top of page

6439-6440: アートの国オランダからの便り 2020年11月28日(土)


No.1591 心の星_An Inner Star

本日の言葉

With whom shall I battle, for I am my own enemy? Who will save whom, for I am my own savior? I am my own witness, for my actions and inaction. Dharmarakshita


下記のアートギャラリーより、本日のその他の作品(2つ:コメント付き)の閲覧·共有·ダウンロードをご自由に行っていただけます。

本日生まれた4曲

本日生まれた曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

本日生まれた曲はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

6439. 今日の予定と今朝方の夢

6440. 仮眠中の知覚体験/9本の映像作品を見て


6439. 今日の予定と今朝方の夢


時刻は午前6時半を迎えた。昨夜、1日を振り返る日記の中で、昨日はてっきり土曜日だと思っていたのだが、今日が土曜日だった。


昨日はまだ金曜日であり、まるで土曜日のような感覚で過ごしていたのでそうした誤解があったのだと思う。街の雰囲気も休日のような落ち着きがあり、昨日は映画やドキュメンタリーを合計で8本ほど見ていたこともあって、土曜日のように思ってしまったのかもしれない。


今日は、午前中にオンラインセミナーに登壇することになっている。日本ファシリテーション協会さんからお声掛けいただき、成人発達理論とファシリテーションを絡めたセミナーに登壇さえてもらうことになった。今日はそのオンラインセミナー以外には特に仕事はなく、今日もまた映像作品の鑑賞と作曲実践を大いに進めていきたいと思う。


昨日、『バニラ·スカイ』の映画を見て、この作品に関して「一瞬一生の会」の音声ファイルを通じてコメントした。その際に、LSDについて言及し、今朝方少しばかり改めてLSDについて調べていた。


LSDとは、スイスの化学者アルバート·ホフマン(1906-2008)が、当時サンド社(現在のノバルティス)に勤めていた際に、19838年に合成に成功した幻覚剤である。このLSDについてドキュメンタリーが2つあることを知った。1つは『L.S.D―プロブレムチャイルド&ワンダードラッグ(2008)』というものであり、もう1つは“The Substance: Albert Hofmann's LSD (2011)”というものだ。本日のどこかの時間帯にそのうちの1つを見て、明日にもう1つを見るか、時間があれば今日中にどちらも見ておきたいと思う。


それでは今朝方の夢について振り返り、早朝の活動を始めていきたい。


夢の中で私は、実際に通っていた小学校の教室にいた。ちょうど給食前の最後の授業が行われていた。しかし教壇には先生はおらず、生徒たちが椅子に座って思い思いに会話をしていた。


私は一番後ろの席に座っていて、教室全体を後ろから眺めながら静かにしていた。すると給食の時間となり、給食係がすぐに給食を運んでくれた。


給食が配られると、みんなで食べ始めるのかと思いきや、再び授業が始まるらしく、授業を聞きながら給食を食べることになっているようだった。先生が到着するまで、みんな給食には手をつけず、またしても思い思いに話しながら先生の到着を待っていた。


すると、先生が到着する前に、教室に遅れて入ってきた女子に「これもらってくね」と笑顔で言われ、牛乳とコーヒー牛乳、さらにはヨーグルトを取られてしまった。私はそれを別になんとも思わなく、「別にいいよ」とだけ述べた。もしそれらが必要になったら、給食置き場に余っているものをもらっていけばいいだけだと考えていたからである。


先生の到着はまだだったが、一応先に余っているものをもらいにいくかと思って、私は教室を離れた。すると、教室を出て右手にあるトイレで何か騒ぎがあったようだった。女子トイレで何か事件のようなことがあったらしかった。それについて少し気になったが、私が関与することでもないかと思い、給食置き場に向かった。


階段を降りて、廊下を歩いていると、前方に、高校時代に漢文でお世話になっていた女性の先生がいることに気づいた。すると突然、私の体は宙に浮き、廊下を飛ぶ形で先生を追いかけ、先生に声をかけた。


先生は私が空を飛んでいることを一瞬驚いたようだったが、その場で少しばかり会話をし、そこで別れた。気づくと私はもう給食置き場の前まで来ていた。


目当てのものをもらっていこうとしたところ、後ろから声をかけられ、振り向くと、中学校時代の2学年下のバスケ部の後輩だった。後輩は笑顔でそこに立っており、彼曰く、私のあとを追ってきたとのことだった。


彼は先生に咎められながらも教室から抜け出し、自分に会いに来てくれたようだった。それを嬉しく思い、2人でその場に余っている飲み物とヨーグルトをもらっていくことにした。


そこで夢の場面が変わった。今日はその他にも、実際に通っていた中学校のグラウンドでサッカーと野球をする夢を見ていた。


同じ学年の男子が2つに分かれて競い合う形でそれらのスポーツを行っていた。私は片方のチームでキャプテンのような役割を務めていて、誰を先発にするかを含めて、チームのマネジメントを行っていた。フローニンゲン2020/11/28(土)07:00


6440. 仮眠中の知覚体験/9本の映像作品を見て


時刻は午後8時を迎えた。休日の1日がゆっくりと終わりに近づいている。


今夜はマイナス1度まで冷え込むようなので、そのつもりで暖かくして寝ようと思う。今ではもう湯たんぽを使うことが常態化していて、就寝前に腸と足先を温めて寝るようにしている。こうしたことも快眠につながっていて、さらには腸を温めることは免疫力の強化につもつながっているように思う。


今日は午後に仮眠を取っていると、深いコーザルの意識状態を体験した。仮眠から目覚めてみると、そこで深い治癒が行われている感覚があった。また、コーザルからサトルの意識状態に移行する過程の中で、幾分不思議な知覚体験をしていた。


音を捉える感覚が変容しており、上の階に住む知人が扉を開ける音が、自分の部屋の扉を開ける音のように知覚され、音の距離感が通常とは異なっていることに気付いた。その他にも、コーザルからサトルの意識状態に戻ってきた時には身体感覚が徐々に取り戻される感覚があった。


端的には、コーザルとサトルの境目の意識状態において、身体感覚が完全に消失していたのである。それは幽体離脱的な身体感覚と言ってもいいかもしれない。


こうした体験は、時折仮眠を取っている最中に起こる。今後も同様の体験をした際には観察を行い、意識に関する洞察を深めていこう。


今日は午前中にオンラインセミナーに登壇したのだが、それでも日中には十分に自らの取り組みに従事することができ、この時間までに合計で9本ほどの映像作品を見た。これまでは8本ぐらいが限界かと思っていたが、9本でも問題なくそれらを消化·咀嚼することができるとわかった。


もちろん、1つ1つの映像作品から得られたものを真に咀嚼するには時間がかかる。だが今は、とにかく映像作品からの学びに対して飢えており、1日に9本見ても探究への飢えは対して満たされない。それどころか、さらにもっと作品を見ていきたいという飢えが強まるばかりであることが興味深い。


明日は特に何も予定がないので、本日と同じぐらいに作品を見ていきたいと思う。本日見たドキュメンタリーとしては、LSDを取り上げたもの、そしてティモシー·リアリーを取り上げたものが印象に残っている。それらについては、ちょうど今から「一瞬一生の会」の音声ファイルを作成しようと思っているので、そこで言語化しておこうと思う。リアリーに関するドキュメンタリーは随分と前に見ていて、今回で2回目だったが、意識や脳について色々と考えさせられることがあり、収穫が多かった。


映画で印象に残っているのは、クリント·イーストウッド監督の『ハドソン川の奇跡(2016)』という作品だ。これについても音声ファイルの中で話をしておきたい。


何か1つここで書き留めておくものがあるとするならば、航空機の事故を取り上げるようなこうした映画であれば、事故の責任追及を最後まで行い、悪を特定したがるものだが、そうしたことはせずに、責任の所在をどこか1つに限定することを避け、悪は1つだと限定することを良しとしないイーストウッド監督の信条に共感した点である。


端的には、人間には誰しも悪が住み着いており、そうした特性を考慮せずに、ある1人の人間だけを悪人に仕立て上げることをイーストウッド監督は嫌っているように思える。また、この世界は不条理に満ちていて、不条理を乗り越えていくのではなく、不条理を引き受けながらいかに生きていくかをイーストウッド監督は大切にしていることが他の作品からよく感じ、今回の作品においてはその点はそれほど強調されていなかったが、いずれにせよ、イーストウッド監督の作品からは、人間性とは何か、社会の本質的な姿はどのようなものかを大いに考えさせられる。フローニンゲン2020/11/28(土)20:26

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page