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3437. ジャズピアノとニコライ・カプースチン


早いもので、あと一時間ほどで時刻は正午を迎える。今日は天気予報の通り、薄い雲が空を覆っており、太陽の姿は見えない。おそらく一日中このような天気になるかと思われる。

今日は早朝にバッハのコラールに範を求めて作曲をし、その後、音楽理論に関する学習をしていた。今日は特にコード進行に関することを学んでいた。

昨日と同様に、これまで自分が活用していたコード進行の幅を一気に広げてくれるような発見が多々あったことは大変嬉しい。昼食前に一曲ほど作ろうと思っており、その際には午前中に学んだ事柄を早速試してみようと思う。

現在は主にクラッシック音楽における音楽理論を学んでいるが、それに習熟したら、今度はジャズ音楽における音楽理論を学んでみたいと思った。両者は多分に重なる部分もあるが、同時に異なる部分も多々あることは確かだろう。

ラヴェルやガーシュウィンは積極的にジャズの要素を自分の作曲の中に取り込んでいったことはよく知られている。午前中にふとしたきっかけで、ジャズピアノについて調べており、クラッシック音楽にジャズの要素を取り入れたウクライナの作曲家ニコライ・カプースチンの仕事と出会った。

今カブースチンのジャズ風のピアノ曲を聴いている。ジャズにおける音楽理論を学ぶことはまだ先になると思うが、音楽鑑賞と作曲技術の幅を広げるためにも、ジャズについても学習を進めていきたいと思う。

このように、一つの探究というのは派生的にどんどんと広がっていくものであることを改めて思う。それは音楽に関することだけではなく、絵画などの他の芸術領域においてもそうであろうし、学術探究においてもそうだろう。自分を捉えてやまないある関心事項を出発点とし、それを起点にどんどんと関心の輪を広げていくことは今後も続けていきたい。

今朝は夜明け前に、文化的な制約の存在に気付き、そうした制約を一つずつ乗り越えていくことの大切さについて考えていた。文化的なヴェールの存在に気づくことは、解放と自由への重要な要求事項である。

以前の日記の中で書き留めていたように、人類の歴史上、後にも先にも私たち一人一人の存在は唯一無二である。私たちの社会は、そうした唯一無二性を巧みに隠蔽することによって成り立っている。

隠蔽の仕組みに気付き、隠蔽されたものを再度明るみにしていくことが、自分の唯一無二性を発見することにつながっていくだろう。それを行って初めて、自分の人生が真に始まる。

夜明け前にそのようなことを考えていたことを思い出す。フローニンゲン:2018/11/24(土)11:16

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