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4059-4063:フローニンゲンからの便り 2019年3月30日(土)


タイトル一覧

4059. エネルギーの覚醒が起こる夢

4060. 身体の浄化とチャクラ

4061. 今朝方の夢の続き

4062. 至宝のようなオルガンの集う街フローニンゲン:古楽器のコンサートに参加して

4063. フローニンゲンに自分を留めたもの

4059. エネルギーの覚醒が起こる夢​

今朝は六時過ぎに起床した。時刻は午前七時を迎え、辺りに小鳥の鳴き声がこだましている。いつものように、小鳥の鳴き声に耳を傾け、今日もメシアンのピアノ曲を聴いている。

数日前の日記でも書き留めたが、武満徹の音楽世界が自分の内側に流れ込む体験をして以降、メシアンの曲の美しさに目を開かれている。これまでメシアンの曲を聴くことはあったが、どうも馴染めず、すぐに聴くことを止めていたのだが、一昨日からずっと同じピアノ曲集を繰り返し聴いている。今日もこのピアノ曲集を繰り返し聴くことになるだろう。

昨日は天気がとても良く、午後には陽だまりに浸りながら自分の取り組みに従事することができた。今日は午後に小雨が降る瞬間があるようだが、今の所、空は快晴であり、今日も一日の多くは晴れ間が広がるだろう。

いつもと同じように、今朝方の夢を振り返っておきたい。今朝は早朝未明に大きな体験をした。

夢の中で私は、とても綺麗な体育館のような場所にいた。そこで運動することを目的にしていたわけではなく、誰かの講演会に参加することになっていた。ところが、その講演会はキャンセルとなり、体育館の中には参加者が取り残される方となった。

参加者と言っても、その人数は大したことがなく、せいぜい数人程度であった。私は特に何もすることがなかったので帰ろうかと思ったが、そこで見知らぬ人が私に話しかけてきて、そこで立ち話を始めた。

見知らぬひと:「立ち話もあれですから、座って話しましょう」

:「そうですね。そうしましょう」

私たちは体育館の地べたに腰掛け、そこで話の続きをし始めた。すると、私たちの話の間に入ってくるように、一人の仙人のような男性が私たちに近寄ってきた。風貌としては仙人だが、どこか優しそうな雰囲気を放っている。

仙人のような男性:「ちょっと座布団を滑らせる遊びをしないかね?」

仙人のような男性は突然そのようなことを述べた。彼の手には二つの座布団がある。

私たちは、その男性が述べている意味がわからなかったので尋ねてみると、仙人のようなその男性は「やってみればわかるよ」とだけ述べた。少しばかり面白そうだったので、まずは私がその遊びをやってみることにした。

仙人のような男性は座布団を私に渡し、それに座るように指示した。私は指示に従い、その仙人のような男性も座布団に座り、準備が整った。

二人はお互いの両腕を前方に伸ばし、互いの手を取り合った。スタート時点では、お尻で座布団を滑らせる必要があったが、いざフロアーの上を座布団で滑らせてみると、思った以上にスイスイと進むことに驚いた。

私たちはこちらの壁からあちらの壁へ座布団を滑らせていき、またゆっくりとこちら側の壁に戻ってきた。そこからしばらく壁を行ったり来たりしていると、徐々に自分の身体に変化が起こっていることに気づいたのである。

仙人のような男性:「そろそろかね?」

:「こ、これはなんですか?」

仙人のような男性:「身体の中でヒーリングが起こっているんだよ」

仙人がそのように述べると、まず私のふくらはぎの血の巡りが良くなり、その部分が痒くなってきた。その後、私の背中に熱いエネルギーが流れている感覚があった。

そこから私たちは、スタート時点のスピードからは考えられない速度でフロアーを行ったり来たりしていた。最後の最後には、私の自覚的な意識は完全に溶解し、自分の全てが思考を持たぬエネルギー体と化した。

そこで眼が覚めると、ベッドの上で寝ている自分の身体にとんでもないエネルギーが集中しており、尾骶骨から頭頂にかけて、暖かいエネルギーの流れを感じていた。私はふと、「これはクンダリーニの目覚めかもしれない」と思ったが、それに囚われることなく、引き続き目を閉じたまま、その現象の収まるのを待っていた。その間中、自分の身体が薄いオレンジ色のエネルギーに包まれていた。フローニンゲン:2019/3/30(土)07:38

No.1808: The Empty Sky

I’ll go to bed, wishing for my existence to vanish into nothingness. Groningen, 21:35, Saturday, 3/30/2019

4060. 身体の浄化とチャクラ

気がつけば今週も週末を迎えた。ゆるやかな時の流れの中で、日々が静かにかつ着実に進行していく。その向かう先はもはや予測不能であり、自分がどこを歩き、どこに向かっているのかは定かではない。

おそらくそれでいいのだと思う。不確定さの中に生きるというのは人間の宿命であり、それを受け入れた上で日々を粛々と生きて行く。

それにしても、今朝方未明に自分の身体に起こった現象は大変興味深かった。自分の身体のエネルギーが目覚めるような感覚があり、あれはもしかすると、一日一食生活を通じて身体のデトックスが進み、それによって気の流れが良くなった結果として起こったものなのかもしれないと思う。

自分の身体エネルギーが蠢く現象を初めて知覚したのは中学一年生頃のことだったが、それ以降、自分の身体にあのような現象が時折起こる。ただし、大抵は薄い黄色の電気のようなエネルギーや白銀色のエネルギーが流れることが多く、今朝方のようにオレンジがかった色のエネルギーに包まれることは初めてのことだったと言っていいかもしれない。

ヨガのチャクラ理論にあるように、これまでの体験は、一つ一つのチャクラを開くような出来事だったと言えるかもしれない。そう考えてみたとき、これまでの私はまだオレンジ色のチャクラを完全に開いていなかったことになる。

そこからさらに言えるのは、自分にはまだまだ積み残されているチャクラがいくつかあるということである。記憶に残る限り、白銀色と黄色のエネルギーに包まれることが最も多く、その他の色のエネルギーに包まれた経験はほとんどない。

ヨガのチャクラ理論を改めて調べてみると、例えば高次元のチャクラの色として、青色や紫色が存在してるが、果たしてこのような色のエネルギーを知覚できるのかは今の自分にとって疑問である。そうした色のエネルギーが身体に流れるところを想像することは難しい。

とはいえ、ここから新たな食生活を通じて身体を浄化していくことによって、そうした色のエネルギーを知覚することになるかもしれない。

ちょうど来週の土曜日には友人とディナーを楽しむことになっており、その次の日から少し準備色を食べて、月曜日から数日間の短い断食をしてみようと思う。その際には固形物を一切とらず、ココナッツオイル、ヘンプパウダー、はちみつを白湯に溶かしたものとハーブティーだけを飲むようにする。

先日足を運んだオーガニック食品専門店で再度コンブチャを一、二本購入し、それを午前中と午後に分けてゆっくりと飲んでいくことも考えている。コンブチャは栄養豊富かつたくさんの酵素が含まれているため、コンブチャを断食実践に組み込めるかもしれない。

引き続き断食の書籍を読み進めていると、一般的に、これまでの人生を生きる中で身体の内側に溜め込まれた毒素をほぼ全て排出するためには、一年から三年がかかるようなので、焦らずに身体の浄化をしていく必要がある。

今回の断食も二、三日に留め、その後はしばらく一日一食の生活を送り、三ヶ月に一回ぐらいのペースで数日間の断食を行うようにしていきたい。身体の内側から変わってくると、精神を含め、諸々のことが大きく変わっていくのがよく分かる。フローニンゲン:2019/3/30(土)07:57

No.1809: A Ray of Light in the Early Morning

A ray of light in the early morning seems to endlessly extend. Groningen, 11:55, Sunday, 3/31/2019

4061. 今朝方の夢の続き

今朝方は先ほど振り返った以外にもいくつか夢を見ていた。夢の中で私は、水中にいた。水の中に潜っているのではなく、上半身は水に浸されておらず、胸の高さぐらいまである水の中にいた。

どうやらそこは海のようだった。波は一切なく、とても穏やかな海に私はいた。

周りを見ると、小中学校時代の友人(TS)が一人いた。彼は野球部に所属していた小柄な友人であり、それほど親しくしていたわけではないが、海中での話は花が咲いた。

彼の提案で、海中にいながらキャッチボールをしようということになった。私は右利きなのだが、なぜか最初左手でボールを投げ、案の定あまりうまくいかなった。

次に右手で投げてみると、それも大してうまくいかなかった。そこで彼は、ボールの正しい投げ方を教えてくれた。すると不思議なことに、海中に三つの隙間が空いた長方形のブロックが現れた。

最初私たちは、それが何なのかよくわからなかったが、どうやらある地点からボールを投げ、その隙間を通すことを行うものらしいことがわかった。いざそれをやってみようと思った時に、見知らぬ華奢な中年女性が現れ、その方がまずやってみたいと述べた。

私たちはその方に先を譲り、彼女の投球を見守ることにした。その女性は体格から想像できるように、あまり力がなく、海面すれすれの隙間を通すことで精一杯のようだった。

結果としては、その隙間を通る手前のところで、ボールが海面に着水し、結局ボールは向こう側にいかなかった。そこで突然私の体は、海面に浮かぶバスケットボールコートの上にいた。

見るとそこには、大学時代のゼミの友人(TA)ともう一人別の友人がいた。そこで私たちは、1on2のゲームをすることにした。

そのゲームに興じた後に、ゼミの友人がリバウンドの取り方について少し研究をしてみようと私に持ち掛けてきた。ちょうど私も相手との身長差がかなりある時にリバウンドをどうするかに課題を抱えていたところだったので、そのテーマに共感し、リバウンドの研究をすることにした。

しばらく試行錯誤しながら練習をしていると、最後には、身長差がある相手とリバウンドを取り合う際には、最初から一切ジャンプするのではなく、相手がボールを取って着地した瞬間のボールを上から下、あるいは下から上にボールをかっさらうことが最善だという結論になった。

その結論に至った時、私は実家のリビングで母と話をしていた。ちょうど今さっき得られたリバウンドの結論について母に伝えると、「それはいいアイデアね」と述べた。

母の手元には、ポテトチップスがあり、数枚ほど食べてもう十分という仕草をした。母曰く、ポテトチップスの形状によってもう少し食べられるものもあるが、今回のようにほとんど食べられないものがあるという話をしてくれた。

今朝方はそのような夢を見ていた。上記の夢にも、いくつかの興味深いシンボルが含まれている。それらについて今この瞬間解釈することはせず、シンボルを引き続き寝かせてみようと思う。

それと、上記以外にも、夢の最後の場面では、イギリスのプレミアリーグの試合を観戦していたことを覚えている。その試合には、デンマーク人のニクラス・ベントナーが出場していたことが印象的である。フローニンゲン:2019/3/30(土)08:25

No.1810: Moderate Light in the Afternoon

I’m just looking at the moderate light in the afternoon. Groningen, 15:17, Sunday, 3/31/2019

4062. 至宝のようなオルガンの集う街フローニンゲン:古楽器のコンサートに参加して

時刻は午前九時半を迎えた。今日は風が一切なく、それでいて天気もすこぶる良い。

早朝に天気予報を確認した時には、午後に小雨が降るとのことであったが、再度天気予報を確認すると、今日は一日中晴れのようだ。今日の気温は春を強く感じさせてくれるほど暖かくなるそうだ。

最高気温は17度、最低気温は5度とのことであり、この季節のフローニンゲンにしてはとても暖かい。一方で、明日の最高気温は9度、最低気温はなんと0度になるようなので、今日との気温差には気をつけたと思う。

昨夜は、夕食を摂り終えた後に、上の階に住むピアニストの友人のコンサートに出かけた。会場は、街の中心部にあるルター教会である。

今回は、友人が現在探究している古楽器のコンサートとのことであり、古楽器の音色に関心があったため、とても楽しみであった。夕食を食べて少し休憩し、会場にゆっくりと散歩がてら向かった。

目的の教会に到着してみると、二人の老父婦が教会の前にいて、立ち往生していた。二人に挨拶をしてみると、コンサートの開始20分前だったが、まだ中に入れないとのことであった。

そこで私たちはしばらく立ち話をしていると、次から次へと人がやってきて、そこから10分ぐらい経ってようやく中に入れた。教会の関係者曰く、楽器の音の調整を最後まで行っていたとのことであった。

会場には立派なハープシコードとピアノフォルテが置かれており、私は二つの楽器が良く見える最前列の席に腰掛けた。先ほど立場話をしていた老父婦の横に座る形となり、引き続き二人と会話をしていた。

旦那さんの方は、オルガンのアマチュア演奏者とのことであり、先週はどこかの教会で大会に出場したそうだ。そこから私はオルガンについて色々と話を伺っていると、これまで全く知らなかったフローニンゲンの側面について知った。

二人はもともとオランダの南の都市で生活をしていたらしいが、30年前にフローニンゲンに移り住んできて、もうフローニンゲンから離れられないぐらいに気に入っているとのことである。私もその気持ちは大変理解でき、そこからフローニンゲンについて話をしていると、この街が世界でも有数のオルガン都市であることを知った。

その旦那さん曰く、「フローニンゲンには数多くの教会があり、これほどまでに立派なオルガンを現在でも保存している地域は世界の他にないと言っても過言ではない」と述べていた。そのように述べた後、「左を見てごらん」と述べ、視線を左にやると、そこには立派なオルガンがあった。

この立派なオルガンの音色は以前来た時に聴いたことがあったのだが、それがどのようなオルガンなのかは知らず、バロック時代に作られたものだとその方に教えてもらった。しかもそれは、バッハがから敬愛していたオルガン製作者のアルプ・シュニットガー(1648-1719)の手によって作られたものであることを知った。

シュニットガーが作ったオルガンは、通称「シュニットガー・オルガン」と呼ばれ、宝のように扱われている名品とのことである。シュニットガーについてさらに調べてみると、彼は当時最も有名であったオルガン製作者の一人であり、北ヨーロッパを主な活動拠点にしていたようである。

現在も約30台ほどが、その基本部分が保存されているらしく、フローニンゲンの街のシンボルであるマルティニ教会の荘厳なオルガンは、まさにシュニットガーが作ったものだと知った。

オルガンについて色々と教えてくれた旦那さんにお礼を述べると、私の左手に、知り合いのミヘルさんがいた。ミヘルさんとは以前もコンサート会場でお会いしたことがあり、今日もまた偶然の再会だった。

ミヘルさんは70歳を超えているのだが、相変わらず若々しく、元気そうで何よりだった。ミヘルさんも音楽に造詣が深く、今度は右側に置かれているオルガンについて話を聞いた。

そちらのオルガンは、19世紀頃に作られたものらしく、バロック時代に作られたオルガンの音色は透き通っており、力強い感じ(そのようなニュアンスの英単語だったと思う)の音を出す一方で、19世紀頃に作られたそのオルガンは、「ロマン派的なオルガン」とミヘルさんは述べており、音色はより感情的なものに聴こえるとのことであった。

そうした解説を聞いた後、いざ友人ともう一人の演奏者のコンサートが開始された。まずは、もう一人の若いオルガン演奏者の男性が、バッハの曲を演奏した。それは先ほど解説を聞いていたバロック時代にシュニットガーが作ったオルガンを用いたものであり、確かに澄んでいて力強い響きに聴こえた。

その次に友人が、ハープシコードを用いてフランスの作曲家ジャック・デュフリ(1715-1789)の曲を演奏し、メンデルスゾーンの曲をピアノフォルテで演奏した。その二つの古楽器は、そもそも音を出す仕組みが全く違い、ハープシコードは弦を振動させて音を出す「撥弦楽器(はつげんがっき)」であるのに対して、ピアノフォルテは現代のピアノと同じように、ハンマーで叩いて弦を振動させて音を出す「打弦楽器(だげんがっき)」である。

二つの古楽器の持つユニークな音を楽しみ、友人がメンデルスゾーンの曲を演奏し終えた後に休憩となった。ちょうど彼女が近くにいたので、演奏の出来について聞いてみると、普段演奏しているピアノと違うため、やはり特殊な緊張があったとのことであった。

素人から見ると、同じ鍵盤楽器のように見えるのだが、プロの演奏者にとってみれば、やはり各楽器の微妙な差が演奏を難しくしているようだ。休憩後、もう一人の演奏者がジャン=フィリップ・ラモー(1683-1764)の曲をハープシコードで演奏し、その後友人がピアノフォルテを用いてベートーヴェンの曲を演奏した。

最後に、もう一人の演奏者が彼の専門であるバロックオルガンを用いてディートリヒ・ブクステフーデ(1637-1707)の曲を圧倒的な力強い音で演奏した。この日の演奏会をきっかけに、ぜひ今後も街の至る所にある教会で開催されるオルガンのコンサートに参加したいと強く思った。フローニンゲン:2019/3/30(土)10:13

No.1811: Sunday Easiness

The first Sunday after the beginning of summer time is gradually approaching night. Groningen, 17:33, Sunday, 3/31/2019

4063. フローニンゲンに自分を留めたもの

時刻は午後の七時を迎えた。ここ最近は夕食を食べる時間が早くなり、六時過ぎに料理を始め、この時間には食べ終えることができている。就寝の三時間前に夕食を食べ終えておくことは一つの目安のようであり、今のリズムはまさにそれに合致する。

今日は午後に、街の中心部の市場に足を運び、野菜と果物を購入した。玉ねぎと人参を買い忘れてしまったが、ケール、ブロッコリー、さつまいも、トマト、リンゴを購入した。

まだ残っているニンニクと生姜を使って、今日も野菜豊富なサラダを食べ、デザート代わりにさつまいもを茹でたものを食べた。ここ最近の気づきとしては、野菜をスープにするよりも、それを茹でたまま食べた方が野菜の旨味がわかるということと、加熱によって栄養が失われてしまうリスクを下げられるように思う。

それと、これまで使っていたブイヤベーススパイスとクミンをサラダの上に振りかけると、実に美味しいという発見があった。明日からはしばらくこの食べ方を続けてみようと思う。

ちょうど明日から欧州はサマータイムの開始となる。午後七時を過ぎた今もまだ薄明るく、小鳥の鳴き声が辺りに響き渡っている。今日は確かに気温としては暖かかく、午後に買い物に出かけた時にはマフラーと手袋はいらなかったが、やはり幾分肌寒さを残していた。冬用のジャケットは例年通り、五月末ぐらいまで重宝しそうである。

昨夜のコンサートがエネルギーを与えてくれたのか、今朝はいつも以上に活力に満ちていた。昨夜の就寝中に起きた身体エネルギーの流出は、パイプオルガンの巨大な音を聴いたこととも関係しているかもしれない。

音の大伽藍が全身を包み、それが自分の身体に何かしらの作用を及ぼしていたのは間違い無いだろう。早朝にあれこれとフローニンゲンの教会について調べ、秋までのオルガンコンサートのスケジュールを確認した。特に六月以降、夏を迎えてからはコンサートの数がぐっと増える印象だ。

ちょうど数日前に、教会旋法をあれこれ試しながら作曲実践をし始めた。教会で開催されるオルガンコンサートに再び関心を示したのは何かの偶然だろうかか。

おそらく私がこの街に残ることになったのは、フローニンゲンで行われるオルガンコンサート、そしてピアノコンサートにできる限り参加し、そこから多くの学びを得るためのように思えてくる。

フローニンゲンに残ることになった隠された要因の一つは、この街が誇るオルガンを十分に聴くことだったのだと思う。昨夜のコンサート会場で話をした老夫婦の旦那さんから、「もしフローニンゲンにもうしばらく残るのであれば、できる限りこの街のオルガンを聴いてみることをお勧めするよ」と言われた。

まさにその助言に従い、自己及び音楽に対する感性を深めていきたいと思う。それが四年目のフローニンゲン生活の大切な動機である。フローニンゲン:2019/3/30(土)19:25

3月30日(土)の曲一覧

Op.999 朝の活力

Op.1000 華やかさの陰

Op.1001 虚空

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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