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2439. 【中欧旅行記】恐怖感


ブダペストでの三日目の朝が始まった。今朝も比較的ゆっくりと起床し、六時半にベッドから体を起こした。

フローニンゲンを出発したのは13日の朝であるから、まだ一週間が経っていない。正直なところ、私はそれがとても怖い。

旅をしながらこのような恐怖感に苛まれたのは初めてのことかもしれない。時がこのようにして緩やかに流れていることが、なぜだかとても怖く感じたのだ。

このような恐怖感に襲われたのは初めてのことであるため、この感覚の全貌を掴むことができていない。ブダペストの朝は今日もこんなに快晴なのに、どこかその恐怖感によって気分が落ち込んでしまうかのようだ。

この感覚についてはもう少し文章を書き留めておいた方が良さそうである。全ての人が向かうべき場所に向かって自分の人生が静かに動いているという感覚。それとこの恐怖感には深いつながりがあるのではないかと思う。

人生の終焉は未だ形が見えないにもかかわらず、それが確かにこの先にたたずんでいることがはっきりと分かる。それはいつどのようにやってくるか分からず、形が見えないゆえに得も言わぬ恐怖感を生み出しているようだ。

どうしてブダペストでこのようなことを考えることになったのだろうか。昨夜ふと、人間の究極的な孤独性について考えざるをえないような感覚に取り憑かれていた。

ブダペストの街を歩いていた時にも、「自分は一体ここで何をしているのか?なぜ自分はここにいるのか?」ということを絶えず自分に問いかけていた。厳密には、自分がブダペストや欧州の地で独りで一体何をしているのか、なぜ自分は独りでここにいるのか、ということを考えさせられていたのである。

欧州でのこれまでの生活でも、過去に似たような問いと向き合っていた。しかし今回は、その問いが内包する感覚がとても重く自分にのしかかってくる。

自己の内側から言葉を紡ぎ出すことによって、治癒と変容が起こるのであれば、今感じているこの感覚をなんとかしてほしい。この重く苦しい感覚を治癒し、それを変容させてほしいと強く願う。

今日もブダペストの街を観光するが、どこかそれが怖い。欧州で未知なるものと出会い、そこから新たな刺激と経験を自己に取り入れることがこれほどまでに恐怖感を引き起こすものだとは考えてもみなかったことである。

ホテルの自室から見える景色はとても落ち着いている。優しい太陽光が新緑の木々を照らしている。

現実世界を認識する眼が少しずつ変容を遂げていき、この現実世界の捉え方が広く深いものになっていくことへの恐れを今の私は抱えている。昨日もブダペストの街を歩きながら、見えなくていいものが見えてくるようであった。

ワルシャワに滞在していた時もそうである。認識の枠組みが深まれば深まるだけ、この現実世界が分からなくなっていくことへの得体の知れない恐怖。それは現実世界に対してだけではなく、自己に対してもそうだ。

自己も世界もよく分からなくなってきているという感覚がこの恐怖と結びついている。こうした恐怖感を抱えたまま、今日もブダペストの街に一歩を踏み出していく。それが歩くことしかできない人間の性だ。ブダペスト:2018/4/19(木)08:03  

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