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4329-4332:フローニンゲンからの便り 2019年5月8日(水)


タイトル一覧

4329. 幸福感の源:フローニンゲンに戻ってきて

4330. フローニンゲンでの生活の再開

4331. フローニンゲンに戻ってきた初日に見た夢

4332. 午前中の買い物と仮眠中のビジョン

4329. 幸福感の源:フローニンゲンに戻ってきて

オランダの、そしてフローニンゲンの落ち着きに深く感激している。現在の私の幸福感の源は、間違いなく、オランダとフローニンゲンが提供してくれる落ち着いた生活環境なのだと再認識する。

昨夜就寝に向けてベッドの上で少し仰向けになっていると、辺りは静寂に包まれており、どこからともなく小鳥たちの鳴き声が聞こえてきた。その鳴き声に静かに耳を傾けていると、心身の全てが洗われ、なんとも言えない浄福さを感じた。

また、私は正直なところ、この地で生涯を閉じてもいいとすら思ったのである。オランダ、あるいは北欧諸国の落ち着いた街でライフワークに絶え間なく励み、その地で客死を遂げ、生涯を閉じること。それが少しずつ現実味を帯びてきている。

確かに、今回の旅を通じて訪れたバルセロナとリスボンは素晴らしい街であった。だが、バルセロナよりも落ち着きのあるリスボンですら、フローニンゲンの落ち着きにはかなわない。

時刻は午前五時半を迎えた。昨夜は旅の荷ほどきなどをしており、就寝がいつもより30分遅く、22:30となってしまい、その結果として今朝の目覚めは午前5時と比較的ゆったりとしていた。

目覚めた瞬間に、寝室の外の世界には小鳥の清澄な鳴き声がこだましていた。

「幸福さに投げやりになる」というような感覚。言い換えると、幸福さの中に完全に自己を明け渡し、自己の囚われから解放される形で幸福さの奥へと溶け込んでいくような状態に私は見舞われた。

とても大きな感動の波がやってきた。繰り返し述べるが、こうした平穏な場所で毎日を生きられることに無上の幸福さを感じ、同時に、そのように生きられることに対して大きな感謝の念を持った。

昨日フローニンゲンに戻ってきた時に感じたのは、まずは何はともあれ、その寒さである。リスボンからアムステルダムに向かうフライトが40分の遅れがあったため、フローニンゲン駅に到着したのは午後7時であった。

列車から降りた時に、すぐに肌寒さを感じた。春秋用のジャケットだけでは足りず、マフラーと手袋が必要になるような寒さだった。

自宅に戻ってからは、ヒーターをつけ、今もそれをつけている。昨日の段階では、今日の最高気温は9度、最低気温は0度の予報であったが、今改めて確認してみると、最高気温は12度まで上がり、最低気温は3度とのことである。そうだとしても寒いことに変わりはなく、今夜からまたしばらくは、湯たんぽを使って寝るだろう。

フローニンゲンの自宅に戻ってきた時、なんとも言えない安堵感と幸福感があった。やはり自分がライフワークに打ち込むのはこの場所なのだ。ここには私が必要とする唯一のもの、つまり絶対的な落ち着きがある。

12日間ほど旅に出かけてみると、書斎の窓枠から見える絵画的風景がすっかり様変わりした。みずみずしい生命力の溢れる新緑が主要なモチーフとしてそこにある。

しかもそのモチーフは、呼吸をし、躍動をして、絶えず生きている。その姿を見た時、またしても私は、この生を生きることの中に溶け込んでしまいそうであり、生きることの中に恍惚さを見出し、それを見出した自己を見失うほどの感動の中にいた。

今日から再び、この場所で私は生きて行く。ただ日々を、自分にできる限りのことをしながら、浄福さと自己が一対のものとして生きて行く。

早朝の小鳥たちの鳴き声が、いと高きところに向かい、そこから再び地上に降り注いでいる。フローニンゲン:2019/5/8(水)05:48

No.1924: Dew of Early Spring

Since it will start to rain in the afternoon, I’ll go shopping shortly. Groningen, 09:35, Wednesday, 5/8/2019

4330. フローニンゲンでの生活の再開

時刻は午前6時を迎えようとしている。小鳥たちの鳴き声が、早朝のそよ風に運ばれ、フローニンゲンの街を回遊している。

彼らの鳴き声は、回遊魚のようにさすらい、さすらう鳴き声に耳を傾けている私もまた、この世界を生きる過程の中でさすらう。人生とは、かくのごとくさすらうもののようだ。

昨日をもってして、バルセロナ・リスボンの旅を終えたが、人生という大きな旅はまだ終わらない。それはそもそも始まりも終わりもなく、旅を超えたものですらあるように思う。

人生というのは、「旅をする」という行為を超えたものであり、一つの究極的に大きな全体のゆるやかな進行のように思えてくる。そしてそれは、一つの生命であり、生命のように変化を遂げながら進行していく点に尊さを見出す。

今、有機八丁味噌を使った具なしの味噌汁を飲んでいる。旅の最中にはこれを飲むことができなかった。今それを飲んでみて、感動の渦の中に引き込まれてしまいそうである。

早朝の一杯の味噌汁に感動し、こうした味噌汁を落ち着いた環境の中で飲めることに感謝の念を捧げている。

今朝5時に起床した時点で、辺りはすでに薄明るくなっていた。6時を迎えた今は、もうすっかり明るい。

空にはうっすらとした雲があるが、総じて青みがかっている。天気予報によると、今日は午前中から雨が降るようだが、今の天気の様子からはそれが信じられない。

一応昨日フローニンゲンに戻ってきた時に、スーパーでオーガニックの果物と野菜を購入しているため、ここから数日間の食事で困ることはない。昨日フローニンゲンに戻ってきた時にはすでに市場が閉まっていたため、今日は午後から市場に足を運びたいと思う。

雨が降り出すと、外出は億劫に感じられるかもしれないが、今日は雨のフローニンゲンの街を歩きたい気分である。市場に行って、スーパーではあえて購入しなかった野菜をいくつか購入し、アーモンドとくるみをそれぞれ150gずつオーガニックナッツ専門店で購入したい。

昨夜は早速、スーパーで購入したオーガニック野菜をふんだんに使ったサラダを作って食べた。バルセロナとリスボンでは、上質な野菜をふんだんに使ったサラダを毎日食べていたが、自分が選んだ新鮮な野菜を使ったサラダの味はやはり格別である。

サラダに和える味噌がなんとも言えず素晴らしい。それに一食あたりの価格が歴然と異なることも忘れてはならない点だろう。

良質なものをこれだけ安価にいただけるということに改めて感謝の念を持ちながら、これから再び始まるフローニンゲンでの生活を過ごしていきたい。

何をどれだけ食べるのかという点は、絶えず検証にさらされることによって、徐々に自分の心身に合致したものになり始めた。旅行に出かける前は、目覚めの一杯として水を飲み、その後ヨガの実践をした後に、白湯にココナッツオイルを溶かしたものを飲んでいた。

そこからしばらくして一杯の味噌汁を飲み、それに続く形で、ヘンプパウダーとココナッツオイルを白湯に溶かしたもの、カカオパウダーを白湯に溶かしたものを二杯午前中に飲んでいた。午前中の途中から色が濃いものをよく飲んでいたのだが、今日からはその途中に水を飲むことを挟み、二杯目のココアを飲むのは午後でいいように思う。

どのような固形物をどのタイミングで摂るかのみならず、どのような飲み物をどのタイミングで飲むかというのも、今後検証を進めていきたいポイントである。

小鳥たちの合唱が相変わらず美しい。換気のために窓を開けると、確かに肌寒い風が流れ込んできたが、その寒さに負けないほどの美しい歌声が部屋に流れ込んでくる。そしてそれは、自分の内側にも流れ込んできて、私の内側を幸福さで満たしてくれる。フローニンゲン:2019/5/8(水)06:21

No.1925: An Aftertaste of Trip

An aftertaste of the trip to Barcelona and Lisbon is emerging. Groningen, 17:06, Wednesday, 5/8/2019

4331. フローニンゲンに戻ってきた初日に見た夢

たった今、リスボン滞在中にずっと聴いていたピアノ曲集を流し始めた。これは、ポルトガルの作曲家が作ったピアノ曲が集められているアルバムである。

リスボン滞在中に得られた余韻がまだ自分の内側に残っているためなのか、このアルバムを引き続き聴きたいと思う自分がいる。もう少し小鳥たちの鳴き声だけに耳を傾けていてもよかったのだが、彼らの声を主旋律とし、このアルバム曲を伴奏にする形で、二つの音楽が一つになった音楽を聴きながら一日を過ごしていきたいと思う。

旅の最中の生活というのは、実はそれほど特別なことを行っているわけではなく、今回の旅で言えば、午前中いっぱいはホテルの自室で自らのライフワークに取り組んでいたという点において、フローニンゲンでの生活と何ら変わらない。

違いがあるとすれば、午後から観光に出かけるという点だけであり、今日からはそうした観光がなくなるために、ライフワークに打ち込む度合いがさらに増すだろう。この世界のどこにいても自らのライフワークに従事し続けることが可能になっていること、そして今日から再び自らのライフワークに集中できることに有り難さを感じながら、これからの日々を過ごしていく。

フローニンゲンに戻ってきてからの初日の朝方に早速夢を見ていた。夢の中で私は、小中高時代の親友(HO)の実家を訪問していた。

その友人の実家は、小高い山の上にある住宅街の一角にある。厳密に言えば、住宅街の中でも一番高い山の部分にあった。

彼の家に到着すると、私が知っている友人の家とは外観が異なっており、壁が全てガラス張りになっており、外から家の中の様子が全て見えた。

玄関の呼び鈴を鳴らそうとすると、家の中にいた友人の母が私に気づき、呼び鈴を鳴らす前にドアを開けてくれた。すると、家の中には友人の母だけではなく、二人の祖母が遊びに来ているようだった。

そこに友人の父はおらず、友人一人と、友人の母親、そして友人の二人の祖母がいた。友人を除いて、三人が着飾っている点に私は気づき、その点について友人の母に尋ねてみた。

すると、これからクラシック音楽のコンサートがあるとのことであり、私も一緒に行かないかと誘ってもらった。その誘いはとても有り難く、コンサートに出かけてもおかしくない格好で遊びに来ていたたが、念のため正装しようかと思い、一旦自宅に帰ることにした。

友人の母は、その必要はないと私の述べたが、やはり私は着替えてこようと思った。友人の自宅がやたらときらびやかであり、置かれているものも含めて、全てが豪華だったことが印象に残っている。

次の夢の場面では、私は二人の日系アメリカ人と話をしていた。そこは見慣れない場所であり、大学のカフェテリアのような場所だった。

どのような経緯でそのようなことになったのか定かではないが、二人の日系アメリカ人の男性が、私に何か飲み物を選べと持ちかけてきた。しかも、その飲み物を十分持ってこれから一緒にどこかに出かけようと述べた。

私はどういうわけか、普段ほとんど飲まないレモンウォーターを選び、それが詰められたビンを三本持っていくことにした。だがそのうちの一本は、すでに半分ほど消費されているもの、あるいはそもそも最初から半分しか詰められていないようなものだった。

三本のレモンウォーターを持ってカフェテリアを出ようとした時、私たちは共通のおもしろ話をしており、私が「あの場面は思わず笑い出しそうだったよ」と英語で述べた時、一人の日系アメリカ人が英語で、「“cry”? “laugh”じゃなくて?」という意味の言葉を述べた。

私は自分が“burst into cry”と述べてしまった時、その瞬間に“laugh”と言うべきだったと気づいていた。だがもう一人の日系アメリカ人が笑みを浮かべながらうなづいていたため、語彙の間違いに気づきながらも、それを即座に訂正する必要はないと判断していた。

もう一方の日系アメリカ人の指摘を受けて、“burst”という単語の過去形が“burst”のままでよかったかどうかも気になり始めた。そこで夢から覚めた。フローニンゲン:2019/5/8(水)06:44

No.1926: In the Morning Filled with Fresh Verdure

I’m watching fresh verdure trembling in a gentle breeze.

The scene relaxes me deeply. Groningen, 07:45, Thursday, 5/9/2019

4332. 午前中の買い物と仮眠中のビジョン

時刻は12:30を迎えた。今日は午後から雨のようなので、午前中に買い物に出かけてきた。

今日は水曜日であるから、街の中心部で市場が開催されている日である。自宅を出発し、爽やかさが漂う街中を歩きながら中心部に向かってみると、いつもと様子が違うことにすぐに気づいた。

すっかり忘れていたが、毎年この時期は一、二週間ほど、街の中心部に移動式の遊園地がやってくるのであった。いつもは市場が開かれている場所に観覧車やメリーゴーランドなどが設置されており、市場が休みなのだと知って少々残念に思った。

だがこれもフローニンゲンの一つの風物詩であるから、その光景を少しばかり楽しんだ。市場で購入しようと思っていたものは全て、近くのオーガニックスーパーで調達した。

正直なところ、市場で購入するのとこのスーパーで購入するのとでは、品質も価格もあまり変わらないのではないかと思えた。もう暫く街の中心部の市場が休みであるから、このスーパーには足繁く通うことになるだろう。

ひょっとすると、市場とスーパーを二つに分けて行くのではなく、今後はこのスーパーで買い物を済ませるようになるかもしれない。市場は月・木・日と休みであり、さらには今日のように、不定期で突然休みがあるので、そうしたことを考えると、スーパーを利用した方が楽だと言えなくもない。

書斎の窓から見える景色が随分と変わったことについては、今朝方の日記で書き留めていたように思う。私がフローニンゲンを離れている間に、新緑が随分と増え、生命力に溢れる景色が広がっている。

確かに今もまだ気温が低く、つい先ほどまでヒーターをつけていたが、厳しい冬がなんとか終わりを迎えようとしており、そうした厳しさを乗り越えた後でしか得られない生命の力強さと輝きをこれからの季節において感じることができるだろう。

おそらくそれは、自分自身にも当てはまることではないかと思う。厳しい冬の時代を乗り越えた後の自分は、新たな自己としてそこにいるはずである。

厳しい冬を何度も乗り越えていくという経験をこれからも重ねていこうと思う。

今朝は5時に起床し、それほど早い起床ではなかったが、先ほど仮眠を取った。仮眠中に少しばかりビジョンを見ていた。

ビジョンの中で私は、バルセロナ、リスボン、フローニンゲンの三つの都市が混ざったような街を歩いていた。途中で友人か誰かと遭遇し、その人に話しかけられたのを覚えている。

そして印象的なシーンとしては、街を歩いている最中、私は喜びの表情を浮かべながら数学の問題を解いていたことである。頭の中は問題を解くことに熱中しており、体は街を歩くことに熱中しているようだった。

そして頭と体を総合した自己は、この世界で生きることに熱中しているようだった。仮眠から覚める直前には、まだ仮眠から覚めたくないという思いがあり、薄れていくビジョンをそれが完全に消えるまで眺めていた。フローニンゲン:2019/5/8(水)12:56

No.1927: A Dance of the Blue Sky

Although it will start to rain in the evening, I can see the blue sky above Groningen doing a dance. Groningen, 09:59, Thursday, 5/9/2019

5月8日(水)に生まれた曲たち

Op.1116 新緑の散歩

Op.1117 初春の露

Op.1118 旅の余韻

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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