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2981. 魂の重さとドルナッハでの生活について


とても小さな雨滴が窓に付着し始めた。今日もこれから午後にかけて少しばかり雨が降るようであり、夕方に止むそうだ。

今日の最高気温は20度前半であり、今の気温は17度だ。カレンダーを確認すると、今日は火曜日ということで平日のはずなのだが、辺りはとても静かだ。

近隣住民の多くは夏休みに入り、どこかに旅行に出かけているのかもしれない。欧州の寒い地域に住む人はこの時期に暖かい場所に行き、逆に暑い地域に住む人はこの時期に涼しい場所に行くことが多いのかもしれない。

私は寒い場所に住んでいながらもこの夏は再び北欧に向かう。比較的長い休暇を取るというのは欧州の様々な国の特徴だと思うが、オランダもそうした傾向にあるのかもしれない。平日にもかかわらず、こうした静かな雰囲気の中で自分の時間を過ごせるのは有り難い。

これは今に始まったことではないが、私は幼少時代のことをよく思い出す。昔の記憶を辿り、その記憶の中にしばらく留まっておくことが頻繁にある。

基本的には小中学校時代の思い出は総じて明るいものが多い。記憶の総体の色が黄色がかっているのである。一方で、高校時代には確かに楽しい思い出もあったが、総じて暗い色が付いている。

先日シュタイナーの発達理論に触れていると、思春期には一時的に魂が重くなってしまうという記述を目にした。確かに今思い出してみると、高校時代の私の魂はどこか重さがあったように思う。抑鬱的な重さがそこに存在していた。

過去の記憶を遡ってみると面白いもので、それぞれの記憶には固有の色があるだけではなく、時間軸を広げて各時期の記憶を総体として眺めてみると、そこにも固有の色が付されていることに気づく。

シュタイナーは明示的に、思春期になぜ魂が重くなってしまうのかについて述べていたように思うので、再度その記述を確かめたい。今日も夕方からシュタイナー教育に関する書籍を読んでいく。

それにしても、昨日に突如としてやってきた、ドルナッハを訪れたいという思いとそこに定住するかもしれないという予感はなんだったのだろうか。一夜明けてみても、ドルナッハを実際に訪れたいという思いは変わらず、スイスの片田舎であるドルナッハで静かな生活を営みたいという思いも依然として強い。これは本当に当地に足を運んでみる必要がある。

ドルナッハにあるシュタイナーが建設したゲーテアヌムという建物は、今では精神科学自由大学の拠点となっており、ドルナッハを訪れた際には、その大学の関係者に話を聞きに行きたいと思う。昨日見つけた人智学を一年かけてゆっくりと学べるプログラムが非常に気になり、そのプログラムについて担当者の話を聞きに行きたいと思う。

そのプログラムはドイツ語だけではなく英語でも定期的に提供されており、調べてみると不定期だがスペイン語やポルトガル語でも提供されているようだ。自然に囲まれた人口わずか六千人ほどの町で、人智学を一年かけてゆっくりと学ぶことはとても贅沢なことに思える。

できれば来年から数年間ほど米国の大学院に所属し、そこで芸術教育と霊性教育について学びを深め、その後、人智学を学ぶためにドルナッハで生活を始めることが新たな選択肢として開けてきた。これからの自分の人生がどのように進んでいくのか全くわからないが、自らの魂の自由な運動に従い、その時その場所での役割を全うしていきたいと思う。フローニンゲン:2018/8/14(火)08:49 

No.1229: The Arts and Emancipation

Prior to situating the value of the arts on emancipating humans, I think that the arts should be liberated from their privileged status.

As Edvard Grieg composed music like home at which all people can rest, I suppose that emancipating the arts from privileged people should be prioritized. Groningen, 15:09, Sunday, 9/16/2018

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