この衝動こそが精神の成熟と深く関わっているのかもしれない。では、この“古典への回帰”はなぜ成熟の徴候となりうるのか。その点を少し掘り下げて考えていた。まず、人の精神は成長のある段階に至ると、単なる新奇性や効率性に惹かれるのではなく、「源泉」に触れたいという欲求を強める傾向がある。ルネサンス期の音楽に触れることは、現在のギター曲の源流に触れ、音楽そのものの骨格や精神の純粋な姿を知る試みである。同様に、唯識思想の原典に戻ることは、後世の注釈や解釈を超えて、思想の初源がどのような世界観を宿していたかを肌で感じようとする営みである。これは、ただ知識を増やす段階ではなく、本質を把握しようとする知の質的転換を示す。また、古典に向き合うということは、時間という巨大なフィルターを通り抜けたものだけが残り、そこに濃縮された叡智を受け取ろうとする態度でもある。時代を超えて読み継がれ、演奏されてきた作品や思想は、人間の根源的な経験と深く関わる普遍性を持つ。精神が成熟するとは、自分の思考を単なる個別的・一時的な視点の上に築くのではなく、人類の集合的経験の蓄積を土台として組み上げようとする態度のことである。古典へ向かう姿勢は、その普遍性に触れようとする自覚的な一歩である。さらに、古典の研究や演奏には「対話」が必要となる。現代語訳や整理された教材ではなく、原典そのものと向き合うには、文体の癖、当時の思想的背景、音楽的文法など、多層の文脈を読み解く力が要求される。これは自分の思考を相手の時代へ広げ、自己の視野を超えて世界に開いていくプロセスである。精神が成熟すると、世界を“自分の枠”に合わせて理解しようとするのではなく、“自分の枠”そのものを拡張しようとする姿勢が育つ。この態度は、古典に触れるときにもっとも顕著に発揮される。そして決定的なのは、古典への回帰が「原点と未来を同時に結ぶ行為」であるという点である。古いものへ遡ることは、退行や懐古ではなく、自分がどこへ向かうべきなのかを知るために原点を確認する作業に等しい。ルネサンス音楽の純度や唯識の深遠な思索は、自分の創造性や学識に新たな秩序を与え、未来へ進むための支柱となる。成熟とは、過去と未来を1つの流れとして捉える能力でもある。総じて、古典へ立ち返ることは精神の成熟の証なのだろう。なぜなら、それは深みに向かう意志であり、源泉に触れようとする知的誠実さであり、時間を超えて続く学びの連続性を内化する姿勢だからである。ルネサンス期の音楽と千年前の唯識思想が同じ方向へ自分を導いているのは、精神がすでに本質へ向かう段階に移行しつつあるからである。そのようなことを古典を大切にする街オックスフォードにて考えていた。オックスフォード:2025/11/16(日)06:38
17717. 【オックスフォード滞在記】オックスフォードの精神との共鳴
今の自分が自然と大切にしている古典への回帰という姿勢は、現代において一見時代遅れに映るかもしれない。しかし、オックスフォード大学という場に身を置くと、その姿勢こそが知の中心に据えられてきた伝統そのものであることに気づかされる。自分がルネサンス期のギター楽曲や千年以上前の唯識の原典へ向かう衝動を抱くのは、単なる個人的嗜好ではなく、オックスフォードが育んできた学風と深く共鳴しているからのように思えてくる。この大学の精神は、古典への回帰を近代的知性の限界を超えるための最も正統な方法として位置づけてきたと言える。まずオックスフォードは、成立以来書物を読む大学であり続けてきた。ここで読む書物とは、単に最新研究の論文や時流に乗った解説書ではなく、学問分野の基盤そのものを形成してきた古典的著作である。神学であればアウグスティヌスやアクィナス、哲学であればアリストテレス、プラトン、数学であればユークリッド、東洋思想であれば漢籍やサンスクリット原典を手に取る。このように、オックスフォードは常に“時代を超えた知”を知性形成の中心に据えることで、学生に知の深層構造を掘り下げる力を求めてきた。古典を読むという行為は、学術的権威を受け入れるためではなく、自分の思考がどの文脈から生まれ、どの流れとつながっているのかを知るためである。現代の学問は多岐に分岐し、細分化し、専門化する方向に進んだ。しかしオックスフォードはその流れの中にありながらも、「分岐しながらも中心へ戻る」という循環を大切にしてきた。それが古典への回帰という学風であり、そこでは知識が単なる情報ではなく、人類の精神史と対話するための媒介として扱われてきた。さらに、オックスフォードの最も象徴的な教育形態として「チュートリアル」が挙げられる。この制度は、学生一人ひとりが原典を読み、考察し、自らの言葉で議論を組み立てることを要求する。つまり、知識を摂取するだけでは足りず、古典そのものと向き合い、そこから思考を生成する力量が問われる。この教育方式そのものが古典への回帰と深く結びついている。古典を読む力は、単に古い文献を理解するという以上の意味を持つ。それは、時代や文化を超えて残り続けた思想と直接対話し、自分自身の判断力と洞察力を鍛える行為である。こうした学風は、自然科学にも人文学にも一貫して見られる。例えば物理学であればニュートンやマクスウェルの原論文を読み、人文学であれば中世写本から鎮魂歌や神学文書を読み解く。東洋思想研究であれば、漢訳仏典やサンスクリット原典、さらには日本の古注釈書を参照する。オックスフォードにおいて古典への回帰は、分野を問わない共通基盤であり、学術の最深部を掘り下げるための入口でもある。その意味で、自分がルネサンス期のギター曲に遡り、その純粋な旋律原理を身体で理解しようとする姿勢や、唯識の原典に立ち返って思想の源泉に触れようとする態度は、まさにオックスフォードの学風と響き合っている。どちらも「本物を知るためには源流に触れよ」という深い学問観を共有しているのである。オックスフォードは、最先端の研究を推進しながらも、同時に古典を知の中心に置き続けてきた稀有な大学である。総じて言えば、精神の古典への回帰はオックスフォードの知的伝統そのものと強く合致している。古典に触れることは、過去に戻る行為ではなく、未来へ進むために本質へ向き直る行為である。この大学はその姿勢を何百年も守ってきた。その地に身を置いている今、自分が古典へ向かう衝動を抱くのは自然なことであり、自分自身の学問的旅がすでにオックスフォードの長い知の流れの中に位置づけられつつある証とも言えるのかもしれない。ようやく夜が明け始めたオックスフォードの地にてそのようなことを思う。オックスフォード:2025/11/16(日)07:26
17718. 【オックスフォード滞在記】ゼミナールの第158回のクラスの課題文献の概要
先ほどホテルの朝食を美味しくいただいた。オックスフォード大学が所有する建物だけあって、朝食会場も厳かな雰囲気を発していた。今日はイギリス時間の正午にいつもと同じようにゼミナールがあるので、第158回のクラスの予習をしておきたい。今日からは、『Now You Get It, Now You Don’t: Developmental Differences in the Understanding of Integral Theory and Practice』という論文を扱う。今日の該当箇所は、全体の問題設定と理論的基盤を提示する導入部であり、ザカリー・スタインの研究がどのような目的で「インテグラル理論(Integral Theory and Practice: ITP)」を再構築しようとしているのかを明確にしている。彼が最初に指摘するのは、ウィルバーを中心とするインテグラル・コミュニティ(いわゆるウィルバー学派)における根本的な課題である。すなわち、コミュニティ内部で「インテグラル理論を理解するとはどういうことか」という問いに対して、発達的な差異が存在している点である。多くの参加者は、四象限やレベル、ライン、ステートといった主要概念を共有しているが、その理解の深さや統合の仕方が個々人で大きく異なっており、この差異がしばしば混乱や誤解を生んでいる。スタインはこの現象を単なる「誤解」や「教育不足」としてではなく、人間の発達構造そのものに起因する理解の多層性として捉え直そうとする。この課題意識のもと、彼は ITP を「発達的な研究対象」として再定義する。つまり、インテグラル理論を“何を考えているか”ではなく、“どのように考えているか”という観点から分析しようとするのである。彼が提唱する「発達的産婆術(Developmental Maieutics)」という方法は、特定の思想内容を批判するのではなく、むしろそれがどのような発達構造のもとに理解され、表現されているのかを抽出するものである。このアプローチは、古代ギリシアのソクラテス的問答法の現代的応用であり、教育・心理・哲学・宗教といった異領域の対話を通じて、各人の発達的理解を「引き出す」ことを目的としている。スタインはこの方法を ITPに適用し、「インテグラル理論そのものを発達科学の方法で再構築できるか」という課題を設定する。その理論的基盤となるのが、カート・フィッシャーの「ダイナミックスキル理論(Dynamic Skill Theory)」である。フィッシャーは、認知・行為・感情などあらゆる人間の活動を「スキル(skill)」として捉え、これが自己組織化的に発達する過程を詳細に描いた。スタインはこの理論をITPの理解構造に当てはめ、インテグラル理論の把握自体を「推論スキルの発達的形成」として分析する。スキルは単一の能力ではなく、複数の下位スキルが階層的に統合されることによって上位レベルへと進化していく。フィッシャーはこの過程を「階層的統合(hierarchical integration)」と呼び、それがピアジェの「内省的抽象(reflective abstraction)」と同質のメカニズムを持つと説明した。スタインにとって、インテグラル理論を深く理解するとは、まさにこの階層的統合が進むことで、概念をより広い枠組みで結び直せるようになることを意味する。さらに、スタインは発達段階を測定可能にするツールとして、ドーソンによる「Lectical Assessment System(LAS)」を導入する。LAS は人の発話や文章を分析し、その内容の構造的複雑性をスコア化するものであり、どの発達レベルの思考に相当するかを定量的に評価できる。スタインはこのシステムを応用し、インテグラル理論の理解度を「共通スキル尺度(common skill scale)」の上に位置づけることを構想する。これにより、哲学的議論や実践的応用を単なる主観的感覚ではなく、発達科学の言葉で比較・検証することが可能になる。このように、今日のクラスの課題論文の該当部分では、スタインが単にウィルバー理論の信奉者ではなく、むしろその理論を発達心理学的に“再構築(rational reconstruction)”しようとする意図を明確にしている。彼にとってインテグラル理論とは、世界の全体像を説明する一枚の地図ではなく、人間の理解が進化する過程そのものを映し出す「発達的メタ理論」である。したがって、コミュニティ内部で「同じ言葉を使っても分かり合えない」現象は偶然ではなく、理解の階層構造が異なることに由来する必然的現象だと捉えられる。スタインはその差異を可視化し、教育・対話・実践の場で発達的に適応した支援を可能にするために、ITPを一つの「発達科学的ドメイン」として合理的に再構成する必要があると主張している。こうして論文は、次の節「Rationally reconstructing the domain of Integral Theory and Practice」へと進み、実際にITPの構造を発達モデルの言葉で描き直す理論的展開へと接続されていくのである。オックスフォード:2025/11/16(日)08:53
17719. 【オックスフォード滞在記】第158回のクラスの事前課題(その1)
ホテルの窓から日曜日の朝のオックスフォードの空を眺めている。空を眺めながら、今日のクラスの事前課題として作った問題に対する自分なりの回答を考えている。1つ目の問いは、「スタインはIntegral Theory and Practice(ITP)をどのように「研究対象」として再定義しているでしょうか。また、この定義は従来のウィルバー学派(インテグラル・コミュニティ)の理解とどのように異なっているかを説明してください」というものだ。スタインは ITPを、単なる思想体系ではなく、「人々がどのような発達構造のもとでその理論を理解するのか」という理解プロセスそのものを含む研究領域として再定義している。すなわち彼は、ITPを理論内容そのものだけで捉えるのではなく、その内容がどのような認知的・発達的構造によって理解され、どのような差異が生じるのかを分析するべき対象として扱っている。従来のウィルバー学派では、四象限・レベル・ライン・ステートといった概念をいかに正しく把握するかという「内容理解」が中心であった。しかしスタインは、同じ概念を扱っていても、理解の深さ・複雑性・統合度が個々人で大きく異なる点に注目する。したがって、ITPの本質は理論内容そのものにあるのではなく、その内容を理解するための発達的枠組みと、その差異が生じる構造にあると考えるのである。以上のように、スタインはITPを“理解の発達差異を含む学問的ドメイン”として再構成しており、これは内容中心の従来のウィルバー学派とは明確に異なる視点である。
2つ目の問いは、「ダイナミックスキル理論に基づく発達モデルが、インテグラル理論の理解度を測るための理論的基盤としてどのように機能するかを説明してください。また、階層的統合(hierarchical integration)と内省的抽象(reflective abstraction)の関係についても述べてください」というものである。ダイナミックスキル理論は、認知・行為・情動などをすべて「スキル」として捉え、それらが段階的に複雑化しながら発達することを示す理論である。スタインは、このモデルを用いることで、インテグラル理論の理解度を「構造的複雑性」という観点から測定できる理論的基盤を構築している。この理論の中心は、複数の下位スキルが互いに調整され、より高次のスキルへと再編成される階層的統合(hierarchical integration)というメカニズムである。これは、「単なる知識の寄せ集め」ではなく、「複数の概念や視点を統合して、新たな全体構造を生み出す」過程を表している。インテグラル理論の理解が浅い段階では、四象限などを個別に説明することはできても、それらを体系的に関連づけて語ることは難しい。統合度が増すほど、理解スキルが階層的に結びついた状態になるのである。さらにスタインは、この階層的統合をピアジェの内省的抽象(reflective abstraction) と結びつける。内省的抽象とは、自分が行っている理解・操作のパターンそのものを対象化し、そこからより高次の概念を形成する働きである。つまり、概念同士の関連性やメタ構造を「見える形で再構成する」能力である。以上より、ダイナミックスキル理論はインテグラル理論理解の“発達段階”を測るための理論的土台となり、階層的統合と内省的抽象のメカニズムが理解の高度化を支える核心であると言える。
3つ目の問いは、「スタインは発達的産婆法(Developmental Maieutics)を「発達科学の産婆術」として提示しています。この概念は認識論的多元主義(epistemological pluralism)とどのような緊張関係を持つでしょうか。そして、インテグラル理論における“階層的包括”の原理とどのように整合するか、あるいは矛盾するかを批判的に論じてください」というものだ。スタインの発達的産婆法は、対話や共同探究によって参加者が持つ発達的理解を“引き出す”ことを目的とするメタ方法論である。しかしこの方法は、認識論的多元主義(epistemological pluralism)と潜在的な緊張関係を持つ。多元主義は「複数の観点の平等性」を重視するが、発達的産婆法は発達段階という「構造的な上下関係」を前提とするからである。一方で、ウィルバーのインテグラル理論には階層的包括(holarchical inclusion)の原理がある。これは「下位レベルを否定せずに包摂しながら上位レベルへと進む」という考え方であるため、発達的視点を持つ 発達的産婆法とは理論的に整合する側面がある。つまり、より高い理解が低い理解を包含するという構造は、インテグラル理論のホロン理論と一致している。しかし問題は、この階層構造が実践において「優劣」や「価値判断」へと転化する危険である。発達段階の提示は、しばしば“発達的エリート主義”を生み出す。多元主義が重視する水平的な平等性と、発達モデルが持つ垂直的階層性は、ときに鋭く衝突する。したがって、両者を統合的に扱うには、階層構造を「価値の序列」ではなく「構造的複雑性の違い」として理解しつつ、対話の場ではあらゆる視点を尊重し、発達段階の適用を慎重に行う必要がある。こうした条件が整ってはじめて、発達的産婆法は多元主義と調和し、インテグラル理論の階層的包括の原理とも矛盾なく機能しうるのである。オックスフォード:2025/11/16(日)09:03
17720. 【オックスフォード滞在記】第158回のクラスの事前課題(その2)
4つ目の問いは、「もしあなたがインテグラル理論の教育プログラムを設計する立場にあるとしたら、スタインが提唱するLectical Assessment System(LAS)をどのように活用して学習者の理解発達を評価しますか。具体的な指標や活動例を挙げながら説明してください」というものだ。インテグラル理論の教育プログラムを設計する立場にあるならば、Lectical Assessment System(LAS)は学習者の理解発達を評価するための中心的な指標として活用できるのである。LASの特徴は、単なる知識量の測定ではなく、学習者が示す思考の「構造的複雑性」を、共通スキル尺度(common skill scale)上に位置づけて評価できる点にある。したがって、インテグラル理論の学習においても、レベル・ライン・象限といった概念の記憶ではなく、それらをいかに関連づけ、統合的に説明できるかを測定するのに適している。教育プログラムとしては、まず学習者が提出するリフレクションエッセイ、ケース分析、ディスカッション記録などを LAS の評価対象とする。例えば、初期段階の学習者であれば、四象限モデルを単独で説明する課題を出し、象限間の違いを自分の言葉で整理できるかを見る。中級段階に向けては、「ある社会問題を四象限すべてを用いて説明し、相互関係を描写する」タスクを課す。より上位段階では、「四象限という枠組みの限界を批判的に検討し、新しい統合理解を提示する」ようなメタレベルの課題を出すことが可能である。この際、LASが提供する学習シーケンスを活用し、どの段階の学習者にどのレベルの課題が適切であるかを判断する。例えば、スキル複雑性がまだ単純結合レベルにある者に対して、多変量統合レベルの課題を与えても、理解は進まず挫折を生む可能性が高い。逆に、高度な複雑性を示す学習者には、既存のインテグラル概念を超えて自ら統合構造を生み出すような課題を設定することが望ましい。総じて、LASはインテグラル理論の教育設計において、学習者の発達段階に応じた課題設定・フィードバック・リフレクション支援を行うための基礎ツールとなり、教育を「発達に適合した学び」へと進化させるための不可欠な方法であると言える。
5つ目の問いは、「あなたがインテグラル理論を実践コミュニティ(例えばコーチング、リーダーシップ教育、スピリチュアル実践など)に導入する場合、スタインの「発達的差異に基づく理解モデル」をどのように使って参加者間の対話や学びを促進しますか。発達的優劣の固定化という倫理的リスクを考慮しながら、ファシリテーションの戦略を理論的に設計してください」である。インテグラル理論を実践コミュニティ――コーチング、リーダーシップ教育、スピリチュアル実践など――に導入する際には、スタイの「発達的差異に基づく理解モデル」を慎重に活用する必要がある。このモデルは、参加者がインテグラル理論の概念をどの発達構造で理解しているかを可視化し、対話と協働学習を促進する優れた枠組みである。しかし同時に、発達段階を明示することは、紛れもなく“優劣の固定化”という倫理的リスクを含んでいる。したがって、ファシリテーションにおいては「段階を評価する」のではなく、「各段階が持つ認識の強みと限界を相互理解する」という姿勢に基づいて場を設計すべきである。具体的には、対話の冒頭で「発達段階は能力の優劣ではなく、構造の違いである」という原則を明確に伝える。また、参加者同士の発話をLAS的視点で読み取り、どのような思考構造が背後にあるかをファシリテーターが丁寧に解説することで、自己理解を促進できる。さらに、グループ活動としては、異なる発達構造を持つ参加者が協働する場面を意図的に設ける。「ある社会問題を四象限で分析し、各自が見落としていた視点を交換する」ようなタスクは、発達差を“差別化の根拠”ではなく“相互補完の源泉”として体験させる効果がある。こうした場での役割分担も、発達レベルに基づいて「上役を任せる」のではなく、それぞれの参加者が持つ視点の特性を活かして、“多視点的な協働”を成立させるよう配慮することが重要である。最終的には、スタインの発達モデルは、コミュニティ内の学びを単なる討論ではなく、共進化的な対話(co-evolutionary dialogue)へと導くための枠組みとなる。階層性と多元性のどちらかに偏るのではなく、その間の緊張を自覚的に扱いながら、参加者全員が自らの理解構造をより広い枠組みへと統合していくための場を設計することこそ、インテグラル実践の核心であると言える。オックスフォード:2025/11/16(日)09:55
Today’s Letter
Lifelong learning is an essential part of my life. Coincidentally, I am staying at Rewley House, which has a long history as a centre for adult continuing education at the University of Oxford. As a lifelong learner, I cannot help but feel that staying here is somehow my destiny. Oxford, 11/16/2025


コメント