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4233-4239:フローニンゲンからの便り 2019年4月25日(木)


タイトル一覧

4233. 明日からの旅行に向けて

4234. 夕食の再検証と旅行後からの夕食について

4235. 両親からふんだんな愛情を注がれて育ったことに関する夢

4236. 発達における父との関係性

4237. 今朝方の夢

4238. 写経実践の本格的な開始

4239. 仮眠中のビジョンと他者を通じた創造行為

4233. 明日からの旅行に向けて

今朝もここ数日と同様に、午前三時半過ぎに起床した。朝の諸々の習慣を実施し、四時あたりから一日の活動を始めた。

昨夜の九時頃あたりから、突然雨雲が現れて、雷を伴う雨が降り始めた。就寝中も雨が降っていたようであり、窓ガラスには雨滴が少しばかり残っている。

幸いにも今は雨は止み、闇と静寂さに包まれた世界が外に広がっている。昨晩雨が降ったおかげか、早朝の気温は低くなく、早速寝室と書斎の窓を開け、換気を行うことにした。

いよいよ明日からは、バルセロナ・リスボン旅行が始まる。今日の夕方あたりに、明日の出発時刻などをもう一度確認しておきたい。

飛行機のボーディングが始まるのが昼の12:00頃であるから、アムステルダム空港には10:30までには到着しておきたい。そうなってくると、フローニンゲンを8:00あたりに出発する列車に乗る必要がある。

まずは列車の時刻を調べ、その次に、バルセロナの国際空港からホテルまでの列車の時刻と、駅からホテルまでの地図を調べておきたい。今回の旅では、両都市において、国際空港に直結している列車の駅近くのホテルに宿泊することにした。

バルセロナの国際空港からホテルまでは列車で一駅、20分ほどの所要時間であり、駅からホテルまでは歩いてすぐの距離なので、それほど迷うことなくホテルに到着することができるだろう。初日に関して言えば、バルセロナに到着するのが午後三時あたりだったと記憶しており、すぐにホテルでチェックインをして、部屋に荷物を置いたら、バルセロナの街を早速散歩がてら観光したいと思う。

先ほど天気予報を確認したら、バルセロナに滞在中の六日間は全て快晴であり、気温も20度以下の大変過ごしやすい天候に恵まれる。15度近くまで気温が下がる日もあるようなので、春秋用のジャケットを持っていくようにしたい。

初日に関しては、どこかの美術館や博物館をゆっくりと巡る時間はなく、ガウディの代表的な建築物を一つか二つ眺める程度になるだろう。その他には、バルセロナ市内で幾つか目をつけているオーガニックレストランの場所を歩いて実際に確認し、オーガニックスーパーで果物類を購入しようと思う。

オーガニックスーパーで果物類を購入するのはもしかしたら二日目でいいかもしれない。というのも、今フローニンゲンの自宅に残っている果物を明日は持って行き、それを夕食として食べる計画を立てているからである。

今、冷蔵庫にはリンゴ一個とキウイフルーツ一個が残っており、今日はそれを食べることを控え、それらは明日の夕食とする。数日前に街の市場で購入したローストされたアーモンドとくるみも今回の旅に持参しようと考えており、二つの果物とナッツ類があれば初日の夕食は十分だろう。

時刻は早朝の四時半を迎えた。小鳥たちはまだ目覚めておらず、辺りはとても静かだ。おそらく後数分ほどしたら小鳥たちも目覚め、いつものように美しい鳴き声を上げてくれるだろうと期待する。

旅行前の今日もまた充実した一日になるだろうという予感、そして明日からの旅行も非常に充実したものになるだろうという確信が自分の内側から滲み出してくる。フローニンゲン:2019/4/25(木)04:35

4234. 夕食の再検証と旅行後からの夕食について

時刻は四時半を迎え、今、小さく小鳥の第一声が聞こえ始めた。書斎の中に流れているモーツァルトのピアノ曲をいったん止め、ここからはしばらく小鳥たちの鳴き声に包まれながら早朝の取り組みに従事したい。

今、手元の裏紙にある比を記入した。それは食事に関する比である。

この二ヶ月弱、一日一食生活を行ってみていろいろな発見があったことは過去の日記の中に書き留めている通りである。そこからさらに、旅行が近づいてきてからの食事に関して、この数日間においても新しい発見があった。

旅行の三日前に市場に買い物に行った際に、当然ながら旅行を計算して買い物をした。だが、その計算によって算出された量が少し多かったようであり、それに伴って今後の夕食について見直す素晴らしいきっかけとなった。

この二日間、特に一昨日は相当の量の野菜サラダを食べた。昨日はそこから少し量を減らし、本日野菜サラダを作れば野菜をほぼ全て消費することができる。

昨日の夕食を通じて気づいたのは、これまで毎日夜に食べていたものを二つの種類に分けて、二日に分けて食べるというものである。これまでは基本的に、夕食の一時間半前にリンゴを一つ食べ、夕食の始まりはトマト一個と有機豆腐およそ100g、その後新鮮な野菜をふんだんに使ったサラダにナッツ類と玄米味噌を和えたものを食べ、食後のデザートとして中ぐらいのサツマイモを茹でたものを食べていた。

それらを全て食べると、十分に腹が満たされるのだが、この二日間においては十分過ぎるという感覚があり、むしろそれは自分の身体が欲している以上に食べているように思えたのである。

もちろんそれらの食事は全て消化が良いため、就寝前には消化がほぼ終わっている状態なのだが、それでもそれほどまでに食べる必要がないように思えてきたのである。しかも昨日は、トマトと豆腐を食べ始めたのは六時であり、それらを食べた後にサラダを作って夕食を食べ終えたのは夜の七時半であった。

夕食に時間をかけるのは良いことなのだが、それでも少々時間をかけすぎているように思われた。今の自分の身体が欲している以上に食べている感覚がする点と、夕食に時間をかけすぎている感じがある点を考慮して、これからは軽めの夕食を摂る日と、野菜を多く使ったサラダを食べるという比較的量のある夕食を摂る日の二つを交互に行き来するような食生活にしていこうと思ったのである。

それに付随して、これまでは毎日リンゴを食べていたが、別に毎日食べる必要はなく、とはいえ二日に一回はリンゴを食べたいと思ったため、リンゴは比較的質素な夕食を食べる日の前に食べることにした。リンゴを食べない日においては、トマトを果物代わりに食べてもいいし、それは野菜サラダと一緒に食べても良い。

そうしたこともあり、「質素な夕食」:「豊富な野菜を食べる夕食」=「4日」:「3日」の構成比に基づいた食生活をデザインしてみることにした。もちろん、その比は逆にしても良いかもしれないが、今のところの感じでは、質素な夕食を多くした方が心身に良い影響を及ぼすような感じがしている。

質素な夕食の具体的な内容は、有機豆腐130-135g、天日干ししたしいたけ二、三個と小さな玉ねぎ一個を使って作った味噌汁、中ぐらいの大きさのサツマイモ一個を茹でたものを食べるというものだ。また、この種類の夕食を食べる一時間半ぐらい前をめどにリンゴを一つ食べる。

こうした質素な夕食を食べた次の日は、新鮮な野菜を豊富に使ったサラダを食べる。今のところ、ナッツ類はこのサラダに入れて食べることを考えているが、もしかするとナッツ類は質素な日の夕食においても食べて良いかもしれない。

とりあえずは、ナッツ類はサラダに和えて食べることを中心にしていく。バルセロナ・リスボンの旅行から帰ってきたら、早速この食生活を試してみようと思う。

比の構成に従って、街の市場で購入する果物や野菜の量(リンゴ、サツマイモ、トマト、ニンジン、しいたけなどの個数)を算出・調整し、量を間違えないように購入したい。今後の夕食を上記のものにしていけば、街の市場に行くのは一週間に一度でよく、買い物に行く手間が省けるのも喜ばしい点である。

本来であれば、今日の夜に全ての野菜を食べきろうと思っていたが、食べ過ぎを防ぐために、明日だけは例外として、朝と夜の二回の食事を行うことにする。旅行に向けて出発する前に、上述の味噌汁を作り、茹でたサツマイモ食べてからフローニンゲン駅に向かおうと思う。

とにかく自分の身体と心と常に対話をし、対話から得られる事柄を元に絶えず食生活や日常生活におけるその他の習慣を見直し、検証していく。フローニンゲン:2019/4/25(木)05:05

4235. 両親からふんだんな愛情を注がれて育ったことに関する夢

雷を伴う雨が降った翌日の朝は、再び静寂さが戻り、午前五時を迎えた今はとても静かである。そうした静けさに花を添えてくれているのが小鳥たちの澄み渡る鳴き声である。

私はまだ音楽の形式に精通していないが、例えば昨日の小鳥たちの鳴き声が奏でる歌は「小鳥ソナタ1番」、今日の小鳥たちのそれは「小鳥ソナタ2番」などと命名することができるかもしれない。それは別にソナタ形式でなくても良く、ロンド形式だとか、その他の様々な楽曲形式構成を考えることができる。

ここで言わんとしていることは、鳥たちの早朝の歌は毎日異なるのだということであり、そうした違いを私は味わいたいということである。そのようなことをふと思う。

今朝方の夢についてまだ書き留めていなかったので、夢について書き留めておきたい。夢の中で私は、中学校時代に過ごした社宅と高校時代に過ごした社宅の二つが組み合わさったようなアパートのリビングにいた。

リビングに両親の姿は見えなかったが、そこになぜか高校二年生の時のクラスメートの女性と彼女の母がいた。私は、二人が自分の家のリビングにいることをそれほど不思議に思わず、違和感なく二人とリビングで会話をしていた。

話の流れで、少々照れくさい話ではあるが、両親が自分のことをどれほど愛してくれているのかを伝えるエピソードを二人にシェアした。私は、父と母が無意識的に行う言動から自分への愛を絶えず感じていたことを示す具体例をいくつか示していた。

まず母に関するエピソードとして、母がうたた寝をしている最中の寝言の中に自分のことを大切に思っている内容のものがあったことをシェアした。そして、父に関して言えば、父が風呂に入っている時に、自分を大切に思っていることを伝えるような大きな独り言を述べていたエピソードをシェアした。

現実世界においても、私が中学生になり、父がマレーシアに単身赴任する前まで、風呂場で上記のような独り言を大きな声で父が述べていたことを覚えている。父と母のエピソードを紹介しながら、私は自分がどれだけ愛されながら育ってきたのかを改めて思った。

そして私は、リビングにいるクラスメートとその母に向かって、「もしかしたら自分もそうした言動を無意識的に行っているかもしれませんね」と照れ笑いを浮かべながら述べた。そこで夢の場面が変わった。

上述の通り、両親は自分に無上の愛を注ぎながら私を育ててくれたのだと今でも思う。夢の中で紹介したエピソードの中で、母がうたた寝中に独り言を述べ、それが自分への愛を示すものだったということは現実世界においては記憶にないが、母からの愛情は常に感じていた。

父にまつわるエピソードは様々なものがあり、夢の中で紹介したエピソードは本当のものである。父が浴室でどのような独り言を述べていたのかという内容を今でも鮮明に覚えている。

笑い話としては、今は愛情を明示的に注ぐ対象が私から愛犬に変わったのか、風呂場での父の独り言の文章構造そのものは今でも変わりないのだが、現在は主語、ないしは目的語が私の名前から愛犬の名前に変わっている。それは大変微笑ましい。

いずれにせよ、改めて私は、両親からふんだんな愛情を注がれて育ち、それがこの世界で生きるために必要な強固な根を育むことにつながったのだと思う。この世界は確かに魑魅魍魎と危険で満ち溢れているが、そうした世界の中にあっても、「この世界にあるということへの絶対的な安心感」のようものを携えて日々生きることができているのは、両親が愛情を持って自分を育ててきてくれたからに違いない。

一生涯にわたる健全な発達を促す子育てに関する手本を、私は両親の子育ての中に見い出す。二人は、現代社会における多くの親が行いがちな、化学肥料を植物に与えるような子育てをせず、また葉や花だけに注目するような子育ても決してしなかった。

両親はある意味、発達及び生命の根幹である自分の根だけを絶えず見つめ、その根に愛情という養分を注ぎながら自分を育ててくれたのだと思う。

早朝の小鳥の鳴き声を愛でる心を持てていること、こうして私が異国の地において、絶えず自分自身であり続けることができていることの背後には、両親の愛情をふんだんに受けて育ったという事実が存在している。フローニンゲン:2019/4/25(木)05:44

4236. 発達における父との関係性

今朝方の夢について振り返った時、人間発達において、両親の子育てに関する思想や方法は極めて影響が強いということを改めて考えていた。それは自分においても例外ではなく、やはり両親が自分に与えてくれた影響には多大なものがあると思う。

そしてそれは過去形のものではなく、現在完了形として今でもその影響は継続している。おそらく子供にとっては母というのは絶対的な存在であり、私にとってもそうだ。

父というのも大きな存在であることに変わりはないのだが、父というのは人間発達においてなかなか興味深い存在であると思う。私もよく父と自分とのこれまでの関係性の変遷について考えることがある。

以前、「父殺し」に関する夢を見ていたことを日記に書き留めていたように思う。特に男性の発達においては、父を乗り越えていくという意味での父殺しは不可欠なものであり、そうした儀式を経なければ、健全な発達はなしえないことを最近痛感する。

ここ最近は父が夢の中に出てくることはあまりないが、定期的に父が現れ、その中で父と時に和気藹々と接することもあれば、時にとんでもない形で対決することがある。そうした夢がまだ現れることを考えてみた時に、私の中ではまだ父を乗り越えるという意味での父殺しが完成していないのだと思われる。

ここで述べている「父を乗り越える」というのは、社会的な地位や実績などに関するものでは決してないことは言うまでもないだろう。父を乗り越えるということに関して、数年前に実家に戻った時に、父が私のそばで笑みを交えながら、「ついに越えられちゃったかな」とぼそりと述べたことを覚えている。

その時は、父方の祖母が父に電話をしてきて、その前に私が書籍を出版しており、そこから話が発展して、祖母が父に、私が父をついに超えたのかどうか、超えたとすればどう思っているかを父に尋ねたそうだった。そんなやり取りが祖母と父の間にあったらしく、それが元に父は私に上記ような言葉を投げかけたのだと思う。

私はその言葉を聞いた時、幾分驚いた。私から見ると、乗り越える云々という対象で父を見ていなかったからである。父を乗り越えようと意識的に思っていたのは、父が単身赴任でマレーシアに行くことにった中学校一年生の春か夏頃までだったと記憶している。

そこから高校二年生まで父とは離れて暮らしており、春休みと夏休みは父が住んでいるマレーシアに遊びに行き、休み期間中は全て東南アジアで暮らしていた。当時はメールや携帯などが発達していなかったから、中学一年生から高校二年生まで父と会話をする機会があったのは、そうした長期の休みの期間だけだった。

そうした形で父に会うたびに、父を乗り越えていく存在とみなすのではなく、私は父を乗り越えようと思う前段階に長くとどまっていたように思う。おそらく父を乗り越えていくプロセスとしては、偉大な父の存在を認識し、そこから疑義や嫌悪が生まれ、ようやくそこから父を乗り越えようとする意思が芽生えてくるのだと思う。

私の中では、父の偉大さは際立っており、父に対して疑義や嫌悪が生まれたのは随分遅かったように思う。そうした芽生えが出てきたのは、父がマレーシアから戻ってきて、四年振りぐらいに一緒に生活を始めた高校二年生の頃だったように思う。

ちょうど一昨日に、母校一橋大学の入試問題を眺めていたことを日記に書き留めていたように思う。実は父は私の大学の先輩であり、私が小学校三年生の時に一橋大学に入学しようと思ったのは、父がこの大学を卒業したと単に知ったからである(父の出身は埼玉県であり、幼かった私は、一橋大学は埼玉県にあると長く思い込んでいた)。

今となって考えてみると、私は思慮深く大学を選んだわけではなく、極めて単純な理由から選んだのだが、正直なところ、父が卒業した大学であれば日本である必要もなく、アメリカのイェール大学、タイのマヒドン大学、南アフリカのケープタウン大学、イギリスのケンブリッジ大学など、どこでもよかった(そうした各国のトップ大学である必要もなかった)。

そうしたことを思わせてくれるぐらいに、父に対する憧れのようなものが長く私の幼少時代に存在していたように思う。そこから時が流れ、父との関係性も緩やかに変化をしていった。

気がつけば、今でも父に対する尊敬の念は絶えないが、もはや乗り越える・乗り越えないという観点で父を見ていなかった自分が生まれていた。そうしたこともあり、数年前に父から投げかけられた言葉に驚いたのである。

それでは今現在、私が父をどのような存在だと思っているのかについて考えてみると、これがまた非常に複雑であることに気づく。夢の中で時々父が現れ、夢の内容をつぶさに観察してみると、その複雑さがわかる。

結局のところ、父と息子の関係性というのは全くもって単純ではなく、これから自分が生涯にわたって発達を遂げていく際に、絶えず内省をしていくテーマなのだと思う。

今年の九月末に実家に戻った時には、父とまた話ができることが楽しみであり、一緒に釣りに出かけてもいいかもしれない。実家に滞在中も一日一食生活を実践していくが、そうなれば、母の手料理のみならず、父の手料理がさぞかし美味しく感じられるだろう。フローニンゲン:2019/4/25(木)06:22

4237. 今朝方の夢

時刻は午前六時半を迎え、太陽がゆっくりと昇り、辺りは随分と明るくなった。初春の朝の爽やかな風がフローニンゲンを吹き抜け、その風は街路樹に挨拶をするかのように、街路樹の葉を揺らしている。

書斎の窓から見える景色は新緑に彩られたものとなり、小鳥たちの美しい鳴き声が新緑の世界に新たな色を吹き込んでいる。どうやら私には、小鳥たちの鳴き声は黄色に感じられるようだ。それは決してギラギラとした黄色ではなく、色彩鮮やかな黄色であり、自分の核にある色と似ているように思われる。

昨夜のどす黒い雨雲が嘘のように、今朝の空は雲ひとつなく晴れ渡っている。空の爽やかな青さのその先にある成層圏まで手が届きそうな空だ。

先ほどまでは今朝方の夢について振り返っており、そこから発達と父との関係性について書き留めていたように思う。今朝方はもう一つ夢を見ていたので、それについても書き留めておきたい。

夢の中で私は、母と旅行に出かけていた。この旅行は一風変わっており、母と私が協力して、未開地域に住む人々の生活を調査することを目的にしたものだった。その調査を無事に終えた母と私は、バスに乗って自宅に戻ろうとしていた。

厳密に言えば、バスを運転していたのは母であり、母と私の二人しかいなかったのに、母が運転していたのは大きな観光バスであった。特に渋滞に巻き込まれることもなく、バスは順調に自宅に向かっていった。

途中で私はうたた寝をしてしまったのか、気がつくと、瀬戸内海の海岸線の松林が目に入ってきて、その辺りは友人の家の近くだと思った。すると、バスの速度が遅くなり、母がバスを駐車場に入れ始めた。

見るとそこは自宅ではなく、小学校まで一緒だった友人(小学校の高学年の時に隣町に引っ越したSM)のアパートの駐車場だった。私は一瞬、「あれ、おかしいな」と思ったが、それほど気にすることなく、停車したバスから外に降りて、新鮮な空気を吸った。

穏やかな瀬戸内海を眺めながら、海岸沿いの松林を吹き抜けていく風は清々しかった。母がバスから降りてきた瞬間に、私はこれから自宅ではなく、近くの旅館に宿泊するのだとわかった。その旅館にこもる形で、今回の調査結果をまとめていくのだと察したのである。

海岸沿いにある旅館は、とても高級そうに見えた。実際に中に入ってみると、内装は大変素晴らしく、綺麗であり、それでいて決して華美なところはない。

和の良さが醸し出されている素晴らしい旅館だと私は思った。まず最初に母と私は食堂に行き、そこのテーブルを使って研究結果に関する資料を広げ、まとめの作業を行っていくことにした。

食堂に向かう前に、受付の近くで、立派なスーツを着た外国人のエグゼクティブ風のビジネスパーソン三人とすれ違った。また、食堂の近くにある暖炉の前のソファに腰掛けてくつろいでいる人の姿が目に入った。

食堂に到着してみると、すでに食事時を過ぎていたため、人はほとんどいなかった。真っ白なテーブルが輝いているように思え、あるテーブルに一人の芸能人が座って何か雑誌を読んでいた。

見るとその方は、某米国の名門ビジネススクールが出版しているビジネス雑誌の英語版と日本語版を並べ、それらを読み比べているようだった。日本語版を手前に置き、英語版を向こう側に起き、基本的にその方は日本語版を読んでいるようだった。

その雑誌はビジネス界では有名なのだが、私は「ビジネスパーソンがビジネス雑誌を読むというのは、世界観を限定するという意味でほぼ無益」と考えているようであり、その芸能人の方を少しだけ憐れむような目で眺めていた——芸能人がそのビジネス雑誌を読むというのは、ビジネスパーソンがそれを読むのとは違った意味がありそうだが。

母と私は、食堂の真ん中あたりにあるテーブルに腰掛けた。ちょうど席に着く前に、近くのテーブルに座っている若い成人女性が、解剖学のテキストを読んでいた。

そこには人体模型が掲載されていたり、むき出しの筋肉の一つ一つの筋繊維の名称が事細かく紹介されていた。なぜだか、先ほどの芸能人の方と同様に、その女性も、日本語のテキストと英語のテキストの二つを持っていた。

ところがその女性は、日本語の方を補助として使い、メインは英語のテキストのようだった。つい先ほど、有名なビジネス雑誌を懐疑的かつ軽蔑的な思いを持って眺めていたのとは異なり、解剖学のそのテキストはとても面白そうに思え、私の心は肯定的な感情に満たされていた。

とはいえ、私がこれから行うことは、未開地域に住む人間たちの生活様式に関する調査をまとめることであったから、その作業に集中することにした。母と私はそこからあれこれと意見交換をし、調査結果をまとめていった。

しばらくしてから、私はひと休憩として飲み物を取りに行こうとした。ちょうど食堂の入り口付近に、水、お茶、コーヒーを自由に飲める機械があり、そこに向かった。

すると、その付近で、大学時代のゼミの友人(TA)の横顔が見えたので、私は嬉しくなり、彼に話しかけに向かった。彼の肩に手が届きそうなところまで接近して、いざ声をかけようとしたところ、「おい、割り込むなよ」という男性の声が聞こえた。

見るとそこには、私と同い年ぐらいの男性が立っていて、彼もゼミの友人に声をかけようとしていたようだった。厳密には、その男性の方が私よりも先に友人に声をかけており、すでに何か雑談を始めていたらしかった。

そうしたことに気づかずに私は友人に声をかけようとしていたのだと気付いた。そこで夢から覚めた。フローニンゲン:2019/4/25(木)06:57

4238. 写経実践の本格的な開始

時刻は午前八時に近づきつつある。つい先ほど、早朝の作曲実践を終えた。あと一時間後に行われるオンラインセミナーに向けて、資料の最終確認を今から行いたい。

セミナー終了後は、再び作曲実践を行い、それに合わせて、昨日書き留めたように、作曲技術を高めるための写経実践を行っていく。具体的には、ショーンバーグの“Fundamentals of Musical Composition (1967)”に掲載されている譜例を、使っている作曲ソフト上に再現していくということを行う。

実際にキーボードを用いて音符を入力し、それを実際に聴いていくということを繰り返していく。私は作曲ソフトを用いて日々作曲実践を行っているのだから、こうした写経実践は実際の作曲と非常に似ており、この学習方法は実際の作曲実践と強く結びついていることがわかる。

やはり、自分の手を動かし、キーボードを通じて音を入力し、その出力を実際に自分の耳を用いて確かめてみるということを繰り返さなければ、作曲技術も高まらないだろう。特に私は、幼少期に音楽的なトレーニングを受けていたわけではないので、耳に関する鍛錬は意識的に行っていく必要がある。

そうした点において、実際の音を注意深く聴くという実践が大事になり、それは写経実践を通じて実現されていくだろう。理論書で紹介されている譜例の数が多いので、写経した日付をいちいち記入していくことはしないが、始まりの箇所と終わりの箇所ぐらいには日付を書き込み、写経した譜例の隅に正の字を入れていく。

これによって今後どれだけその譜例を繰り返し再現したのかがわかるようになるだろう。この正の字が蓄積されていけばいくだけ、自分の作曲技術が高まり、自らの書法の確立に近づいていくだろう。

自分なりの作曲書法が確立されたら、今のように怠惰な形で一日に二、三曲しか書かない、あるいは書けないということは無くなるだろう。毎日日記を書き留めているように作曲をしていく。

理想は、自然言語の言葉が生まれるよりもよりスムーズに自分の内側にある音楽的なものを外側に形として表出していきたい。そうした境地に到達できるかどうかは、これから始めていく写経実践を習慣化できるかどうかにかかっており、それをどれだけの質と量で継続していけるかにかかっているだろう。

今回は、作曲上の写経について取り上げたが、そういえば私が自分の日本語能力や英語能力を高めるために行っていたのもやはり写経だった。英語に関しては、中学生の頃から誰に言われるのでもなく、教科書の英文を書き写すのが好きであったし、米国の大学院に25歳の時に留学してからは、学術論文や専門書の英語を数年間ほどほぼ毎日書き写すことを行っていた。

また、日本語に関しても、20代の半ばから後半にかけて、集中的に井筒俊彦先生の書籍を書き写すことを行っていたことを思い出す。そう考えてみると、写経というのは自分にとって非常に馴染みのある実践だったのだ。それを作曲においても行おうと決心したのは、とても自然なことだったのかもしれない。

昨夜は雷雨に見舞われたが、今朝は本当に穏やかだ。昨夜の雷雨が嘘のようである。

フローニンゲンの街は朝日で光り輝いており、春独特の生命力を感じさせてくれる。今日もそうした雰囲気の中でライフワークに専心していきたいと思う。フローニンゲン:2019/4/25(木)08:20

4239. 仮眠中のビジョンと他者を通じた創造行為

時刻は午後の一時半を迎えた。今日も午前三時半に目覚めたため、先ほど仮眠を少しばかり取った。

先ほどの仮眠中もビジョンを見ていたのだが、ここ数日のものに比べて、記憶に残っているものは少ない。いずれのビジョンにおいても、自分は観察者としてビジョンを眺めており、そこに登場人物として現れることはなかったのを覚えている。

囲碁盤の前に座る二人の若い成人男性がいて、二人は対局を通じて交流を図っているように思えた。そこにはお互いに競い合う意識というよりも、互いの研鑽という意図が共有されているようであり、二人の対局を見ているのは気持ちが良かった。今日のビジョンに関して覚えているのはそのぐらいしかない。

今日は午前中に、現在協働中のある会社さんとオンラインセミナーを開催した。二時間ほどのセミナーを通じて、毎回のことだがこちらも新たな気づきや学びを得させていただいた。

セミナー終了後は、再び作曲実践を行った。今日はこれから、オランダに住む友人と交換セッションを行う。

二時間のうち、30分弱はお互いの近況報告を含めた雑談をし、残りの90分を半分半分にして対話を通じた交換セッションを行っている。今回はまだ第二回目であり、今日のセッションにおいてどのような話題が取り上げられ、それがどのように対話を通じて深められていくのか未知であるが、そうした未知性に対して期待が膨らむ。

まさに、作曲において、実際に創造プロセスを始めてみなければ何が生み出されるのかわからない未知性と似たようなものが対話にもある。そうしたことを考えてみると、対話というのも創造行為に他ならず、それは一人称的な創造行為ではなく、他者を通じた二人称的な創造行為なのだ。

まさに先ほどのビジョンで見ていたように、二人称的な創造行為というものがこの世界には存在している。あと30分したら始まる今日の交換セッションにおいて、対話を通じてどのようなものが創造されるのか、そして創造されたものを通じて私たち自身がどのように再創造されていくのかが楽しみである。

楽しみということに関して言えば、今日から本格的に始めた写経実践にも触れなければならない。これは作曲上の写経であり、棋士が棋譜を並べるように、端的には作曲の理論書に掲載されている譜例を作曲ソフト上の上に再現していくことを指している。

午前中にオンラインセミナーが始まるまでの時間を使って、少しばかり作曲写経を行っていた。この実践を行ってみてすぐに気づいたが、私は即座にこの実践そのものにのめり込んで行った。

その背景には、過去の偉大な作曲家が曲を産み出す際に体験していたであろう創造プロセスを追体験しているような感覚が得られること、作曲者の意図がおぼろげながら見えてくること、またそれが見えないことによる探究意欲の高まりなどが存在していることを挙げることができる。

過去の偉大な作曲家が産み出した譜例から音を再現するという純粋な実践が、これほどまでに大きな喜びと驚きを生み出してくれたことに驚く。今後はより本格的に写経実践を進めていき、明日からの旅行中の合間にもそれを継続させていき、これを自分の完全な習慣としていきたい。フローニンゲン:2019/4/25(木)13:41

4月25日(木)に生まれた曲たち

Op.1080 雷雨の後の早朝に

Op.1081 真実の扉の前で

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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