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7342-7345: フローニンゲンからの便り 2021年9月20日(火)



No.2725 絵巻物_A Picture Scroll


本日の散文詩(prose poetry)& 自由詩(free verse)

No.915, Replete with Smiles

A gentle breeze is caressing the leaves of a tree.

The tree is smiling back to the breeze.

Nature is replete with smiles.

Groningen; 09:14, 9/20/2021


No.916, Creating Reality

For me, composing music is composing reality.

For me, drawing a picture is drawing reality.

For me, writing a diary is writing reality.

Every creative activity for me is connected to creating reality.

Groningen; 20:59, 9/20/2021


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(4つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日の3曲


全ての楽曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

楽曲の一部はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

7342. 今朝方の夢

7343. 今朝方の夢の続き

7344.「テクノロジー夢遊病者」/「テクノロジー強制主義」「テクノロジー決定主義」

7345. 家電量販店を訪れて/速度としての存在/運命としての土地


7342. 今朝方の夢


時刻は午前8時を迎えた。今、空にはうっすらとした雲が覆っている。ここから少しずつ雲が晴れていくようだ。


今日は夕方に、街の中心部の家電量販店に行き、歯科医に勧められた水圧の電動フロスを購入しに行こうと思う。それまでは今日は読書に励みたい。


今朝方の夢。今朝方は3つほど夢を見ていた。


夢の中で私は、大学時代に知り合った友人の家にいた。彼は中国系の日本人と結婚したようであり、奥さんはとても頭脳明晰とのことだった。


家に到着すると、その家が6階建ぐらいあり、とても立派なことに驚いた。こんな大きな家に2人で住んでいるというのは驚きであった。


家の中で2人と和気藹々と話をしていると、彼の奥さんがふと、奥さんの兄について言及した。何やら兄は、アメリカの工学系の名門大学院で博士号を取得し、テクノロジー会社を立ち上げて、今はとてもうまくいっているらしかった。今度その兄を紹介したいと笑顔で述べたので、私もぜひとお願いした。


そろそろ彼の家をお邪魔する時間となり、2人にそれを伝えると、地下1階に一緒に行こうということになった。どうして地下1階なのかと尋ねると、そこが駅と直結になっているからとのことだった。


地下1階に降りると、そこは本当に駅とつながっていて、コンビニもあった。私はそこで2人にお礼を述べて、駅の方に向かって行った。


次の夢の場面では、私は大学の授業に参加していた。私は1番前の列に座り、熱心に授業を聞いていた。それは何の授業だったかというと、確率の授業である。理科系の優秀な友人がこの授業に誘ってくれ、試しに参加してみた次第である。


最初は私も熱心に授業を聞いていたのだが、途中から問題があまりにも難しくなりすぎ、ついていけなくなってしまった。授業の冒頭部分で私がなぜ関心を持って授業を聞いていたかというと、ちょうどその日の朝に、ある物理学者2人が協働で、これまで未解決だった確率の問題を解いたことがニュースになっていたらしく、その授業を担当する先生のアシスタントの博士課程の学生が、その問題を板書し、解説をしてくれていたからだった。


その問題は、数学が専門ではない私には到底解けないような問題だったが、数学の専門家である博士課程の学生の解説を聞くと、ステップバイステップの説明だったのでついていくことができ、純粋な面白さを感じていた。


解説が終わると、そこからは先生の授業になった。先生はまだ若く、30代後半ぐらいであった。


先生の授業も最初のうちはわかりやすく感じたが、徐々に問題の難易度が上がってきて、自分の知らない定理や用語がで始めたので、そこからはもうついていくことができなくなった。


これは無理に板書をノートに書き写しても意味がないぞと思ったので、私はノートを取ることをやめ、この授業以外の板書を書き写したノートの他のページを読み返しながら時間をやり過ごすことにした。


先生が最後の問題の解答を書き終え、顔を上げると、数学記号がずらりと並んでいたことに少し圧倒されたが、答えの「2k-20」というのはどこかで見たような気がした。ノートをパラパラと見返して見ると、以前どこかで同じ問題を解いていたらしく、その答えと同じものを見つけた。


そこから私は、ノートに描かれた漫画をパラパラと読んでいた。熟読するというのではなく、漫画の絵をパラパラと眺めていたのである。


最後の問題を解答し終えた先生は、教師を徘徊し始めた。授業の最後の最後で、突然3名の名前が呼ばれ、その中に私が入っていた。


先生はどうして私の名前を知っているのか不思議であり、きっと同姓同名の別の人のことを呼んだのだろうと思った。すると先生がゆっくりと私の方にやってきて、私の肩を強めに叩いた。


先生は笑顔だったが、少し強い口調で、「わからない箇所があったら素直に聞いてくれればよかったのに」と述べた。先生は私が途中から授業を聞く振りをしてノートをパラパラと眺めているだけであることに気付いていたようなのだ。


私は先生に、気分を害してしまったことを謝り、今日の授業は友人に誘われて興味関心から聴講したに過ぎないことを伝えた。すると先生は、納得したような表情で、「そう言えば、以前君は僕の確率論概論の授業に参加してくれていたよね?」と笑顔で質問してきた。


それを尋ねられて私は、確かに以前先生の授業を履修していたことを思い出した。そこで私は、「ええ、先生の授業を昔履修させていただきました。単位を取得できたかは不明ですけど(笑)」と述べた。


すると先生は笑い、残りの時間は気楽に過ごしてくれと述べ、再び黒板の方に向かって歩いて行った。フローニンゲン:2021/9/20(月)08:36


7343. 今朝方の夢の続き


時刻は午前9時にゆっくりと近づいている。朝の冷たいそよ風が木々を撫でている。


今朝方見た3つのうち、2つを振り返っていたが、まだ最後の夢について振り返っていないことに気付いた。最後の夢も書き留めておこう。


夢の中で私は、ドイツのハンブルク駅構内にいた。そこは確かにハンブルク駅なのだが、実際のハンブルク駅よりも少し雰囲気が違っていた。


私はプラットホームの上にいて、オランダのフローニンゲンに戻るための列車に乗ろうとしていた。プラットホームには数多くの列車が止まっていて、どの列車に乗ればいいのか迷ってしまうほどだった。


私は急いで駅にやって来たので、列車の番号を確認しておらず、チケットもまだ購入していないような状態だった。携帯の地図のアプリに表示された列車の出発時刻を見ると、あと少しで出発するとのことであり、ちょうど目の前にそれと同じ出発時刻の列車が見えたので、それに乗ろうとしたが、果たしてその列車であっているのか不明であったし、まだチケットを購入していなかったので、その列車に乗ることをやめた。


そこで一度冷静になり、改めてプラットホーム番号と列車の番号を確認した。すると、次の列車が20分後ぐらいにやってくることがわかり、少し余裕が生まれた。


慌てずにチケットを購入しに行こうと、プラットホームをいったん離れ、チケット売り場に行こうとした。すると、先ほどまであったスーツケースが自分の手元から無くなっていて、どこに行ってしまったのかと思った。


そのため、チケット売り場に向かうための階段を再び降りてきて、プラットホームにもう一度降りてきた。その日のハンブルク駅は人が多く、プラットホームもかなりの人で埋まっていた。


スーツケースを探せど、一向にそれが見つからなかった。そのため、私はまたチケット売り場の方に引き返していくことにした。


すると突然、自分のスーツケースらしきものを持っている人を見つけた。私はすぐさまその人を追いかけ、彼に声をかけた。


私がかなり強い口調で声をかけ、スーツケースを返せと述べたので、その男性はあっさりとスーツケースをこちらに引き渡した。ところが、そのスーツケースは自分のものではなく、本当に彼の物だったので、私は彼に謝った。


その男性は、アフリカ系の男性であり、車椅子に乗っていて、私がまるで脅しのような強い口調でスーツケースを渡せと述べたもんだから、とっさにスーツケースを渡したと述べた。改めて申し訳ない気持ちになり、もう一度彼に謝ってから私はその場を離れた。


するとなんと、自分の右手にちゃんと自分のスーツケースがあったのである。私はそれに全く気付いておらず、最初からスーツケースを無くしていないかのようであった。


何とも不思議な体験をしたと思って、チケットを買いに行こうとすると、先ほどまでは余裕のあった出発時刻が迫っていて、その列車はもう見送る必要があるかと思った。しかし、スーツケースも無事であったし、そもそも今日は焦って自宅に戻る必要もないと思っていたので、ゆっくりと帰ることにした。


そのような夢を見ていた。そう言えば、この夢の中で、急いでチケット売り場に向かおうとしているときに、大きな3列のエスカレーターがどれも高速で動いていて、その上をジャンプすると、かなり早く1階のプラットホームから2階のチケット売り場に行けるようになっていた。


ちょうど今週末の日曜日にドイツへ旅行に行く。今回はハンブルクではないが、ドイツの駅が夢に出てきたことは何か意味があるのかもしれない。フローニンゲン:2021/9/20(月)09:02


7344.「テクノロジー夢遊病者」/「テクノロジー強制主義」「テクノロジー決定主義」


時刻は午前11時半を迎えた。月曜日の朝はとても優しげで、まろやかな時が楕円形を描きながら流れている。


今日は午前中に、マーガレット·アーチャーの社会学理論に関する書籍と、テクノロジー神学に関する書籍を読み終えた。それらの書籍を読みながら、知らず知らずのうちに、テクノロジーの発達によって私たちの生活時間が圧縮され、全てが加速度的に動いていることについて改めて考えていた。


圧縮された時間を再び豊かに引き伸ばしていくことの大切さ。時間が圧縮され、人々はますますその流れを加速させる形で、絶えず忙しなく、何かに駆り立てられるようにして日常を生きている。


そうした状況に気づき、自らの固有の時間の流れを取り戻すこと。時間の流れが不可逆であったとしても、固有の時間を取り戻すことは不可能ではない。


私たちの日々の生活は様々なデバイスやガジェットに溢れ、まさに「デバイスニルヴァーナ」「ガジェットニルヴァーナ」の世界の中で生かされていると言えるかもしれない。


時間も感覚も、およそ生活における全てがテクノロジーによって支配されてしまっている人間は、「テクノロジー夢遊病者」とでも呼べるだろう。


現代人は、現代という大きな物語の中の、すなわちマトリックス世界の住人であると同時に、その世界を徘徊する夢遊病者なのだ。


「一億総無有病者」の時代。現代とはそういう時代なのだろう。


テクノロジーにできることはなんでもせよというのは、「テクノロジー強制主義(technological imperative)」的な発想である。また、テクノロジーが社会の文化や制度を決めていくという側面はあるものの、テクノロジーが全てを決定するというのは「テクノロジー決定主義(technological determinism)」的な発想である。


日本語空間だけに限らないが、世間のテクノロジー開発者とその実社会での利用を推進している人たちのディスコースを眺めていると、どうも上記の2つの発想に強く縛られているように思える。


すなわち、そこにはテクノロジーが私たちの内的世界や実存性にどのような影響を与えるかに関する議論がひどく欠落し、非常に狭く限定的な議論がなされているということである。テクノロジー礼讃者の議論には、どうもそうした規範的な議論が大きく欠落している傾向があることが見て取れる。


バーナード·スティグラーがインターネット技術の発達による内的感覚や実存性及び人間性の変容を探求したように、自分はブロックチェーン技術の発達によるそれについての探究に力を入れていきたいということを考えていた。


ブロックチェーン技術に関心を持ち始めてもうかなりの年数になり、この技術とテクノロジー哲学·テクノロジー神学を絡めて当該領域に思想的な面で貢献をすることができないかと考えている。


それでは今から、ネクロポリティクス(死の政治学)」に関する書籍を読み進めていこうと思う。可能であれば午後には、ポール·ヴィリリオの「消失の美学」に関する書籍を読み進めていこう。フローニンゲン:2021/9/20(月)11:50


7345. 家電量販店を訪れて/速度としての存在/運命としての土地


時刻は午後5時半に近づいている。朝方に見えていた雲は午後には晴れ渡り、今は輝く夕日を拝むことができている。


つい先ほど、街の中心部の家電量販店に足を運び、Waterpikという水圧の電動フロスを購入してきた。歯科医の助言に従い、今日からそれを使う。


ついでに家電量販店で色々と最新テクノロジーを眺めていた。VRのヘッドセットが置いていないかを確認したところ、Playstation VRのものならあったが、パソコンに接続するものは置いていなかった。


気さくな店員に声を掛けられ、Nintendo Switchの有機ELモデルが入荷するかを尋ねたところ、入荷予定とのことであり、この間訪れたゲーム屋で購入するか、ここで購入するか迷うところである。


実際の店舗ではすぐに売り切れになってしまうかもしれず、その際にはオンラインから注文をしなければならないだろうか。調べてみたら、Playstation VRでも、以前調べていたGoogleの“Tilt Brush”のアプリが使えることがわかり、そうであればPlaystation VRの他のゲームソフトを今後楽しむこともあるかもしれないので、これを購入していいように思えた。


ただし、Playstation VRを楽しむには、プレイステーション4とPlayStation Cameraが必要らしいので、もう少し考えてみる必要がある。


買い物に出かける前に、フランスの思想家ポール·ヴィリリオの書籍を読んでいたことを思い出す。ヴィリリオが提唱する速度学の観点からすれば、私たちが速度を持っているというよりも、私たちの存在自身が何らかの速度なのであるという考え方になる。


まさに身体心理学に多大な功績を果たしたウィルヘルム·ライク(レイヒ)が「私たちが身体を持っているのではなく、私たちは身体に他ならない」と指摘したように、私たちは何らかの速度に他ならないのだ。この発想は面白い。


しかし、その速度が現代において異常な形で改変·管理されていることには注意深くあらねばなるまい。速度の改変·管理はすなわち、私たちの存在の改変·管理でもあるのだ。ヴィリリオの速度学については引き続き探究を進めていこう。


買い物の帰り道、ある教会の敷地内に入り、そこを横切って行った。そのような形でその教会の横を時々通る。


そこでふと、ある土地を訪れることや、ある土地で生活をするというのは、運命の顕現なのかもしれないということを思った。


そうなのだ。土地は運命の顕現だったのだ。


今このようにしてフローニンゲンで生活をしていることも運命であり、今週末にドイツに訪れることもまた運命なのだ。


土地と運命の結びつき。土地そのものが運命であり、運命としての土地がある。この点もまた自らの体験を通じて実存的考察を深めていこう。フローニンゲン:2021/9/20(月)17:55

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