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2818. 空白の時間と船旅への思い


時刻は夕方の四時を迎えた。昼食後からようやく雲が晴れてきて、今は晴れ間が顔を覗かせている。太陽が時折雲に隠れたり出たりを繰り返している。

先ほど近所のスーパーに散歩がてら行ってきた。欧州での三年目の生活において、数日に一回スーパーへ行くことが主な外出になるだろう。

その他には週に一度ランニングに出かけることと旅ぐらいしかない。後者は幾分極端に映るが。

つい今しがたテレマンの曲を参考に一曲作った。実質上、今日はテレマンの曲を参考にして二曲を作ったことになる。

当然ながら各作曲家には個性があるため、参考にする作曲家が違えば得られるものが異なるのだが、テレマンから得られるものはまだ言葉にならないような感覚として存在し続けている。これがテレマンの曲を参考にすることの面白さの一つになっている。

明日からもしばらくテレマンの曲を参考にするだろう。今日は夜にもう一度作曲実践をする際にはモーツァルトの曲を参考にするのではなく、バッハの曲を参考にしようと思う。

今日はこれからマラルメの詩集を読み進めていく。ゆっくりと読み進めていく計画だったのだが、思いの外に詩作を読み進めることができ、今日中に一読目が終わりそうだ。

マラルメの作品には難解なものが多くあるが、その一方で引き込まれる作品も多々ある。難解な作品を今すぐに理解しようとすることは不可能であるため、そうした作品とは気長に付き合っていくことにする。

雲間から太陽の光が再び地上に差し込んできた。空をぼんやりと眺めながら、日々の生活の中に何も考えない空白の時間を設けることの大切さを思う。

よくよく考えてみれば、私の場合はまさに窓の外をぼんやりと眺めること、そして入浴など、いくつかそうした空白の時間なるものが存在していることに気づく。何か日記として書き残しておこうと思うものはそうした空白の時間に着想を得ることがしばしばある。

街路樹の葉の先端をぼんやりと眺めたり、木々全体が揺れる姿などをぼんやりと眺める。自分の日々はこうしたぼんやりとする時間に支えられていることを知る。

自然を見ながら空白の時間を楽しむことほど満たされた感覚をもたらしてくれるものもない。何も考えることなく、自然をただ眺めるような心のゆとりを絶えず持ちたい。また、そうした自然がそばにある場所で絶えず生活を営みたいと思う。

初夏の雰囲気がそうさせるるのか、先ほどまた船旅について調べていた。日本の豪華客船による世界一周の旅について調べていると、乗船客の平均年齢が70歳を超えていて驚いた。

さらには、50歳以下の乗客の数が1%未満と表示されていてなお驚いた。確かに一般的には60歳未満の年齢は退職をしていない年頃であり、そうしたことから乗客の平均年齢が上がっているのかもしれない。

世界一周旅行ともなると確かに勤め人がこれだけ長期間仕事を休むことはほぼ不可能だろう。世界一周の船旅に関する日記を執筆しているウェブサイトが幾つかあり、それを少しばかり読んでいた。

現代においてもまだ海賊がいるらしく、海賊が出没しやすい地域とその犯行手口について自分なりに調べていた。そんな調べ物をしていると、時刻はどんどんと日没に向かっていることに気づく。

今日はこれから発達理論の専門書を読み、夕食後に作曲実践を再度行う形で一日を締めくくりたい。船旅への憧れが静かに心の中でゆらめいている。フローニンゲン:2018/7/10(火)17:09

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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