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2867. 電子メール


書斎から見える空は雲一つないのだが、今朝は朝日の力がとても弱く感じる。そう思っていると、今しがた朝日が赤レンガの家々の屋根を照らし始めた。

どうやら書斎からは見えないところに雲があり、それが太陽を覆っていたようだ。今朝方に見た三つの連続する夢について書き留めていると、夢の中の光景と感覚が再び思い出されるかのようであった。

夢は向き合い方によって、それは精神療法につながるとどこか確信させてくれる。自分の無意識の堆積物が夢を生み出し、そこでまた固有の感覚を得る。

その感覚を夢から覚めた後に解釈や再体験することは夢の体験と夢が持つ意味を咀嚼していくことにつながるようだ。人は意味によって癒しや変容を経験するのではないか?そのようなことを今ふと思った。

夢を振り返ることによって、そこには新たな意味が付加される。この新たに付け加わった意味が自己に治癒と変容をもたらすことにつながっているという確かな感覚がある。

一つ一つの治癒と変容の作用はとても小さいのだが、それは見過ごすことができないほどにありありとそこに存在している。今朝方の三つの夢をここでもう一度思い出してみると、そこには依然として捉え切ることのできない意味が隠されていることに気づく。

一つ一つの夢は意味の宝庫のようだ。夢から意味を汲み取ることに終わりはないが、これからもできるだけ夢を書き留め、そこから汲み取れるものを汲み取っていきたいと思う。

大切な事柄は外にはない。私たちの内側にあるのだ。夢の中で見られた景色とそこで得られた感覚。それらを大切にせずに何を大切にすると言うのだろうか。

人は外を見たがる。いや、現代人は外しか見ていない。内側をもっと見る必要がある。それを肝に銘じたい。

昨夜もまた今後の生活のあり方について考えていた。以前からやたらと電子メールの使用法について考えている。

この厄介なものとの付き合い方についてここ最近は特に真剣に考えている。確かに電子メールは一見すると便利な連絡手段なのだが、正直なところもうそれを使う必要はないのではないかと感じ始めている。

厳密には、家族や取引先銀行や各種サービス会社からの連絡だけを受け取れるようにして、基本的にこちらからメールを書くことは一切しないような状態が望ましいと最近思う。数年前はメールを朝から確認することがあったが、探究活動や創造活動に適した朝という時間をメールの確認に費やすことほど馬鹿げたことはないと思うようになり、それ以降はしばらく昼食後にメールを一度確認することが習慣になった。

だが、昼食後にメールを確認することもどこか時間の浪費のように思えてきたため、ここ最近は夕食後にメールを確認することに留めている。メールを使うことを止めるためには色々と清算しなければならないことがあるため、それは今年から来年にかけて緩やかに進めていこうと思う。

それまでは一日に一度、夕食後にメールを確認することに留める。私はメールを読むために生きているわけではなく、メールを書くために生きているわけではないということを再度確認したい。この当たり前のことを確認しないままメールを使っているのが現代人なのだから。

早朝の朝日が柔らかにフローニンゲンの街を包んでいる。今日は久しぶりにベートーヴェンのピアノソナタをかけることにした。一日中それを聴き続けることになるだろう。

人との交わりを極限まで削ぎ落として行くこと。簡素な生活を心がけること。自分がこの人生で取り組むべきことは何であるかを明確にし、それだけに日々専心すること。

兎にも角にも問題は人である。人付き合いを見直す必要がある。

今以上にもっと静かな生活を望む。転換点は今年の終わりから来年にやってくるだろう。フローニンゲンの街を吹き抜ける風がそれを伝えている。フローニンゲン:2018/7/20(金)07:55

No.1148: A Lively Sunflower

I’ll leave home soon to go on a 10 day trip to Northern Europe.

Fortunately, the weather during the trip will be fine. Perhaps, I’ll have a feeling like a lively sunflower. Groningen, 07:31, Saturday, 8/25/2018

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