top of page

4097-4101:フローニンゲンからの便り 2019年4月6日(土)


タイトル一覧

4097. 寒さの残るフローニンゲン:滑り台のような線路を移動する夢

4098. 進化する夢:ゼミの会合に関する夢

4099. 文明の美・自然の美:自身の言語体系の発達より

4100. 実験・観察検証の大切さ:評論家の文章について

4101. 果物・野菜中心の食生活:創造性の根源を知覚する体験

4097. 寒さの残るフローニンゲン:滑り台のような線路を移動する夢​

今朝は六時過ぎに起床した。昨日の予定では五時頃に起床しようと思っていたのだが、まだそれが習慣になっていない。

今朝は一度四時前に目が覚めた。だが、それは少し早すぎるように思えたため二度寝をしてしまい、結局六時過ぎの起床になった。

おそらく、四時の段階で目が覚めたのであれば、そこまでの睡眠で充分だったのではないかと思う。昨夜の10時には就寝していたのであるから、およそ六時間ほどの睡眠時間を確保することがその時点でてきていたのだ。

明日からは最初に目が覚めた時に起床してしまおうと思う。もちろん、二時や三時などの未明に目が覚めた場合であればもう少し寝ていてもいいと思うが、四時前であればもうそのタイミングで起床してしまおう。

一日一食生活を送っているため、日中に極度に眠くなることはないが、仮に眠気があるのであれば、それは仮眠によって解消すればいい。明日からはそうした心がけをしていく。

今日から三日間は、気温がとても上がる暖かい日々が続く。今日の最高気温は18度であり、最低気温は7度である。

もう四月を迎えたが、夜寝る時にはまだ湯たんぽを活用しており、それを活用するのはもう暫く続くだろう。だが、今日から三日間はあまり必要ではないかもしれない。

明日に至っては、最高気温が20度に達するという夏日和だ。一方、今週末からは、再び最高気温が10度を下回り、最低気温は3度程度となる。

日本は桜の季節と聞くが、フローニンゲンはまだまだそのような暖かさはない。予断を許さぬ寒さが続くが、それに対して嘆いていても仕方なく、こうした自然環境を受け入れ、それと寄り添う過程の中で幸福感を感じることを忘れないようにしたい。

それではいつものように、今朝方の夢について振り返っておく。夢の中で私は、滑り台のような不思議な線路の上にいた。

その線路はどこに続いているのかわからず、起伏が激しく、さらにはうねってもあり、非常に複雑な軌道を描く線路だった。厳密に言えば、滑り台のようなツルツルとしたものの横に二つの車輪が乗っかる線路があるようなものであった。

私は大学時代のゼミの友人(YN)と一緒に、その滑り台をお尻で滑って移動していた。上りの際にはうまくお尻を使って移動していき、下りの際はまさに滑り台を滑ってくかのように気持ち良く進んでいった。

どうやら私たちは、この線路を通って、どこか遠い街へ行こうしているようだった。しばらく線路の内側にある滑り台を上っていると、前方からそうめんが流れてきた。

滑り台には一切水が流れていないのだが、傾斜の作用によって、まるで水がそこに流れているかのようにそうめんが向こうから流れてきたのである。私たちはそれを不思議に思いながらも、そうめんをすくって食べようとは思わず、流れてくるそうめんを無視しながら引き続き前へ進んでいった。

私は友人の後を追う形で滑り台を上っており、あるところで少々疲れてしまい、ちょうど滑り台がうねって右に曲がり、それが再び今いる私の横に下がってくる箇所があったので、あえて滑り台の上を通っていかずに、友人がその箇所を通過した後、少しズルだが、あちらの滑り台に手をかけて向こう側に移動してしまおうと思った。

友人が通過したのを見届け、向こうの滑り台に手をかけて、なんとか向こう側の滑り台に降り立った時、友人が「ズルすんな!笑」と笑いながら述べていた。それに対して私は少し照れ笑いを浮かべながら、今度は気持ち良く滑り台を滑っていった。

すると不思議なことに、滑っている最中に、ゼミの他のメンバーのことが気になった。特に、男性陣のメンバーの食生活について気になっていたのである。

「彼らが今の食生活を続けていったら、間違いなく彼らは全員早死にする」そのような考えが脳裏をよぎった。すると突然、前から二両編成ぐらいの赤い小さな列車がゆっくりとこちらにやってきた。

それはとても遅い速度であり、私たちはゆっくりと反対側の線路に移動する形で、列車にぶつかることを防いだ。

:「あれっ、今の列車何かおかしくないか?向こうからやってくる列車は、本来反対側の線路を走るはずだったと思うんだけど・・・」

友人:「そうやね」

赤い列車がゆっくりと通過した後も、私たちはしばらくその列車の後ろ姿を眺めていた。フローニンゲン:2019/4/6(土)07:30

No.1833: Water Flow & Exoticism

I have a very wonderful feeling this morning, so I could compose music and read a book as much as I wish today. Groningen, 08:22, Sunday, 4/7/2019

4098. 進化する夢:ゼミの会合に関する夢

時刻は午前七時半を迎えた。今この瞬間は、薄い雲が空を覆っているが、それはこれから徐々に晴れていくだろう。

今日は風がほとんどなく、目の前の街路樹を時々優しく揺らす程度である。今、小鳥の美しい鳴き声と、昨日から聴き始めたトマス・ルイス・デ・ビクトリアの歌集の双方に耳を傾けている。

艶やかな美しさを持つ音の光を浴びながら、今日の取り組みに従事する。その前に、今朝方見た夢の続きについて書き留めておきたい。

夢の中で私は、小中高時代の友人(YU)と一緒にテレビゲームをしていた。実際にはもう一人友人がいたのだが、彼の顔は思い出せない。

そのゲームは現代的であり、キャラクターが3Dのように浮かび上がってくるような作りになっていた。ゲームの種類は、アクション型のRPGである。

そのゲームでは、一人一つのキャラクターを選び、それをゲームの進行に応じて育成していくような設定になっていた。キャラクターは人間ではなく、どれも個性的な生命体だった。

それは経験値を積めば積むほど、今の姿からは想像できないような姿に変容を遂げていく。そうした変容のプロセスは、まるで昆虫のようである。

三人でこのゲームを始めてみると、スタート地点が同じであるから、私たちが操作するキャラクターのレベルに差は一切なかった。ところが、ゲームを進行させていくと、友人の二人はこのゲームに慣れているのか、どんどんと前の方に行き、敵を先々に倒してしまう。

その結果として、二人のキャラクターの経験値はみるみるうちに積まれていき、いつの間にかとても強そうな生命体に進化していた。一方、私のキャラクターは敵を倒す機会に恵まれず、初期の姿のままだった。

なんとか、後ろの方からやってくる弱い敵を倒し、少しずつ経験値を上げていく状態が続いた。そんな私に友人がアドバイスをしてくれ、私が前方の敵と戦うことになり、二人の友人は後ろから援護してくれることになった。

そのおかげで、私のキャラクターも強い敵と戦うことができ、徐々に経験値が上がり、ようやく進化を遂げた。すると、進化した回数で言えば友人のキャラクターたちと同じなのだが、進化した後の私のキャラクターはありえないほどの強さと敏捷性を持っており、そこからは自分のキャラクターだけで全ての敵を一瞬で倒せるようになってしまった。

最初私はそれに爽快感を覚えていたが、二人の友人が呆れるほどにそのキャラクターが強く、私もその異常な強さにハッと気づき、そこで夢の場面が変わった。

次の夢の場面では、私は日本の和食店にいた。店の雰囲気から察するに、そこは蕎麦屋ではないかと思う。

暖簾をくぐって中に入ると、店は広いスペースを持っていて、真ん中に段差の高い座敷スペースがあった。私はこの店で、大学のゼミナールの会合に参加することになっていた。

この会合は同期だけが集まるものではなく、歴代の先輩方、そして先生が参加される。ちょうど私たちは、その真ん中の座敷スペースを用いて会合をすることになっているようであり、すでに何人かの人が座っていた。

見ると、暖簾側の席の真ん中に先生が座っており、私はすぐに先生に挨拶をした。そして、学生の頃に社会人フットサルチームに入れていただいていた時にそのチームに所属していた先輩が、先生の対面の席に座っていたので挨拶をした。

挨拶をした直後に、その先輩は別のゼミナールだったことを思い出し、この場にいることに一瞬疑問を持った。とはいえ、私はそれを全く気にせず、同学年のメンバーの到着を待った。

しかし、彼らは一向に到着する気配がなかったので、一度席を立って外に出てみたり戻ったりを繰り返した。結局彼らはまだやってこなかったので、自分の席に戻り、先輩方の話の中に入った。

ちょうど私の横には、何歳か年上の男性と女性の先輩がいて、二人は商学部を卒業していながら、卒業後に司法試験に合格し、今は弁護士をしているとのことであった。女性の話の中で印象に残っているのは、その方の最近の仕事ではクライアントと対面で向き合うことをせず、オンライン上で法律相談に乗ることを行っているらしかった。

オンラインと言ってもテレビ電話会議システムのようなツールを活用するのではなく、自分のウェブサイトに対する問い合わせフォームのようなものを通じて、文章にてクライアントの課題を解決していくというもののようだった。もちろん、この仕事の収益性はあまり高くないとのことであるが、その方は結婚しており、子育てもあるため、そのような形で弁護士として仕事をしているようだった。

一方、その女性の前に座っている男性の先輩は、渉外弁護士として様々な国を飛び回っているとのことであった。ちょうど先日は、国連関係の法律問題の仕事をするために、フランスかスペインかに出張に行っていたらしい。

二人の話を聞いた後、私は左横に座っていた、社会人フトッサルチームのメンバーの一人でもある先輩に声をかけられた。

先輩:「加藤君は今何をしているの?」

:「いろいろなことをしていて、一言で述べるのが難しいですね。簡単に言えば、30歳あたりに引退して、そこからは好きなことをしています」

私がそのように述べると、その場にいた全員がそれを聞いていたのか、皆驚いていた。私は真っ当なことを述べただけであり、全員の表情を見た瞬間、先輩方も先生も含め、彼らは皆一様に自分の人生を生きていないのだと悟った。フローニンゲン:2019/4/6(土)08:03

No.1834: Simple Beauty of a Sunday Morning

I’ll read a book from now and compose music again around noon.

Since it is sunny today, I’ll go to an organic supermarket at the center of the city to purchase Kombucha. Groningen, 09:20, Sunday, 4/7/2019

4099. 文明の美・自然の美:自身の言語体系の発達より

近くから、そして遠方から、光の筋のように知覚される小鳥の鳴き声が届けられる。この世界にただ生起しているだけのはずの音に、このような美的感覚を喚起されることが不思議でならない。

欧米での八年目の生活、すなわち欧州での四年目の生活においては、文明の美と自然の美の双方を味わうような過ごし方をしたい。文明の美を味わうことに関しては、未だ訪れぬ欧州の様々な国に今年もまた積極的に足を運んでみたいと思う。

自然の美を味わうことに関しても、いろいろ調べることを通じて、この世界に残る雄大な自然の中で過ごすことを行なっていきたい。今年の冬は、ぜひオーロラ観測をしたいと思う。

気がつけば、アメリカで過ごしてきた四年間と同じ年数の時をヨーロッパでも過ごすことになっている。今年は、人が創り出す美と自然が生み出す美の双方を通じて、自己及び人生を深め、この社会と共創を続けていきたいという思いを持っている。

ここ数日間は和書を積極的に読んでいる。そのためか、日常の多くの時間の私の頭の中は、日本語が優位な状態になっている。

これは悪いことではないが、この状態が長く続くことは私にとってあまり望ましくない。今は集中的に日本語を読み、自らの日本語を涵養していく時期だと割り切って、未読の和書を読み進めていく。

そこから再び英語空間に帰った時に、私の日本語と英語の双方が幾分変化を遂げているだろうと思われる。自分の言語的発達過程を眺めていると、日本語と英語との間の行き来、さらには時折入ってくるオランダ語によって、螺旋を描きながら発達をしている様子を見て取ることができる。

ゲーテが述べるように、「外国語を知りえない者は母国語を知りえない」ということは非常に妥当性が高いように思う。少なくとも私においては、ゲーテの言葉は見事に当てはまる。

また、言葉というものを大切にし、自らの言葉を育んでいる人の多くは、やはり外国語空間の中に身を投じている場合が非常に多いように思う。ここにはおそらく、自らの言語体系を発達させていくためには、キーガンの主体客体理論にあるように、主体として埋め込まれている自分の言語体系そのものを客体化する必要があり、外国語空間の中に身を投じることは、まさにそうした客体化を要求するからだと思われる。

昨日、街の市場で店の人と話をしている時に、やはりオランダ語で野菜や果物の名前を覚えた方が良さそうだということを感じた。また、そもそもそろそろ本腰を入れてオランダ語を学習した方が良いのではないかという思いもある。

これまでの三年間、特に最初の二年間は大学院に所属しており、そこでは全て英語で日々の生活が成り立っていたので、オランダ語を使う必要など一切なかった。もちろん、学内のカフェでの注文の際に少しばかりオランダ語を使うことはあったとしても、相手ときちんとした会話をする目的でオランダ語を話すことは一度もなかったように思う。

だがここからは、私は学術機関の外で、一人の外国人としてオランダで生活をしていくことになっているのだから、オランダ語を学習することは大切だろう。そうしたことからも、オランダ語を学習したいという意欲が少しずつ芽生えてきている。

ただし、それはまだ芽生えであり、今この瞬間に持ち合わせているオランダ語でも生活上困ることはほとんどないのだが、より多様な場面でオランダ語を使うつもりであれば、ここからは真剣に学習をしていく必要があるだろう。

学術的な事柄をオランダ語で話せるようになろうとか、そのようなことは決して考えておらず、生活の中で英語に頼らず、オランダ語で全てコミュニケーションできるようになればと思う。オランダ語の本格的な学習は、来年デン・ハーグに引っ越してから開始してもいいかもしれない。フローニンゲン:2019/4/6(土)08:24

No.1835: This Poetic World

This world might be a gigantic living poem that is constantly compiled. Groningen, 12:17, Monday, 4/7/2019

4100. 実験・観察検証の大切さ:評論家の文章について

今日はこれから早朝の作曲実践を行う。その際には、ルモワンヌに範を求め、その次にハイドンに範を求めようと思う。

ここ最近意識的に取り組んでいることとしては、曲中に教会旋法を活用することだ。たいてい、一曲の中に一つか二つの旋法を用いるようにしている。

とにかく今はまだまだ修練の時期であり、いろいろなことを毎回試していく。決して惰性で作曲実践をしてはならず、毎回新しいことに挑戦し、そこから新たな気づきと発見を得ていく。

作曲の最中は、自覚的な自己と無意識的な自己の双方を活用することが有益である。前者の自己は、自分が試したいと思うことを意識的に行っていくことを司る。一方後者の自己は、意識的ではない無意識的な判断によって曲を形作っていくことを司る。

ここで、仮に何か無意識に曲を形作っていくアクションが行われたら、それをまた自覚的な自己の観点で眺めてみるということを行う。これによって、これまで自分が何を無意識的に行っていたのかがわかるだろうし、それによって自分の癖や特徴などが見えてくるだろう。

こうした自己観察も決して止めてはならない。修練の道というのは、単に修練の難易度や量が険しいだけではなく、進歩の歩みは遅いのだが、堕落の道は極めて早いという点にその厳しさがあるのではないかと思う。

仮に私が新しいことを試すことを止め、自己観察をすることを放棄してしまったら、その瞬間から一気に堕落の道へ転落してしまうだろう。そうしたことを防ぐために、今後一生涯、作曲において新しいことを絶えず試し、自己観察を続けていく。

晩年のピカソが「今になっても、私の毎回の作品は実験の産物である」という言葉を述べていたことを思い出そう。幾つになっても、どのような力量になったとしても、生涯絶え間なく実験と観察検証を繰り返していく。

納得のいく創造物を生み出すことができれば、それはそれで理想だが、それはあくまでも結果であって、重要なことは兎にも角にも実験と観察検証なのだと思う。

早朝の作曲実践を終えた後は、『吉田秀和全集:ピアニストについて』の続きを読み進めていく。本書は500ページ弱の書籍であり、ちょうど今半分ほどを読み終えた。

吉田氏は、極めて優れた音楽評論家として有名であり、評論における功績は小林秀雄と同じぐらいのものがあるのではないかと思う。私は、両氏の全集を何冊か持っており、これまで少しずつ読み進めていた。

二人の評論から得られるものは計り知れないが、やはり評論という形式上なのか、どうしても外面現象への記述が多く、彼らが解説者のように思えてしまうことがある。だがおそらく、他の評論家であれば、その事態はより深刻であり、多くの評論家は単なる解説者に成り果てているような傾向があるのではないかと思う。

評論はその形式上、確かに現象を説明することを一つの役割にしているのだろうが、執筆者の存在がより前面に出てくるような文章を書かなければ、それは結局、外面現象に対する説明を本業とする科学論文の劣悪品に留まるのではないかと思われる。

吉田秀和氏、そして小林秀雄氏の双方は、類まれな評論家であり、彼らの文章の節々からは彼らの存在感が滲み出しているのだが、それでもまだ物足りないと感じる自分がいる。フローニンゲン:2019/4/6(土)08:44

4101. 果物・野菜中心の食生活:創造性の根源を知覚する体験

時刻は午後の二時半を迎えた。今日は気温が上がるはずであり、実際に15度近くまで上がり始めているのだが、それでもやはり肌寒い。

午前中に郵便受けを確認しに下に降りた時に、外気の冷たさを感じていた。また、今日はあまり曲を作る気分になれず、それは今もそうであるため、ここからは少しゆっくりとした時間を過ごそうと思う。

幸いにも、今日は夕方から上の階のピアニストの友人と話すことになっており、人との会話によって気分もリフレッシュされるだろう。

昨日思わぬきっかけで水菜を購入することになったが、この野菜を購入して正解であった。まさか水菜がケールに負けないような栄養素を含んでいることを知ることができたのは、この野菜を購入したからであった。

今後は、生の水菜を積極的に食べていこうと思う。生の水菜は味噌によく合う。

今日も少しばかり食について調べていると、やはり日本人の身体がおかしくなり、種々の病が現れ始めたのは、肉(牛豚鳥)・牛乳・卵、そして食品添加物が含まれた食べ物の出現をきっかけにしているらしいことが見えてきた。

当然その他の要因も考えらえるが、主要な要因としてはそうした食べ物の存在を挙げることができるだろう。これまで何気なくそうした食品を食べてきたが、いざ一日一食生活を始めてみたり、あるいは先日行った三日間の断食などを行ってみると、それらの食品から離れていこうとする自分が自然と現れた。

それは直感的かつ本能的な反応であり、これが示唆するのは、やはりそうした食べ物は身体に良い影響を及ぼさないからであろうと思われる。これからの食生活では、肉・牛乳・卵を極力摂らないようにして、とにかく野菜を十分に摂っていく。

今のところは適度な種類と適度な量の野菜を食べれているが、それも時折見直し、その時の自分の身体からの声などを聞きながら、身体が欲する野菜を選んで食べていきたい。マグロの刺身を含めた魚は、週に一回購入するか隔週で購入するかにして、とにかく毎日の食事は果物と野菜を中心にする。

野菜を食べる際に味噌があればもう十分であり、味噌に関しては引き続きこだわったものを食べるようにしていく。

時刻は午後三時を迎えようとしているが、ふと今朝方の夢の断片について思い出した。それはまだ早朝に書き留めていなかったので、忘れずに書き留めておく。

夢の中の私は、何に対してわからないが、とにかく怒りを露わにしていた。自分の攻撃性をすべて解放するかのように怒っており、感情を爆発させていた。

感情を発露させた後に、不思議な体験に見舞われた。攻撃的な感情をすべて表に出した直後に、自分の脳内に、日本語というよりも中国語の漢字が無数に現れ、それが一つ一つ尋常ではない速さで私の額の中に入ってくるような感覚があったのである。

一つの漢字が現れては私の脳内に入ってくるということが、とてつもない速さで行われており、夢の中の私は、自分の内側に流れ込んでくる漢字を静かに観察していた。今朝方はそのような夢を見ていたことを思い出す。

それは今朝方の最後の夢に該当し、睡眠の意識と覚醒の意識の境目に自分がいたことが、上述のような不思議な体験を知覚させたのかもしれない。それとは少し質が異なるが、ここのところ就寝に向けて目を閉じると、無数のイマージュが生起するのを即座に知覚するようになっている。

創造性の源泉のようなものは誰しもの中にあると思うが、まさにそうした源泉から刻一刻と湧き上がってくるイマージュを捉えるようなことが就寝前に起こることが多くなった。これもまた食生活を見直したことによってもたらされたものなのだろうか。フローニンゲン:2019/4/6(土)14:58

4月6日(土)の曲一覧

Op.1024 土の絨毯

Op.1025 弱い足取り

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page