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6330-6331: 日本滞在記 2020年10月16日(金)


No.1493 京都の秋風_An Autumn Wind in Kyoto

本日の言葉

My clothes are bathed with tears, when I think of the impermanence of this world. Ryokan Taigu

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タイトル一覧

6330.【京都滞在記】京都滞在2日目の計画

6331.【京都滞在記】細見美術館と高山寺を訪れて


6330.【京都滞在記】京都滞在2日目の計画


時刻は午後6時を迎えた。京都滞在の2日目が始まった。


昨夜は、ホテルの自室で『あゝ荒野 完全版』という日本ドラマを見ていた。これは、詩人かつ劇作家である寺山修司の小説が原作になっている。


欧米での9年間の生活の中で、日本ドラマは一度も見たことがなかったのだが、現在様々な映像作品を見ていることもあり、面白そうな日本ドラマにまで鑑賞の範囲を伸ばしている。


昨日は結局3話まで見た。この作品は、ボクシングをテーマに置いているが、格差、虐待、自殺、人種差別などの社会問題も織り込まれていて、社会の負の側面を考える上でいくつもの視点を与えてくれる。


本作においても日常や非日常が背後のテーマとして隠されているように思えた。今夜もまた、観光からホテルの自室に戻って来たら続きを見たい。今日は最後まで全部見れるかもしれない。


今朝方は印象的な夢を見ていたが、もうその記憶はない。日本に帰って来てからは、夢を見ていたとしても夢を覚えていることがほとんどないのは不思議なことである。それはオランダ以上に快眠が取れている証なのか、はたまた別の理由なのだろうか。そのあたりは謎である。


今朝方の夢の感覚としては、興奮があったように思う。その感情が自分の内側にまだ残っている。今日はちょうど、夢日記を書き続けた明恵上人ゆかりの地を訪れるので、何かが変わるかもしれない。


本日の予定を書き留めておくと、午前8時ぐらいからホテルのレストランに行き、そこで朝食を食べる。昼食は食べず、夜を軽くするために、朝はしっかりと食べておこう。


いつもは朝はほとんど何も食べず、果物ぐらいだが、これは旅行中の食事スタイルである。朝食をしっかりと摂るが、トータルで言えば1.5食ぐらいだろうか。


朝食後、今日はまず、細見美術館に行き、葛飾北斎や伊藤若冲の作品を見にいこうと思う。一昨日に実家の近くの書店で葛飾北斎に関する特集雑誌を購入し、そこにこの美術館が紹介されていた。


所蔵されている作品にとても関心があったので、早速足を運んでみることにした次第である。京都では東洋の美を味わうことをテーマにしていたので、細見美術館の訪問はその一環である。


美術館を訪れた後は、ゆったりとバスに乗って、高山寺に向かう。自然との調和を説き、夢を書き留め続けた明恵上人から得るものは多いだろう。


明恵上人は、和歌を詠う創作人でもあった。そんな明恵上人から何かしらの霊感が得られる気がしている。仮にそれを顕在意識下で察知できなかったとしても、無意識下でそれを察知しているに違いない。


明恵上人について調べてみると、明恵上人の教えは、華厳を基礎としながらも、華厳と真言密教を融合して厳密(ごんみつ)と呼ばれる独自の宗教観を打ち立てたことを知った。この宗教観がいかなるものであるかもさらに調べてみたいと思う。


高山寺に関して言えば、ここは日本で初めて茶が作られた場所として知られているそうだ。歴史を辿ると、栄西禅師が宋から持ち帰った茶の実を明恵上人に伝え、山内で育て始めたことがきっかけのようだ。そのような歴史があるとは知らず、それを知って、また少し自分の世界が動き出した。京都2020/10/16(金)06:17


6331.【京都滞在記】細見美術館と高山寺を訪れて


時刻は午後7時を迎えた。京都の滞在2日目がゆっくりと終わりに近づいている。


今日は午前中から観光に出かけ、まずは細見美術館に足を運んだ。ちょうどこの時期は細見コレクションとして、琳派と伊藤若冲(1716-1800)の特別展示がなされていた。


この美術館を訪れたのは、以前より伊藤若冲の作品に関心を持っていたこともあり、ぜひ若冲の作品を実際の目で見たかったからである。若冲の描く作品には、どこか生命の躍動を感じることができる。


若冲は、40歳以降から本格的に絵を描き始めてあの境地に達した。葛飾北斎が「画狂人」であるならば、若冲は「画遊人」であるという形容が納得できるかのように、若冲の絵にはどこか遊の世界が漂っていた。そうした世界の中で創作活動に従事し続けることができたらどれほど悦であろうか。


美術館には若冲以外にも作品が展示されていて、その他に印象に残っているのは、中村芳中(1790-1819)の作品だ。中村芳中の作品はとても愛らしく、ほのぼのとした気持ちにさせてくれる。とても丸みと温かみのある作品たちに癒された。


細見美術館はこじんまりとしていたが、私が求めるような日本の美を感じさせてくれる優れたコレクションが多々あった。琳派というのはこれまで歴史の教科書を通じて習ったことぐらいしかなかったが、琳派の代表でもある俵屋宗達や尾形光琳の作品を実際に見ることができたことは幸せであった。


おそらく彼らの作品の本当の良さがわかるまでに、随分と時間がかかるだろう。彼らの作品の美を汲み取るほどの内的成熟度合いが今の自分にはない。


ここからまたゆっくりと歩みを進めていこう。そのようなことを思いながら美術館を後にした。


その次に向かったのは、京都の西にある高山寺である。細見美術館からバスで高山寺に向かった。


道中、京都の市内からどんどんと郊外に向かっていく際に現れる景色をぼんやりと眺めていた。バスに揺られること50分。目的の栂尾のバス停に到着した。


高山寺は、名前の通り、山の中にあり、バス停に降りた時の空気はとても清々しかった。


表参道ではなく裏参道から入り口に入っていき、そこで入場料の500円を支払った。その後、石水院を拝観する前に、寺の中のその他の建物や景色を味わうために敷地内を散歩した。


森の声。森そのものの声と、森に住む様々な生命たちの声が自分の内側に沁み渡って来た。そこに大いなる安らぎと癒しがあった。


人は自然の中に入ると大きな癒しがもたさられるというのは本当である。自然とつながることによって、大いなる存在ともつながることができる。その瞬間に大きな癒しがもたさられる。


高山寺上空の青空をぼんやりと眺め、涼しげな秋の風が頬を伝っていった。自分はこんなところで何をしているのだろうか?と思った。


生きているのだ。ただ我が身そのままに、己の生命時間を生きているのだ。ただそれだけがそこにあり、それが自分そのものであり、この固有なる人生そのものだと思った。


高山寺に向かうバスの中、思わず笑みがこぼれた。自分にはこの世界に居場所がないのではなく、この世界の全てが居場所であると知ったからである。


2度と住むことのない母国に対する愛慕の気持ち。それは欧米での生活が積み重なれば積み重なるだけ膨れ上がっていく。


気がつくと私は、高山寺の金堂から茶園に向かう道の途中にいた。そこに巨大な切り株があった。私は思わず切り株に手をかけ、話しかけた。その時に、お互いの生命エネルギーを交換することを行った。


まずはできるだけ私から切り株にエネルギーを与えた。その後、切り株からエネルギーを分けてもらうというのは申し訳ないと思ったので、エネルギーの交換は、近くにあった生きた大木と行うことにした。


深い山の中に何か特別な気配があった。目では見えない何かがそこにある感じがし、それに対して挨拶をして、そこから石水院に参拝しに向かった。そこで『明恵上人樹上座禅像』『仏眼仏母像』『鳥獣人物戯画絵巻』『子犬』をゆっくりと鑑賞した。


とても穏やかな時間。とても静かな空間。そして平穏な自己がそこにあった。


今夜はひょっとすると、40年間夢日記を綴り続けた明恵上人の力を借りて、何か良い夢を見るかもしれない。京都2020/10/16(金)19:49

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