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5102-5105:フローニンゲンからの便り 2019年10月29日(火)


本日生まれた7曲

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タイトル一覧

5102. 近々訪れてみたい幾つかの水の都

5103. 来年の初旬の旅行計画と今朝方の夢

5104. 数日前にフローニンゲンの街の中心部で起きた殺人事件について

5105. この世界の美化に向けて

5102. 近々訪れてみたい幾つかの水の都

今日は珍しく、いつもより随分と遅く6時前に目覚めた。昨夜の就寝が9時半過ぎ頃であったことを考えると、随分と睡眠を取っていたことがわかる。途中に目覚めることもなく、朝まで快眠を取っていた。

今日から三日間、フローニンゲンはすこぶる天気がいい。雲のマークがなく、快晴の日が続く。ただし、最低気温が異常に低くなっており、今日と明後日の最低気温は0度、明日はなんとマイナス2度とのことである。

明日はそのような最低気温となるが、日中はなんとか8度まで気温が上がるそうだ。明日は快晴のため、ボルダリングジムに足を運ぼうかと思う。

先週の木曜日にジムに行った時、課題の張り替えを行なっており、ジムのスタッフが述べていた通り、新しい課題に挑戦しに来る人でジムは大賑わいだった。人が多いことを避けるために、今週は木曜日ではなく、明日の水曜日の午後にジムに足を運ぶ。

ジムが開く午後2時頃をめどにジムに行き、そこから1時間半ほどボルダリングを楽しもうと思う。行き帰りの軽いジョギングと散歩もまた楽しみたいと思う。とりわけ、途中に通るノーダープラントソン公園の紅葉は深まっており、明日もまだまだ紅葉が美しいだろう。

来週末からヴェネチアに滞在することになっているのだが、昨日、水の都と呼ばれるヴェネチア以外にも、運河が綺麗な街はないかと探していた。すると、別名「オランダのベネチア」と呼ばれるヒートホルンという村を見つけた。

ここは人口2500人ほどの小さな村であり、運河が張り巡らされ、茅葺屋根の趣深い家々が運河のほとりに建っているとのことである。この景観を保護する目的で、この村は車の乗り入れが禁じられており、交通手段はボートと自転車、そして徒歩のみだそうだ。

地図を調べてみると、ヒートホルンという村がフローニンゲンから近くにあることを知って驚いた。移民局のあるズヴォレの街よりも近くにあったのである。

季節がいい頃になれば、運河を貸しボートで移動するのはさぞかし気持ちいいだろう。春か夏になったら、友人を誘ってヒートホルンの運河をボートで巡るということをしてみたい。

もう一つ水の都として有名なのは、ベルギーのブルージュである。ブルージュもまた「北のヴェネチア」という呼び名が付けられている。

ブルージュは中世の街並みが色濃く残る都市として有名であり、街全体がまるで一つのアートのようであるため、「屋根のない美術館」とも呼ばれている。そうした点から、ブルージュは街全体が世界遺産に登録されているということも興味深い。

ちょうど来年の2月か3月——とても寒い時期だが——にベルギー旅行を計画しており、その際には是非ともブルージュに訪れたいと思う。世界には、その他にも水の都と呼ばれる街が存在しているようであるから、またいつかそれらの街にも足を運んでみたい。昨日はそのようなことを考えていた。フローニンゲン:2019/10/29(火)06:50

5103. 来年の初旬の旅行計画と今朝方の夢

小鳥の美しいさえずりがどこからともなく聞こえてくる。幸いにも、起床した時から小鳥たちは鳴き声を上げており、美しい旋律を伴った音のシャワーを起床直後から浴びることができた。今もまだ何種類かの小鳥たちが鳴き声を上げてくれている。

先ほど、来年の初旬に行う予定のベルギー旅行について少しばかり思いを巡らせていた。当初はアントワープとブリュッセルの二つの都市を訪れることしか計画になかったのだが、街全体が世界遺産に登録されており、街自体が一つのアートとして存在しているブルージュにもぜひ滞在してみようと思った。

幸いにもベルギーは、フローニンゲンから電車で行ける距離のため、まずはアントワープに滞在し、そこからブルージュに移動し、最後にブリュッセルに滞在する形で旅行を行いたい。三つのそれぞれの都市に2泊か3泊ほどする形で、その街の美術館に足を運び、街の景観をゆっくり散歩しながら楽しみたいと思う。

オランダでの生活はもう4年目なのだが、隣国のベルギーにまだ足を運んだことがないというのは自分でも驚く。だが近い場所というのは案外そういうものなのだろう。

また、私は自分の中で深い関心が湧かないとその場所に行ってみようという気持ちにならず、パリにはすでに2度ほど訪れたが、パリを代表するエッフェル塔はまだ一度も間近で見たことがない。敬愛する森有正先生が教鞭を奮っておられたパリ東洋語学校や、辻邦生先生が住んでいたアパート(デカルト街37番地)になら足を運んだのだが。

今回ベルギーに旅行に出かけようと思ったのは、ベルギーの何かが自分の中の何かと共鳴したからだろう。来年の2月や3月はまだまだ寒さが厳しい頃だが、あえてそうした季節にベルギーを巡ってみるのも一興だろう。

昨夜の日記に書き留めていた通り、春になって暖かくなったらバルト三国にでも旅行に出かけたい。北から順にエストニア、ラトビア、リトアニアと南下して旅行するのもいいし、逆に北上するのもいいだろう。

バルト三国に何が待っているのかわからないが、何かが自分を待っているような気がしている。それと出会うために、ぜひ来年の春ごろにこの旅行を実現させたい。

時刻は午前7時を周り、辺りは随分と明るくなってきた。早朝の作曲実践に取り掛かる前に、今朝方の夢を簡単に振り返っておきたい。

今朝方の夢はもう随分と断片的な記憶になってしまっているが、まず覚えているのは、私はフローニンゲンではないヨーロッパのどこかの街に住んでいて、今のアパートと似たようなアパートで暮らしていた。

出かけようと思って階段を下り、外に出ると、ちょうど現在のアパートの上の階に住んでいるピアニストの友人も同じアパートに住んでいるらしく、彼女も階段を下りて外に出かけようとしていた。私は少し悪ふざけをして、自分の姿を隠しながら、ドアが開かないように外から押さえていた。

彼女は私の仕業だとすぐに気付き、私はドアを開け、お互いに笑いながら目的の場所に向かっていった。そのような夢の場面があった。

もう一つ覚えているのは、学校かどこかのトイレにいる夢である。そこはとても小さいトイレであった。用を足せる便器が一つあり、仕切りが全くなく、誰がおおっ広げに使うのだろうかと思われる便座が一つ、そして仕切りのある便座が一つほどあった。

見知らぬ男性が用を足せる便器の前に立っている姿が見えたので、私は仕切りのある空間に入った。そこで私は用を足すわけではなく、自分のリュックサックから何かを取り出そうとしていた。

すると突然、天井から大量のライフジャケットが落ちてきた。私はびっくりし、上を見上げると、次から次へとライフジャケットが落ちてくるような状況だった。

便器の中はライフジャケットで埋まってしまい、次の人のことを考え、私は便器の中からライフジャケットを取り出していった。すると、なんと最後の方に、私が普段ボルダリングで使っているチョークバッグが紛れていることに気づいたのである。それは私にとって大切な物であったから、すぐに取り出し、後から洗濯しておこうと思った。そこで夢の場面が変わった。フローニンゲン:2019/10/29(火)07:24

5104. 数日前にフローニンゲンの街の中心部で起きた殺人事件について

メルヴィン:「ヨウヘイ、数日前のあの事件は本当に悲惨だったね」

:「何のこと?」

メルヴィン:「知らなかったのか、街の中心部の映画館で殺人事件があったんだよ」

:「えっ、嘘でしょ?いつ?」

メルヴィン:「数日前さ。そう、三日前の土曜日の朝さ」

かかりつけの美容師のメルヴィンにその話を聞いて、私は心底驚いた。

今日は午後からメルヴィンの店に行き、6週間ぶりに髪を切ってもらった。いつものようにお互いに共通の話題をしばらく話したあと、メルヴィンが突然、三日前に街の中心部の映画館で起きた殺人事件について話を切り出した。

フローニンゲンはオランダでも平和な街の一つであり、この街で殺人事件が起きたことをすぐに信じることができなかった。何より驚いたのは、三日前の土曜日の朝、しかもそれが街の中心部の映画館で起きたことである。この映画館は、今日も足を運んだオーガニックスーパーの真ん前にある。

アメリカに住んでいた4年間において、特に最初の2年半は、私はよく映画館に行き映画を見ていた。だがオランダで生活を初めてからは、映画館に足を運んだことは一度もなかった。

そのような生活をしていたのだが、先日日本に一時帰国した際に、東京で4本ほど映画を見て、フローニンゲンに戻ってからは週に1度映画館に足を運ぶのも悪くないと思っていた。そして私は、その殺人事件が起きる1週間前に、まさにその映画館のウェブサイトに行き、マンスリーパスを購入するかを考えていたのである。

事件が起きる数日前、オーガニックスーパーに立ち寄るがてら、ちょっと映画館の中を見に行くために映画館に立ち寄った。上映されている映画は面白そうなものがあり、マンスリーパスを近々購入しようと思っていた。しかし私は結局マンスリーパスを購入しなかった。その理由は自分でもわからない。

映画館の中に入った時、特に嫌な予感はしなかったが、何かが私をその映画館から遠ざけた。その数日後、事件は起きた。

メルヴィンの店から出た後に、その事件があったスーパーで普段通り買い物をした。映画館は明日まで臨時休業とのことであり、映画館の一角だけどこか悲しげなエネルギーが流れていた。

犯人はロッテルダムに在住のオランダ人であり、歳はメルヴィンと私と同じく30代前半である。犯人は精神病を患っており、ロッテルダムの警察から以前より監視されていた人物とのことであった。

ロッテルダム在住の犯人がなぜわざわざフローニンゲンまでやってきたのか、その明確な理由は定かではないが、以前交際していた女性と彼の娘に会いにきたのではないかということだった。犯人に殺害されたのは、映画館で清掃員として働いていた50代の夫婦である。

犯人は映画館のゴミ箱を漁ろうとしていたのか、何かを盗もうとしていたのではないかと言われている。犯人は二人を殺害後、フローニンゲンの街を徘徊し、翌日の朝に、映画館から2キロほど離れたガソリンスタンドで警官に足を撃たれて捕まった。

この事件について話を聞いた後、私は自宅でこの事件について詳しく調べてみた。するとインタビューに答えていたある住民が、「この平和な街でまた殺人事件が起きるなんて信じられない」と述べていた。「また」という言葉が意味していることが気になったので、過去にフローニンゲンで起きた殺人事件について調べてみると、半年ほど前に、無差別の通り魔殺人があったということを知った。

その犯人はジョギングをしながら無差別で若い女性を刺殺したとのことであった。犯人の似顔絵を見ると、眼がサイコパスに固有の眼であった。

今、自宅の前をパトカーがサイレンを鳴らしながら走り去っていった。フローニンゲン:2019/10/29(火)19:36

5105. この世界の美化に向けて

友人かつかかりつけの美容師であるメルヴィンから、数日前に街の中心部の映画館で起きた殺人事件について話を聞いて以降、心の中がざわついている。何か妙な感じがするのである。

事件があった当日の朝、メルヴィンはいつものように自宅から自分の店に行き、その際に事件が起こる前の映画館の前を通ったそうだ。その日メルヴィンは、店に到着すると、いつもなら開店前にも店のドアの鍵を開けておくのだそうだが、その日だけはなぜか鍵をかけていたそうだ。その話を聞いた時、メルヴィンは無意識のどこかで事件を予知していたのではないかと思わされた。

先ほどの日記でも言及していたが、実は私はその映画館に近々足を運ぼうと思っていた。マンスリーパスの購入を真剣に考えていたのだが、なぜかそれを購入することはしなかった。

事件があったのは土曜日の午前9時半頃とのことであり、犯人が捕まったのはその翌日のほぼ同時刻とのことであった。私は事件のあった24時間後に、「旅立った魂」という変わったタイトルの曲を作っていた。その時の私は、事件のことなど全く知らなかった。

妙な胸騒ぎがまだ残っている。この世界にはおそらく、本当の意味で平和な場所などどこにもないのだと思う。それが現代という社会の有り様である。

この夏、私はどういうわけか、サイコパスやソシオパスに関する専門書をいくつか購入し、それを読み耽っていた。この世界には、生得的に悪をしでかす人間がいるということに無知な人が多いように思う。私もその一人であった。

遺伝的·生得的に殺人を含めて悪をなしてしまう人間が確かにこの世界に存在するということ。しかもその数は少なくなく、現代社会の歪な発達により、その数は増加の一途を辿っている。

事件があった翌日、つまり犯人が逮捕された日に、私はこの地球というものが一つの生命体であれば、きっといつか死を迎える日が来るのだろうということをぼんやりと考えていた。しかもそれは本来の寿命を全うすることなく、私たち人間の手によって死が早められてしまうのではないかと考えていたのである。

美学者の今道友信先生は、実践美学を通じて、この世界を少しでも美化することに尽力することが私たちに求められることだと述べていた。美化の形は様々であり、人それぞれの実践領域において、少しでもこの世界がより美しいものになるように尽力することは大切であり、それをしなければ、本当にこの世界は退廃の歩みを進めていき、私たちの地球は本来の寿命を全うすることなく死滅してしまうのではないかと思えて仕方ない。

私たち一人一人は、この世界の美化に向けた実践に真摯に取り組むことができるだろうか。その実践には深い精神性と徳が求められ、何よりも長大な展望を持っていなければならないように思う。

というのも、この世界が完全に美化されることなどあり得ない話であり、私たちの実践がこの世界を仮により美しく、より善きものにすることにつながったとしても、その結果はすぐに出るようなものでは決してなく、おそらく私たちがこの世界から消えた後にもたらされるようなものだと思うからである。

だからと言って、そうした実践に従事しないという選択が私たちに残されているのだろうか。そうした選択の余地はますますなくなっている社会に私たちは生きているのではないかと思う。

短期的に見れば完全に無駄だと思えてしまうそうした実践に自らを捧げて取り組むことができるだろうか。それには真の利他心が必要であり、その実践に自らを捧げて取り組む時、自らがこの世を去った後、もしかすると世界は少しだけ美しいものになるかもしれない。

もし仮に自分の命に固有の輝きがあるのなら、その輝きを世界をわずかばかりより美しいものに輝かすために捧げたい。

真っ暗な闇に包まれたフローニンゲン。とてもとても冷たい外気に包まれたフローニンゲン。

街灯の明かりは揺れずしてぼんやりとそこに輝いている。フローニンゲン:2019/10/29(火)20:08

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