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8993-8997: フローニンゲンからの便り 2022年8月27日(土)



No.3953 煌く世界_A Shining World


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1742, Holes and Pores

A precious hole in reality is each of us, which is our unique subjectivity.

We are pores of reality.

Groningen; 10:34, 8/27/2022


No.1743, A Dialectical Illusion

Subject and object could be a dialectical illusion.

There just exists the whole in this reality.

Groningen; 10:56, 8/27/2022


No.1744, Vital Nutrition

Death is the vital nutrition for evolution.

Reality evolves with death.

Evolution and death create a symphony.

Groningen; 11:00, 8/27/2022


No.1745, Artistic Experience

Artistic experience leads me from the known to the unknown.

I’d like to put a strong emphasis on the aspect of art.

Groningen; 11:21, 8/27/2022


No.1746, Absolute Zero

My consciousness reaches absolute zero.

My existence begins to bloom.

Groningen; 11:36, 8/27/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(3つ)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

8993. 今朝方の夢

8994. フランクフルト滞在の計画が確定して

8995. 夏の終わりに読書を楽しみながら

8996. イスラム世界への関心の高まり

8997. 箏の稽古(13):種々の発見と外部身体化


8993. 今朝方の夢


時刻は午前7時半を迎えた。気がつけば、今日から週末である。昨日からフローニンゲンは一気に気温が低くなり、今日もとても肌寒い。今の気温は13度で、日中は21度までしか気温が上がらない。明日以降もずっと似たような気温の日が続く。


今朝方は断片的な夢を見ていた。覚えていることをとりあえず書き留めておこう。いやその前に、夢から目覚めたときに、夢の中で口ずさんでいた音楽が脳内に流れ続けていたことが印象的だったことを書き留めておきたい。その音楽は自分が作ったもので、自らが作曲した曲が脳内に静かな電流のように流れていた。そのようなことを思い出しながら、改めて夢について振り返っている。夢の中で私は、小中高時代の女性友達2人(MH & KE)と話をしていた。彼女たちと話をしていたのはどこかの建物の一室であり、何か飲み物を飲みながら話しているわけではなく、そこではただ話すことだけに集中していた。そこでなされていた会話は他愛もないものであったが、すでに結婚している2人からは旦那の様子について聞かされた。2人とも基本的には旦那に不満はないようだが、それでも改善してほしいことが少しあるようだった。その点について愚痴を聞いていると夢の場面が変わった。


次の夢の場面では、自分の適性に関するフィードバックを誰かから受けていた。何かアセスメントのようなものを事前に受けていて、その結果をもとに自分の適性について話を聞いていた。すると、自分の適性は研究にあるようだった。それを聞いて、「まぁそうだろうな」という言葉がまず思い浮かんだ。ところがもう1つのフィードバックが面白かった。何やら自分には、楽しい思い出を作る適性があるようだった。その観点はこれまでの自分にはなく、確かに言われてみたらそうかもしれないと思った。今このようにして受けているフィードバックの機会ですら、自分にとっては楽しかった思い出になる。得られたフィードバックをもとに、またここからの日々を思い出として生きていこうと思った。


最後の夢の場面では、私は実際に高校時代に住んでいた社宅にいた。そこは自分のうちのはずだが、なぜか小柄な友人(TF)の家になっていた。その日は彼の誕生日で、他の友人たちとお祝いをしていた。主役の彼が私たち1人1人にケーキを振る舞ってくれ、それを美味しくいただいた。しかし、後ほど家を出発する際に、ケーキ代として1人400円を請求してきた。こちらとしてはプレゼントをあげて、かつ誕生日を祝ってあげていたので、その返礼としてのケーキかと思っていたが、まさかケーキ代を徴収されるとは思ってもみなかった。どうやら他の友人はそれを払わず帰ってしまった人が多く、自分も現金がほとんどなかったので、現金が全くないということにしてその場を後にしようと思った。すると、隣にいた友人(YK)が千円札を出し、私の分まで支払ってくれた。それは申し訳ないと思ったので、後ほど彼には400円を渡そうと思った。そのような夢を見ていた。実際にはその他にも、外国人の若い女性2人と港近くの倉庫で話をしていたのを覚えている。確かお互いチームを組んで、ある組織の隠れ家に侵入捜査しようとしていた。フローニンゲン:2022/8/27(土)07:54


8994. フランクフルト滞在の計画が確定して


時刻は午前9時を迎えた。とても穏やかな朝の世界が目の前に広がっている。以前として肌寒い気温だが、早朝のそよ風は心地良い。窓を閉めているので、そよ風が部屋に入ってくるわけではないが、木々がそよ風で揺れている姿を見るのが心地良いのである。


昨夜は、秋の一時帰国に付随して、フランクフルト滞在についても計画を練っていた。今回は日本からすぐにオランダに戻るのではなく、成田からフランクフルトの直行便に乗って、フランクフルトで4泊5日ほど滞在することにした。時差ぼけをそこで解消してからゆったりとオランダに戻ろうと思う。滞在中にどこに訪れるかを昨夜色々調査していた。フランクフルトに到着した日の翌日が月曜日であり、月曜日は軒並み美術館が閉館なので、テオドール·アドルノやピーター·ドラッカーの出身校であるフランクフルト大学に行って、図書館で勉強でもしようと考えた。そこで勉強するか、神学大学院へのアプリケーションの準備を進めていくのもいいかと思った。だがアプリケーションの準備の核となる志望動機書については、オランダから日本に行く際のフライトの中や日本での滞在中にドラフトを完成させようと思っているので、その他にはあまりやることがない。推薦状の依頼も日本に旅行している最中に行うか、それよりも早く出発前の9月末に行おうとも考えているので、その点についても心配はない。


フランクフルトは大きな都市であるから、美術館や博物館も結構な数があった。合計で7つほど訪れたい美術館があり、4泊の中の月曜日は美術館が休みであり、日曜日はフランクフルトへの到着日なので、実質上、2日で7つの美術館を見て回る必要があるので少し忙しい。可能であれば、日曜日の到着した日の夕方に1つ美術館を訪れておきたいと思う。あとはその時の体力次第である。いずれにせよ、訪れる場所が明確になったので、今夜にでもホテルを予約し、フランクフルトからオランダに戻るフライトの予約も完了させようと思う。それが済めば、秋の1ヶ月間の旅行の全ての予約が完了したことになる。フローニンゲン:2022/8/27(土)09:12


8995. 夏の終わりに読書を楽しみながら


まだ8月は終わっていないが、今日は本当に肌寒い。長ズボンだけではなく、長袖を着た方がいいように思うぐらいに寒さがある。先日までは夏を感じさせる日々があったが、そこから一気に季節のフェーズが変わったようである。相転移を起こした新たな季節の中にいる感覚がする。


午前中の読書は捗り、4冊目の書籍を読み終えようとしている。ニック·ランドの書籍を2冊読み、スラヴォイ·ジジェクが編集を担当している論文集を読み終えた。最近は特に、目にする書籍の内容が必ずどこかでリンクしているのを感じ、それを通じて自分の関心が鮮明になり、特定トピックに対する理解がより高まっているように感じる。


書籍の初読においては精読をするというよりも、タイトルと副題を読み、章立てやサブチャプターを中心に目を通す。サブ·サブチャプターがある場合にはそれらを読んでいき、大きなカテゴリーを自分の頭の中に作ることが初読の際の目的だ。それは引き出しを作る作業であり、引き出しの中に内容物を入れていくのは再読の時である。このようにしてペンキを何度も塗っていくような形で書物の内容を血肉化させていく。小室直樹先生が、「良い書物は100回読みなさい」と述べていたことを思い出す。初読の副次的な目的は、その書籍が100回読むに値するかを見極めることにもある。書籍の購入段階ですでに吟味は済んでいるが、そこから実際に手元に届いて読み進めることによって初めて、それが本当に繰り返し何度も読むに値する本なのかどうかがわかる。購入した書籍はどれも少なくとも2回は読むが、5回以上の再読に足る本はそれほど多くない。そうした書籍と出会えたら幸運であり、そうした書籍を見つけるのが読書の楽しみでもある。午後からも引き続き読書に勤しみ、良き書物との出会いを楽しみにしたい。フローニンゲン:2022/8/27(土)11:44


8996. イスラム世界への関心の高まり


時刻は午後4時を迎えた。朝からつい先ほどまでずっと読書をしていた。このところは本当に読書三昧である。その生活を支えるものとしてジークンドーと箏の稽古がある。この日記を書き終えたら箏の稽古をしよう。


今日の読書を通じて、神道の精神とプロテスタントの精神を比較する研究に向けて準備をしていこうと思った。プロテスタントの精神は資本主義の形成に多大な影響を与えており、プロテスタントと神道の精神の比較を通じて、本型の資本主義の性質を解き明かしていきたいと思う。


このところは関心がヨーロッパや日本だけではなく、イスラム世界にも開かれつつある。もともとの予定では来月にアイスランドやアイルランドに行ってみようと思っていたが、最近はほぼ毎月ヨーロッパ諸国のどこかの国に旅行に出かけており、そのせいか、ヨーロッパを旅行することに関して満腹感が生まれていることに気づく。一方で、これまでイスラム圏のどこにも旅行に出かけておらず、そうした国々へ旅行に出かけることへは渇望感がある。


小室直樹先生が指摘するように。イスラム世界がなければ近代ヨーロッパの発展はなかったことを鑑みると、尚更にイスラム世界へ関心が高まる。詩人のルーミーや井筒俊彦先生の影響もあって、これまでイスラムに関心が全くなかったわけではない。イスラム圏と言うとどこか危険な印象を勝手に持ちがちだが、そうした偏見を脇に置いて、どの国が危険でどの国が危険でないのかを一度調べてみることにする。イスラム圏への観光初心者としては、アラブ首長国連邦から初めてみるのがいいだろうか。フローニンゲン大学に所属していたときに、ある教授がUAEに旅行に出かけ、旅行話を色々と聞かせてもらったことが懐かしく、その話を聞く限りだと、UAEは首都のアブダビを含め、ドバイなどの治安は良く、そうした街にまずは訪れてみたいと思う。UAEは、アメリカよりも治安が良く、日本と同程度だという話も聞くぐらいである。調べてみると、イスラム圏で治安が良い国は、UAE以外だと、イラクやシリアの国境沿いを除くトルコ、そしてカタールとのことであり、その他は日本よりも治安が劣るとのことである。オランダからUAEには直行便があるので、オランダにいる間に一度UAEには足を運んだみたい。特に、アブダビにあるパリのルーヴル美術館の分館である「ルーヴル·アブダビ」や、世界で一番豪華絢爛なモスクと言われる「グランド·モスク」に足を運んでみたいと思う。フローニンゲン:2022/8/27(土)16:20


8997. 箏の稽古(13):種々の発見と外部身体化


時刻は午後5時を迎えた。今日は集中力を高く保って箏の稽古ができた。長時間だらだらと稽古をするのではなく、高い集中力を持って稽古をすることを大切にする。武術と同じく、だらけた状態でいくら稽古をしても技術の向上は見込めず、むしろ集中力を欠いた状態で変な癖が体に染み込んでは元も子もない。ある種瞑想をしているかのような意識状態と心の平穏さを維持しながら日々の稽古に励みたいとものだ。


さて、今日の稽古は「さくら」の演奏からスタートさせることにした。何度か一通りこの曲を繰り返して演奏した。その中で、薬指で弦を支えることによって、音が安定して出せるようになってきた。また小指は龍角あたりに置いておくと安定した音が出しやすい。そうした支えがないと爪が滑ってしまって、他の弦に滑り込んで音が鳴ってしまうこれまでよくあった。特にオクターブの合わせ爪の際にはそのような支えがとても大切になることを発見した。やはり合わせ爪は今の自分にとって鬼門であり、なかなか同時に2つの音を鳴らすことが難しい。原因の特定と改善案を考える際には、科学者のマインドが自然と働く。そこで発見したのは、次の弦で爪をしっかり止める意識を持つことと、爪を当てる角度が重要であることに気づいた。爪を当てる角度に気をつけると言うのは、その時の指の形に気をつけることでもある。こうした発見を自分なりにして、音が同時にうまく鳴らせる頻度が高まってきた。このあたりの発見は自分で見出したものなので、合わせ爪のコツについては今度のレッスンで先生に尋ねてみようと思う。


午前中にテクノロジー哲学者のバーナード·スティグラーの論考集を読んでいると、この間紙で作った箏は、外部身体化としてのツールであることに気づいた。そのツールは身体の延長として機能しており、逆に言えば身体はそのツールそのものであるとも言える。つまり、自分の指が自分の身体の一部であるのと同じく、紙で作った箏もまた自分の身体の一部なのだ。このように物理身体と身体意識が拡張されることを発見した。結局のところ、演奏技術の向上とは、外部身体化した身体操作と身体意識の精妙化が実現されることを言うのだ。


その他にも、箏では「調子」という言葉があり、曲によって調子を変えるだけではなく、その日の気分によって、まさにその日の心身の調子によって箏の調子を変えていくのも面白いかもしれないということを考えていた。今日もまた色々と気づきの多い稽古であった。フローニンゲン:2022/8/27(土)17:25

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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