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1562. 夢から夢、黒から白


真っ黒な世界から真っ白な世界への変貌。早朝の闇がゆっくりと消えていくのに応じて、世界が白に包まれ始めた。

今朝のフローニンゲンは、深い霧に覆われている。書斎の窓を通じて見える景色は、普段のものと随分異なる。

いつもは見える赤レンガの家々が霧に覆われ、その姿を確認することはほとんどできない。かろうじて、目の前の通りに植えられた木々の姿を確認することができるだけだ。

秋も近づき、これから紅葉に入ろうとしている木々は、それでもまだ青々としていて、青の深さがさらに濃く感じられる。とても幻想的な世界。その表現はありきたりであり、陳腐なものだが、それ以外に表現は見つからず、むしろその表現は今目の前に広がる景色の本質を突いている。

ある表現が本質を突くとき、その言葉がいかに使い古されていようが関係なく、陳腐さの表皮から脱皮し、新鮮なものに映る。早朝の真っ白な世界に吸い込まれていく感覚は、闇夜の真っ黒な世界に吸い込まれていくのとはまた異なる感覚を引き起こす。

だが、どちらもその世界の中に私を呼び込み、その世界と一体となることを促す。私はしばらくの間、この深い深い霧に覆われた幻想的な世界の中に入り、その世界と一つになっていた。

一羽の黒いカラスが一つの木から別の木に飛び移った時、その世界から抜け出して、再び書斎の中の世界に私は戻ってきた。 先ほど思い返すことを止めた昨夜の夢が、また私の関心事項として浮上し、その夢の後に見た夢を思い出させた。夢の中で私は、波の穏やかな瀬戸内海の磯場で釣りをしていた。

友人らしき姿が二、三人ほど見えるため、彼らと一緒に釣りを楽しんでいるのだろう。どうやら私は釣竿を持っておらず、磯場の様子を眺めながら、どの地点に魚がいそうかを考えているだけのようだった。

ある友人が釣竿を磯場に放置したままで別の友人と話をしていることに気づき、私はその釣竿を持ち上げてみると、魚が掛かっていることに気づいた。すかさず遠方にいる友人にそれを知らせ、私はリールの糸を巻き始めた。

この感触からすると、かなり大きな魚が掛かっていると思われた。魚が海面に現れるか否かのところで、急に糸を巻くリールから重みがなくなった。

その瞬間に私は、「魚を逃したか」と思った。しかし、最後までリールの糸を巻いてみると、金色のルアーにとても小さな魚が掛かっていることがわかった。

金色のルアーが太陽の光を反射し、鮮やかな黄金色を輝かせている。そのルアーに掛かった小さな魚も、全身がとても鮮やかだ。

4cmほどのルアーと全く同じ大きさの小さな魚を足場に引き上げた時、私はしばらくその魚をじっと眺めていた。その魚は陸に上がってからも、威勢良くバタバタと動き回っている。

その魚は綺麗であったにもかかわらず、私はあまりその魚を触りたくなかった。しかし、この魚は私たちが釣ろうとしている種類のものではなかったから、リリースしようと思った。

早くリリースをしてあげなければ、陸で死んでしまう可能性があったため、駆け寄る友人の到着を待つことなく、元気良く動き回るその魚の体を押さえ、ルアーから外した。その魚を海に帰そうと思った瞬間に、その魚が自分の手からこぼれ落ち、磯と磯の小さな水溜りの中に落ちた。

すでにその魚は弱っており、それは水溜りの底に向かってゆらゆらと沈んでいった。ゆっくりと沈んでいく小さな魚を見ながら、私はとても物悲しい思いに包まれていた。

すると突然夢の場面が変わり、私は首都高速を走る一台の乗用車の後部座席に座っていた。高速で過ぎ去っていく街の景色を眺めていると、右手に巨大なビルが見えた。

そのビルの全ての階はガラス張りになっており、全階が本棚と無数の書籍で埋め尽くされていた。どうやらそれは巨大な書店のようであり、書店の本棚は非常に綺麗な形で並べられているのが遠目からわかった。

また、その書店に置かれている全ての本は和書であることもそれとなく理解した。首都高速を走る車の中から、その巨大なビル型の書店を見たとき、そこに通うことができる人たちを羨ましく思った。

しかし私は、あのビルを遥かに凌ぐ巨大な図書館の中でこれから生活を始めることを知っており、羨む気持ちを抑えていた。また、そのビルは結局日本語空間の中にあるものであり、私は英語空間の中で探究を続けることを知っていたため、あのビルを羨む必要など一切ないと思い、視線をそらして前方を向いた。

その瞬間に夢から覚めた。夢について講義をする夢に続いて見た、二つの夢もまた印象に残るものだった。

顔を上げ、前方を見ると、幻想的な白い世界がまだそこに広がっていた。2017/9/19(火)07:44

No.208: The Invincible Subjective Fact Nameless feelings sometimes come through myself.

The source of those feelings is already detected. It derives from the fact that I cannot live in Japan as long as I devote myself for my mother country.

Needless to say, the fact is not objective but subjective. Yet, the intact subjective fact is invincible.

It generates the paradoxical situation that I cannot lead a life in Japan if I maintain my will to connect with Japan deeply.

Once I relinquish my will, the day when I come back to my mother country may come. However, it will not come soon. 07:39, Thursday, 9/21/2017

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