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8949-8956: フローニンゲンからの便り 2022年8月20日(土)



No.3935 テクノシステム_Technosystem


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1725, Ripples of Morning Light

Ripples of morning light expand to the edge of the world.

They would return to us from there.

Groningen; 08:00, 8/20/2022


No.1726, X

I’m being as X in the world.

X stands for a situation at the moment.

X can be the world.

Groningen; 14:11, 8/20/2022


No.1727, Cyborganization

Not only we are all cyborgs but also this reality is a gigantic cyborg.

Cyborganization is omnipresent.

Groningen; 14:28, 8/20/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(3つ)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

8949. 今朝方の夢

8950. 新たな本を読むという旅を優先させて

8951. さらに追加で28冊の学術書を購入して

8952. サイボーグと化す人間・サイボーグと化すリアリティ

8953. テクノロジーによる文法化

8954. パレート改善・マキシミン原理とベーシックインカム

8955. 「神道の倫理と資本主義の精神」に関する研究に向けて

8956. 箏の楽譜を眺めながら気づいたこと


8949. 今朝方の夢


時刻は午前6時半を迎えようとしている。今日から週末が始まった。土曜日の朝は静寂に包まれていて、遠くの空に朝焼けが見え始めている。空には少し雲があるが、今日は1日を通して天気が良いようだ。昨夜、箏のお試しレッスンの問い合わせをした。日本時間の17時以降からの時間帯で教えてもらえれば有り難いということを伝え、先生の都合が合えばとても嬉しい。さて、箏においてはどのような師匠を持つことになるだろうか。


今朝方は2つほど夢を見ていた。最初の夢の中で私は、以前からお世話になっている編集者の方とメールでやり取りをしていた。ちょうど先日送った書籍の原稿に対して、コメントをくださったのである。メールを開けてみると、コメントは大変肯定的であり、原稿を出版しようと明記していなかったが、出版することに前向きであることが伝わった。その方は、今取り掛かっている原稿があるらしく、その編集は梅雨に入るタイミングで落ち着くだろうということだった。私の原稿へのコメントの中で、未訳の書籍を多数参照していることを褒めてくださり、そうした文献を紹介することそのものに文献的価値があるともおっしゃってくれていた。メールを読み終えた後、近くにいた両親に書籍の出版に向けて一歩前進したことを伝えると、2人も嬉しそうにしていた。


次の夢の場面では、私は見慣れないカフェにいた。左隣には父と同じぐらいの年齢の同じ大学を卒業した先輩がいた。その方と雑談をして楽しんでいると、1人の若者が店に入ってきて、自分が座っている場所から見えるぐらいの席に座った。私はもう一杯コーヒーを注文しようと席を立ち、彼の前を通る際に彼に声を掛けた。彼には思わず声を掛けてみたくなる不思議な魅力があった。彼に話しかけてみると、彼はとても好青年であり、すぐにお互いに打ち解けた。私は彼の横に座り、彼の話を聞くことにした。彼はどうやら近くの大学に通っているらしく、そのカフェの近くには自分が卒業した大学があるので、もしかしたら同じ大学かもしれないと思った。しかし私はそれを直接尋ねることはせず、とにかく彼の話を聞いてみることにした。彼は今就職活動をしているとのことであり、コンサルティング業界に関心を持っているとのことだった。しばらく彼の就職相談に乗っていると、彼が自分が通っている大学名をふと口に出し、やはり同じ大学出身だということがわかり、嬉しくなった。彼には自分はその大学の卒業生であることを伝え、あそこに座っている年上の男性もまた大学の卒業生であることを伝えた。そこからは同じ大学出身者であるという仲間意識からより話が進み、とても楽しい時間を過ごしていた。今朝方はそのような夢を見ていた。フローニンゲン:2022/8/20(土)06:39


8950. 新たな本を読むという旅を優先させて


今朝方はとても肌寒く、いよいよ秋に入ったという感じがする。先週まではまだ暑い日が続いていたが、それが去り、朝夕はとにかく涼しくなってきている。昨夜時間があったので、アイスランドとアイルランドの旅行に関して旅程を立てていた。まず気づいたのは、レイキャビクとダブリンを行き来するフライトが思った以上になく、不便であるということだった。2つの都市は地理的には近いのだが、直行便の数が少なく、また価格も意外と高くて驚いた。なので今回はレイキャビクに行くかダブリンに行くか、片方だけを訪れようとまず思った。そこからまずレイキャビクについて色々と調べ、足を運んでみたい美術館や博物館が結構見つかった。しかし、レイキャビク市内のホテルの価格が相当に高騰していて、調べてみたら、どうやらレイキャビクの不動産価格が高騰していることは社会問題になっているようだった。富裕層が賃貸料を大きく引き上げ、若者が家やアパートを借りれないような状態が続いているという国内問題があるようだった。その問題を知り、ダブリンについて調べてみると、そちらのホテルはいつも泊まっているような価格であり、ダブリン市内にもいくつかの美術館と博物館を見つけたが、どうも旅に向けて気乗りしないものがあった。先日嶋内さんと一緒にオランダの国内旅行をしたばかりであり、再来月の10月には初旬に日本に一時帰国することもあって、今回は旅を見送ろうかと思った。その代わりに、読書に多くの時間を充てたいという思いが芽生えた。先日注文した215冊ほどの書籍が続々と到着している中において、旅に出かけていくよりも、それらの書籍を読みたいという気持ちが増している。新しい書籍を読むことは、どこか新しい場所に出かけていくことに近い。新たに本を読むことは旅に出かけることだったのである。そのような思いが到来したので、9月は旅に出かけることをせず、自分の探究に集中したいと思う。今日は、9月に予定していた旅の予約をするのではなく、午後に時間を取って、日本の一時帰国中のホテルの予約をしておこうと思う。フローニンゲン:2022/8/20(土)07:04


8951. さらに追加で28冊の学術書を購入して


気がつけば正午を迎えていた。今日は早朝に、野菜と花に水をあげ、隣人のサハルが育てているトマトをもらって1つ食べた。いつもトマトには有機塩を少々振って食べているが、今日はそのまま食べたところ、スーパーで売られているオーガニックのトマト以上に美味しいことに改めて驚いた。サハルがフランスに出かけている間に野菜や花の世話をする約束をしていて、その代わりにトマトをもらっていいとのことであり、この間も何度かトマトをもらって食べたのだが、毎回美味しさを感じる。トマトの果肉に愛情が詰まっているために美味しさが増しているのだろう。


今朝方の日記で書き留めたように、結局、アイスランドとアイルランドに行くことはやめにした。その代わりに、今日は追加で28冊の学術書を購入した。一応これで今月の一括注文は終わりにしようと思うが、今のところ合計で250冊ほどの学術書を注文したことにある。今は毎日3冊から6冊ぐらいの書籍を読んでいて、それくらいのペースで届けられた書籍の初読をどんどんと進めている。既に何冊か何度も読み返したいと思う書籍と出会うことができており、一括注文をして良かっと既に思っている。先ほど購入した書籍として、スロヴェニアの精神分析学者でスラヴォイ·ジジェクも評価するアレンカ·ズパンチッチ(Alenka Zupančič )の書籍が数冊ある。また、フランスの人類学者ダン·スパーバー(Dan Sperber)やフランスの社会学者·人類学者ブルーノ·ラトゥアー(Bruno Latour)の書籍も数冊購入した。さらには、イタリアの哲学者ジョージョ·アガンベンの20年の仕事が一冊にまとめられたThe Omnibus: Homo Sacer (2017)も購入した。こちらは1000ページを超す大著なので、相当に読み応えがありそうである。それらの思想家の書籍に加えて、テクノロジー哲学者のアンドリュー·フィーンバーグがよく言及しているアメリカのテクノロジー哲学者のドン·アイディの書籍も何冊か追加購入した。購入した書籍は下記の通りであり、それらもまたこの秋から冬にかけての、そしてそれ以降における自分の肥やしになるだろう。


1. Big Picture Perspectives on Planetary Flourishing: Metatheory for the Anthropocene

2. Why Psychoanalysis?

3. Objective Fictions: Philosophy, Psychoanalysis, Marxism

4. Subject Lessons: Hegel, Lacan, and the Future of Materialism

5. Rethinking Symbolism

6. Explaining Culture: A Naturalistic Approach

7. Meaning and Relevance

8. Aramis, or the Love of Technology

9. Politics of nature: how to bring the sciences into democracy

10. Making Things Public: Atmospheres of Democracy

11. On the Modern Cult of the Factish Gods

12. An Inquiry into Modes of Existence: An Anthropology of the Moderns

13. The Omnibus: Homo Sacer

14. The Stack: On Software and Sovereignty

15. The Revenge of the Real

16. Marxism After Modernity: Politics, Technology and Social Transformation

17. Embodied Technics

18. Acoustic Technics

19. Husserl's Missing Technologies

20. Medical Technics

21. Ironic Technics

22. Agonistics: Thinking The World Politically

23. Technology: Critical History of a Concept

24. The Evolution of Technology

25. Zig Zag Zen: Buddhism and Psychedelics

26. The Ethics of AI and Robotics: A Buddhist Viewpoint

27. Reading Marx in the Information Age: A Media and Communication Studies Perspective on Capital Volume 1

28. Restructuring Capitalism: Materialism and Spiritualism in Business

フローニンゲン:2022/8/20(土)12:20


8952. サイボーグと化す人間・サイボーグと化すリアリティ


今から本日5冊目の書籍の初読を始める。先ほど、28冊の学術書を追加購入し、この夏は合計で250冊ほどの学術書を一気に購入したわけだが、それらの書籍は様々な分野にまたがっていながらも、どこかそれらには共通軸があるように思える。自分を1つのダイナミックシステムと見立てた場合、関心事項もまたダイナミックシステムとして存在し、選択された書籍はシステムの特徴を浮かび上がらせる。それらの書籍の全てが自分の関心を引いていたから購入したのであって、それらが一見すると全く異なる分野であったとしても、自分の中にある共通基盤の存在が見えてくる。そのようなことを考えながら、書物というものがデバイス的な働きをするという意味でテクノロジーであることに気づいた。書物という外部の存在が自分に刺激をもたらし、それは思考を刺激し、新たな考えを生むという点において、書物はテクノロジーとして機能しているのだ。


ジル·ドゥルーズが指摘するように、いかなるテクノロジーも技術的である以前に社会的なのである。テクノロジーを取り巻く社会的な要因や構造を分析することにますます関心が向かう。人間がテクノロジーを発明することの裏返しとして、テクノロジーが人間を再発明していく点も見逃せない。


そのようなことを考えながら、上述の書籍のように、今自分が着ている服もかけているメガネもテクノロジーであるし、このようにしてパソコンを打って文字を書いていることもテクノロジーのおかげであり、絶えずテクノロジーと自己は関係性を持っていて、それと同化してることがわかる。科学技術哲学者のドナ·ハラウェイがかつて、「私たちはみんなサイボーグである」と主張したことを思い出す。ハラウェイによる「サイボーグ宣言」が出されたのは、ちょうど自分が生まれた頃である。そこからテクノロジーは進歩の歩みを止めることはなく、むしろ加速させ、今となってこのリアリティにそれは遍満している。人間がサイボーグと同化しただけではなく、リアリティがサイボーグと化したのではないかろうか。そんなことを思わせるリアリティの中で、引き続きテクノロジーに関する探究をしていこう。フローニンゲン:2022/8/20(土)14:25


8953. テクノロジーによる文法化


マルクスの資本の内在性質に関する分析を辿っていると、今の自分の関心事項がテクノロジーに立脚されている部分が多分にあるため、マルクスがテクノロジーと資本主義の関係を紐解いていることがより鮮明に見えてくる。マルクスはテクノロジー哲学者としての側面もあったのだ。


データに関する課税についての論考を読んでいると、データというものがもはや電気や水道のような形で広く社会で活用されているにもかかわらず、ビッグデータを持っている企業への課税が何もないことへ問題意識を持つ。データへの課税の問題に加えて、データの公共性とその公共的活用についても考察を深めていこう。このテーマもまたテクノロジー哲学や資本主義批判と関係するものである。


先ほど、着ている服やメガネ、そしてパソコンや書籍もまたテクノロジーであり、それが自分の生活を通じて絶えず自己と同一化している点において、自己の存在がサイボーグ化している点について書き留めていた。そこから、そうした同一化を通じて、自分の知覚や言動が特殊な形で構造化されていることに気づいた。テクノロジー哲学者のドン·アイディは、テクノロジーを通じた聴覚の構造化がなされていることを音楽テクノロジーの歴史を通じて明らかにしている。また、テクノロジー哲学者のスティグラーは、感覚器官や身振り手振りというものがテクノロジーを通じて「文法化(grammatization)」されることを指摘している。文法化は個人の行動や知覚を構造化させるだけではなく、人と人との関係性もまた文法化させる。これから日々の観察として、自分自身にどのような文法化がテクノロジーを通じて引き起こされているのかを観察していく。さらに、集合的にどのような文法化が生じているのかを分析していくことによって、テクノロジーを通じた治癒と変容の道を見出していくことができないかを考えていく。


それ以外にも、AIをマルクス主義的に活用していく道と、反マルクス主義的な形で、とりわけ「加速主義の父」と呼ばれるニック·ランドの加速主義的な形で活用していく道について考えていた。それら以外にも活用の道はあるが、あえて極端な道について考えていくことによって、いくつかの未来像が浮かび上がってくる。この未来像をより精緻なものにしていくことが当面の読書課題の1つとなるだろう。フローニンゲン:2022/8/20(土)15:14


8954. パレート改善・マキシミン原理とベーシックインカム


今、本日7冊目の書籍を読み進めている。それは厚生経済学に関するものだ。この書籍を読みながら、富裕層への課税と再配分に関して、パレート改善の観点から考えていた。パレート改善は、ある資源配分から別の資源配分に移行するに際して、社会において誰の状態も悪くならないことを条件にして、一部の人の状態が改善することを指す。巨万の富を持つ富裕層への課税率を上げたところで、富裕層の資産は目減りするものの、彼らの暮らしぶりは本質的に変わらず、悪化はしないはずである。富裕層への課税と所得分配を通じて、貧困層の状態が改善されることは、社会の安定化を含め、実際には富裕層を含めた多くの人の恩恵につながることを考えてみると、厚生経済学的な観点だけで見てみれば、富裕層への課税を強化するというのは、格差の解消と社会の安定化のための至極当たり前で、実効性がある施策のように思える。ところが、実際にはそのような施策へ富裕層の大部分は強硬に反対しており、こうした施策が実現されていないことを見ると、学問的に効果的だと思える処方箋が直ちに社会に実装されえない難しさを見る。そのようなことを考えながら、ベーシックインカム制度とパレート改善及びパレート最適の概念を接続させながら、さらに考察を深めていこうと思う。そもそも大半の富裕層の、いや現代人の大半の道徳心が腐敗している問題をなんとかしなければ、こうした厚生経済学的な処方箋は実現に程遠いことを肝に銘じておこう。


消費に取り憑かれた一部の人を除き、大抵の人はある程度の物質的豊かさを享受したら、それ以上の物質的豊かさを求めないのではないか、というのは自分の個人的な生活の送り方に強く依存した仮説だろうか。その仮説を置くならば、世間で言われる格差の解消という路線ではなく、むしろ格差の絶対額は拡大させてもいいので、その代わりに再配分を行うための税制改善やベーシックインカムの導入をして、所得の最底辺や底辺の人たちを押し上げるような路線が一番現実的なように思えてくる。それは、ジョン·ロールズが述べるように、最も不遇を被っている人の状態を可能な限り高めるという「マキシミン原理(maximin principle)」に則ったものである。現在の資本主義においては、利子を享受できる人の富が指数関数的に増えていく仕組みになっており、利子を享受できない人たちとの格差は不可避に拡大することを考えてみると、利子へ介入する道もありながらも、仮に利子を取り巻く仕組みに介入しないのならば、マキシミン原理に則って、富める者はさらに冨みながらも、社会の下層の人たちの所得を押し上げる仕組みを導入することが重要に思える。そのようなことをぼんやりと考えていた。フローニンゲン:2022/8/20(土)16:13


8955. 「神道の倫理と資本主義の精神」に関する研究に向けて


無意識に身を委ね、その瞬間に思い浮かぶ雑多なことを考えながら、また次のトピックに移って考えるということを好む自分がいる。自分はあまり1つのことに長く集中して留まって考えることができないようなのだ。特徴として拡散思考が挙げられ、その時々に思いつく事柄を取り止めもなく考えていき、少しずつ考えを深めていくことが自分なりの歩み方なのだろう。


これまでは資本主義を幾分悪者とみなして探究するような気づかぬ認知バイアスがあったように思うが、その在り方を是正しようと思う。というのも、資本主義は悪者にされればされるだけ、形を変え、その影響力を増していくという悪魔的な性質を持っているからである。資本主義の多様な形態とその影響力の拡張プロセスを辿っていると、資本主義を悪者にして議論を出発することは、百害あって一利なしに思えてきたのである。ここからは資本主義に対してはより客観的な眼差しで捉え、その内在性質として何が問題で、何が病理を患っているのかに焦点を当てるようにしていく。


寺西重朗先生が、マックス·ウェーバーのアプローチを参考にして、鎌倉仏教の精神に遡り、日本固有の資本主義的精神を見出したように、神道の精神に遡って日本固有の資本主義的精神を見出せないだろうかと考えている。確かに仏教は日本人の規範意識を形成し、文化的な規範を形成しているが、神道におけるそれらもまた無視できないものではないかと思う。神学大学院で最初に着手したいテーマとして、ウェーバーと寺西先生の論理を参考にして、「神道の倫理と資本主義の精神」という論文の執筆に向けて研究を進めたい。その研究に向けて、神道に関しては川面凡児の全集を丁寧に読み進め、寺西先生の『日本型資本主義:その精神の源』『日本資本主義経済史:文化と制度』『経済行動と宗教:日本経済システムの誕生』の3冊は、熟読·精読していきたいと思う。フローニンゲン:2022/8/20(土)17:26


8956. 箏の楽譜を眺めながら気づいたこと


今日は幸いにも、昨日問い合わせをさせていただいた箏の先生からメールの返信を受けた。先生のメールを読みながら、文化箏は単に一般的な箏の大きさだけを縮小させたもので、大きさ以外の違いはないと思っていたが、どうやら違うようだった。楽譜に関しても違うというご指摘を受け、気が早いがいくつか購入していた書籍を改めて眺めてみると、漢数字が縦に並んでいる楽譜と、算用数字が横に並んでいる楽譜があることに気づいた。即座に察したのは、おそらく一般的な箏が前者の楽譜を用い、文化箏は後者の楽譜を用いるのだろうということだった。表紙のタイトルに「文化箏」と記載されているものは、確かに算用数字が横に並ぶ形になっていて、文化箏という言葉のない楽譜は全て漢数字が縦に並んでいる。文化箏も一般的な箏も13弦で共通なのに、演奏上どのような違いがあるのだろうか気になる。購入した文化箏で箏の楽譜を用いて演奏することはできないのだろうか。色々と疑問が募る。いずれにせよ、近いうちにまた文化箏専用の楽譜を日本から取り寄せようと思う。今夜はまだ時間があるので、いくつか楽譜を吟味してみて、手持ちの文化箏用の楽譜を眺めたり、読書の続きをして就寝に向かいたい。箏について少しずつ理解を深めながら、少しずつ前に進んでいこうと思う。フローニンゲン:2022/8/20(土)20:40


【追記】

普段から日本語よりも英語を読むことの方が多い自分にとってみれば、縦書きの箏の楽譜よりも、横書きの文化箏の楽譜の方が読みやすいかもしれないという考えが降ってきた。確かに、どちらであっても演奏を続けていれば慣れるはずだが、普段の視点移動はやはり横に慣れたものなので、文化箏の楽譜の方が親しみやすいかもしれないという思いがある。いずれにせよ、まずは文化箏の楽譜から練習を始めていくので、別に心配はする必要ないが、視点移動が両者で異なることは興味深い。フローニンゲン:2022/8/22(月)12:36

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過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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