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1992. 恵まれた協働関係と科学に対する疑念


今日は早朝に、現在協働プロジェクトを進めさせていただいている関係者の方たちとオンラインミーティングを行った。

複数のプロジェクトを並行させる形で進めていたためにこれまで気づかなかったが、今は四社ほどの組織の方たちとご一緒させていただいている。今日のミーティングでも感じたことであるし、これまで折を見て自分の感想を述べていたが、本当に私は協働者の方たちに恵まれていると思う。

これまでの探究活動を通じて得られた知見や経験は微々たるものであるが、その中で私はどのようにこの社会に関与していけばいいのかをいつも考えさせられる。

そのたびに、この世界で自分がなせることなど極わずかしかないことに気づかされるが、それでも自分にできる範囲の仕事に従事していこうという気持ちになる。書斎の窓から見える裸の木のように、そこにあることを通じて自分の役割を果たしていくことができたらと思う。 今日はこれから昼食を済ませた後に、昨日から読み始めた “Society and spirit: A trinitarian cosmology (1991)”という哲学書に取り組みたい。昨日も改めて気づいたが、自分の中で哲学と音楽は極めて重要な位置を占めている。

そしてそこに今、文学が入り込み始めている。それでは科学の位置付けはどうなのか?そんな問いが立った。

現在フローニンゲン大学で科学的な研究に従事しているように、科学は確かに私にとって大事な領域だ。しかし、いくら科学的な探究をしていても見えないことがあり、それに気づかせてくれるのが哲学・音楽・文学の価値だと思う。

もちろん、哲学・音楽・文学に開示しえないことを科学はこの世界に開示することができる。だが、私は今後科学者としてあり続けたとしても、本心は科学よりも哲学・音楽・文学を愛しているように思うのだ。

今後のことはわからず、科学への愛が再び再燃することもあるかもしれないが、現時点においての科学の位置付けはそのようなものである。私はやはりどこか科学に対して払拭することのできない疑念を抱いているのかもしれない。

「科学的なアプローチの価値を知っている、だが・・・」というセンテンスが頻繁に脳裏をよぎる。科学を絶対的に信じられない本当の理由は何なのだろうか。

それを探る日々は今後もまだ続きそうだ。しかもそれは、科学研究に従事しながら進めていかなければならないものである。フローニンゲン:2018/1/10(水)11:49

No.627: Creativity

I came across the sentence: “Creativity is the power of divine intersubjectivity.”

I must think about the underlying meaning.

Creativity does not derive from subjectivity but from intersubjectivity.

Why do I need others? Why does my creativity need others? Groningen, 13:20, Wednesday, 1/10/2018

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