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8054-8060: フローニンゲンからの便り 2022年3月21日(月)



No.3421 神話の器_A Vessel of Myth


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.1367, Time to Be Alone

Have your time to be alone for a while in a day.

It will nourish your mind and soul.

Groningen; 08:06, 3/21/2022


No.1368, My Voices

I give my voices in a remote area in this world every day.

Yet, my voices will reverberate in the whole world someday.

Groningen; 13:06, 3/21/2022


No.1369, For the Unity in Gratitude and Purity

I just study for the unity in gratitude and purity.

I just practice for the unity in gratitude and purity.

I just pray for the unity in gratitude and purity.

Groningen; 15:44, 3/21/2022


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

8054. 中世日本における仏教と神道の相互関係/分断と共生

8055. TOEFLの試験本番に向けて

8056. 今朝方の夢

8057. ナラティブの修復に向けて

8058. 心境一体の感覚の醸成と歴史の大切さ

8059. 古神道の実践「振魂」との再会

8060. ひょんなことからヨーテボリを訪れることに


8054. 中世日本における仏教と神道の相互関係/分断と共生


時刻は午前6時半を迎えた。辺りはうっすらと明るくなっていて、朝焼けが見え始めるのも間も無くである。


新たな週を迎え、いよいよ今週末にTOEFLの試験がある。試験は土曜日の朝であり、試験に向けた対策は非常に仕上がりが良く、試験まで最終調整を図っていこうと思う。


今回はアムステルダム市内の会場近くのホテルに前泊することにしており、出発は金曜日の朝なので、もちろんホテルでも最後の調整としての対策はできるが、木曜日までできる限りのことをしておきたいと思う。具体的には、もう一度本番を想定して、ETSのウェブサイトから模擬試験の問題を解いておきたい。


これは対策を始めた1ヶ月前にすでに解いたことのあるものだが、本番と同じインターフェースに慣れるため、それを再度解いておきたいと思う。まずはそれを優先させ、それでもまだ時間的に余裕があれば新しい問題を解いていこうと思う。


今日はまずはリスニングの問題を2題ほど解こうと思う。そして、スピーキングに関してはまだ模擬試験の問題を解くのではなく、それは明日にし、今日は新しい問題のセットを解く。


今週はTOEFLがあるので、ジムに行くのは月水金ではなく、火木にしようと思う。そうすれば、出発前日にサウナで寛ぐことができる。


昨夜、中世日本における仏教と神道の相互関係に関心を持った。なにせ仏教は中世の時代に、特に鎌倉時代に隆盛を極め、神道に多大な影響を与えたのである。また、神道の方でも中世には大きな動きがあり、両者がどのような影響を相互に与え、両者にどのような変化が見られたのかを比較研究したいと思ったのである。


この研究のテーマには、もちろん神仏習合という概念が絡んでくる。ちょうどそれに関する書籍を昨日読んでいたことも影響して、上記のようなテーマに関心を持ったのかもしれない。


今は不思議と中世に惹かれるものがある。国学が誕生するよりも前の、江戸時代という近世の前の時代に対する関心が強くある。その当時の人々の宗教観や死生観の本格的な研究に向けて、今着々と書物を読んでいる。


昨夜はその他にも、分断の時代について考えていた。共生を忘れ、分断してしまったこの世界。人と物との共生。人と自然や地球との共生。人と人との共生。多様な価値観の共生。そうした共生がこれほどまでに忘れられ、また必要とされる時代もないだろう。


そうした時代に対して遺憾な思いに包まれるが、自分にできることは種々の次元の共生の実現に向けて研究と実践を積み重ねてくことである。それが次世代の共生の実現につながることを願って自分の取り組みに励むまでだ。


共生と上記の神仏習合は重なるテーマのように見える。日本において、神道と仏教はうまく共生してきた。もちろん、神仏分離や廃仏毀釈によって仏教の存在が脅かされる時代もあったが、長い歴史の中で、両者は共にうまく共生していたのである。


両者がどのように共生を図っていたのかを研究することを通じて、この時代が抱える分断の問題に少しでも光を差すことができたらと思う。昨夜はそのようなことを考えていた。フローニンゲン:2022/3/21(月)06:54


8055. TOEFLの試験本番に向けて


時刻は間も無く午前7時を迎える。今、遠くの空に朝焼けが見え始めた。薄桃色の朝焼けがゆっくりと地平線から顔を覗かせようとしている。


今日も幸いにも雲ひとつない快晴に恵まれるようなので、朝と正午過ぎの日光浴を存分に楽しもうと思う。毎日ほどよく日光を浴びることで、心身の状態がさらに良くなっているのを感じる。


今日は日中には15度を超えるぐらいに暖かくなるようだ。朝と夜はまだまだ寒く、この時間帯は自動でヒーターが入っている状態だが、日中の雰囲気は春のそれになりつつある。


今週末にはいよいよ待ちに待ったTOEFLの試験がある。試験そのものが楽しみなのは間違いない。これまで対策してきたことがどれだけ発揮できるのか。リラックスした状態で試験を受ければ、これまでの取り組みの成果をきっと出すことができるだろう。


神学大学院に出願するためのスコアは全く気にしていない。出願に求められる100点というスコアは今となっては対策することなく容易に取れる点数であり、重要なことは自分がこの1ヶ月対策して身につけてきたことがきちんと試験の中で発揮できるかということである。


自分にとっては、ミクロな成長を確認する場が今回の試験なのである。また、試験会場と普段対策をしている自宅とでは当然ながら環境が異なるので、環境が異なってもどれだけ普段通りのパフォーマンスが発揮できるのかに興味がある。


それを実現するためにはリラックスすることが兎にも角にも重要であり、それはこれまでマーシャルアーツの鍛錬を通じて取り組んできたことでもある。マーシャルアーツの中では、呼吸が上がり、心理的にも圧力がある中でいかにリラックスできるかを試される。そうした試練に晒されながらこれまで鍛錬をしてきたので、今回の試験においてはそうした鍛錬の成果もうまく発揮されて欲しいと思う。


今回は試験会場のすぐ近くのホテルに宿泊し、試験は午前10時からの開始なので、試験当日の朝は余裕がある。いつものように朝は動的ストレッチをして体をほぐし、そこからスピーキングの過去の自分の回答例を音読して、脳を活性化させておく。


スピーキングに関しては、ひょっとしたら本番と同じく1セット問題を解いておくことも良いかもしれない。新制度になってスピーキングはわずか4問であり、20分弱でセクションが終わるので、それであれば本番に向けた最後の調整として1セット問題を解いておくと良い準備運動になるのではないかと思う。その他のセクションについては問題を解くことはせず、本番に向けて脳を休める。


いずれにせよ、最後の最後まで微細な調整を図り、本番では寛いだ状態で、脳が一番働きやすい状態の中で問題を解いていければと思う。うまくゾーンに入ることができれば最高である。フローニンゲン:2022/3/21(月)07:08

8056. 今朝方の夢


時刻は午前8時を迎えた。今、朝日が燦々と輝き始めた。もう少しで洗濯機が止まると思うので、洗濯物を干そう。


今日はまだ今朝方の夢について振り返っていなかった。夢告としての夢をいつものように書き留めておきたい。夢が何を語り、何を自分に告げているのか。その声につぶさに耳を傾けよう。


夢の中で私は、宗教とマーシャルアーツに関する講義をしていた。宗教に関しては主に神道と仏教を取り上げ、マーシャルアーツに関しては日本の古流武術について解説し、実演としては自分が取り組んでいるジークンドーの動きを見せた。


ジークンドーの創始者であるブルース·リーは哲学や宗教に造詣が深かったが、おそらく神道についてはあまり探究をしていなかったように思える。しかし、ブルース·リーの言葉に耳を傾けてみると、神道的な精神もそこに汲み取ることができ、技の中にも神道的な発想で説明ができるものがいくつかあることを紹介した。


ジークンドーの技の背後にある思想的なものを紹介すると、受講者は大いに関心を示し、1つ1つの技を思想が詰まった芸術作品のように思ってくれるようになり、説明をした私としてはそれが嬉しかった。


受講者は全員外国人だったので、講義は全て英語で行い、その場での意見交換もお互いに活発に英語で行った。英語はもはや普遍語になっているが、マーシャルアーツの身体操作もまた普遍的なものであることを実感していた。


国籍を問わず、鍛錬をすれば誰でもそれを体現できるのだ。そして、普遍的なところから今度は個人の表現として固有性が滲み出てくる。


その個人が持つ固有の身体、心、魂、精神の全てが顕現するのがマーシャルアーツの醍醐味である。また、それを鍛錬して磨き上げていくのがマーシャルアーツだ。そのようなメッセージも彼らに投げかけていた。


そう言えば、この講義はもう1人見知らぬ日本人男性と一緒に行っていた。その男性がどのような講義を行なったのかはわからない。彼と協働して、息を止めながらマーシャルアーツの特定の動きを行う場面があったことを覚えている。フローニンゲン:2022/3/21(月)08:24


8057. ナラティブの修復に向けて


近現代の思想的状況を俯瞰的に眺めると、地球環境を配慮しない極度に進歩的な発想と脆弱な霊性思想が横たわっているように思えて仕方ない。また、私たちが歴史を学ぶときには、そうした過度に進歩的な歴史観や去勢された霊性観に毒された形で歴史を学ぶことになり、地球環境を顧慮しない物語にいとも簡単に取り込まれてしまい、同時にそうした物語を自らの活動を通じて強化してしまう。


歪んだ歴史観と霊性観に基づいた歴史のナラティブの中で私たちは、またそうしたナラティブを自己強化することに加担してしまっているのではないだろうか。自分の研究と実践は、そうしたナラティブの自己強化を食い止め、ナラティブ自体を修復していくことを目指さなければならない。


歪んだ進歩的な歴史観と霊性を蔑ろにする姿勢の矯正。それは第一に考えていかなければならないことである。


そのようなことを考えていた後に、神道関係書の和書と洋書をそれぞれ1冊ずつ読んでいた。今日は午後からも同様に、神道関係の和書と洋書を読み進めていこう。


神道の書籍を読んでいると、自分がどれほどまでに神道というものを知らなかったのかを知る。また、日本で普及した仏教の性質やその歴史についても随分と無知であったことを知る。


そこから、神道と仏教という切り口を通じて日本の歴史を学び直すことを自らに課していると、それは自らを再編成するということにつながっていることがわかる。自己は日本の歴史と深く結びついていて、日本の歴史を知らないというのはすなわち、自己の深層を知らないということだったのだ。


それゆえに、日本の歴史を紐解いていくことを通じて、自己が編み直されていくのがわかる。自分にとっての歴史学習というのはそうした実存的意味と霊的意味を持っていたのだ。


これからの日々は少しずつでいいので、神道と仏教を通じて日本の歴史を学んでいき、自己発見と自己再編に努めたい。フローニンゲン:2022/3/21(月)11:18


8058. 心境一体の感覚の醸成と歴史の大切さ


時刻は午後5時にゆっくりと近づいている。今日も晴天に恵まれ、朝と正午過ぎの日光浴はとても気持ちよかった。


今日も整った心で探究と実践を行っていた。そのときにふと、声を形にし、声を発し続けることの重要性について改めて思った。


世界の辺境の片隅でこのようにして毎日自分が発する声が、いつか世界中に響き渡る日が来ることを願いながら、毎日絶えず声を形にし、声を発し続けていく意思を改めて強固なものにした。


柔軟かつ堅牢な意思の力に基づいて継続していく探究と実践の先に何が待っていて、何が実現されるのかはわからないが、ぼんやりと見えていること、感じていることがあるのは確かだ。それはきっと、しかるべき形でしかるべきタイミングで形になるだろう。


心と環境は一体であるという「心境一体」の感覚。この感覚が欠如していることは、自然環境の破壊の容認を招くことにつながりうるのではないだろうか。


多くの人々にはきっとこの感覚が希薄なのである。だから自らを取り巻く環境に関心が持てないのだ。


ここで述べている環境とは、当然ながら生活を営む物理的な環境を含むが、それだけではない。政治や経済を含めた目には見えない環境も含まれる。さらには、宗教的·文化的な環境も含まれるのだ。心境一体の精神を持って自己を取り巻くそうした諸々の環境に意識を向け、その治癒・美化・変容に努めていくことは自分の役割の一つであると再認識する。


心境一体の精神が芽生えてくると、自己を取り巻く環境への意識が強まってくるがゆえに、環境が持つ歴史に関心を持つのではないかと思う。自己が環境と一体であり、環境によって育まれることを思うと、それはしかるべくして起こることだろう。


物理的かつ文化的な環境がどのように育まれていったのかの歴史を辿ることによって、自己理解はさらに深まり、世界への関与の仕方も自ずと見えてくるのではないかと思う。自分にとって歴史を学ぶというのはそういう意味がありそうである。


自分の精神が立脚する日本の歴史に加え、物理的に生活拠点を置いているオランダやヨーロッパの歴史を辿ることの重要性が浮かび上がってくる。またそもそも、自分が存在しているこの地球の歴史や宇宙の歴史を学ぶことの必要性も見えてくる。ここからはそうした諸々の歴史についての探究も深めていきたい。フローニンゲン:2022/3/21(月)16:59


8059. 古神道の実践「振魂」との再会


午後に神道関係の書籍を読み進める中で、改めて神道の実践技法に関心を持った。精神修練法及び霊魂涵養法の一つとして「振魂(ふりたま)」という実践がある。


振魂は古神道の技法なのだが、そう言えば、これはロサンゼルスで合気道を習っていたときに、準備運動として稽古の前に行われていたのをふと思い出した。そして、実際に当時のことを思い出しながら改めて実践をしてみたところ、なんだかとても気持ち良い感覚になった。


そこから振魂の方法について動画で調べ、合計して30分ぐらい実践をしていると、体が芯から温かくなっているのを感じた。振魂をする際には、全身を脱力して膝をうまく使って全身を揺すっていくのだが、この揺するという行為が全身の細胞を活性化せているようなのだ。


脱力しながら全身の細胞を活性化させている感じが強くあり、それは実際に体の奥からの熱にも現れている。振魂は、グロスの次元としては、重ねた手が揺する運動の中で下腹あたりに小刻みにぶつかり、それが腸への良い刺激を生む。そして、腸は内側からの振動と外からの刺激による振動によって活性化されていく。振魂のグロスの効果はまずそうしたものがある。


今度はサトル次元で言えば、それは兎にも角にも丹田を鍛えるという効果がある。へそ下三寸あたりで手を重ねて全身を揺することによって、そのサトル領域にある丹田が刺激され、活性化されていくのである。振魂のサトルの効果はそうしたものだろう。


丹田の開発と相まって、全身の細胞とエネルギーの活性化によって精神力や霊的な力が向上していくことも見逃せない効果かと思う。また、揺するという運動そのものが脳を寛がせ、脳波がリラックスした時に生み出されるα波になっていくのも感じられる。


振魂の実践は、ぜひ朝と夜寝る前には必ず行いたいと思った。朝に関しては、朝日を浴びながら日光浴をしている最中に行うのが最適である。夜は足つぼマッサージのマットの上に立って振魂をすれば、さらに効果的な実践になるような気がしているので、早速今夜実践してみようと思う。


その他にも最近は、ヨガマットの上で安楽座の姿勢で上半身をゆったりと揺らしながら読書していることに気づいた。ときに正座になったりしながら、とにかく椅子に座って読書することを極力避けている。


安楽座の姿勢で上半身を揺らすというのもまた、実は古神道のある流派の実践の中に見られるものだと本日知って驚いた。自分が何気なく気持ちいいからという理由で直感的に行っていたことが、実は古神道の実践につながっているものだと知って驚いたのである。


今夜もまた読書をする際には、安楽座や正座の姿勢で上半身をゆっくりと揺すったり、仙骨辺りを刺激するような小さな運動を加えてみようと思う。それは読書の邪魔にならないような形で、身体が気持ち良いから行う無意識的なものとして実践していく。フローニンゲン:2022/3/21(月)17:14


8060. ひょんなことからヨーテボリを訪れることに


先ほど、夕方の作曲実践を終えた。その際に、バッハのゴルトベルク変奏曲を参考にしていた。ゴルトベルク変奏曲はとにかく自分の魂に響く不思議な力を持っている。


自分はバッハの曲であれば大抵どれも好きなのだが、ゴルトベルク変奏曲には好きなものが多い。今後もゴルトベルク変奏曲を参考にして曲を作っていきたいと思うが、ひょっとしたらまだ過去に曲の原型モデルを作成していなかったものがあるかもしれない。原型モデルのリストを眺め、何か抜け漏れがないかを確認し、ゴルトベルク変奏曲の写譜を通じた原型モデルの作成をまたどこかのタイミングで行おうと思う。


先ほどメールを確認すると、長らく協働している方から連絡があった。実は、7月にひょんなことから、スウェーデンのヨーテボリ(Gothenburg)に旅行に出かけることになった。そんなきっかけを与えてくださったのが協働者のその方からのお声掛けだった。


その方の息子さんは、この夏にヨーテボリで行われるサッカーの国際大会に出場するらしく、その応援を兼ねてその方がヨーテボリに来られるので、ヨーテボリで会おうということになったのだ。


私も息子さんの試合を観戦したかったし、ヨーテボリはスウェーデン第二の都市であるから観光してみたいという気持ちが起こった。今から4年前にストックホルムに滞在し、その体験を通じて、スウェーデンには良い印象がある。今回は、ヨーテボリでの種々の出会いを楽しみたい。


今からおよそ6年ほど前にコペンハーゲンに旅行に出掛けた際には、フローニンゲンからバスと列車を乗り継いでコペンハーゲンに向かった。そこからオスロに向かう際にも高速バスを使い、それはそれで旅情があったが、移動時間を要することは確かなので、今回は飛行機を活用しようと思った。


調べてみると、アムステルダムからヨーテボリには直通のフライトがあり、KLMを使ってヨーテボリに行きたいと思う。フライトの時間はわずか1時間半とのこなので、ヨーテボリはとても近くに感じられる。


協働者のその方に声を掛けていただかなければひょっとしたらヨーテボリに足を運ぶことはなかったかもしれないので、こうした機会が訪れたことに感謝したいと思う。場所との出会いというのはひょんなことからもたらされるものだということを改めて思い知る。また日が近づいたらヨーテボリの観光場所を調べておきたいと思う。フローニンゲン:2022/3/21(月)17:49

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