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3441. 夜明け前の日曜日


時刻は午前八時に近づきつつあるが、辺りはまだ暗い。夜が明けるにはもう少し時間がかかりそうだ。

一羽の小鳥が小さく鳴き声を上げている。今書斎の中には、ノルウェーの作曲家ハラール・セーヴェルーのピアノ曲が鳴り響いている。外の世界と調和するようなとても静かな曲だ。

昨年の夏に訪れたベルゲンで生まれたこの作曲家の曲を聴いていると、ベルゲンの思い出が蘇ってくるかのようだ。時折私は、欧州で訪れた様々な土地の思い出をふとしたきっかけで思い出すことがある。

セーヴェルーの曲はベルゲンに関する私の記憶を引っ張り出してくれている。今日は三時間半ほどのこのアルバムをまずは聴き通したい。

そういえば、今朝方は印象に残る夢を見ていなかった。昨日の午後から夜にかけて長時間にわたって座禅瞑想をしたことによって、無意識そのものが深く休息をしているかのようだ。この休息は本日も継続するか、はたまた休息が終わり、今夜は何かしらの夢を見るかもしれない。

早朝にバッハの四声のコラールに範を求めて作曲を行った。今日の工夫としては、テンポをいつも以上に遅くしてみたことと、ハーモニックマイナーとメロディックマイナーを活用したことにある。

それら二つのマイナースケールに関しては、まだ両者が持つ固有の響きについて習熟していないため、活用する適切なタイミングが掴めていない状態だ。そうしたことから、今はまだ、曲全体の中で最適なタイミングでそれを活用するというよりも、適当なタイミングでそれを適用することに留まっている。

それらのマイナースケールを活用するためには、二つの固有の音の違いを理解しておく必要がある。それは理性的にも身体感覚的にも双方においてである。

今日もこれから作曲理論の学習を進めていくが、改めて理性を働かせることの大切さを強く実感している。理論を学習することは感性を制限するのでは決してなく、むしろ感性を大いに育むものとして存在している。

とにかく自分の理性を働かせて作曲理論を学び、作曲に伴う感性を磨いていく。ひとたび理性が獲得された成人期以降においては、理性を活用しなければ感性など育みようがないように思えてくる。

とにかく徹底的に作曲理論を学んでいきたい。

絶えず理性を働かせて学習を継続させていくためには、今こうして綴っている日記のように、文章を書いていくことを続けていく必要がある。辻邦生先生が小説論について絶えず学び、絶えず自分の理性を働かせて独自の小説論を構築していった背景には、膨大な思考実験とそれに付随して書き留められた膨大な量の日記がある。

同様に私も、作曲理論の学習及び作曲実践について引き続き日記を書き続けていく。

夜がうっすらと明け始めた。フローニンゲン:2018/11/25(土)08:13

No.1442: A Water Droplet of Night

Today is gradually approaching the end.

I concentrated on studying composition theory today. I hope to do the same tomorrow, too. Groningen, 17:59, Monday, 11/26/2018

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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