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2850. ニシンの名前と夢のスペクトラム


今日はこれから昼食後の散歩を兼ねて、近所のスーパーに買い物に出かける。今は青空が広がっていて、本当に散歩日和だ。

自宅の目の前の通りの工事も少しばかり進み、これまではスーパーへ行く際に遠回りをしなければならなかったが、即席の道ができた。そこを通ってゆっくりと歩きながらスーパーへ向かう。

昨日、昨年よく食べていた魚の日本語名が出てこなく、なんとか思い出そうとしていたがダメだった。あえてインターネットで調べるのではなく、あの手この手を使ってその名前を思い出そうとしていた。

英語では“herring”という名前であり、英語の名称と見た目については完全に頭の中で一致していたのだが、どうにも日本語が出てこない。昼食前に過去の日記を編集していると、偶然ながらその魚に言及している日記と出くわし、その魚がニシンという名前であることを思い出した。

全くもってどうでもいいことのように思えるのだが、ニシンの名前を思い出してとてもすっきりした感覚になり、同時に、まさかニシンに言及している過去の日記を改めて読み返すことになるとは思ってもいなかったため、その偶然に驚いた。

太陽が少しばかり雲に隠れた。夢の続きであるかのような現実世界が目の前に広がっているように感じられる。夢のスペクトラムと意識のスペクトラムは結びついており、それらは即リアリティのスペクトラムとも対応していることを先ほど考えていた。

古典的には、夢と現実の境界線に関する話と関係しているが、両者の境界線だけに焦点を当てるのではなく、両者の階層構造に焦点を当てることが大切だ。あるいは、無数の階層を持つ両者の入れ子構造に焦点を当てることが大切だと言ってもいいかもしれない。何において大切かというと、この世界において目覚めながら生きていくことにおいてである。

太陽がまだ小さな雲に隠れており、辺りは少しばかり陰の世界となった。爽やかな風が街路樹を揺らしている。通りには風に揺られる夏草の姿を眺めることができる。それを見て、自分の心が共振している。

この世界における揺れに対してシンクロナイゼーションする自分の心。揺れとシンクロナイゼーションはこのリアリティに遍満している。

そのようなことを考えていると、再び太陽が顔を覗かせ、夏らしい光を地上に降り注ぎ始めた。そろそろ近所のスーパーまでゆっくりと散歩をしてこようと思う。

スーパーから戻ってきたら、ルーミーの詩集を読み、その後、モーツァルトに範を求めて作曲実践を行う。その後夕方から過去の日記を20本ほど編集したいと思う。夏の世界と散歩が自分を待っている。フローニンゲン:2018/7/16(月)14:05

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