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1698. 整備された庭園と不可能なバランス


夢の中の殺人犯の姿がまだ心の眼に焼き付いている。あの夢には、実はまだ続きがある。

犯人の姿を目撃し、その場から立ち去るようにショッピングセンターを後にした友人と私は、犯人から逃げるように、突然走り出した。夢の中の街は非常に栄えていたが、街の中心部から外に出ると、そこは自然に溢れていた。

背の高くない木々が無数に植えられている砂利道を、友人と私は走っていた。友人の走る速度は極めて速く、私は徐々に彼についていくことが難しくなっていった。

そのため、私は空を飛んで移動することにした。友人の頭上を飛ぶ形で、私たちはあてもなく砂利道を進み続けた。

すると、目的地などなかったはずの私たちの目の前に、フェンスで仕切られた庭園が現れた。その庭園には、色とりどりの花が植えられている。

私はその庭園の様子を上から眺めていた。すると、庭園の真ん中を貫く一本の道に、友人がショッピングセンターからここまでたどり着くのにかかった時間が表示されていた。

私は空を飛んで、一足早くこの庭園の上空にたどり着いたが、友人はまだ地上を走り続けており、あと少しでこの庭園にたどり着くところだった。庭園を貫く道に大きく表示された時間が、秒単位で刻まれていく。

「1:10:27」という表示を最後に見届けると、ちょうど友人が庭園にたどり着いた。私は依然として、庭園の空の上にいた。

どうやら、庭園の先に出口のようなものがあり、そこにたどり着くことがその瞬間の私たちの目的であった。友人が地上から声をかけてきたこともあり、私は上空から庭園内に足を踏み入れた。

庭園内の色とりどりの花々はよく手入れがされており、花々の大きさと高さが整えられていた。それらの花々はどれも地面に植えられており、それらの高さは、人間のかかとの高さほどでしかなかった。

この庭園に関して一つ奇妙なことがあった。それは、この広大な庭園の中に、友人と私以外に誰もいなかったことだ。

友人よりも半歩ほど前の距離で歩き続けていた私は、庭園の出口の前に、小さな小川が流れていることに気づいた。その小川はとても小さく、小川というよりも、小さな水路だと言ったほうがいいかもしれない。

人がまたげばすぐに飛び越えてしまえるぐらいの水路が、色とりどりの花々が植えられている地面を取り囲んでいた。私がその水路を飛び越えようとすると、水路の中に埋め込まれていた杭のようなものを踏んでしまった。

しかし、私はそれについて特に気にかけることなく、友人よりも先に庭園の出口から外に出た。外に出て、フェンス越しに後ろを振り返ると、友人はまだその庭園内に残っており、突如として、庭園の出口が小さくなり始めた。

同時に、庭園内のフェンスが壁に変わり、その壁から大量の水が庭園内に流れ込み始めた。どうやら、先ほど私が踏みつけた杭は、そのスイッチの役割を果たしているようだった。

その間にも出口がどんどんと小さくなり、友人はその庭園から抜け出せるかどうか危うい状況になった。友人が出口のある扉に駆け込んできた時に、夢の場面が変わった。 次の場面では、日本語が比較的流暢な米国人と何やら会話をしていた。その米国人男性と私は知り合いではなく、私たちは初めてそこで会話を交わすような間柄であった。

彼は口数の多い男であり、最近出くわした悔しい出来事について突然話し始めた。聞くところによると、彼はここ最近になって武道を始めたようであり、昇級に苦戦しているとのことだった。

話によると、数日前にようやく五級の試験を突破したようだ。彼の話に耳を傾けていると、徐々に彼の話に興味を持ち、五級の試験内容について尋ねてみた。

すると彼は突然、自分の片腕だけを用いて自分の全体重を支えるポーズを示してくれた。腕立て伏せをする時には、基本的に両腕と両足の四点が地面に接しているが、そのうちの三点を宙に浮かせ、一点だけで全身を支えるというポーズだ。

彼が示してくれたポーズを見たとき、それぐらいであれば、自分もすぐにできると思い、彼の横でそのポーズを取ろうとしてみた。すると全くうまくいかなかった。

私の頭の中には、ヨガの中で似たようなポーズがあり、そのポーズを行ったときの記憶があった。しかしよくよく思い出してみると、ヨガのそのポーズは、全身を一点ではなく、二点で支える。

ヨガのそのポーズでは、片腕と片足の二点を地面に着け、もう片方の腕と足を宙に浮かせる。私は彼が示したポーズに何度も挑戦してみるとが、一向にうまくいかない。

私は絶えず、自分の重心がどこにあるのかを考え、その重心が、地面を支える一本の腕を通じて地軸と合致した時にそのポーズがうまくいくのではないかと思った。何度挑戦しても無理であったため、さらによくよく考えてみると、片腕で逆立ちをすることは可能であったとしても、胴体を地面に平行にさせる形で、片腕だけを用いて全身を支えることは、原理上不可能なのではないかと思った。

だが、実際にその米国人は、そうした不可能なことを成し遂げていた。このポーズを今この瞬間に行うことが無理だと分かったため、私は彼とまた会話を続けた。

会話が終わり、一緒にその場から立ち去ろうとすると、その場所は、オリンピックに使われるような立派な体育館であることに気づき、立ち去ろうとするその米国人に対して、体育館にいた観客のような人たちが彼に大きな拍手を送り始めた。

私たちは、彼らの存在に一切気づかなかったが、彼らは私たちが難解なポーズに取り組む姿を体育館の上から見ていたようなのだ。

バランスを取ることが不可能だと思われるポーズを見事にやってのけたその米国人男性。そして、そのポーズに果敢に挑む私がそこにいた。2017/10/27(金)08:07

No.343: Argumentation Diagrams To enhance my argumentation and memory retention, I thought that drawing argument diagrams would be beneficial.

Some research reveals that it can augment our argumentation skills and solidify factual and conceptual knowledge.

The more I learn in diverse fields of academia, the more knowledge I have to digest.

The current situation requires me to grasp a voluminous amount of knowledge. To meet the requirement, argumentation diagrams are a candidate for an effective learning tool.

I try to experiment drawing argumentation diagrams by applying a classical tool of mind mapping. 16:46, Tuesday, 10/31/2017

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