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1904. アイルランドの作曲家ターロック・オキャロラン:吟遊詩人のように


今日は晴れの予報だったのだが、薄い雲が空一面を覆っており、太陽の光りは地上に届かない。今日は早朝からずっと作曲理論の学習を進めていた。

午前中は全てメロディーの創出に関する理論に時間を充てた。午後からは、対位法のテキストの再読を始める。 これまでMIDIキーボードを使って入力を行っていたが、調ごとに異なる鍵盤の位置を覚えていないため、様々な調の曲の抜粋を作曲ソフト上で再現しようとするたびに、音程の高さを手動で調整しないといけないことが手間であった。

一旦MIDIキーボードでの入力をやめて、PCのキーボード入力に変えてみると、この問題に時間を取られることがなくなった。MIDIキーボードを用いることなく、PCで効率的に入力ができるようになると、PCさえあれば世界のどこにいようとも作曲できるということを確信し、少々嬉しくなった。

私は交響曲や協奏曲などは一切作らず、今のところはピアノ曲しか作らないと決めているため、もしかすると大掛かりな装置は今後も必要ないのではないかと思う。PCさえあれば、どこでも曲が作れるというのは私の理想である。

この世界で生きることを通じて自分の内側に起こる瞬間瞬間の現象をつぶさに曲にしていきたい。また、いつか自分の過去の日記の一つ一つに対して曲を作りたいという思いが一昨日に湧き上がっていた。

過去の日記から喚起される内面現象を音として形にしていくのである。そのようなことを考えていると、日記から曲を生み出すのみならず、私はいつか父が作った詩や短歌をもとに曲を作ってみたいと思うようになった。

自分にとって重要なことだけを曲にしていく。他者と共にこの世界で生きる自分の内面世界に湧き上がる、自分を捉えて離さない現象だけを曲にする。

それ以外のことは曲にしない。そのような思いを新たにした。 午前中の作曲理論の学習が落ち着いたところで、ふとEメールを確認すると、母から一通のメールが届いていた。母はそのメールの中で、アイルランドの作曲家ターロック・オキャロランを紹介してくれた。

今から300年以上も前に生まれたこのアイルランド人作曲家を私は知らなかった。オキャロランについて調べてみると、18歳の時に天然痘のために失明し、それでもオキャロランはアイルランドの各地を旅しながら、ハープ演奏と作曲を行い続けるという人生を歩んでいたことがわかった。

その中でも特に、「アイルランド最後の吟遊詩人」という言葉が大きく私に響いた。ここ最近私は毎日のように、この世界を旅しながら、日々を文章と音楽で綴っていくような生活を送ることができたらどれだけ素晴らしいだろうか、ということを考えている。

それはまさに、吟遊詩人のような生き方だ。吟遊詩人がこの世界を旅しながら生きることの素晴らしさを謳うように、私もこの世界を旅しながら、生の素晴らしさを絶えず日記と作曲を通じて表現し続けたい。

いつかそのような生活を本当に送ってみたいと思う。その日は必ず来るだろう。2017/12/15(金)10:52 No.549: The Sky above Amsterdam

Now, I’m in the sky above Amsterdam.

I encountered snow-like clouds that are the paragon of beauty.

The sun set is shedding light on the clouds, which are shimmering in a beautiful way.

I can almost hear Ravel or Faure’s music from the harmony between the clouds and the sun set.

Who doesn’t appreciate such wonderful nature of which we often are unaware?

We must not forget that nature is radiating at every moment. 17:51, Wednesday, 12/20/2017

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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