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2281. 新たな出発の連続


相変わらず木枯らしにも似た風が吹いている。季節は本来春に向かっているはずなのに、初冬のような感覚が引き起こされる。

しかし、優しい太陽の光が天から降り注いでいることには感謝しなければならないだろう。この太陽があれば、私は前に進めるような気がする。

いや、仮に太陽が雲に覆われて見えなかったとしても、雲の向こうにある太陽の存在を常に知覚できている。そして何より、自分の内側にある太陽の光と熱量が途絶えることはもうない。

欧州での生活でもたらされたのは、内側の太陽の発見であり、太陽として生きることなのだ。そんなことをふと思う。

今日は午前中に、本当に素晴らしい出会いをさせていただいた。オンラインを通して知り合いの方から、この現代社会に対して非常に意義のある活動をされていらっしゃる方たちをご紹介いただいた。

お話いただいたプロジェクトを通じて社会に関与していくことに加え、プロジェクトの進捗と成果を学術論文の形にまとめて公開していくことも含め、私にできることをもとにこのプロジェクトに参画させてもらえれば幸いだ。

欧州にやってくる前後から、私の人生が何か大きなうねりを伴って動的に動いているように思えていた。欧州での生活が二年目に入ってから、そのうねりのダイナミズムが増しているように思う。

私自身は、克己と規律の中で粛々と日々を送っているだけなのだ。そうであるにもかかわらず、人生がより動的な様相を帯びつつある。

それは非常に肯定的な意味においてである。人々との出会いが起点となり、この社会への関与の姿勢が自分の内側で醸成されていき、それが実際の行動を伴って具現化され始めている。

探究活動と社会参画というのは二項対立のものではなく、最初から一つであったのだ。探究活動だけを行うという、自己肥大化が生む病理から脱却し、社会参画だけを進めていこうとする偽善的態度を超えて、それらのどちらにも従事する形で、いやそれら二つをさらに一段上の次元で捉える形で一つの統合的実践として日々を生きて行く。そうした生き方が徐々に実現されていることを実感する。

オンラインでのミーティングの後、毎日行っているように、過去に作った曲を一曲だけ聴き返していた。その曲を聴きながら、出発の連続という人生の本質について思いを馳せていた。

私たちは今日も新たな旅立ちを経験している。新たな旅立ちではない日など存在していないのだ。

新たではなかった日を探してみて、それが見つかるだろうか?きっと見つからないだろう。日々は常に新たな出発なのだ。

裸の街路樹の枝に止まっていた一羽の小鳥が大空に向かって飛び立った。フローニンゲン:2018/3/17(土)11:46   

No.881: Serenity after Nostalgia

I often feel serenity after nostalgia.

Although it is still cold in Groningen, spring will come soon. Groningen, 08:02, Thursday, 3/22/2018

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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