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6185-6190: アートの国オランダからの便り 2020年9月2日(水)


No.1323 夕方の世界の中で_In the Evening World

本日の言葉

Things change continuously, so nothing can be yours. Shunryu Suzuki

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本日生まれた10曲

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タイトル一覧

6185. ライフステージの変化と引っ越しについて

6186. 他者や社会の幸福と自分の幸福

6187. 道ゆく人の口笛より/ベルナルド·リーベフートについて

6188. 今朝方の夢

6189. 引っ越しによる再出発/6Gの時代に

6190. ゲオルク・ジンメルの貨幣論/ゆとりや余白の大切さ

6185. ライフステージの変化と引っ越しについて

時刻は午前6時を迎えた。今、少し空がダークブルーに変わり始めた。

起床してすぐに空を眺めた時、神々しく輝く満月を見た。今は満月が少し移動してしまい、街路樹の裏に隠れてしまっているが、ぼんやりとそのシルエットが見える。太陽の光を反射して輝く満月の美しさには思わず見惚れてしまうものがあった。

めっきり肌寒くなってきたフローニンゲン。今日は最高気温が19度まで上がるようだが、最低気温は7度と低い。今のこの瞬間がまさに7度だ。

明日は午前中から天気が崩れるようなので、今日の夕方に近所のスーパーに買い物に行こうと思う。今週の土曜日にハーグから友人が遊びに来るのだが、幸いにも土曜日は晴れとのことである。

先日の予報では小雨マークがついていたが、今確認してみたところ、晴れるようなので何よりだ。今のところ、その翌日の日曜日も午後に隣町のルーワーデンで合流することにしているのだが、日曜日は逆に午後から小雨が降るようだ。

このあたりの天気に関しては直前になってみないとわからないというのが正直なところだ。それだけ天気の変化は激しく、予想は難しい。

昨夜ふと、そろそろ今の自宅から引っ越しをするタイミングにあるように思えた。それは突然やって来た思いだった。

フローニンゲンの今の自宅には4年間ほど住んでいて、今年の8月から5年目の生活を迎えた。生活環境については申し分ないのだが、もっと静かで自分の取り組みにより集中して打ち込めるであろう場所があることに気づき始めている。

今の自宅に大きな不満はないが、少しばかり違和感が芽生えていることは確かだ。端的には、自分のライフステージが変わりそうな気配がしているのだ。ライフステージが変われば、住む家や場所が変わるのはあって然るべきことかと思う。

オランダ永住権と欧州永住権の取得のためにあと数年はオランダで生活をしていきたいと思う。以前は、スキポール空港にアクセスしやすい南オランダのどこかの街に引っ越そうかと思っていたが、やはり自分はフローニンゲンの街が好きであり、フローニンゲンの中で引っ越しをしようかと思い始めた。

今よりもより広めであり、さらにより落ち着けるような場所に引っ越そうかとふと思ったのである。来年のどこかのタイミングで引越しをして、心機一転また新たな気持ちでフローニンゲン生活を送ろうかと思う。

そのような思いが湧いたので、早速家探し専用のウェブサイトを通じて調べてみた。すると、偶然にもとてもお洒落で小綺麗な良さそうな物件を見つけてしまった。

その物件は建築されて真新しいようでり、モダンな感じが漂っている。目の前には小さな公園があり、緑もすぐ近くにある。それでいていつもお世話になっている近所のスーパーと街の中心部のオーガーニックスーパーにもすぐに行ける距離なので、とても魅力的に映った。おそらくこの物件はすぐに借り手が見つかるだろう。

物件に関する条件はさほど多くなく、今よりも大きく綺麗であり、バスタブと家具が付いていて、オーガーニックスーパーに歩いて行ける距離である、というぐらいの条件しかない。早速そのウェブサイトに登録し、それらの条件を入力して、条件に合致する物件情報が届くように設定しておいた。ここからしばらく物件についてアンテナを張っていこう。

最近は色々と幸運続きであり、心機一転新しい生活を始めるにふさわしい良い物件にも何かのご縁で巡り会うような気がしている。今の家には4年住んだとこともあり、そろそろ住環境の変化が必要な時期かと思う。それは自分の深層部分が欲しているものであり、健在意識の私ではなく、無意識の私が欲しているようなのだ。

オランダ国内の引っ越し、しかも同じフローニンゲン内の引っ越しであれば、フローニンゲンの引っ越し業者を使おうかと思う。今の家も家具付きであるから、家具を運んでもらう必要はなく、段ボールをもらい、それらを運んでもらうだけだから楽だ。

今の家の契約書を見ると、退去に際しての連絡は1ヶ月前とのことである。人生がまた新たな方向に大きく動き始めている。それはとても肯定的かつ幸運な変化である。

諸々の幸運な出来事が人生で連続して起きていて、今年や来年は大きな変化の年なのだろう。幸運な波に乗る形で、その波が向かうところに運ばれて行こうと思う。フローニンゲン:2020/9/2(水)06:21

6186. 他者や社会の幸福と自分の幸福

時刻は午前6時半を迎えようとしている。今、辺りが随分と明るくなり、街路樹の姿もくっきり見え始めていた。

昨夜就寝中にベッドの上で横たわっていると、なぜか今アパートの一緒の棟に住んでいる住人たちの幸せを祈った。

私が今住んでいる棟には4世帯ほどが生活をしていて、全員顔見知りだ。上の階に住むイェルは最近フリースランドから引っ越して来た。彼はとても朗らかな好青年だ。

下に住む大柄なオランダ人男性は、働きに出かける際によく歌を口ずさんでいる。最初は静かに出かけて行って欲しいと思ったものだが、逆に言えば、歌を思わず口ずさめるほどに幸福なのだと最近思うようになった。

今生活しているアパートの住環境はとても静かだが、ごく稀に夜に笑い声などが聞こえてくることもある。そうした笑い声も見方によっては騒音かもしれないが、笑い声が出てくるぐらいにその人は幸福なのだと思うと、今の家の周りには幸福が満ち溢れているのだと思った。

歌声や笑い声が聞こえてくるというのは、周りの人たちが幸福感を感じている証なのではないかと思う。周りの人たちが幸福であればあるだけ自分も幸福を感じる。これは本当にそうなのだ。

とても当たり前のことのように思えるかもしれないが、そうした当たり前のことを少しばかり忘れているような自分がいたように思える。小さなところで言えば、近隣住民が幸福であることは、自分の幸福に密接に結びている。

一体誰が、陰湿で不幸せそうな表情を浮かべた人たちに囲まれて生活をしたいと思うだろうか。周りの人の幸福あっての自分の幸福である。

もちろん、自分が自分なりの幸福をまず感じることは大事だが、そこに閉じてしまってはならない。そうした自閉的な幸福は、周りの人たちが不幸せであれば、いつかきっとひっくり返されてしまうような脆弱な幸福なのだ。

絶対的な幸福とは、周りの人たちの幸福を前提として、他者の幸福が生み出す大海の中で自分なりの幸福感をしみじみと感じることなのだと思う。そう、他者の幸福は大海のようなものであり、自分の幸福は大海の中で深く寛いでいる時に感じられ、見出せるものなのではないかと思う。

近隣住民の歌声や笑い声は、幸福の証なのだ。それは彼らにとっての幸福であり、同時に自分にとっての幸福でもある。

そのようなことを考えていると、近隣住民だけではなく、フローニンゲンに住む全ての人たちの幸福を祈った。幸いにも、フローニンゲンの街はとても穏やかで、住民たちの表情も総じて明るく、幸福感の高い街であることをこの4年間感じてきた。だからこそこの街で4年間生活をし、5年目の生活を迎えることにしたと言っても過言ではないだろう。

フローニンゲンの住人たちの幸福を祈った後、必然的に私の祈りの範囲は拡張され、オランダ全土へ、そしてヨーロッパ全土へ、地球全土へと広がって行った。最後には宇宙全体へと祈りを拡張させて行こうと思ったが、どうやら今の私の祈りの次元は地球どまりのようであり、宇宙全体の幸福を祈願する際の自分の祈りはどこか力が感じられなかった。これもまた自分の意識の成熟度合いを表す現象かと思う。

いずれにせよ、他者や社会の幸福が自分の幸福と密接不可分に関係しているということが明明白白な体験として知覚された以上、他者や社会の幸福の実現に向けて、日々小さな取り組みを継続していこうと思った次第であった。

満月はどこかに消え去り、一点の雲もない青空が広がっている。自分の心は青空の如し。

とても広大で穏やかな心がここにある。そして自分は、もはやそうした心を超えた存在であるということがありありと認識される。フローニンゲン:2020/9/2(水)06:46

6187. 道ゆく人の口笛より/ベルナルド·リーベフートについて

今、書斎の開けられた窓の方に近寄って外の景色を眺めてみようと思ったところ、目の前の通りを歩く人の口笛が聞こえて来た。ちょうど先ほど下の階に住む人の歌声について書き留めていたように、道ゆく人の口笛が聞こえて来た時に、幸福感を感じる自分がいた。

思わず口笛を吹いてしまうというのは、その人が何かしらの嬉しさや幸福さを感じている証左だろう。オランダ人はよく口笛を吹いたり、思わず歌を口ずさむ傾向があるようであり、私も口笛を吹きながら買い物に出かけることがよくある。それはもう本当に思わず出て来てしまうものなのだ。

そこから、真の嬉しさや幸福さというのは自ずと内側から滲み出て来てしまう性質を持っていることが見えてくる。真の嬉しさや幸福には自発性があるようなのだ。そのようなことを窓辺で考えいていた。

自宅のゴミ箱の付近に、今大小様々な段ボールが随分と増えた。それは先日注文した書籍を梱包していたものである。

昨日は随分大量に書籍が届いた。それもそのはずで、今月は合計で75冊ほど書籍を注文したのだ。

昨日はイギリスとオランダの書店から書籍が届けられ、いつものように、それらの書籍が届けられた記念日を書籍の冒頭のページに書き込んでいった——それを購入した場所が自宅以外であれば、書店の名前や街、そして国などを書き込むようにしている——。

自分がいつその書籍と出会ったのかを書き留めること。それはもう長らくの習慣であり、初読を始めた日や再読を始めた日についても書き込みをしている。

書物は自分の人生史を映し出すものなのだ。書物と一緒にゆっくりと歩んでいくこと。そしてその歩みの経過をその書物の中に刻印していくこと。そうしたことをもう随分と長らく行っているように思う。

今日の読書は、フランスの哲学者ジャン·フランソワ·リオタールの“Libidinal Economy”をまず読み進めようと思う。昨日は、結局5冊ほどの初読を一気に終えることができた。

リオタールのその書籍の中身をパラパラ見る限り、初読は今日中に終わるだろうが、2冊目の書籍を読み終えることができるかどうかはわからない。2冊目の書籍もまた経済学に関するものにするのであれば、“Capitalism without Capital: The Rise of the Intangible Economy”を読む。

もし経済学書を選ばないのであれば、霊性学と成人発達学を絡めた“Phases: The Spiritual Rhythms of Adult Life”か“Phases: Crisis and Development in the Individual”を読みたい。こちらの著者のベルナルド·リーベフート(Bernard Lievegoed (1905-1992):オランダ語の発音に忠実になれば「ベルナルド·リーベフート」であり、英語であれば「バーナード·リーベゴード」という発音になるだろう) は、オランダのシュタイナー研究者として非常に有名であり、偶然ながらある日本人の方から先日教えてもらった学者である。

リーベフートは元々医者なのだが、シュタイナーの思想に感銘を受け、その思想を組織開発や社会の幸福の実現に適用していった。今回購入することはなかったが、リーベフートの“The Developing Organization

”や “Managing the Developing Organization”といった書籍、さらには“Towards the 21st Century: Doing the Good”などは今後購入することを検討したい。

まずは上記の2冊を読み進めていく。それら2冊の書籍に取り掛かった後に、美学や音楽関係の書籍を読もうかと思う。本当に充実した読書が静かに進行していることを有り難く思う。フローニンゲン:2020/9/2(水)07:12

6188. 今朝方の夢

時刻は午前7時半を迎えた。この時間帯になると、朝日が燦然と輝いていて、街が美しく踊り出しているかのようだ。

小鳥たちの鳴き声もそれを祝福しているかのようである。今朝方はまだ夢について振り返っていなかった。夢の振り返りをした後に、いつものように創作活動と読書に励んでいこうと思う。

夢の中で私は、小中高時代の親友(NK)と話をしていた。最初はある話題について和気藹々と話をしていたのだが、途中で親友が神妙な顔になり、話題を変えた。

親友が少し暗い表情をして、私にあることを打ち明けて来てくれた。何やら、高校時代の友人(HH)から私が依頼を受けていた仕事について、その友人がその金額について不満を漏らしているとのことだった。

私はその友人から受けた仕事に対して75万円ほどの対価をもらっていたのだが、どうやら友人はそれが高いと感じていたらしく、友人の奥さんとその金額について、そしてさらには私に対して何やら陰口のようなことを述べていたということを親友から聞いた。

どうやら、今後自分に仕事を依頼するのはやめようということを話していたらしいと聞き、それに対して私は特に何も感じなかった。というのも、仕事にかかる時間と仕事の質を考えれば、その請求金額ですらも随分と安いはずなのだが、単に請求金額だけで判断するのであれば、今後彼からの仕事が消滅することはむしろ有り難いことだった。

自分の仕事に対してきちんと評価をしてくれる人、そしてお互いに気持ち良く働けるような人と協働したいと改めて思った。

次の夢の場面では、私は日本のある大都市にいた。おそらくそこは東京だと思われるが、それは定かではない。

私は高速バスに乗っていて、今からある高速道路の料金所に入っていくところだった。そこに向かうまでの道のりが変わっていて、ジェットコースターのような高度と入り組んだ道を持っていた。

大きく右にカーブしてうねって行ったとき、街の中心部の方に不穏な煙が上がっている姿が見えた。私は直感的に、街に怪物が現れたのだと思った。

すると、煙の向こう側から、得体の知れないような巨大な怪物が現れた。私はその怪物を見て、それは人間の欲望を取り込みながら巨大なものになっていったのだとわかり、それはもう手に負えないほどの大きさになっていた。

最後の夢の場面では、私は前職時代のオフィスのトイレの中にいた。そこは広く綺麗なトイレであり、トイレから出ようとしていた時に偶然ある上司に出会った。

その上司の方は同じ大学出身ということもあり、私に対してとても優しかった。上司の手元を見ると、書籍や資料をたくさん抱えていて、どうやらトイレの個室の中で仕事をするようだった。

すると上司は何かを思い出したかのように、一度オフィスに戻った。するとすぐさま、上司は椅子を持って来てトイレに戻って来た。どうやら本格的にトイレに籠もって仕事をするようだった。

最後に、普段は温厚な上司がふと、若い社員の働き方に対して少し愚痴のようなことを述べた。上司の不満を最後まで聞いたところで上司と別れ、私は再びオフィスに戻った。

自分の席に戻ると、後ろの席に座っていた女性の上司が私に話しかけてきた。依頼を受けていた仕事の進捗について、上司は今私がどのような進捗にあるのかを確かめてきた。

その案件については、その女性の上司の上司である先ほどの男性の上司にすでに報告済みのはずなのだが、その連絡がまだ行き通っていないようだった。その女性の上司は少し焦りと不満の表情を浮かべていたので、私はその方にある案件の進捗状況について報告をした。

すると、なぜか小中高時代の幼なじみの女性友達(YY)も同じチームに所属していて、彼女は私が重要な書類を全てシュレッダーにかけて捨てたとその女性の上司に報告し始めた。私はそんなことはしておらず、机の上にあるであろう資料を再度提出しよと思ったところで、彼女が最終的なデータ入りの資料を提示した。

そこで私は、彼女が自分のことをライバル視していることに気づき、こうした関係があると、仕事上チームに迷惑をかけそうだったので、会社を近々辞めようと思った。本音で言えば、今すぐに辞めようと思っていた。フローニンゲン:2020/9/2(水)07:56

6189. 引っ越しによる再出発/6Gの時代に

時刻は午後7時半に近づきつつある。今日もまた穏やかな夕日がフローニンゲン上空に浮かんでいる。

本日もまたいつもと同じぐらいに充実した1日だった。創作活動と読書に旺盛に励み、小さいが確実に自分が何かを深めていっていることを実感する。その根拠は、その実感が目には見えないことである。

それがもう目には見えないほどに微細なものであるということが深化の実感の裏づけになっている。

改めて、日記の執筆は創作活動の1つだと思った。それは言語的な創作活動である。

自己は創作する生き物であり、言葉と感覚が無限に生成される過程の中にそれを言葉の形で把捉·再梱包することによって、自己が深化を進めていく。

今日の午後にふと、フローニンゲン大学を見学しにやって来た4年前の冬のことを思い出した。その時はアメリカから引き上げてきて、1年ほど東京に住んでいた頃だった。

私は、フローニンゲン大学の教授人たちと顔を合わせるためにキャンパスにやって来た。あの日は雪が積もっていて、足元が悪かったのを覚えている。

フローニンゲンの中央駅から大学まではほぼ一直線で迷いようがないのだが、雪が積もっていたせいか、視界が悪くて私は迷ってしまった。そのため、どこかの化粧品屋のような店に入り、大学の方向を教えてもらい、なんとか無事に大学に辿り着けたのを覚えている。

あれから4年間の月日が流れたのだ。気がつけばフローニンゲンでの生活も5年目となり、成人以降、5年間同じ場所で生活するのは今回が初めてだ。

今朝方の日記で書き留めたように、オランダ永住権と欧州永住権を取得するまではフローニンゲンで生活をしていこうと思っている。そして来年のどこかのタイミングで、フローニンゲン内で引っ越しをしようかと考えている。

引っ越しによって、不必要な物を処分するという物質次元だけの手放しだけではなく、精神的な意味での手放しも起こるような気がしている。それは過去の体験からもたらされた気づきである。

端的には、引っ越しを行うことは、自己にとっての再出発となり、他の方法にはない浄化と変容をもたらしうる。ひょっとしたら来年の早いタイミングで、そうした再出発を実現させることになるかもしれない。今よりもさらに落ち着いた場所に引っ越し、今よりもより一層自分のライフワークに打ち込んでいく。

その他にも、5Gの後にやって来る6Gの時代について考えていた。通信速度が5Gよりも50倍も早くなると言われている6Gの時代において、6Gの中心の技術であるヴァーチャルリアリティーのテクノロジーによって、自分のデジタルアートをホログラムで浮かび上がらせ、それを手触り感を持って感じているような姿が想像できた。

デジタルアートをホログラムで部屋に飾るというのは面白そうだし、そこに音楽も組み合わせることができたらと思う。仕掛けとして、ある絵画に対応させる形で音楽をそこに埋め込んでおき、何らかの信号によってその音楽が再生される形にしておく。

まだ5Gの時代すら完全に到来していないのだが、6Gの技術によって、絵画体験や音楽体験もまた変容するのではないかと思う。それこそ、自宅が自分の作品の美術館やコンサートホールになることも夢ではないだろう。その日の実現に向けて、日々自分の内的感覚を絵や音の形にしていこう。フローニンゲン:2020/9/2(水)19:31

6190. ゲオルク・ジンメルの貨幣論/ゆとりや余白の大切さ

時刻は午後7時半を迎えた。そういえば、ここ最近は夕方にあまり小鳥たちの鳴き声が聞こえてこない。それを少しばかり寂しく思いながら、街路樹がそよ風で揺れる姿を眺めている。

本日も続々と書籍が到着した。合計で6冊届けられた。中でも、ゲオルク·ジンメルの“The Philosophy of Money”では、図表が一切なしで600ページ弱にわたって貨幣についてのジンメルの思想が展開されている。

それを見て、ジンメルを貨幣の研究に駆り立てた何かについて知りたくなった。そうしたものがなければ、こうも何かに取り憑かれたかのように貨幣について探究ができるはずがない。

そうした熱感は人に伝播し、過去の偉人から学ぶというのはおそらく、コンテンツの次元で学ぶというよりもむしろ、こうした熱量を受け取ることにその本質があるように思う。いずれにせよ、ジンメルの貨幣論の背後にある彼の創造を司る根源を知りたくなり、今後は彼の貨幣論の中身だけではなく、そうした点も探求していこう。

この書籍と合わせて、“Token Economy: How Blockchains and Smart Contracts Revolutionize the Economy”に関する書籍を読むことによって、これからの貨幣経済について考察を深めていこう。現在、各国の中央銀行が量的緩和を行っていて、世界にカネが際限なくばら撒かれている。そうした様子に合わせて、種々の相場に動きが見られるので、今後の資産運用についても色々と考えるタイミングにある。

夕方に、ゆとりや余白、あわいから全てが生まれることについて考えを巡らせていた。そこに創造の源があり、ゆとりや余白、そしてあわいは治癒と変容をもたらす。

本当に興味深いのだが、創造·治癒·変容は、スペースがないところからは生まれない。現代社会の時代精神や制度によって、小さな自我は自分自身の内的空間を埋めることに躍起になるが、心理学者のフィリップ·クッシュマンが提唱した「空虚な自己」という言葉にあるように、心のゆとりを埋めることに躍起になればなるほど、空虚な自己になっていく。

そもそも、内的空間はありったけに満たされているのだ。それを見逃してはならない。

創造的な直感というのは、小さな自我から生まれるものではなく、自我の囚われから解放され、無私の状態に至って初めて生まれるものだ。私が常々、自然言語を媒介させない創作活動に従事しているのは、小さな自我は絶えず自然言語をもとに活動をするので、言語束縛から逃れ、無私の境地を感じながら、自分の内側に余白を生み出したいからというのも1つの理由だろう。

心のゆとりと人口密度について改めて考えていた。ひょっとすると、日本の人口密度の高さと日本人の心の密度はフラクタル構造になっているのかもしれない。

つまり、日本の人口密度に相まって、日本人には、成長·発達、そして人生を深めるために必要な空間が不足しているのかもしれない。絶えず何かでビッシリ埋まっている感覚。それを感じたことはないだろうか。

何かに駆り立てられながら、余白を必死に何かで埋めていこうとするその感覚。その何かというのは、小さな自我であり、同時にそれが生み出す不純物である。

余白と余裕。それらを大切にした生活を明日からも続けていこう。フローニンゲン:2020/9/2(水)19:43

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