top of page

5228-5232:フローニンゲンからの便り 2019年11月23日(土)


本日生まれた12曲

本日生まれた曲はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

本日生まれた曲はこちらのMuseScore上で公開しています。

タイトル一覧

5228. 断食9日目の状態と今日の予定

5229. ズヴォレのフンダーティ美術館への再訪とゴッホの画集

5230. 今朝方の夢

5231. 穏やかな日光を浴びながら:断食後の回復食について

5232. 生命力と美の聴覚化に向けて

5228. 断食9日目の状態と今日の予定

時刻はゆっくりと午前6時に向かっている。今日は断食9日目であり、断食を始めてから2回目の土曜日だ。

この時間帯は辺りが深い闇に包まれており、静寂が世界を包む。闇と静寂さだけがある世界の中で、ひっそりと、そして深く呼吸しながら静かに坐している自分がいる。

今朝方起床したときに、少しばかり身体の重さのようなものを感じた。昨日まではそれはなく、今朝方の身体の様子はどこか断食3日目の朝に感じたものに似ているだろうか。

断食を通じた治癒にもサイクルがあり、このタイミングで再び断食3日目に似た身体状態を感じたということは、また新たな局面に入ったのだと思われる。

起床してからすでに1時間経った今になってみると、もう活動に向けて身体の状態は整いつつあり、何の問題もないのだが、朝一番に感じた身体の重さについて言及しておきたかった。それは単純に起床直後のエネルギー不足なのかもしれない。寝ている間にも基礎代謝によってカロリーは消費され続けており、就寝中に内臓が休みながらも治癒に向けて働いているということを感じており、そうした働きによってエネルギーが使われたのだろう。

起床直後にオイルプリングとヨガをして、白湯を飲んだ後にアマニ油を少々摂取し、小麦若葉を飲んでいるのだが、その小麦若葉に含まれる微量のカロリーによって身体がまた目覚めたように思う。水のようにカロリーが0のものを摂取し続けるのではなく、小麦若葉やこれから飲もうと思う大麦若葉、そしてカカオパウダーやヘンプパウダーを白湯に溶かした飲み物を飲むことによって、最低限の栄養とカロリーを補っていくことが私にとっては大切だ。

前者2つの飲み物はデトックスに有益であり、後者2つも食物繊維の観点からデトックスに有益であるだけではなく、プロテインを含めた栄養やエネルギーの補給の観点から大切だ。おそらくこうした飲み物と味噌を舐めることをしているために、今回の断食を全く苦痛なく進められているのだろう。

幸いにも今日も天気が良いようなので、午後にでも街の中心部のオーガニックスーパーに散歩がてら足を運ぼう。行きに関しては軽くジョギングをしていこう。

本日購入するものとしては、大麦若葉のパウダー、八丁味噌、アーモンドペーストの3つである。断食12日目、つまり来週の火曜日には、ズヴォレの街にある移民局に行き、滞在許可証の新しいカードをもらうことになっている。

ズヴォレの移民局に行くに際して何か飲み物を持っていこうと考えており、断食中の今持っていくにふさわしいものを考えている。以前であれば旅行中や日帰り旅行をする際にはオーガニックコーヒーを持っていくことが多かったが、断食中の今はコーヒーを飲むことは控えた方がいい。

そうしたことから、コンブチャか豆乳の小さめのパックなどを持っていくのがいいだろうか。その点についてはスーパーに着いてから判断したい。

移民局に足を運んだついでに、ちょうど数ヶ月前にビザの申請に合わせて訪れた美術館に足を運ぶかどうかを考えている。今どのような展示が行われているのかを確認してみて、関心を引くものであれば足を運んでみよう。そうでなければ、断食中ということもあるから、早めにフローニンゲンに帰ってこようかと考えている。

断食9日目も静かに進行していくだろう。自分を包む闇と静寂さがそれを教えてくれている。フローニンゲン:2019/11/23(土)06:14

5229. ズヴォレのフンダーティ美術館への再訪とゴッホの画集

今、改めてズヴォレのフンダーティ美術館(Museum de Fundatie)について調べてみたところ、現在開催中の企画展に関心を持ち、さらには以前見た作品に対して今であればまた違った印象や感覚を受け取ることがあるかもしれないという点において、改めて足を運んでみようと思った。

数ヶ月前の自分から変化を遂げていれば、同じ作品を見ても新たな発見があるはずである。対象物が全く同じであっても新たな発見を得られるということ。それが自己の変貌の証となる。

そう考えてみると、芸術作品というのは、自分の変貌を知る一つの試金石として非常に有り難い存在なのかもしれない。自己の深まりと共に、芸術作品が開示してくれるものは異なってくるのだ。そして、その作品に込められているものが深ければ深いほど、開示されるものは次々と変貌を遂げていく。

また単純に、前回美術館に訪れた際には飾られていなかった作品や、自分が見落としていた作品もあるだろう。そして何より、断食中の感覚変容によって、芸術作品をどのように知覚するのかにも関心があると言えばある。

昨日からさらに自分の内側に意識が向かう状態となっており、美術館を訪れる断食12日目となれば、それはさらに進むだろう。そうした感覚の中で芸術作品をどのように認識していくのか、そのあたりについても観察する意味で、ぜひフンダーティ美術館に再度足を運んでみよう。帰り際には、良い画集や美術館のガイドブックがあればぜひ購入し、毎晩就寝前に楽しみにしている画集を眺める時間の友にしたい。

昨夜就寝前に、今からちょうど2年前のこの時期に初めて訪れたクレラー·ミュラー美術館で購入した画集を眺めていた。それは、タッシェン社から出版されたゴッホの画集である。

その時の私は珍しく、英語ではなく日本語の画集を購入した。おそらく、日本語でゴッホの歩みと作品解説を理解したいという思いがあったのだと思う。

昨夜改めてその画集を最初のページからゆっくりと読み始めた。すると、本当に得るものが多く、大きな感銘を受けた。

原画に勝るものはないが、画集に収められている写真からも、ゴッホの魂の息遣いを感じられるようであり、彼が作品に込めた実存的エネルギーのようなものをひしひしと感じたのである。また、ゴッホがどのように絵画制作と向き合っていたかについてわかる手紙の文章を読むことによって、作曲上の大きなインスピレーションをいくつも得ていた。

ゴッホの画集はその他にも、アムステルダムのゴッホ美術館で購入したものなどを合わせると、合計で4、5冊ほどある。それらをまたゆっくりと読み進めていこうと思う。

また、ゴッホの全ての手紙が収められた全6巻のフルカラーの書籍もまた読み進めていきたい。ゴッホの生き方や芸術に対する姿勢から考えさせられること、学ばされることは極めて多く、ここではそれらの全てを語ることなど到底できない。ここでそれらを語る代わりに、日々の創造活動を通じてそれらを体現した生き方をしていこう。昨夜に引き続き、今日からしばらくは、就寝前にゴッホの画集を眺めていきたい。フローニンゲン:2019/11/23(土)06:38

5230. 今朝方の夢

気がつけば私は、暗い高架下にいた。そこはトンネルの入り口のような場所であり、辺りは真っ暗で周りには何も見えない。ただ足元が土であるという感触だけがある。そして、所々に水溜りがあることを感じた。

すると、誰か近寄ってくる人がいた。それは男性のようであり、とても大柄だった。

その男性のシルエットからどこか日本人のように思えた。顔の全く見えない大柄な男性が自分に近寄ってくることに対して、私は少し不気味さを感じ、警戒した。

するとその男性は、私の横をスッと通り抜けて、どこかに行ってしまった。姿のはっきりしない男性が進む方向をなんとなく眺めていると、私の目の前に一台の軽自動車が止まった。

運転席を見ると、そこには中学校時代の音楽の先生がいた。先生は窓を開け、笑顔を浮かべながら、私を迎えに来てくれたと述べた。

外は大変な雨であり、高架下にいてもそれはわかっていた。私は有り難いと思い、先生の車に乗ろうとした。

先生は後ろの席のドアを開け、「乗って」と述べたので、どうやら助手席ではなく、運転席の後ろの席に私を乗せたがっていることがわかった。助手席に座るよりも先生とは少し話がしづらいと思ったが、もしかすると、一番安全な場所に座らせるという配慮があったのかもしれないと思い、私は運転席の後ろの席に座った。

先生と私は久しぶりの再会を果たしたはずだったのだが、まるでご近所さん同士頻繁に話をしているかのような形で会話が始まった。学校で引き続き音楽を教える傍、音楽学校のテキストの編集の副業もしているようであり、ちょうど最近その仕事があったそうだ。

その話をしている最中に、先生は目をつぶってテキストの内容について思い出す瞬間があった。それは私がどのようなテキストを現在編集しているのかを尋ねたからである。

先生は必死に思い出そうとしているが、なかなか思い出せないようであり、目をつぶったまま運転を続けていた。私はそれをちょっと危ないと思っており、案の定、先生は運転を忘れて思い出すことに集中し始めてしまった。

すると、車が反対車線を超えて、道路脇の店にみるみるうちに近づいて行った。私はとっさに後部座席からハンドルを握り、ハンドルを切り返した。

なんとか店に衝突することを避けた私たちは、安堵の気持ちに包まれた。先生もさすがにそれには驚き、私に謝り始めた。

そこからも会話は続いた。今度の会話の内容は、小学校時代の友人(TM)とその母に関するものだった。

彼は同じ中学校に通っていないため、先生は彼のことを知らないはずなのだが、どうやら彼のお母さんと知り合いのようだった。何やら、教会の礼拝仲間だそうだ。

私は友人の彼の近況について知らず、知っているのは医学部を目指して勉強していた昔のことぐらいだった。先生曰く、彼は一度就職し、再度医学部を目指して勉強しているとのことであった。

そのような話をしていると、高速のインターチェンジに到着した。そのインターチェンジがまた複雑であり、私たちはどこから乗り入れればいいのか迷ってしまった。

すると、反対側の道路に一台の車が止まっていて、運転手が外に出て、私たちに向かって手を振っていた。私は先生に車を止めてもらい、こちらに向かって手を降っている人が誰かを確認した。

すると、それはクライアント先の知人の方であった。何やら、ここからはその方が私を自宅まで送ってくれるとのことであり、私は先生にその旨を伝え、高速に乗らずに引き返してもらうことにした。

そこからは知人の方の車に乗り、そこでもしばらく会話を楽しんでいた。すると、その方の会社に到着し、少しばかり会社の様子を見せてもらうことになった。

ちょうど時間が終業時間と重なっており、社員の方たちが一日の振り返りをするミーティングを行っていた。雰囲気はとても和やかであり、とても好印象を受けた。

社員全員が明るい一室に集まり、軽いストレッチのようなものをしながら近くの人と話をしている。中には、上司と部下の関係性にあるような人同士が1対1で話をしており、それはコーチングやメンタリングのように映った。そうした人たちも終始笑顔で話をしており、この会社の結束力のようなものを感じた。

すると、部屋に並べられていたある机の上に、学術書の小さな山があった。それは5、6冊ほどの書籍の山であった。

私は本を見ると、ついついそれがどのような本なのかが気になってしまう。遠くの方からそれらの書籍のタイトルを眺めると、どうやら経営や組織開発に関する学術書のようだった。

それらはどれも小難しそうな学術書であり、確かにそうしたアカデミックな理論書を読むことからも何かしら得ることはあるだろうが、日々の実務の中で、あるいは毎日生きていく中でもっと大切なことを教えてくれる全く異なるジャンルの書籍があるだろうということを思った。

総じて日本の企業人は不勉強だと言われるが、おそらくそれらの書籍を読んでいる方は勉強熱心なのだろう。だが私には、そうした勉強の次にある学習があるということを感じており、少しばかりもどかしい思いに駆られた。そのような夢を今朝方見ていた。

それともう一つ、学校の教室の中で、なぜか数学の時間に、自分がいくつかのピアノの中から最も響きの良いものを選んでいる夢の場面があった。それらのピアノは物理的にそこにあったのではなく、音楽再生ソフトのようなものが教室の空間に浮かび上がっており、そこから一つのピアノを選択しようとしている自分がいた。フローニンゲン:2019/11/23(土)07:16

5231. 穏やかな日光を浴びながら:断食後の回復食について

時刻は午後3時半を迎えた。ちょうど今、街の中心部のオーガニックスーパーから戻ってきたところである。

スーパーに行く途中までは軽くジョギングができたが、今日はやはり少し身体が重く、それほどエネルギーがないようだったので、途中からは歩くことになった。

スーパーでは今朝方日記に書き留めていたものを購入し、来週の火曜日にズヴォレの移民局に行く際に持っていく飲み物として、バイオダイナミクス農法で作られたグレープジュースと豆乳を購入した。それらの飲み物があれば、ズヴォレの美術館を巡っても特にエネルギーが切れることはないだろう。断食中は水分を欲するため、念のため水も少しばかり持っていこうと思う。

今朝方、表現することは、今ここにいて、生きているということを示す行為のように思えてきた。そうなると、表現の本質には巧拙はないのかもしれない。

だが、そうした表現の本質の上に価値というものを乗せ始め、それが高まっていくと芸術表現になっていくのかもしれないと思われた。私が行おうとしているのは決して芸術表現ではなく、今のこの瞬間を生きていることを示すより根源的かつ本質的な表現なのだろう。

今日は太陽の姿を拝むことができ、先ほどの散歩は気持ちが良かった。太陽の姿を拝むことができると言っても、冬の太陽は何か膜が覆われているかのようであり、燦々と輝くようなものでは決してない。とても穏やかな光を発する光源体が空に浮かんでいる感じなのだ。そこから生み出される光のカーテンを眺め、そのカーテンに包まれながら歩くことの幸福感を感じていた。

ビタミンDというのは、日光を浴びることによって体内でも生成できるのだが、オランダのこのような日照時間ではビタミンDの体内生成はほとんど望めない。雨以外の日は基本毎日散歩やジョギングに出かけているが、そこで浴びることのできる太陽の光など微々たるものだろう。

断食を終えて回復食の期間を迎えたら、天日干しを行ったシイタケを積極的に摂取していこう。天日干ししたシイタケに含まれるビタミンDは驚くべきものがある。

スーパーから買ってくる最中、回復食としてどのようなものを食べていこうか考えていた。今回仮に14日間断食をするのであれば、それと同じ期間を回復食の期間とするのが基本である。

おそらく最初の数日間は果物だけとなるだろう。リンゴ、オレンジ、バナナを買ってきて、バナナが熟れてくるまでは、基本的にリンゴとオレンジだけを食べることになりそうだ。

昼にリンゴ2個、夜にオレンジ1個を食べるような日を数日間続けていこう。そしてバナナが熟れ始めたら、オレンジの代わりにバナナを食べていこうと思う。

こうした回復食をしばらく続けた後に、シイタケとタマネギで作った味噌汁とサツマイモをレンジで茹でたものを食べていこうかと思っている。オートミール的な4種類の麦類のフレークについてはまだ考え中である。

今回の断食を経て、そして回復食の期間を経て、また食生活が少し変化しそうである。断食は食生活を見直し、リセットするきっかけになるだけではなく、その他の生活習慣の見直しにもつながることを実感している。一日の時間の使い方を含め、今回の断食を通じて随分と自分の生活を見つめ直すことになったことは喜ばしい。フローニンゲン:2019/11/23(土)15:48

5232. 生命力と美の聴覚化に向けて

時刻は午後8時半を迎えた。断食9日目がゆっくりと終わりに近づいている。

今日は少しばかり身体の重さを早朝に感じ、午後にジョギングとウォーキングを兼ねて街の中心部のオーガニックスーパーに行った際には、行きのみのとてもゆっくりとしたジョギングができた。

基本的に二日連続で体が重く感じられることはないため、これも好転反応の一種だろう。明日またデトックスが進めば、心身の調子がより良くなると思われる。

一日の終わりに際して、今日考えていた雑多なことを最後に書き留めておきたい。一つ目は、一回的·個性的·刹那的な生命の流れを音という形にしていく点についてだ。

音として形にするべきものはそれであり、それ以外にない。逆に言えば、音の形になるものは全てそれだと言えるかもしれない。

生命の流れは絶えず一回的であり、個性的であり、刹那的である。それらを音の形にすること。しかもあるべき形の音にしていく鍛錬をこれからも積んでいく。

大いなる自己との繋がりを深め、それが眼で見るもの、感じるものを音にしていくという点も大切だ。観察者としての自己が見るもの、感じるものを曲にしていく。

そのためには、自己を絶えず観察者の状態に引き上げる必要がある。言い換えれば、自己が絶えず大いなる自己と繋がっておく必要があるのである。

大いなる自己との繋がりを深めるために、ひょっとするとまた坐して瞑想する実践が必要になるかもしれない。仮眠がてらシャバーサナのポーズで毎日瞑想のようなことはしているが、改まって坐して瞑想することはもうかれこれ数年ほどない。

しかし、そうした形での瞑想実践が必要になってきているのかもしれないと少しばかり思う。この点については、改めてその必要性を吟味し、日々の実践に取り入れるかどうかを考えよう。あえて坐して瞑想をする必要がなければ、日常生活の中で瞑想的な動作をより増やしていくようにすれば良い。

その他に考えていたことは、生命力の聴覚化と美の聴覚化に関するものだ。内的感覚を音にするというのは、自分の生命の流れを音にすることに他ならない。

だがそれを超えて、自分だけがそれを聴き取るのではなく、他の聴き手もそうした流れをより鮮明に聴き取れるような聴覚化の実現について考えていた。別の表現で言えば、音の中で生命の流れを体験できないか。作り手の生命の流れを追体験することを聴き手に可能ならしめる条件と方法についてこれから模索していく必要があると考えていたのである。

また、作り手の生命の流れの追体験を超えて、聴き手が自分独自の新たな生命の流れを生み出すような曲ができないかを考えていた。その実現に向けては、まずは自分自身がその曲を聞き、新たな体験が生み出されるかどうかによってその条件や方法を探求していくことができるだろう。

明日からの作曲実践では、このことを頭の片隅に入れておこう。それを強く意識して作曲実践をするのはもう少し先であり、今はまだ基礎的な技術を習得することが先だ。だが理想は絶えず持ち続けておく。フローニンゲン:2019/11/23(土)20:52

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page