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3845. パリの再訪に向けて:生活拠点の変更と死


今日は本当に穏やかな日曜日だ。朝の柔らかい日差しがフローニンゲンの街に降り注いでいる。時折小鳥が鳴く声が聞こえ、丸みを帯びた時間の流れを感じる。

早朝の作曲実践を終えた後、辻邦生先生の『春の風駆けて』を三週間ぶりに手にとって続きを読み進めいていた。パリには人間の心を鋭くする硬質なものがあり、それによって自分を磨くためにパリで生活をしたという辻先生の生き方には賛同するものがある。

そもそも、パリに漂う硬質感については、二年半前の夏にパリに訪れた時に身に沁みて感じていた。ただし、私にとっては、パリの硬質感とコペンハーゲンのそれは似たようなものがあるように感じられ、それらの硬質感は当時の私にとっては耐えられないものであった。

再来週の木曜日に二年半ぶりにパリに訪れようと思っており、今回の訪問ではそうした硬質感に対する印象がどのように変化しているのかを確かめたい。

辻先生がパリで生活をしていた目的の一つと、自分が日本以外の国で生活をしている理由は重なるものがある。私が日本の外で生活をし続けようとしているのは、自らの心の芯を育むためであり、感覚を磨くためである。その理由は大きい。

先ほどふと、ある場所から離れ、別の場所で生活を始めることもまた、ひとつの死だと見なせるのではないかと考えていた。この夏、仮にオランダを離れることになり、新しい場所で生活をすることになった際には、生活地の移転に伴う死という現象と時間をかけて向き合う必要があるだろう。

それを無理に乗り越えようとするのではなく、死という現象そのものに寄り添い、時間の流れの中に死という現象を溶かし込んでいくことを実現させたいと思う。それには時間がかかるだろうが、むしろ時間をかけて行わなければそれは成しえないだろう。

今日はこれから、スクリャービンに範を求めて作曲実践を行う。一つ一つの音を意図を持って、時間を気にせずに曲を形づくっていきたい。作曲実践がひと段落したら、再び辻先生の日記を読み返そうと思う。

これから作る曲にせよ、日記にせよ、そこに自分の内側の何かが滲み出ているものにしていきたいと改めて思う。人類史のあるひとつの時代に、ある国で生活をする自分が執筆する日記を後で読み返したり、作った曲を後で聞き返しながら、日記や曲を通じて滲み出る時代や社会の姿を捉えていきたい。

人はこうした時代においていかに生き得るのか。そして人は、いかにこの時代と社会に関与できるのか。そのような探究的な問いかけが滲み出すような日記や曲を生み出していきたいと思う。

今日の一つ一つの日記と曲は、そこに向かうプロセスであると同時に、それらは既にこの時代の何らかの側面と、現代に生きる人間模様の一部を映し出すものであるはずだ。フローニンゲン:2019/2/17(日)10:00

No.1693: The Extending Sunset

The day gets longer.

The closer to spiring, the more I can feel the expansion of time and space. Groningen, 17:57, Monday, 2/18/2019

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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