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1688. 質的成長と量的成長について


今日も一日中、書斎の中で探究活動に精を出す日であった。先ほど、知人の方からいただいた、「質的成長」と「量的成長」の関係に関する質問について考えていた。

私たちは、ある瞬間にこれまでできなかったことが突然できるようになる、という経験をしたことがあると思う。つまり、私たちは成長の過程において、そうした、ある意味特別な瞬間が存在することを体験的に認識している。

それを経験する当人にとっては、まさにこれまでとは全く異なる視界が開けてくるような体験であり、それは次元が上昇するような感覚として知覚される。 そうした質的な成長が起きるためには、実践の積み重ねという量的な成長が必要とされるが、そうした地道に蓄積されていく量的な成長と、特別な瞬間とも言える質的な成長の関係性がどういったものなのかが、多くの人にとっては見えにくいかもしれない。 いただいた質問もまさに、そうした特別な瞬間を生み出すために必要な量的な成長と、それまでに積み重ねてきた量的な成長との違いというのは一体何であろうか、というものであった。 たとえば、容器に水を貯めていくと、ある時点を迎えると、突然に、水が容器から溢れ出す。私たちが経験している特別な瞬間というのは、まさにそうした、容器から水が溢れ出す現象のことを指していると言えるだろう。

それでは、水が突然に溢れ出す現象の前には、一体どのようなことが起こっているのか、という質問を受けた。 その質問に対しては、連続的な発達プロセス(continuous developmental process)の中に存在する「非連続的な発達 (discontinuous development)」と呼ばれる現象によって説明することができるだろう。 水と容器の例を引き続き用いると、近年のダイナミックシステム理論を活用した発達研究の知見をもとにすれば、次のようなことが言える。 実は、そうした水が突然に溢れ出すという特別な瞬間の前には、大変興味深い現象が観察されている。端的には、「エントロピーの増大」と呼ばれる現象である。

エントロピーというのは、元来は物理学の概念であり、簡単に述べると、それは乱雑さの度合いのことを指す。 水が溢れ出すためには、単に水の量が増えることは十分条件ではなく、水(厳密には容器)が「揺らぎ(揺れ)」を経験することが必要条件になる。

水が増加するに従って、水の容器が水量に耐えられなくなる地点に近づくと、突然に容器そのものが揺れ始め、水がさらに増加するようであれば、容器は突然質的に新たなものに変容するか、容器が崩壊という現象が起きる。

前者はまさに質的な発達であり、後者は退行だと捉えるとわかりやすいだろう。 例えば、キーガンの発達モデルに対してダイナミックシステムアプローチを適用した、フローニンゲン大学のサスキア・クネン教授の研究結果も同様の現象を示唆している。

つまり、ある人が一つの発達段階から次の発達段階に移行する直前には、発達的な揺れ(葛藤)を経験し、それを乗り越えることができたら、次の段階に到達し、発達の波が安定したものになる。

これはキーガンも理論的に主張していることであり、古くは、ピアジェも「均衡」と「不均衡」という概念を用いて理論的な説明をしている。 そうした発達的な揺れを起こす要因やメカニズムはまだ解明されていないが、非連続的な発達現象が起きる前には、人間の器にせよ、能力にせよ、そうしたエンロピーの増大が起きるという仕組みが確認され始めている。 最近、人間の発達や学習を研究していてよく思うのは、私たち人間は、絶えず均衡と不均衡を経験しながら発達を遂げていくということである。器にせよ、能力にせよ、どちらも共に、均衡を好みながらも、不均衡を好むという、相反する性質を同時に内包しているようなのだ。

ある地点までは、器や能力は安定を好み、量的な増大を続けていくが、ある地点に到達すると、なぜだか不均衡を求めるような動きをし始める。それが結果として、能力の発達プロセスに揺らぎをもたらし、その揺らぎを乗り越えた後に、質的に全く異なる能力が誕生し、再び安定した状態に戻る、という不思議な現象が見られる。 今、そして今後私が取り組んでいこうとしている研究テーマの一つは、未だ解明されていない発達的な揺れを起こす要因やメカニズムの解明に、システム科学とネットワーク科学のアプローチを採用していくことにある。

いただいた質問は、発達現象の中で未だ解明されていない多くの点を内包するものであり、引き続きその問いについて研究を進めていきたいと思う。2017/10/24(火)20:09

No.333: The Relationship between Writing Texts and Composing Music I noticed one of the similarities between writing texts and composing music is that both include a limited number of themes in one work.

For instance, I elaborate and expand a main theme in an academic paper. It is not so usual to encompass several themes in one paper.

Furthermore, each paper comprises several key messages, but in general, one message is introduced in one paragraph. Several messages are seldom included in one paragraph.

All of them discussed above can be true to music composition. In principle, a piece of music has a central theme, and each measure in the work plays a crucial role in introducing the theme.

In other words, each measure with a message can show us the culmination of the theme at a certain point in the work.

In my understanding, each piece of music has a central theme and some messages that can guide us to the pinnacle of the theme. 18:00, Sunday, 10/29/2017

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