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2456. 旅の反省


フローニンゲンに戻ってきてからの最初の朝。時刻は九時を過ぎ、日曜日らしいゆったりとした時間が流れている。

書斎の窓から青空を仰ぎ見ると、そこに一つ筋の飛行機雲が見えた。私は昨日旅から帰ってきたが、今日もまたこの世界の誰かがどこかへ旅に出かけていくのだということを知る。

繰り返しになるが、旅の持つ意味と意義についてはこれからよく考えなければならない。旅の形を持って自分を呼ぶものの正体を少しずつ明らかにしていきたい。

私は自らが率先して旅に出かけていくというよりも、旅の方からの導きに応じる形で旅に出かけていくことを知る。その意識は欧州で過ごす日々が積み重なっていくごとに強くなる一方だ。

旅とは本質的に何なのだろうか。人にとって旅とはどのような意味と意義を持つものなのか。それについての関心は尽きない。

今回の中欧旅行を経て、再び人間が生み出す文明の多様さと深さには感銘を受けた。ワルシャワにせよ、ブダペストにせよ、両者の国は近くとも、異質の文化圏がそこに広がっていた。

言語にせよ、芸術にせよ、その土地の雰囲気にせよ、あれほどまでに多様な文化を私たち人間が生み出し得るということに大きな驚きを受ける。人は本当に多様な存在であり、多様な存在が生み出すものも多様なのだ。

この当たり前の気づきには、何かとても大切なものが内包されているように思える。あるいは、まだその奥に深い真理が眠っているような気がしてならない。

少しずつ、少しずつなのだが着実に、人間が人間として生きることの意味が明らかになっていく。欧州で過ごす三年目は、この意味をより明らかになものにしていきたいと思う。

今回の旅を振り返ってみると、本当に様々な素晴らしい出会いがあった。それらの大部分については、すでに旅日記に綴っているのであえてここでは取り上げない。そうした素晴らしい出会いに加え、今回の旅はまた、自分という一人の人間の小ささを感じさせるようなものでもあった。

この世界への関与の仕方と度合いについては、今後より真剣に考えていかなければならない。そのようなことを痛切に実感する場面が幾度となくあった。

ふと、ブダペストを出発した昨日の朝について思い出した。昨日の朝、ホテルでチェックアウトをしようと思い、そのままホテルを後にして近くのバス停に向かう計画を立てていた。

今回宿泊したホテルのサービスは比較的満足のいくものだったが、受付のカウンターが一つしかなく、チェックアウトに思っていた以上の時間がかかった。チェックアウトに余裕をもたせていたのだが、それでも二組前に並んでいた客が何やら部屋の中の飲み物を飲んでいたため、その清算に時間がかかり、空港に予定通りに到着するために乗ろうと思っていたバスがもう間近に迫ってきていた。

このバスを逃しても、次のバスやさらにその次のバスに乗っても問題はなかったのだが、その時の私はどこか焦っていた。すると、その焦りが前の人に伝わったのか、私に順番を譲ってくれた。

私はその人にお礼を述べ、大変感謝したのだが、旅の最中に焦るというのはどこかみっともないように思えてきた。心に絶えずゆとりを持つということは、今の私にはまだ難しいようだった。

何にも動じることのない不動心とおおらかな心を常に持ち合わせていたいものだとつくづく思わされた。宿泊先のホテルから空港に向かうバスの中でそのような反省をしている自分がいた。

旅の最後の最後に慌ただしく動いてしまう自分が出てきたことには自分でも驚かされたが、そうした自己の側面がまだ自分の中に残っているということを肝に銘じておかなければならない。今回の中欧旅行では、とてもゆったりとした落ち着いた自己がいたのだが、最後の最後に慌ただしさを持つ自己がいたことを覚えておく必要がある。

今回の中欧旅行は、そうした自己の側面に気づかせてくれ、反省を促す役割も担ってくれていたのだと思う。自分の歩みは本当に道半ばだと思う。それを常に念頭に置きながら、今日はこれから研究を前に進めていく。フローニンゲン:2018/4/22(日)09:46 

No.986: A Song for Bliss

I can hear a song for bliss from somewhere close to me.

The sky above Groningen is crystal clear, and that of my heart is also pellucid. Groningen, 08:39, Monday, 5/14/2018

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