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2002. 壁打ちの夢


「ドーン」「ダーン」と壁にボールを打ち付ける音が聞こえる。サッカーボールは軽いのに、それが壁に打ち付けられる音はどこか重たい。

夢の中で私は、サッカーゴールに似た壁に向かってボールを蹴りつけていた。利き足ではない左足で何度も何度も壁に向かってボールを蹴っている。

それもその場に静止している状態で蹴るのではなく、空想上の相手を目の前に置き、何度も違うフェイントを試し、何度も違う脚の角度でボールを蹴り続けていた。

目の前の相手をフェイントで一瞬翻弄し、シュートコースを一瞬作った上でキーパーに取られない場所にボールを蹴り込む。一つ一つのシュートは一切の放物線を描くことなく、どれもが直線的な光線のようであった。

ボールが壁に当たる音は、私の耳にとても心地よかった。そして何より、空想上の相手を種々のフェイントで翻弄し、光の矢のようなシュートが壁に向かって想像上のゴールキーパーの手の届かないところに進んで行く軌道は美しく、その軌道を眺めることは芸術作品の鑑賞にも似た美的感覚を私にもたらしていた。

私が何度も何度も一人で壁に向かってボールを蹴っていたのは、この恍惚感によるものに違いなかった。壁に向かって何度も左足でシュートを蹴り込んだ後、最後に私は自分の利き足でボールを蹴ることにした。

さすがに利き足だけあってか、フェイントもシュートも、左足で行うものよりも精度が高く、一連の動作が完全な流れの中で進行し、最初の動作から最後の動作までが全てイメージ通りのものだった。

「ドーン」と壁にボールがぶつかった。最後に蹴ったそのボールは、力強く壁に跳ね返り、私の後ろの方に跳ねるようにして転がっていった。

ボールは道の上を弾みながら近くの家のガレージに入っていった。弾んだボールがガレージの車にぶつかる音が聞こえ、ガレージのシャッターにぶつかった。

その音は少しうるさく、その物音によってそこに住んでいる人が何事かと言わんばかりに顔をのぞかせた。 :「すいません。ボールがガレージに入ってしまったようで」 その家の年老いた主人:「あぁ、ボールかね。ガレージの方で何か物音がしたもんだからちょっと気になって」 :「すいませんでした」 その家の年老いた主人:「謝らなくてもいいんじゃよ。そう言えば君、知っとるか?」 :「えっ、何をです?」 壁にぶつかって弾んだボールが紛れ込んだ家の主人は、かなり年配のようであり、私がボールを拾って謝ろうとした時に、何かを尋ねてきた。しかし何を尋ねようとしていたのかを聞こうとしたところで夢の場面が変わっていた。 自分のようでいて自分ではないような、小さな少年が大人に混じってサッカーグラウンドを駆け回っている。どうやらそれはプロの試合のようだ。

まだ小学生の低学年ぐらいの小さな少年は、成人のプロサッカー選手に混じっても何の遜色もない技術を持っていた。いや技術に関しては、プロの選手よりも抜きに出ていた。

その少年が左サイドで相手を一人かわし、クロスボールをゴール前に送った。ファーにいた仲間がヘディングでさらにゴール前に折り返し、その折り返しを別の仲間がゴールに押し込んだ。

ゴールが決まった瞬間に、コートの中の選手達、そしてそのチームを応援していたサポーターは熱狂的な喜びを示した。その小さな少年が相手をかわし、クロスを送ったことがゴールに繋がったことをチームメイトは理解しており、一人の体格のいいブラジル人の仲間がその少年を抱き抱えてその貢献を讃えた。

チームメイトも少年も満面の笑みを見せている。そのブラジル人が少年を抱き下ろすと、チームメイトが一様に少年の元に駆け寄り、少年の頭をくしゃくしゃと撫でていった。

コートの中でひときわ小さい少年は、逆にその存在感が人一倍強かった。チームメイトに讃えられた少年は、溢れる笑顔で自陣に戻り、試合の再開に向けてまた気を切り替えようとしていた。 その試合についての結果を伝えるテレビ番組だろうか。サッカー競技場を背にした形で何人かのリポーターが立っている。

一人のリポーターは、先ほどの少年と同じぐらいの年齢の韓国人の少年だった。その少年は間違いなく韓国人なのだが、流暢なドイツ語を話し、自分の観点を交えて試合結果を見事に伝えている。

その横にいたのは、少しばかり年のいった経験豊富な韓国人女性のリポーターであり、彼女は韓国語で試合結果を伝えている。その場所から少し離れたところに、日本人の女性リポーターがいた。

彼女はリポーターというよりも通訳らしく、風貌から察するにベテランの域に達していそうだった。おそらく彼女の役割は、少し離れた場所で喋っている二人の韓国人のリポーターの言葉を英語に翻訳することだった。

その日本人女性は、少年リポーターのドイツ語を翻訳しているのか、それとも少年の隣にいた女性の韓国語を翻訳しているのか定かではなかった。その日本人女性の通訳は、第一声から言葉を詰まらせ、最初のセンテンスを締めくくる言葉が何も出てこないようだった。

番組を見ている視聴者は、おそらく音声が途切れてしまったのではないかと思うぐらいの沈黙がそこにあった。私は、何度も同じセンテンスを言い直そうとしているその通訳の女性の姿を少しばかり憐れむ気持ちで見ていた。フローニンゲン:2018/1/13(土)06:05

No.637: Feeble Self-Organization and Dichotomy between Parts and a Whole

I noticed that my musical works lacked the potentiality of self-organization.

It means that they do not spontaneously develop themselves.

I need to tackle this issue about the feeble power of self-organization.

Also, I can find a dichotomy in my musical works between parts and a whole.

This is another matter required to address. Groningen, 19:41, Friday, 1/12/2018

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