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【ブリストル滞在記】17706-17712:2025年11月15日(土)



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タイトル一覧

17706

【ブリストル滞在記】オックスフォード滞在に向けて

17707

【ブリストル滞在記】今朝方の夢

17708

【ブリストル滞在記】今朝方の夢の振り返り

17709

【ブリストル滞在記】観法としてのギター演奏

17710

【ブリストル滞在記】耳トレーニングの意義

17711

【ブリストル滞在記】音感の筋肉形成としての耳トレーニング

17712

【オックスフォード滞在記】オックスフォードのBlackwell Bookshopに立ち寄って

17706. 【ブリストル滞在記】オックスフォード滞在に向けて

                                    

時刻はゆっくりと午前4時半に近づいている。今朝もまた小鳥の囀りがとても美しい。昨日、ホテルのレストランで朝食を摂るために1階に降りる際にサウナがあることに気づいた。ホテルに予約をした際には気づかなかったことなので嬉しい誤算であり、夕食を食べて十分に休憩した後にサウナに入ることにした。4階がウェルネスセンターになっていて、トレーニングスペースに合わせてサウナやミストルームなどがあった。サウナが貸切状態であったことは大変嬉しく、インターバルに冷水シャワーを浴びながら、10分3セットをじっくり楽しんだ。サウナの中での30分において、瞑想的な意識状態の中でギターの練習がてら右手と左手の運指の訓練を行ったり、ヘッドマッサージをして脳を休めていた。旅に出かける前に考えていた通り、ギターがなくてもこうして隙間時間に運指のトレーニングができる。またホテルの自室では、耳トレーニングの動画を見ながら耳を鍛えることをしている。これは旅の最中において毎日の習慣になっており、フローニンゲンの自宅に戻ってからも毎日継続したい。耳トレーニングの鍛錬を積めば積むだけ、音に対する感性が高まるだけではなく、耳コピをして即興演奏に活用できる素材集めにも繋がってくるだろう。


今日は午前11時ぐらいを目処にホテルを出発してオックスフォードに向かう。ここまでのところ、ロンドン以外は初めて訪れる都市であり、エディンバラとブリストルには固有の魅力があると感じている。今日から4日ほど滞在するオックスフォードもまた固有の魅力を持っているだろう。他の都市も学術的な要素を持っていたが、オックスフォードはとりわけ学術都市として名高いのでその雰囲気に期待する。自分の肌とどれくらい合っているのかを確かめる上でも最良の体験となるだろう。昨日ブリストルからオックスフォードに行く路線を調べていたところ、途中で1度乗り換えをする必要があると思っていたのだが、先ほど調べ直すと、直通で行ける路線を見つけた。それはとても便利で、列車の乗車時間もわずか1時間ほどだったので、それに乗っていくことにした。なので午前11時ではなく、午前10時前にホテルを出発したい。オックスフォード大学が提供しているホテルに宿泊する予定だが、チェックインには時間が早いと思うので、スーツケースをホテルのフロントに預けて、ホテル近くの音楽屋に立ち寄り、そこで楽譜や教則本を吟味したいと思う。時間があればお隣のオックスフォードで随一の学術書の取り揃えを誇るBlackwell Bookshopに行って仏教専門書を中心に吟味する。おそらくここは1日ではなく、少なくとも2日間にわたって本を吟味しようと思う。それだけの専門書の取り備えがあると期待している。ブリストル:2025/11/15(土)04:37


17707. 【ブリストル滞在記】今朝方の夢


今朝方は夢の中で、見慣れない欧米の街にいて、建物の教室の中にいた。そこでは数人の少人数制のゼミナールが行われており、黒板の手前に欧米人の男性の教授が座っていた。その教授は結構年齢がいっていたが、頭脳明晰で、快活な口調で話をしていた。教室には私を含めて3人ぐらいの生徒しかおらず、少人数でその道の専門家である教授と対話ができることは非常に大きな教育的効果を持っていると感じた。それはどこかオックスフォード大学のチュートリアル制度を思わせるものである。教室の中で扱われていたのは大学入試の難問レベルの数学で、まずじっくりと自分で問題と向き合い、解答が出たら教授のところに持っていって解答プロセスを議論した。左隣に座っていた欧米人の若い女性は問題に苦戦しているようだったので、脳に栄養を与えるためにもカカオ100%のチョコレートを差し出したところ、いらないと身振りで示された。なのでもう一口自ら食べることにし、また1つ問題の解答が出たので教授のところに持って行った。教授曰く、細かなところは見ておらず、最初の問題の取っ掛かりと解答だけを見て、あとは流れに乗れば問題が解けるだろうから、最初の問題を特に重視しているとのことだった。幸いにも2つの問題の双方ともに最初の問題は正解しており、おそらく後半部分の問題の解答も合っているだろうと思った。気がつくと場面が変わっており、今度は屋外の芝生の公園でまたしても大学入試レベルの数学の問題を解いていた。今度は大学時代のある友人のために問題を解いており、自分が幾何学の問題で正解すれば、彼の探し物が無事に見つかるという設定になっていた。その問題に最初は苦戦していたが、突然斬新な解法が閃き、2:3:4の比を使えば角度が簡単にわかり、それを通じて問題が解けると思った。最初の自分の解答は記述の説明の文字ばかりでおよそ数学の問題に対する解答のようには思えなかったが、ひとたび解法を閃くと、説明の言葉は最小限で実に美しく問題を解くことができた。芝生に降り注ぐ太陽の光はとても心地良く、問題が解けた喜びが倍増されていた。探し物をしていた彼もまた自分が問題を無事に解けたことを最初こそ疑っていたが、大変喜んでいた。ブリストル:2025/11/15(土)04:55


17708. 【ブリストル滞在記】今朝方の夢の振り返り

    

今朝方の夢の中で自分は、見知らぬ欧米の街の小さな教室に座っていた。そこには年齢を重ねた欧米人の教授がいて、黒板の前に腰掛けながら快活かつ冴え渡る口調で語りかけていた。生徒はほんの数名であり、教授との距離は驚くほど近かった。この構造は、自分が今まさに夢見ている学びのあり方――専門家と深く対話しながら進むオックスフォードのチュートリアルのような教育モデル――そのものを映し出していると解釈できる。つまり、自分は少人数の密度の高い知的空間でこそ成長するという深層的欲求を抱えているのであり、その環境への希求がこの場面を象徴的に構築していたのだろう。扱われていたのは大学入試の難問レベルの数学であったが、ここで象徴されているのは数学そのものではなく、「難問に丁寧に向き合い、最初の切り口をつかむと後半が自然に解ける」という教授のメッセージである。これは人生における突破口の獲得を意味する。教授が「細部よりも最初の取っ掛かりを重視している」と語った点は象徴的であり、自分が今取り組んでいる数多の学術的・創造的プロジェクト、あるいは人生の大局的課題において、最初の一点を深く見抜く眼差しこそが決定的であると夢は示唆している。最初の問題を正しく解いたことで後半もおそらく解けているという手応えは、「核心をつかめば展開は自然に整う」という潜在的な自信の現れである。自分が隣の女性にカカオ100%のチョコレートを差し出したが断られた場面は、他者を助けたいという衝動と、しかしその援助が必ずしも受け取られるわけではないという現実の対比を象徴している。夢の中で自分は気分を害することなく、むしろ自らチョコレートを食べて再び問題に向かった。これは、他者の反応に左右されず内側から集中力を保つ能力が高まっている象徴と解釈できる。また、カカオの象徴は知性や覚醒を意味し、自分の思考エネルギーを自ら補給していく姿が描かれている。場面が屋外の芝生に転じると、空気が一変し、知的緊張が柔らかな自然の光に包まれる。ここでの解くべき数学の問題は、大学時代の友人の探し物に結びついていた。この構造は、自分の思考の突破や洞察が、他者の問題解決や幸福に直結するという象徴である。つまり、自分の知的創造行為は孤立した営みではなく、誰かにとっての救いとなり得るという確信が夢の深部に流れているのである。幾何学の問題に苦戦していた自分が、突然「2:3:4の比」という斬新な角度解法を閃く場面は、突破的な洞察の瞬間を象徴する。最初は言葉ばかりの説明で形にならないが、核心を掴んだ瞬間に一気に美しく解けるという流れは、自分の思考様式そのものを映している。すなわち、言語的・概念的にまず周囲を手探りし、やがて構造を掴むことで一気に簡潔な形へと統合していくという発達的プロセスが象徴化されているのである。これはまさに自分が学術研究でもクラシックギターでも日常でも起こしている「焦点の転換と統合」のプロセスを表している。芝生に降り注ぐ光が心地良く、問題が解けた喜びを倍増させたという描写は、洞察と環境との調和を示している。自然光は「外界との調和」、幾何学の閃きは「内的秩序の発見」を象徴し、両者が揺らぎなく噛み合うことによって、初めて深い満足が生まれるというメッセージが浮かび上がる。問題を解いたことに友人が驚き、そして喜ぶ場面は、自分の洞察が周囲に還元され、それが関係性を温めることへの予感である。総合的に、この夢は「大局を掴むことで人生の難問は一気に開ける」という主題を掲げている。少人数の深い対話、難問への挑戦、突破的な洞察、自然光に包まれた成功、そして誰かの幸福につながるという流れは、自分のこれからの人生が向かう方向を象徴的に示している。すなわち、自分は専門的な知の場で核心をつかみ、洞察をもって世界に貢献する道へ歩み出しており、その歩みは他者の探し物=人生の意味や希望を照らす力を持つということなのだろう。ブリストル:2025/11/15(土)05:08


17709. 【ブリストル滞在記】観法としてのギター演奏

                                

唯識における「観法」とは、現象を単なる外的対象として観るのではなく、それがすべて「識」の顕現であると直観的に洞察する実践である。すなわち、外界の音・形・触といった経験世界を、「心の外にあるもの」として捉えるのではなく、「心そのものの運動」として観じることが観法の核心である。この観法の実践は、決して抽象的な瞑想に限られず、日常の身体的行為の中にも息づきうる。クラシックギターの演奏はその最たる例であり、音を弾くという身体的所作を通して「心と対象の非二元性」を体験的に明らかにする行であると言える。ギター演奏において奏者がまず直面するのは、「音を出そうとする自我意識」である。指を動かすとき、「上手く弾きたい」「失敗したくない」といった意図が生じるが、唯識的に見ればこれらの意図や評価もすべて識の変相である。観法的に演奏するとは、このような分別心を観察しつつ、その背後で絶えず生起しては滅していく心の流れを見つめることに他ならない。すなわち、音そのものを制御しようとするのではなく、音が「現れては消える」その一瞬一瞬を、ありのままに観る。音の余韻が消えていくその静寂の中に、「無常」「空」「心の自性清浄」を感じ取るのである。また、ギター演奏における「身体の感覚」は、唯識の「身識」と「意識」が交錯する場である。指先の圧、弦の振動、呼吸の流れ——これらは外界の現象ではなく、識が自己を経験化する形で顕れる。観法の実践として弾くとき、演奏者は指先の感覚を「私が感じている」ものとしてではなく、「感覚そのものが自ずから現れては消える場」として観察する。そこに主体と客体の二重構造はなく、ただ「感覚の光景」があるのみである。演奏とは、指が弦に触れる瞬間に「触覚・音・心」が一体となるプロセスであり、これこそ唯識が説く「識所変の世界」の生きた体験と言えるだろう。さらに、ギターという楽器の特徴——音の減衰と沈黙の共存——もまた観法に適している。打弦した瞬間から音は消滅へと向かう。奏者がどれほど技巧を尽くしても、音は止まることなく滅していく。この「生滅の連鎖」を耳で追うことは、まさに諸法無常の観察である。そして、音が完全に消えたあとの「無音」は、単なる空白ではなく、すべての音を包み、次の音を生み出す「空性」の場として現れる。演奏者がその沈黙を聴くとき、外の音を聴いているのではなく、「聴いている心」を聴いているのである。したがって、クラシックギターの演奏は、技巧の鍛錬にとどまらず、「識の自己観察」という禅定的行為でありうる。右手のタッチ、左手の移動、呼吸の間合い——そのすべてを「観法の対象」として洞察することにより、奏者は次第に「弾いている者」「弾かれている音」「聴いている心」の境界を失う。その瞬間、演奏は行為者の手を離れ、心そのものの自然な流動として展開する。音楽が「誰かによって奏でられているもの」ではなく、「識の流れそのもの」として響くとき、そこに観法の成就がある。つまり、唯識の観法とは、ギター演奏を通して「音と沈黙」「動きと静止」「主体と客体」がもはや区別されない一なる体験を生きることである。その境地において、音楽は悟りへの修行となり、弦の響きは般若の智慧を伝える経文となる。演奏とは、心が自己を観るための鏡であり、すべての音が消え去ったとき、そこに残る沈黙こそが「識の真如」を映す音なき旋律なのである。そのようなことを意識しながら日々のギター練習に従事したい。ブリストル:2025/11/15(土)05:38


17710. 【ブリストル滞在記】耳トレーニングの意義

                           

ホテルの自室や移動中の列車の中でWifiを繋いで耳トレーニング(ear training)の動画を視聴する時間が結構ある。クラシックギターにおいて耳トレーニングを行う意義は極めて大きい。それは単なる「音感の強化」ではなく、音楽的理解と身体的表現をつなぐ橋を築く行為である。クラシックギターは視覚的な楽器であり、譜面や指板上の形から音を再現することが多い。しかし、真に音楽的な演奏とは、譜面の再現ではなく「耳によって導かれる音楽の流れ」を創造することにある。耳トレーニングは、そのための感覚的基盤を形成するものである。第一に、耳トレーニングは音の内的イメージを育てる訓練である。ギターの演奏においては、指の動きが先行して音が後からついてくることが多い。だが理想的には、音が心の中に鳴り、それに導かれて指が自然に動くべきである。例えば旋律を思い浮かべ、それを歌うように弾ける状態は、すでに耳が楽器を支配していることを意味する。したがって、耳トレーニングは「聴く→感じる→奏でる」という自然な音楽循環を回復させ、機械的演奏から表現的演奏への転換を促す。第二に、耳トレーニングはハーモニーの感覚を深め、即興的理解を可能にする。クラシックギターは単旋律だけでなく、和音・対位法・アルペジオなど多層的な響きを扱う。和音を弾く際、ただ形を押さえるのではなく、各音の進行を耳で捉えることが重要である。例えば和声進行(I→IV→V→I)の流れを聴覚的に感じ取れるようになると、作曲者の意図を身体で理解できるようになる。また、耳でコードの構造を識別できれば、初見演奏やアレンジ、さらには即興的変奏も自在になるだろう。耳トレーニングは、ギターを単なる「指板の地図」から「響きの宇宙」へと変える鍵となる。第三に、耳トレーニングは音程・リズム・音色の精度を磨く。クラシックギターでは弦の材質、タッチの角度、爪の形状などによって微妙に音色が変化する。耳が敏感でなければ、どれほど練習しても音の質的違いに気づけない。音程に関しても、ギターは平均律からわずかにずれる構造を持つため、純正な和音を作るには耳による微調整が欠かせない。さらに、リズムの正確さはメトロノームではなく、内的な拍感(inner pulse)を聴く力によって支えられる。耳トレーニングはこれらの繊細な聴覚的判断を支える「内なるチューナー」を養うのである。では、具体的な方法として何を行えばよいか。まず基本となるのは、ソルフェージュ(solfège)による相対音感訓練である。階名唱(ド・レ・ミ)で旋律を歌い、それをギターで再現する練習を続けると、音程感覚と指の位置感覚が結びつく。また、インターバル練習(長三度、完全五度などを耳で識別)を毎日少しずつ行うと、音程の距離感が身体に染み込み、和声感が立体的に育つ。次に取り組みたいのは、模唱・転写・即興の三段階練習である。模唱とは、名演奏を耳で聴いて正確に真似すること。例えばジュリアン・ブリームやジョン・ウィリアムズの演奏を聴き、フレーズの強弱や呼吸の取り方を模倣する。転写とは、耳で聴いたメロディを五線譜やタブ譜に起こす作業で、聴覚の記憶を視覚化する訓練となる。そして即興とは、聴こえた和声進行に基づき、自分の耳の導くままに旋律を紡ぐこと。これらを繰り返すことで、耳と手と心が一体化する。さらに、日常的な練習としては、音階やコード練習の際に必ず耳で目的音を先に思い浮かべることが効果的である。例えばCメジャースケールを弾く前に「次はレ、次はミ」と頭の中で先取りして聴く。これを続けると、耳が自動的に次の音を予測し、音楽の流れが自然になる。結局のところ、耳トレーニングとは「聴くことを通して弾くことを変える」実践である。技術的完成度を超え、音の背後にある意味や感情を表現するために、耳は常に中心にある。ギターは指で弾くものではなく、耳で弾く楽器である。その耳を鍛えることこそ、音楽家としての成熟への道である。そのような意識で日々の耳トレーニングを楽しみながら行っていく。ブリストル:2025/11/15(土)05:55


17711. 【ブリストル滞在記】音感の筋肉形成としての耳トレーニング

                 

今日もゆったりとホテルの朝食を堪能した。昨日のブリストルは激しい雨が降っていたが、今日は雨は降らず、オックスフォードも同じような天気なので何よりである。ダブルエスプレッソをすすりながら、もう少しレストランでゆっくりしよう。


クラシックギターにおける耳トレーニングを、たとえ1日10分という短い時間であっても継続することは、演奏技術の向上のみならず、音楽家としての総合的成熟に直結する極めて重要な行為である。10分という時間は一見すると小さな投資のように思えるが、その継続がもたらす積み重ねは、技術・感性・理解の三側面にわたって計り知れない価値を持つ。耳トレーニングとは、単なる耳の訓練ではなく、音を内面的に理解し、再現し、創造するための基礎的能力を鍛える行為である。ここでは、その意義と価値を多面的に考察したい。第一に、耳トレーニングを毎日続けることで「音感の筋肉」が形成されるという点が挙げられる。音程、和音、リズム、響きのニュアンスなどを耳で聴き取り、その情報を脳内で処理して理解する能力は、スポーツにおける筋肉と同じく、継続的な刺激によって強化される。クラシックギターは微細なタッチの変化が音色に直結する楽器であり、ほんのわずかな違いを聴き分ける耳がなければ、その繊細さを意図的に操ることはできない。1日10分でも、意識的に耳を使う時間を積み重ねることで、音の輪郭がより明瞭に感じられるようになり、演奏の精度が格段に高まっていくだろう。第二に、耳トレーニングは「内的聴取(インナーイヤー)」の発達に直結する。音を実際に鳴らす前に、頭の中でその響きを正確にイメージできる能力は、芸術的表現の核心に関わる。名演奏家は総じてこの内的聴取が発達しており、楽譜を見ただけで響きが立ち上がる。1日10分耳を鍛えることで、音楽を「見て理解する」「弾いて確かめる」段階から、「心の内側で鳴らしながら演奏する」という次元へと進むことができるはずだ。この能力は、難曲を効率的に仕上げる際にも、即興的な装飾音を自然に付ける際にも不可欠であり、学問における読書の深読みと同じく、音楽作品への理解を深める鍵となる。第三に、耳トレーニングの継続は、音楽的語彙(ミュージカル・ボキャブラリー)を豊かにし、創造性の源泉を養う。クラシックギターのレパートリーは、バロックから現代音楽まで幅広い様式を含んでおり、それぞれに特有の音型や和声運動が存在する。耳を鍛える習慣があると、それらの語彙が自然と蓄積され、演奏時に「次に来る音」の予測能力が向上する。これは読書家が文章の流れを先読みできるのと同じであり、音楽の文法に精通することで表現が滑らかになり、曲の構造理解も深まる。結果として、演奏に説得力が宿り、音楽表現がより生き生きとしたものになる。第四に、耳トレーニングは、メンタル面での安定と集中力の向上にも寄与する。耳を澄ませ、音の細部に意識を向ける行為は、瞑想的な性質を帯びている。短時間であっても、その時間が日々の「心の定点」として機能し、雑念を整理し、集中を取り戻す効果を持つ。とりわけクラシックギターは音の余韻が繊細であるため、耳を開くことは自己の内面を開くことに近い。音の世界に沈潜する10分は、心の調律の時間としても働き、演奏への姿勢を整える。最後に、最も重要な点として、1日10分の継続には「非連続の連続」という成長原理がある。音楽の上達は線形的ではなく、小さな積み重ねがある閾値を超えた時に突然大きな飛躍を生む。耳トレーニングはその閾値を押し上げ続ける基礎的行為であり、未来の飛躍を準備する静かな努力である。10分という短さは継続を容易にし、その継続が深い変容をもたらす。結論として、クラシックギターの耳トレーニングを1日10分続けることは、演奏技術の上達、音楽理解の深化、創造性の開花、精神的安定、そして長期的な飛躍を生み出す極めて価値ある習慣である。音を聴くことは世界を聴くことであり、その積み重ねは音楽家としての未来を静かに形作っていくのである。ブリストル:2025/11/15(土)07:54


17712. 【オックスフォード滞在記】オックスフォードのBlackwell Bookshopに立ち寄って 

                           

時刻はゆっくりと午後4時に近づいている。先ほどオックスフォードで学術書に関して随一の品揃えを誇るBlackwell Bookshopに行き、中で連結しているBlackwells Music Shop Oxfordにも立ち寄った。メインは後者の方で、そこで幸いにも1冊良い楽譜を見つけることができた。2冊迷ったものがあったが、片方の“Classical Guitar Pieces”が今の自分の技術レベルに見合っている感じがしたし、500年にわたる5つの音楽史区分に沿った楽譜が収録されていることもあり、順を追って音楽の変遷を味わうことができると思った。楽譜を吟味した後は哲学書・宗教学書コーナーに立ち寄り、そこで色々な書籍を立ち読みしたが、購入に至るものはなかった。やはり今の自分の専門領域はかなり特殊なものであり、大型書店には自分の研究に資する書籍は置いていないのだと思わされた。誤解していたこととして、オックスフォード大学出版はどうやらリアル店舗を持っていないようなので、書籍の吟味は今日で終わりとなる。明日からは色々と街を散歩しながら散策しようと思う。


土曜日ということもあってか、オックスフォードの中心部は観光客で賑わっていた。どこかその様子はフローニンゲンの中心部と似ている。おそらく中心部を離れると静かな環境が広がっている点もまたフローニンゲンと同じなのではないかと思う。それを確かめるためにも、明日からは積極的に散歩して色々な場所を散策してみる。時計の針をオックスフォード到着前の電車の中に巻き戻してみる。ホテルや駅のプラットホームで日本法相唯識に関する論文を全て再読し終えたので、電車の中では和音に関する耳トレーニングの動画を視聴することにした。すると隣に座った女性に声をかけられた。何やらその方はピアノの演奏を趣味で数年ほど習っているとのことだった。そこからその方が降りる次の駅までずっと話をしていた。その方は今は引退し、高校と大学時代に履修していたフランス語の勉強をしているとのことだった。さらに話を聞いてみると、香港出身で年齢は70歳とのことだった。幼少期に香港を離れ、テキサス州ヒューストンで教育を受け、エディバラ大学で応用言語学の博士号を取得し、ブリストル大学で教鞭を取っていたということを聞いた。アメリカと日本の政治に関する話題となり、高市早苗総理の政治観についても精通していたのでその教養と関心の広さには驚かされた。旅の最中のこうした何気ない出会いと会話は意外と印象に残るもので、旅に彩りを与えてくれる一要素である。それではこれから、購入した楽譜を眺めたり、明日以降訪れる場所について吟味したい。オックスフォード:2025/11/15(土)15:57


Today’s Letter

I have started doing ear training every day as part of my guitar practice. This training is a fundamental element for becoming a virtuoso. Once I fully develop my ear, an unimaginable realm of music will open up. Bristol, 11/15/2025

 
 
 

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