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1852. ハーモニーの創造に向けて


相変わらず試行錯誤の日々が続く。それはとても肯定的な意味においての試行錯誤の連続である。

日々の学術研究においても、試行錯誤があるからこそ、発見の喜びが大きくなり、試行錯誤が理論的理解や研究手法の技術を高めていく。それと同じように、作曲に関しても試行錯誤の日々が続く。

いや、作曲に関しては、学術研究以上の試行錯誤を毎日行っているような気がしている。とりわけここ数日間は、ハーモニーを生み出すことの難しさに直面し、どのようにすればメロディーに合致するハーモニーを生み出すことができるのかを試行錯誤していた。

これは文字通り試行錯誤である。というのもの、正式な音楽教育を受けたことのない私にとって、ハーモニーに関する基礎的な知識がほぼ皆無の状態であるからだ。

そうしたこともあり、まずはハーモニーに関する基礎的な知識を獲得することが第一歩だろうと考えた。昨日、イギリスのアマゾンを経由して注文した五冊の書籍のうち、二冊はハーモニーに関する書籍である。

これまで抱えていた課題の一つに、曲をどこから作るかという問題があった。端的には、メロディーから曲を作っていくのか、コード進行から曲を作っていのかという問題とぶつかっていた。

どうやらどちらも活用できることがわかってきたのだが、やはりメロディーから曲を作ることの方が、曲を創造する喜びの中に直接的に浸れるような感覚がある。そうしたことから、ここ最近はメロディーから曲を作ることを意識していた。

以前オンラインで履修していた、シンガポール国立大学が提供している作曲講座では、単にメロディーラインを作るのではなく、四つのパートを持つ曲を作っていくことが前提とされていたのである。

そうしたこともあり、これまでも四つのパートを持つ曲を作ろうとする意識が自然とあった。ここ数日、メロディーを作ることに集中しており、いざメロディーが出来上がってみた時に、一つの問題と直面した。

それがまさに、そのメロディーにどのようなハーモニーを持たせるかということだった。ソプラトとアルトの要素を持つメロディーラインだけが出来上がり、それに対してハーモニーを与えることは今の私にとってとても難しい。

一つの単体の線として、自分のメロディーがようやく意味を持つものになり始めたことは喜ばしい。だが、せっかく生まれた意味を引き立てるハーモニーを与えることが難しく、伴奏を追加すると、メロディーが持っていたはずの本来の意味が希薄化されたり、歪曲化されてしまう現象に直面している。

かつてモーツァルトが「曲における最大の生命はメロディーである」と述べていたように、今後はとりわけメロディーを生み出すことに注力していくことは間違いない。だが、生み出されたメロディーをさらに引き立てていくハーモニーに関する理論的理解と技術を向上させていくことが大きな課題となる。

そうした課題と向き合うために、昨日は二冊の書籍を購入した。一冊はアーノルド・シェーンバーグが執筆した書籍であり、もう一冊はピョートル・チャイコフスキーが執筆したものである。

どちらも著名な作曲家であり、確かにどちらの書籍も今の私にとっては少し難解なものかもしれない。

だが、どちらも具体例が豊富であることは救いであり、具体例を通じてハーモニーの無数のパターンを認識し、実践を積みながらハーモニーに関する理論と技術を高め、それを自分なりに理論化していくことを今後行っていこうと思う。

日々が試行錯誤であり、試行錯誤が日々である。2017/12/2(土)07:38

No.497: Enrichment of My Life

I am engaging in science and philosophy everyday probably because my belief is that they enrich my life.

Scientific and philosophical thinking directly affects my way of being.

Science and philosophy nurture my inner world.

The proof would be manifest in my diary and music. 10:29, Friday, 12/8/2017

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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