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5146-5153:フローニンゲンからの便り 2019年11月7日(木)


本日生まれた10曲

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タイトル一覧

5146. 自然の中での生活〜シベリウスとグリーグの邸宅を思い出しながら

5147. 自由かつ自然な創造に向けて:覚醒と睡眠の反転と交差

5148. 悠久の流れと生命力の湧出:夢日記と今朝方の夢について

5149. ご近所さんについて:今朝方の夢の続き

5150. 友人の日記が教えてくれた大切なこと〜存在と影

5151. 人生にもたらされる贈り物:裸の街路樹が教えてくれたこと

5152. 今朝方の夢の続き

5153. シトシトと降る夜の雨音を聞きながら

5146. 自然の中での生活〜シベリウスとグリーグの邸宅を思い出しながら

時刻は午前7時半を迎えた。今日は非常にゆったりとした起床をし、目覚めてみると、空がダークブルーに変わり始めていた。

起床してすぐに耳に飛び込んできたのは、雨が降る音であった。だがそれはどうやら私の錯覚のようであり、実際には雨が降っておらず、昨夜に降った雨に濡れた道路の上を走る車の音が、雨が降っているかのように錯覚させたようだった。とは言え今日は、午後から夜にかけて雨が降るようだ。

フローニンゲンの気温はますます低くなっており、最高気温は8度前後であり、最低気温は0度に達しようとしている。ここ最近改めて訪れたいと思っているフィンランドは、フローニンゲンよりも気温が低く、例えばヘルシンキは最低気温がマイナス2度となり、今日は雪マークが付されている。

世界には様々な街があり、そこは気温も含めて様々な表情を持つ。昨夜もぼんやりと、今後はより一層現在の生活を前に推し進めていこうと思った。より極端化させると述べてもいいかもしれない。

自分の取り組みにより集中できる環境の中に身を置くこと、そして自ら環境を整えていくこと。そうしたことを行っていく。

自分の取り組みに本当の意味で集中できるのは、やはり街の中での生活ではないことが見えてきている。

シベリウスのアイノラの邸宅やグリーグのベルゲンの邸宅を想い出す。彼らが生活していたような場所で自分も創造活動に取り組みたいと思う。

シベリウスの家は湖の近くにあり、森がすぐ背後にあるような場所にある。サウナ専用の小屋があって、そこに立ち寄ると、木造できたサウナ部屋のなんとも言えない香りが立ち込めてきたのを覚えている。冬の厳しいアイノラの地で、シベリウスはこのサウナに入って体を温めていた姿がありありと想像できた。

グリーグの邸宅もまた思い出深い。そこは海を眺めることのできる岬の上に建っていて、シベリウスの邸宅周辺と同様に、緑も豊かであった。

グリーグの邸宅で特に感銘を受けたのは、グリーグは自宅とは別に作曲小屋を作っており、そこで毎日作曲をしていたようだった。その小屋からは海を見渡すことができる。

自分もいつかそうした場所で生活をし、毎日の創造活動に営みたい。理想は、海と山あるいは森が近くにあって、大空を眺められるような場所で日々の生活を営みたい。そうした場所で、粛々坦々と自分の取り組みを前に進めていく。

オランダでの生活は、将来そうした場所で生活をすることの尊さを教えてくれたのだと思う。そうした場所で生活をする日に向けて、今日も自分にできる取り組みを、自分のできる範囲で前に進めていく。

焦らず、ゆっくりと着実に、それは絶えずここにありながらにしてどこかに向かっていくだろう。フローニンゲン:2019/11/7(木)07:55

5147. 自由かつ自然な創造に向けて:覚醒と睡眠の反転と交差

昨夜もまた、日記を書くかのように曲を作りたいという思いが湧き上がっていた。実際には、言葉を紡ぎ出すよりもさらに自由で、かつ自然な形で音を生み出したいと思っていた。

言葉よりも雄弁に音を通じて語っていくこと。自分の人生というこの物語を音を通じて日々語り、新たな物語を紡ぎ出していくこと。それを今よりもずっと自由に、ずっと自然に行いたい。そのための学習と実践を惜しまない。

ここ最近は、実践に力を入れるのと並行して、先日の一時帰国の際に購入した何冊かの理論書を読み進めている。これらの書籍は、少なくとも5回以上は繰り返し読んでいきたい。5回でも少ない気がする。最低限10回ほどは読みたいことろだ。

理論書を通じて学んだ一つ一つの項目を、すぐさま実践で試してみて、それを血肉化するということが続いている。これを続けていこう。そして、同じ項目については形を変えて何度も実際に曲を作るという形で身体知にしていこう。

偉大な画家が無意識に筆を動かせるように、無意識で音を生み出せるようになっていく。偉大な画家が自由かつ自然に一本の線を引くのと同じように、自由かつ自然に一つの音、ないしは一つの旋律を生み出していく。

昨日の日記で書き留めていたように、魂の具現化としての夢中になれるものに存在を委ね、夢中になれるものへの没入を通じて毎日を生きていくこと。その中には真善美の全てがありそうなのだ。さらにはそこに、徳のようなものも芽生える可能性を見出している。

夢中になれるものと一体になることは、究極の自己一致である。自分が感銘を受ける人たちは、いつもそのように生を形取り、夢中になれるものへの没入と共に毎日を生きていた。そうした日を今日も送っていこう。

そうした日々をこれからも送っていこう。それが自分の人生を十全に生きることなのだから。

昨夜就寝前に、ふと妙な考えが立ち現れた。それは、覚醒している間は何かが眠っていて、眠っている間は何かが覚醒しているのではないか、という考えだ。そうした何かは多分に存在していそうである。

私たちが覚醒している最中に眠っているもの、逆に私たちが眠っている最中に覚醒しているもの。それは果たしてなんだろうか。それは自分自身で見つける必要があるだろう。

私には、なんとなくそれがなんなのかが見え始めている。さらに、覚醒している状態をある種の睡眠状態と捉え、眠っている状態をある種の覚醒状態と反転して捉えてみると、何が見えてくるだろうか、ということも考えていた。

きっとそこに大切な何かがある。そうした大切な何か、つまりこの人生において人間として深く十分に生きるために必要な何かが見え始めている。

今この日記を書いている自分は眠っているのだろうか。ある意味ではそうだろう。

そして眠っているのであれば、それはまた別の意味では何かが内側で覚醒しているのだ。覚醒と睡眠の交差する世界の中で、今日の瞬間瞬間を生きていく。フローニンゲン:2019/11/7(木)08:11

5148. 悠久の流れと生命力の湧出:夢日記と今朝方の夢について

毎日が淡々と水のように流れていく。自分にできることは、そうした水の流れのような時間の進行に逆らうのではなく、そうした流れそのものと一体になることである。

きっと今日も、気がつけば昼になり、気がつけば夕方を迎え、気がつけば夜を迎える。そしていつの間にか明日になっているだろう。

明日はヴェネチア旅行に出かける前日である。ヴェネチア旅行に出かける当日もまた自然な形でやってくるだろう。

こうして淡々と進む日常を眺めていると、絶えず流れているこの人生に改めて驚かされる。それは大きな驚きではなく、小さな驚きであり、驚きというよりもむしろ畏怖の念だと言っていいかもしれない。

おそらく、私個人の内側に流れているものは有限でありながら、そうした流れを生んでいるさらに大きな流れは悠久なものなのだと思う。自分はそうした悠久さに生かされているのだということ。それを思うと、心は穏やかになり、同時に自分の内側から何か途轍もなく大きなエネルギーが湧いてくる。

生命力の湧出。それは即、創造力の湧出でもある。

今朝方の夢についてまだ何も書き留めていなかったので、今日もいつもと同じように夢を書き留めておきたい。先日実家に帰った時、私が夢を鮮明に覚えていることに対して母が驚いていたのを思い出す。

母からしてみれば、私が鮮明に夢を覚えていることが不思議なようであり、夢を綴る最中に私が何か脚色をしているのではないかと思うほどだそうだ。そんな母に対し、夢日記を続けていれば続けるだけ、夢の想起力が高まることを伝えた。

実はこの夢日記は、脚色どころか、描写を削除しているぐらいなのだ。つまり、覚えている範囲のことを全て書き留めているわけでは決してなく、自分が文字として書き留めることが躊躇われるような情景や出来事については書かないようにしている。

それでは夢日記を綴る真の意味が損なわれてしまうと言われてしまいそうだが、そうかもしれない。だがそこに対しても工夫を施しており、書ける範囲のことを描写することを通じて、その記述を読み返せば、自分だけがその削除した情景や出来事を間接的に想起できるにしている。

もちろんこうした工夫も毎回行えるわけではなく、見た夢を自分の中だけで仕舞うことも当然ある。そうしたことはあっていいのだと思う。

今朝方見ていた最初の夢は、現在フローニンゲンで住んでいる隣のオランダ人家族が現れるものだった。現在の家の両隣は、とても親切な人たちが住んでいる。よく宅配便を預かってもらっていたり、お世話にもなっている。

右隣のニコさんとは近所のスーパーや街の中心部の銀行でも鉢合わせになることがあり、そうした場所で挨拶を交わす間柄である。もう一方に住んでいる家族は、まだ若い夫婦であり、小さな子供がいる。

夢の中では、その夫婦が登場した。美人の奥さんと可愛い子供が家の外に出て、どこかに出かけようとしていた。私もちょうど外出の予定があり、家の扉から外に出たところだったので、そこで挨拶をした。

奥さんは青いドレスのような服を着ていて、背中の部分が空いていた。奥さんとその子供と少し会話をしたところで、旦那さんも家から出てきて、彼にも挨拶をした。三人は幸せそうな表情でどこかに向かって行った。そのような夢の場面があったのを覚えている。フローニンゲン:2019/11/7(木)08:34

5149. ご近所さんについて:今朝方の夢の続き

書斎の窓から外をぼんやりと眺めていると、2階の住人が出かけた音が聞こえてきた。おそらく仕事に出かけたのだろう。

彼は一時期家にこもっている時期があり、職を失っていたのだろうかと少し心配をしていた。もちろん在宅で行える仕事をしていた可能性もあるが、今このように毎朝仕事に出かけていく姿を見ることができているのは喜ばしい。

1階に住む男性も毎朝仕事に出かけ、夕方の5時ぐらいに戻ってくる。1階に住む男性も、2階に住む男性も、家を出る時間と帰宅する時間が大体同じであることからも、彼らはどこかに仕事に出かけているのだと思う。

2階の住人が仕事を失ったのではないかと心配していた私は、ふと仕事に出かけることのない自分に気づき、思わず笑った。仕事をしに行くために出かけていくことなどもう何年も前から無くなっている。強いて言えば、毎日の仕事場はこの書斎であるから、寝室から書斎への移動が仕事をしに行くためのお出かけに該当するだろうか。

それにしても、4階に住む友人のピアニストは、毎日淡々と音楽院に通い、自分の取り組みを日々深めている。その姿には感銘を受ける。

彼女とはここ最近話をしていないが、また近々近況を伺ってみたいと思う。今年は古楽器の習得に向けて精進をしているようであり、午前と午後、あるいは夕方にレッスンがある日は、音楽院に行って帰って来て、また夕方に音楽院に出かけていくということを行っている。一度外出して自宅に戻り、再度外出することは私にとってはとても億劫なのだが、彼女にとってはそれは苦ではないのかもしれない。

ご近所さんについてあれこれ書き留めていると、今朝方の夢の続きをまだ書いていないことに気づいた。それらを書き留め、早朝の作曲実践を始めていこう。

夢の中で私は、小中学校時代を過ごした社宅の中にいた。私の部屋には大きな学習机があり、それはとても綺麗に整理されていた。子供用の学習机ではなく、大人が使ってもいいような、木製のしっかりとした机だった。

そこは私の部屋のはずだったのだが、なぜか父のデスクトップが私の机の上に置かれていた。すると父が私の部屋にやって来て、ファイナンスに関して教えて欲しいと述べた。

父が理解できないファイナンス用語に対して、それをまずはネットで一緒に調べてみようと提案した。そしてパソコンを立ち上げてみると、なんとパソコンがウィルスに感染してしまったのか、奇妙な表示が現れた。厳密には、それはウィルスに感染したというよりも、誰かが父のパソコンにハッキングをしたようだった。

パソコンをほぼ乗っ取られてしまった形となり、こちらでは操作が難しかったが、父が「お前は誰だ?」というようなメッセージを画面に打ち込んだところで、パソコンが急にシャットダウンした。その後、そのパソコンの電源がつくことはなかった。

父はそのパソコンは会社のものだと述べており、このような形で故障してしまったことを嘆いていた。一方私は至って冷静であり、会社のパソコンなら全く問題ないのではないかと思い、新しいパソコンを会社から支給してもらえばいいのではないかと父に伝えた。それに対して父は、そういう問題ではないというようなことを述べ、パソコンの復旧に向けて右往左往していた。

そこで母が部屋にやって来て、父に向かって「あのことを洋平に伝えたの?」と述べた。私は「あのこと」というのが何か気になった。

父は、「いや、まだ···。これから伝えようと思っていたところ」と小さな声で呟いた。そこで父はゆっくりと口を開き始め、亡くなった祖父の話をし始めた。

端的には、祖父が父にとって義理の父であり、本当の父ではないという話であった。私は最初その話を信じることができなかった。

父は涙ながら、本当の父ではない祖父が父に対してしてくれた様々な事柄について話をしてくれた。そこで夢の場面が変わった。

夢の中の私は、「義理の父」という言葉の意味が最初よくわかっていなかった。義理の父というのは本来、配偶者側の父のことを指すのだと思うが、夢の中の父の言い間違えだったのかもしれない。

いずれにせよ、現実世界においては、祖父は父の本当の父なのだが、なぜか夢の中では本当の父ではないということが判明し、夢の中の私は少し困惑をしていたのを覚えている。フローニンゲン:2019/11/7(木)09:02

5150. 友人の日記が教えてくれた大切なこと〜存在と影

先ほどまで日記を書いていた自分がまたしても筆を取り、今こうして何かを書こうとしている。書くという行為の中に没入し、書くことを通じて十全に生きようとする魂が自分の内側に内在している。

いやそれは内在していると言うよりも、外側に現れようとしているがゆえに外在していると言えるかもしれないし、そもそも内在も外在も超えて、超越的に存在していると言えるかもしれない。いずれにせよ、魂は書くことを求めており、書くことを通じてその生命力が増す。

言葉を通じて、音を通じて書くということ。本当にただひたすらにそれを通じて毎日を生きていこう。

つい先ほど、ハーグに住む友人の日記を読んでいた。私は毎朝、友人の日記を読むことを楽しみにしている。

日記を読むと、その出だしに月に関する興味深いことが書かれていた。実は私も、ちょうど同じ日の夕方に月を眺めていた。それは買い物から自宅に戻る最中のことだった。

友人の日記をそのまま引用させてもらうと、「南西の空に、ちょうど真ん中にまっすぐ線を引き、その左側半分が欠けたような月が光っている。月には地球の影が写っているために形が変わって見えると習ったはずだが、あんなにもまっすぐに片側が見えなくなるというのは今でも不思議だ。見えないだけでそこにはある。そこは、何もない闇なのではなく、影のつくり出す闇なのだ。そう思った瞬間ふと、どちらの闇の方が怖いだろうかという考えが浮かんだ」と書かれていた。私もまさに同じ日の夕方にその半月を見ていた。

友人の日記の中にある、「見えないだけでそこにある何か」「影の作り出す闇」という言葉が大変興味深く思った。というのも、先ほどまで振り返っていた夢の世界というのは、まさにそうした言葉で象徴されるような世界だと思ったからである。

夢の世界には、私たちの覚醒意識では見えないもので溢れている。見えないものだらけなのだ。

本来存在しているはずのものが見えなくなってしまっているのは、夢を生み出している私たちの心が持つ影が闇を作り出してからなのではないか、そのようなことを友人の日記を読みながら考えていた。

本来丸く存在しているはずの一つの月の半分が、まるで全く存在していないかのように見えてしまうことへの驚き。友人の日記のおかげで、そうした驚きを今になっては持つが、半月を眺めていたあの日の私にはそうした驚きはなかった。

その時の私は、純粋な驚きを得ることができず、おそらくそれは自分の狭い認識の枠組みの中に閉じこもっていたからであろう。そうした認識の枠組みの一つ一つを検証し、解体し、生の世界を直接把握できるような眼や感覚を養っていこう。それは多分に詩人が持つ眼や感覚であり、優れた画家や作曲家が持つ眼や感覚なのかもしれない。

今この瞬間にも、本来存在しているはずのものが私たちの眼には見えなくなってしまっている、あるいは感じられなくなってしまっているものがたくさんあるはずだ。それこそここ最近の日記で書き留めた、夢中になれるものしかり、生きがいしかり、自分の魂しかりである。

ひょっとすると、現代人の多くは、自分たちの人生すら見失っているのではないだろうか。自らの人生、自らの存在、自分の魂、そして夢中になれるもの。

さらには、真善美、神や仏、そして悪魔までも、私たちはしっかりと自らの眼でそれらを捉えていく必要があるのではないかと思う。なぜなら、それらは全ていついかなる時にもこの世界に存在しているからだ。フローニンゲン:2019/11/7(木)09:39

5151. 人生にもたらされる贈り物:裸の街路樹が教えてくれたこと

書斎の窓越しに、赤レンガの家々が見える。そこには煙突が付けられていて、煙突から白い煙がモクモクと立ち込めている。

笑ってしまうのは、赤レンガの家々の屋根に、最近ソーラーパネルが取り付けられ、それが不格好であることだ。絵画が生活と密着したオランダ人であれば、ソーラーパネルにも何か絵を描いて欲しいところだ。あるいはそれができないなら、やはり元の赤レンガの家々の屋根を見たい。

今日もまた、見事な寂寥感が滲み出す世界が眼前に広がっている。寂寥感、そして物寂しげな風景と親友になれたこと。それがオランダで生活を始めた最大の恩恵だと言えるかもしれない。

もうこの土地で暮らし始めて4年目になる。今後も長きにわたってこの土地で暮らしていこうと思っている自分にとっては、まだ4年と言えるかもしれない。

そして何より、然るべき時が来たら、私はこの土地を離れ、もっと冬が厳しく、より寂寥感と生命力に溢れた土地に引っ越すことを考えているのだから、この土地が醸し出す寂寥感と親友になれないはずはないのだ。

数羽の白い鳥たちが、追いかけっこをしながら楽しげに空を飛翔していった。想像の世界の中では、もはや自分は彼らであり、鳥なのだ。自由に大空を飛翔する鳥なのだ。

起床してすぐに寝室の窓を換気のために開けた時、家のすぐ下に植えられている木が赤々と紅葉している姿に恍惚感を覚えた。もう随分と裸の木々が多くなっている近頃にあって、こうした赤々と紅葉した木を見れることは幸運であった。

書くつもりのなかったことが、つらつらと書き綴られていく。それは人生そのものように思える。

人生が私たちに届けてくれるものは、多分にそうしたものなのではないだろうか。つまり、こちらの意図を完全に超えていて、それは堰を切った流れのように様々なものを私たちに送り届けてくれるのだ。

小鳥たちの鳴き声がとても優しい。彼らの鳴き声もまた、この人生への贈り物である。

口笛のような鳴き声を出す鳥がいる。それは本当に人間の口笛のようだ。

一階から何か物音が聞こえた。どうやら郵便物が届けられたらしい。誰に宛てられたものだろうか。それもまた誰かから誰かへの贈り物なのだ。それが直筆の手紙であれば、さぞかし嬉しい贈り物だろう。

微風にしなる木々の枝。そして風に微動だにしない木々の幹。そのような枝と幹を私たちは持っているだろうか。

日々を生きる中で何があっても微動だにしない幹と、全てのことに対して感動で揺れる枝を持っているだろうか。

目の前の木々はもう裸だ。私たち人間もまた、本来は裸であり、あのようにしなる枝と不動の幹を持った生き物ではなかったか。

いつから私たち現代人は、正気のない機械のような物質に成り果ててしまったのだろうか。下手をすると、機械の方がより正気に溢れている。

いずれは人間の心に限りなく近いものを持つ機械も現れてくるだろう。そうなれば、生気も覇気も感じられない人間たちはいかなる存在に堕していくのだろうか。

人間性の回復。そして、人間性の涵養。それにつながるような極小の取り組みを毎日行なっていこう。自分にできるのはそれしかない。

書斎の窓辺に飾られた水晶玉とそれを置く鉱物の土台がうっすらと輝いている。フローニンゲン:2019/11/7(木)10:00

5152. 今朝方の夢の続き

結局また日記の執筆に戻って来てしまった。今日はそれだけ何かを言葉として表現しようとする力が働いているのかもしれない。

今朝方の夢の続きを書き留め、言葉になろうとしているものを全て言葉に仕切ってから作曲を楽しんでいこうと思う。そこではまた、音になろうとしているものを形にしていくことになるだろう。

夢の中で私は、サッカーの大きな大会に向けて準備をしていた。それはW杯のような世界大会であったが、名称が少しばかり異なるようだった。

私は日本代表の選手としてその大会に参加することになっており、大会に向けた合宿に参加していた。その合宿には、実際のサッカー日本代表の選手が何人もいて、私は歳の近いある有名な選手(KH)と会話を楽しんでいた。

午前の練習を終えた後、私たち選手は合宿所に戻り、そこの大きな和室でくつろいでいた。どうやら私たちはその和室で寝食を共にしているようだった。

ある選手が家族の写真を他の選手たちに見せていた。その写真には、幸せそうな表情を浮かべる家族が収められていた。

選手たちのたわいのない会話で溢れる和室には、どことなく幸福感に包まれた雰囲気が広がっていた。そんな時、ふと私は、そういえば今日はまだ日記を何一つ執筆していないことに気づいた。

これから午後に試合があり、試合後は日記を執筆する時間がないと思われたため、今からちょっと日記を綴っておこうと思った。だが、試合まであまり時間がないことがわかり、試合後になんとか時間を作って今日の振り返りをするような日記を書くことにした。

そのようなことを考えていると、試合の時刻がすぐにやって来た。今から合宿所を離れ、試合会場に向かう。そこで入念にウォーミングアップをして試合に臨む。そのような流れがその先に待っていた。

試合会場に到着してみると、そこには大きな運河が流れており、運河の上を進む一艘の大きなボートを見つけた。見るとボートの上には、学ランを羽織った男性たちがたくさんいて、低い声で何か応援歌を熱唱していた。どうやらその応援歌は、私たち選手に向けられたもののようだった。

ボートが運河をかける橋の下で止まり、応援団長らしき人物が、橋の上の私たちに向けて大声でエールを送り始めた。そのエールを受けて私たちは、これから行われる試合の大切さを思った。

スタジアムに到着すると、そこには一台のバスが止まっており、そのバスからは、合宿に参加できなかった同じチームの選手たちが降りて来て、そこでチームに合流することになった。なぜかそこに、一人だけヘッドフォンをつけた選手がいた。

その選手に近寄ってみると、それは高校一年と三年の時に同じクラスだった、野球部に所属していた友人だった。彼は周りから自分を遮断するようにヘッドフォンから流れる音楽を聞いているようだった。

私は一応彼に一声かけた。だが、彼は小さくうなづいただけであり、引き続きヘッドフォンをしたまま音楽を聞いていた。

彼と別れた後、私はスタジアムの中に入り、ウォーミングアップに向けて着替えをしようと思った。ロッカールームに立ち寄る前に、トイレに行っておこうと思い、近くにあったトイレに入ろうとしたところ、ちょうどトイレの脇にあるフットサルコートで試合が行われていた。アルゼンチンを代表する二つのサッカーチームがそこでフットサルの試合をしていたのである。

両チームはライバル関係にあり、この二つのチームが試合をするときは、いつも大変な熱気に包まれる。そのフットサルの試合もまたそうであった。

今日はこれから国同士がぶつかり合うサッカーの試合があるから、フットサルの方にはそれほど観客がいないだろうと思われた。実際にあまり観客がいなかったのだが、なぜかそこに日本人の熱狂的なサポーターがいて、彼は大きな声を張り上げながら片方のチームを応援していた。

白熱するフットサルの試合を少しばかり観戦したところで、私はトイレに向かった。トイレに入ると、用を足す場所が一つしかなかったが、それは大きく横に広がっており、数名で用を足すことができた。

右端で用を足し始めたところ、突然シャワーのような水が用を流す壁から出て来た。私はそれに驚き、その水がかからないように左に移動した。すると、トイレの入り口から二人の外国人がやって来て、一人は杖をついた老人だった。フローニンゲン:2019/11/7(木)10:46

5153. シトシトと降る夜の雨音を聞きながら

時刻は午後7時を迎えた。今、天気予報の通り、雨が降っている。この雨はもうしばらく降るようだ。

今日もゆったりとした気持ちで夕食を味わっていた。毎日同じものを夕食に食べているのだが、今日もまた一つ一つの食材の味に感激してしまった。ジャガイモ一つ取ってみてもそれはとても愛おしい。

夕食を食べることに並行して、ベジブロスを鍋で煮ていた。野菜クズとリンゴのヘタを使って作るベジブロスをいつも味噌汁のベースにしている。明日の夜と、ヴェネチア旅行出発の朝に飲むベジブロスを作り終えた。

旅行前にすることといえば、ヴェネチアの空港からホテルまでのバスの路線図を調べ、再度宿泊先にメールで目安の到着時間を伝えておく。そのリマインドは明日の夜に行おうと思う。

合わせて、明後日の朝にフローニンゲン駅を出発する時刻についても調べておこう。ヴェネチア空港からホテルまでのバスの路線図と、フローニンゲンの出発時刻については今日中に調べてしまおうと思う。

今日もまたとても充実した一日だった。一日が創造活動とそれに類する学習によって成り立っていた。具体的には、日記を執筆し、作曲をし、作曲理論に関する理論書を読み進めていた。

毎日本当にそれらのことしかしていない。それでいいのだと思う。

この生活をより極端化していく必要がある。極端化し、それを押し進めていく必要がある。もはやそれが推し進められないぐらいに自然なものになっているのだが、まるであの世でもそれらのことに従事できるぐらいにまでそれを推し進めていく。

一生涯、命を懸けて取り組むこと。それが「一生懸命」という言葉の本来の意味だろう。

その言葉が意味する通りの姿勢でこれからも日々を生きていく。明日もまたそうであるし、明後日のヴェネチア旅行の日でもそうだ。

午後に仮眠を取ろうとしているときに、言葉で絵を描き、言葉で音楽を奏でるかのように言葉を用いて日記を書いていこうと思った。言い換えると、毎日の日記の執筆は、絵画の制作と同じものであり、作曲と同じものであることに気づいたのである。逆に毎日行なっている作曲実践は、やはり日記の執筆と同じものだったのだ。

言葉が音になり、音が言葉になる。今の自分にとってはそのような認識で言葉と音を捉え、日記と作曲を行っている。

もうしばらくシトシトとした雨が降り続くだろう。明日は幸いにも晴れとのことであるから、午後からボルダリングジムに行き、全身を大いに動かして来たい。それにより、魂により弾みがもたらされ、明日以降の創造活動がさらに実りのあるものになるだろう。フローニンゲン:2019/11/7(木)19:15

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