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6320-6322: アートの国オランダからの便り 2020年10月12日(月)


No.1485 瀬戸内海の朝声_A Morning Voice of Seto Inland Sea

本日の言葉

When you relax more and appreciate your body and mind, you begin to make contact with the fundamental goodness in yourself. Chogyam Trungpa Rinpoche

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本日生まれた2曲

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タイトル一覧

6320.【日本滞在記】今朝方の夢/自己超出体験

6321.【日本滞在記】苦楽一如/貨幣・一人遊び・一望監視装置

6322.【日本滞在記】『七つの会議(2019)』を見て/雑多な考え事


6320.【日本滞在記】今朝方の夢/自己超出体験

時刻は午前4時を迎えた。つい今し方、起床直後のヨガの実践を終えたところである。


日本に帰って来てから初めての週末が終わり、今日からは新たな週を迎える。新たな週を迎えたからといって何か変わりがあるわけではない。平日·休日·祝日という人為的な区別とはもはや全く関係なく、自分の日々は水の如く淡々と進んでいく。


今朝方は不思議な夢を見ていた。舞台は中国の工業地帯であり、私は工場が乱立する場所の道路に立ちながら、近くにいた知人に何かを伝えていた。


そんな場面があった後、気がつくと、海が近くにある宿泊施設に私はいた。そこは研修施設として使われていて、小中高時代の友人や先輩たちの多くがそこに宿泊していた。


ちょうど何かの合宿をしているようだった。私は、中学時代のバスケ部の1学年上のキャプテンと話をしていて、キャプテンが私に英語に関する質問をして来た。


キャプテン:「これから年末の休みに入ると思うんだけど、外国人の友人に、「原始人になるなよ」と英語で伝えたいんだけど、何て言うの?」


:「えっ、あぁ、少し意訳になりますけど、“Keep being as you are.” とかでいいかと思いますよ。あえて「原始人」を無理に訳す必要なく、「今のままでいてね」と伝えればいいんじゃないかと」


すると、私たちと同い年ぐらいの見知らぬ外国人の女性がやって来て、「そうですね、“Keep being as you are.”でいいと思いますよ」と述べた。その瞬間に、私たちの後ろから、バスケ部に所属していた同じ学年のある友人(KM)が現れ、私たちの横を全速力でかけて行き、サーフィンボードを持って海に飛び込んでいった。


彼はそのまま沖の方に向かって行き、呼び止めて話でもしようと思ったのだが、もう引き返せないほど遠くにいた。覚えていることは少ないが、今朝方はそのような夢を見ていた。


先ほどヨガをしているときに、自己超出体験をした。まさに昨日、ゲオルク·ジンメルの生の弁証法について書いていたような越境体験がそこに起きていた。端的には、自己が完全にこの自己から抜け出して行き、そこにいる自己の全存在を完全に客体化しているという体験だ。


その間には、客体化している自己は天空のような広大さを持っていて、静寂さと共に、実に伸びやかな感覚があった。数ヶ月に一度このような体験をする。


インテグラル理論の用語で言えば、目撃者の意識体験だと言えるだろうか。そしてそれは、少しばかり非二元の意識状態にもかかっているような体験だった。


小さな自我に囚われず、自身を天地自然に委ねて生きていくこと。まさに則天去私的な生き方を続けていく。先ほどの自己超出体験は、そうした生き方にとって大切な体験である。


この体験を経れば経るほど、自我からの囚われから脱却していく。次に大切になるのは、囚われから解放された自己が天地自然的大いなる存在と一体となって生きることであり、そこでは非二元の状態が鍵を握る。山口県光市2020/10/12(月)04:25


6321.【日本滞在記】苦楽一如/貨幣・一人遊び・一望監視装置


時刻は午前4時半を迎えた。今日もまた晴れのようであり、気温も26度近くまで上がるようだ。日本に帰って来てから、本当に良い天気が続く。天の恵みに感謝したい。


苦楽を超越した苦楽一如の在り方で日々を過ごしていくこと。それについて昨日考えていた。


創作活動のみならず、日々生きていると苦楽があると思うが、よくよく自分の日々の在り方を眺めてみると、もうそうした二分法的な感覚を得ることなく、それらを超越した形で日々を過ごしていることがわかる。この在り方は今後より一層深めていこう。


昨日、ゲーテや西田幾多郎も一生涯に渡って日記を書き続けていたことを知った。ちょうど西田幾多郎については、実家に帰って来てから3冊ほど西田の書籍を読み返しており、金沢では西田幾多郎記念館に足を運ぼうと思っていた。


2人の偉人が日記を書き続けていたというのは興味深いことだが、偉人だから日記を書いたというよりも、日記を書き続けていたからこそ、つまり絶えず内省的に生きたからこそ、彼らが偉人になったという見方もできるだろうということを考えていた。


昨日も雑多なことを考えていた。1つには、価値の乗り物としての貨幣に乗っているものがひどく限定的であることが、経済金融における問題の根源の1つかもしれないということを考えていた。貨幣に乗っているものが限定的であればあるほど、貨幣を通じて豊かな社会をもたらすことは難しくなるだろう。貨幣には、今よりも豊かな意味と役割を持たせることが大切だ。


2つ目として考えていたのは、私は一人っ子であり、一人遊びの会話が内面化されて思考になるということを考えると、一人遊びによって自らの思考が育まれていったのかもしれないということだった。


大人になってからも基本的に人とつるむようなことはほとんどなく、欧米での生活においてもそうだ。一人の時間を大切にしていて、その間はずっと一人遊びの延長上にある諸々の活動に従事し続けている。それが自らの思考を育むことに何かしらの貢献をしているようだ。


3つ目として、ジェレミー·ベンサムが提唱した一望監視装置のようなものが、日本社会には至る所に埋め込まれていて、人々はお互いを監視し合っているということを考えていた。そこに同調圧力が加わり、人々は互いが互いを監視しているという意識なく監視し合っていて、窮屈さが所与になっているため、解放された状態というのを知らない。日本に帰って来て人々の様子を眺めてみると、互いが互いを監視し合うことによる窮屈な制約の中で生きている姿を見る。


それでは今から、絵画の創作と作曲実践をして、今日もまた読書に励んでいこうと思う。昨日相当の数の書籍を再読し、再読が必要な書籍はわずか6冊となった。それらは午前中の早い段階で再読が完了するであろうから、あとは新しく購入した30冊ほどの書籍をざっと一度読んでおこうと思う。山口県光市2020/10/12(月)04:50


6322.【日本滞在記】『七つの会議(2019)』を見て/雑多な考え事


時刻は午後2時半を迎えた。今、瀬戸内海は太陽で輝いていて、波が楽しげに踊っている。バルコニーからの眺めは本当に素晴らしい。


オランダでは聞こえてこないトンビの鳴き声が高らかに聞こえる。大空を自由に舞うなんと気持ち良さそうな鳴き声だろうか。


今日は午前中に、父の本棚からナラティブセラピーに関する書籍を借りて読んだ。また早朝には、知人の門林奨さんが翻訳した『インテグラル理論を体感する 統合的成長のためのマインドフルネス論』を読んだ。


そこからは辻邦生先生の『辻邦生が見た20世紀末』を読んでいた。午前中の読書はすこぶる捗り、ここからもまた読書をしていこうと思う。夕食までの時間と夕食後の時間を使って、『現代政治学の名著』『政治学の名著30』『社会学の名著30』を読み進めていく。


つい先ほど、『七つの会議(2019)』という映画を見た。これは、日本の企業体質や企業文化の観点から企業倫理を考えていくのに大変素晴らしい作品かと思った。


この作品は、池井戸潤氏の同名企業犯罪小説をもとに、福澤克雄監督が制作したものだ。ストーリーは、中堅メーカー「東京建電」の営業一課で万年係長のぐうたら社員である八角民夫が、企業の不正を暴いくていく物語である。


役者がとても豪華であり、実際に日本で行われている不正の構造やメカニズムもこの作品で描かれているものに近いのだろうと想像することができて、興味深く観賞していた。


隠蔽に次ぐ隠蔽の中、内部告発者として八角が最後まで持ち続けていた倫理観が印象的である。物語の最後に、八角が「この世から不正は絶対無くならない」と述べていたが、八角のように企業内での異質な存在、あるいはマージナル·マン(辺境人)とでも呼べるような人財がいることが、根絶されない不正に対する残された数少ない光のように思えた。


企業が仮に、人材採用と人財育成において標準化を進めていくならば、八角のような存在はますますいなくなってしまうだろう。そうなれば、隠蔽体質は強化され、内部告発者も登場せずに、いつか製造欠陥によって人命に関わるような大事故を引き起こしかねないのではないかと思う。もちろんこれは製造会社だけに当てはまることではなく、他の業界の会社においても当てはまることだと思う。


映画の感想を書き終えたところで、午前中の読書を通じて考えていたことをいくつか思い出した。大衆操作に活用されるものは2つあり、1つはイデオロギーのような、人間の理性的な部分に訴えかけるものがあり、それを「クレデンダ」という。もう1つは、人間の感情に直接訴えかけるものがあり、それを「ミランダ」と呼ぶ。


実際に大衆操作として用いられているものをみると、その両者が掛け合わさったようなものなのではないかと思う。大衆操作という観点から身の回りにある種々の事物を見ていこう。


もう1つ考えていたのは、身体運動が思考に投影されるということは、考え方や感覚の個性は、身体運動の個性に他ならないと言えるのではないかということだ。内面の個性を育む際に、身体の個性を育むことが大事になる。


身体は唯一無二のものであり、それはすでに個性の産物であって、その個性に則って思考や感覚を育んでいくことが、真に個性を育んでいくことにつながるのだろう。こうした備忘録を書き留めながら、ここからまた読書をしていこう。山口県光市2020/10/12(月)15:10

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