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4876-4879:フローニンゲンからの便り 2019年8月22日(木)


お知らせ

・成人発達理論やインテグラル理論の観点を交えながら、楽しく一緒にボルダリングを体験するためのYoutubeチャンネル「ライフ・イズ・ボルダリング」を始めました!

・成人発達理論やインテグラル理論の観点を交えながら、楽しく一緒に音楽理論や作曲について学ぶためのYoutubeチャンネル「ライフ・イズ・ミュージックコンポジション」を始めました!

本日の2曲

本日の2曲はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

タイトル一覧

4876. 起床直後に音声動画を作ってみて

4877. 音楽理論と作曲をゼロから学べる動画作りを目指して

4878. 今朝方の夢

4879. 言葉を発して行う内省実践が持つ学習効果を実感して

4876. 起床直後に音声動画を作ってみて

時刻は午前5時を迎えた。今朝は4時前に起床し、習慣としているオイルプリングとヨガの実践をしてから書斎に向かった。

普段であれば、書斎についてまず行うのは日記の執筆なのだが、今朝は音声動画を作っていた。それは、一昨日から始めたYoutubeチャンネル「ライフ・イズ・ボルダリング」のための音声動画である。

起床直後の頭がまだあまり働かない状態において、自分の声を発してみると、いろいろと面白いことがわかる。やはり頭はほとんど働かない状態なのだが、自分の声を出し、自らの声を聞いてみることによって、文章を書くとき以上に一日を始めるエネルギーが高まっていくような感覚があった。

もちろん、話す内容があればの話だが、今後は起床直後に音声動画を何か撮影し、その後に日記の執筆に取り掛かるのもいいかもしれない。目覚めてすぐにボルダリングについて考えており、そこから音声動画を撮影した今日の自分はまさに、ライフ・イズ・ボルダリングを体現しているように思う。

もう一つYoutubeチャンネルとして「ライフ・イズ・ミュージックコンポジション」を昨日作った。こちらに関しても何か音声動画を作ろうかと思ったが、今のところは自粛している。というのも、ボルダリングとは異なり、作曲実践は毎日複数回にわたって行っており、話したいと思う事柄が多くあり、毎日あまりに多くの動画をアップするのもあまり望ましくないかと思ったのである。

このあたりどうなのであろうか。やはりコンテンツ過多は望ましくないのか、それともコンテンツが他者の役に立っている限りにおいては、コンテンツの量が多くても問題ないのだろうか。

今のところは、作曲に関するチャンネルにおいては、とにかく自分の学習記録のための音声動画を作っており、それを見ている人にとってはあまり有益な事柄はないのかもしれない。そのようなことを考えながら、あまり多くの動画をアップしないほうがいいのかもしれないという思いがあった。

とはいえ、どのような動画が自分だけではなく、他者にとって役に立つのかはわからず、また自分の学習のために作った動画が思わぬ形で他者の役に立つ場合もあると期待して、まずは自分が話したいと思った事柄については片っ端から音声動画の形にしていきたいと思う。

Youtubeチャンネルを運営するというのも一つの実践であり、実践の量をこなし、試行錯誤をしてみなければ、自分が望ましいと思うチャンネル運営などできないだろう。そのようなことを考えながら、この日記を書き留めたら早速、ライフ・イズ・ミュージックコンポジションのチャンネル用にも一つだけ音声動画を作っておきたい。その際の動画としては、今後のコンテンツについて今自分が考えていることを共有したい。

音楽について実際に声に出しながら人に説明するように話をしてみて気づいたのは、やはり自分が音楽用語や音楽理論に対する理解が浅く、作曲の技術に対する理解も浅いということであった。そうしたことから、自分の作品の解説をするだけではなくて、音楽理論に関する解説をしていくような動画も作っていきたいと思った。

何より私自身が音楽的な知識がゼロの状態から作曲実践を始めたこともあり、作曲を始めたくても知識がなくて始められない方もいるかと思い、私と同じそうした状況にある方が音楽理論をゼロから学べるようなコンテンツを作っていきたいと思う。

最初は本当に基礎の基礎から始め、毎日ゆっくりとコンテンツを継続して作っていき、徐々に応用的な事柄を扱っていきたいと思う。確かに、音楽理論や作曲理論について説明することによって、自分自身がそれらの理論について理解を深めることにつながるだろうが、それ以上に、作曲を始めたくても始められない人が、一連の動画をきっかけに作曲実践を始め、音を生み出す楽しさを味わってもらえることに繋がってくれればという小さな願いがある。フローニンゲン:2019/8/22(木)05:22

4877. 音楽理論と作曲をゼロから学べる動画作りを目指して

思い立ったら吉日。先ほどの日記で書き留めていたことを早速実践してみた。

それは何かというと、作曲に関する日々の学びや実践を共有しているYoutubeチャンネル「ライフ・イズ・ミュージックコンポジション」の動画を新しく作ってみたことである。具体的にどのような内容の動画を作ったかというと、一つ前の日記で書き留めていたように、ある意味予告編のような形で、今後はこちらのチャンネルの中で、音楽理論や作曲理論を解説していく動画を作っていくということを伝える動画を作成した。

いかなる学習や実践においても、誰しもが必ず平等にゼロからスタートすること。そして、学習や実践をいつから始めても遅くはないということ。それらを大切な思いとして持ちながら、過去の私のように楽譜が一切読めなくても音楽理論の学習を始め、作曲を始められるようなコンテンツを作っていきたいということを表明するような動画を作った。

繰り返しになるが、私自身が音楽理論にまだまだ精通しておらず、音楽理論に関する一連の動画を作ることは、私自身にとっても大きな学びになるだろう。動画を通じて他者に何かを説明しようとする自分の姿を眺めてみたとき、過去に塾で講師をしていたときの経験が思わぬ形で活かされることになったとふと思った。

過去の経験というのは、本当に思いもよらない形で活きてくるのである。人生はこのように、無数の断片的なピースが自ずからつながってくる過程なのだということを改めて思う。さらには、そこから人生が思わぬ形で動き出していくこともまた、私たちの人生の本質なのではないかと思う。

今のところは、自分の作曲実践を犠牲にしてもいいので、音楽理論に関する動画を作っていきたいという思いがある。「犠牲」という言葉を使ったが、その言葉はあまり正しくないかもしれない。というのも私の内側には、作曲実践よりも優先して、音楽理論を解説していくことに意義を見出し、そこに作曲とは違った別種の楽しみや喜びを見出しているからだ。

作曲実践そのもの、そして音楽理論を解説する動画を作っていくことは、一種の奉仕活動なのかもしれない。誰が見てくれるのか、そして誰に役に立つのかは不明だが、この世界に対する奉仕活動として、音楽理論を解説する動画を少しずつ作っていきたいと思う。

これもまた有言実行したいと思う。早速、今日の午後にでも、音楽理論を解説する最初の動画を作ってみようかと思う。

本当に基礎の基礎から解説をしていきたい。楽譜が一切読めない方を念頭に置き、そうした方が音楽理論を学ぶことの中に楽しさを見出し、そして何より、作曲することの楽しさを実感してもらえるような動画を作っていくことができればと思う。

音を創造することの楽しさ。そしてそれが、いかに私たちの日々に彩りを与え、日常に充実感と幸福感をもたらしてくれるか。それらを実感してもらえることができたら幸いである。フローニンゲン:2019/8/22(木)05:56

4878. 今朝方の夢

時刻は午前6時を迎えた。空が徐々に明るくなってきており、一日の始まりを実感させてくれる。今のところ、起床直後から合わせると合計で3つほどの音声動画を作った。

目覚めてすぐの時間帯は、頭がまだ働いておらず、ろれつもあまり回らないのだが、それでも音声動画を作ることによって、一つ弾みが生まれたように思う。明日からはどうなるかわかないが、一つ新しい習慣として、それぞれのチャンネルに対して何かしらの音声動画を起床直後に作ってみるのもいいかもしれない。

今朝方の夢について振り返りを行い、そこから早朝の作曲実践に取り掛かりたいと思う。夢の中で私は、実際に通っていた中学校の校舎の中にいた。校舎の廊下を歩いていたわけではなく、教室の席に腰かけている自分がそこにいた。

私の座席は教室の右隅の一番後ろにある。どうやらこれから部活の顧問の先生が受け持っていた理科の授業が始まるようだった。

授業が始まってみると、私は授業そっちのけで、空想の世界の中にいた。何を考えていたのかは自分でも定かではなく、ただただ空想の世界の中で楽しんでいる自分がそこにいた。

しばらく空想の世界に浸り、現実世界の教室に意識が戻ってみると、先生の授業がとても退屈なものに思えてしまた。そうした思いが私の表情や態度に表れてしまっていたのか、先生は眉をひそめて私の方を見た。

そこで私は、授業を放棄して、教室を抜け出そうと思った。席から立ち上がると、自分のカバンがなぜか三つも四つもあり、肩にかけていたそれらのうちの一つの紐が、隣の席に引っかかってしまった。そのため、すぐに教室から出ることはできず、引っかかった紐を解きほぐすのに時間がかかった。

いざ紐がほどけ、教室から抜け出ようと思った瞬間に、先生が激昂して私に罵声を浴びせてきた。私はそれを気にもとめず、教室のみんなに授業など聞かずに外に行こうと持ちかけた。

すると、クラスメートたちがぞろぞろと立ち上がり、荷物をまとめて教室の外に向かい始めた。先生はその光景を唖然として眺めていたが、しばらくすると先生は、教壇から降りて、教室の左隅の一番後ろの席に腰掛けた。

クラスメートたちが教室の外に向かう流れとは逆行して、私は先生のところに行き、お礼を述べた。それは若干皮肉も混じっていながらも、それでいて素直な気持ちを表明するお礼だった。

私:「先生、授業どうもありがとうございます。それでは僕たちはこのへんで失礼しますね」

先生:「あぁ。お礼を言わないといけないのはこちらかもしれない・・・」

先生はどこか神妙な表情を浮かべてそのように述べた。どうやら先生は、生徒たちが自分に立ち向かってくるような気概を持つことを期待して日々教育に当たっていたようであり、私たちが示した一見すると反抗的な態度は、先生が望んでいた教育成果でもあったようだ。そうしたことから先生は、私にお礼を述べようとしたのである。

するとそこで夢の場面が変わった。夢の場面が変わったはずなのだが、舞台は全く同じであった。

私は一つ前の夢の舞台であった教室にいて、しかも席も全く同じであり、教室の右隅の一番後ろに私の席があった。どうやらこれから数学の授業があるらしく、今は休憩時間のようだった。

ふと顔を上げると、私の席のすぐ近くに、小中高時代の親友(AF)と、最初のキャリアでお世話になっていた上司の女性が立っていて、何か真剣な表情を浮かべて話をしていた。

話の内容に耳を傾けてみると、どうやら別れ話のようであった。私の親友は事情があって、新たな場所で新たな挑戦をするようであり、そのため上司の女性に別れ話を持ちかけていたようだった。上司の女性は、「ひどいじゃない」と述べつつも、感情を乱すことなく冷静に親友と話をしていた。

そこでようやく私は、自分の前の席に小中学校時代の友人(MS)が机に伏して寝ていることに気づいた。彼の様子を後ろから見ていると、どうやら寝たふりをしているようであり、壁際で行なわれている別れ話に聞き耳を立てているようだった。

そうこうしているうちに休憩時間が終わり、数学の女性教師が教室に入ってきた。ここでも私は、すぐさま授業が退屈になってしまい、教室から抜け出そうと思った。

:「先生、このあいだの宿題の解答に間違いは一つもないですよね。間違いがなければ、もう帰ります」

私は幾分尊大な態度でそのように述べると、先生は無言で私にノートを手渡した。見ると、私が行った証明問題の解答に対して、丁寧な添削がびっしりなされていた。

宿題として出された問題は中学校レベルのものだったのだが、私は大学数学の知識を活用してすべての問題に解答しており、それに対して先生はさらに高度な数学を駆使して添削を加えてくれていた。私はそれを見たとき、「やられた」という思いと同時に、先生の教育心に感銘を受けた。

先生の丁寧な添削を眺めていると、自分にはまだまだ知りえない奥深い数学の世界があることを知った。私はノートの中に、証明問題に対する解答だけではなく、色鉛筆を使って絵も描いていた。

なんと先生も、証明問題の解答に対して添削をするだけではなく、先生自身が私のノートに絵も描いてくれていた。それを見て、すでに席を立ちあがっていた私は再び着席し、引き続き先生の授業を受けようと思った。フローニンゲン:2019/8/22(木)06:32

4879. 言葉を発して行う内省実践が持つ学習効果を実感して

時刻は午後の7時を迎えようとしている。今日は、朝の時間帯は寒くかったが、夕方は暖かく、夕方の時間帯にジョギングに出かけた際は大変心地よく感じた。今日一日を振り返ってみると、随分と多くの音声動画を作っていたように思う。

それらはすべて一昨日に作ったYoutubeチャンネル「ライフ・イズ・ボルダリング」と、昨日に作ったYoutubeチャンネル「ライフ・イズ・ミュージックコンポジション」に関するものである。

まず早朝の4時前に目覚めた後、書斎に到着してから真っ先に行ったのは動画の作成であった。その後も作曲実践を行っているプロセスを動画にして行ったのだが、やはり曲を作りながら独り言のように言葉によってプロセスを解説していくと、自分の頭の中が可視化され、遅行性のある文章では実現できない学習効果を実感した。

作曲をしている最中に自分が何を考え、何を感じているのかを実際の言葉にしてみると、自分でも思わぬ発見の連続で驚いている。動画を始めてすぐの時は、一つの曲を作っている最中にそのプロセスを言葉にしていくのは億劫のように感じられ、そうしたことに時間を使ってしまうと、作れる曲の数が減ってしまうことを懸念していた。

確かに、今日もわずか二曲ほどしか作っていないのだが、これまでの私は数を求めすぎていた傾向があり、今後は一つ一つ自分の作曲プロセスを自ら確認し、その場その場で課題や発見事項を見つけ、次の作曲実践に活かしていくという形の質の高い実践をしていきたいと思うようになっている。

そうしたことを実現させてくれる助けになるのが、まさに音声動画の作成なのだと本日強く実感した。ここからは、仮に一日に作れる曲の数が少なかったとしても、一つ一つの作曲実践をより大切にする形で進んでいきたいと思う。

やはり、自分だけが曲を作って楽しむのではなく、他の人も音楽を作ることの楽しさを味わってほしいという願いにも似た思いが最近強くなってきている。明日からもまた、作曲実践に従事するのは午前中から午後の早い時間までにし、午後の半ばからは、作曲実践に従事するのではなく、他の人も作曲実践に踏み出してもらえるように音楽理論や作曲方法の解説動画を作る時間にしたいと思う。

ここから、ボルダリングや作曲に関して、ひたすら言葉を通じて学習過程と実践について言語化による振り返りを続けていけば、その分野に関する知識と実践力が本当に高まっていくのかを自らを実験台にして検証してみたいと思う。

今夜はこれから、オンラインゼミナールの補助録音音声を作成していきたいと思う。フローニンゲン:2019/8/22(木)19:09

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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