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1432.【北欧旅行記】エドヴァルド・グリーグ博物館へ向けて


エドヴァルド・グリーグ博物館へのバスツアーに参加するために、そろそろホテルを出発しようと思う。バスはベルゲンの観光スポットの一つである魚市場の観光案内所から出発する。

今日もホテルの朝食を十分に食べた。相変わらずノルウェーサーモンの新鮮さには舌鼓を打ち、このレストランの素材にこだわった朝食には本当に満足である。

朝食があまりに美味しいため、昨日からランチボックスを購入し、それを夕食に食べることにしている。今朝もランチボックスを購入し、自分の好きなものを詰めた。

昨日に感じていた身体のだるさは随分と良くなったが、まだ完全に回復したとは言えないようだ。その影響は精神にも及んでおり、自分の言葉がなかなか滑らかに出てこない。

思考が鈍重な感じがやはりしている。そこから改めて、身体の調整がいかに重要かに気づかされる。「体は資本」と言われることがあるが、資本などと表現してはならないほどにそれが重要なものであることを思い知らされる。

今日も無理をせず、グリーグ博物館から市内に戻ってきたら、人混みを避け、ベルゲンの自然を堪能できる場所をゆっくりと散歩しようと思う。まさにムンクが身体と精神の療養を図るために自然の中で生活をしていたように、自然の治癒力に預かりたいと思う。

今朝は過去の日記を読み返し、日記というのはその瞬間のその場限りの思考や感覚などを記録していながらも、それが未来の自分へ宛てた手紙のような役割を果たすことがあることに気づいた。あるいは逆に、日記は未来の自分から送られた手紙としての役割を担うことがある。

日記を日々の出来事の記録にとどめるのではなく、それが一つの学術的・芸術的な意味を持つ表現形式になりうるのではないかということをここしばらく考えていた。そんな折にムンクが執筆していた日記と出会うことによって、日記の新しい表現形式としての意味が現実味を帯びてきたのである。

つまり、日記というのは、未来と現在を繋ぐ媒介手段であるのと同時に、学術的・芸術的な表現形式になりうるということである。私が執筆したい日記というのはまさにそのような性質を帯びたものである。

それはとりわけ観念的・感覚的なものであり、自らの仕事のための実験的な役割を担ってくれるものなのだ。日記を起点に学術活動と芸術活動に打ち込み、日記そのものがいつか学術作品と芸術作品に昇華される日に向けて今日も歩みを進めたい。

さぁ、これから「妖精トロールの住む丘」と形容されるトロールハウゲンにあるグリーグ博物館に向けて出発したい。今日という日がまた新しい一日であり、希望と幸福に満ちた日であることを望む。2017/8/14(月)

No.77: Gamification and Learning Addiction To gamify learning music theory boosts the progress of my learning.

I spent many hours today to learn music theory, but I do not have any fatigue. On the contrary, I am addicted to learning music theory.

Friedrich Schiller, a German poet, proposes that humans can attain their true humanity when they play. Playing is a secret of addition to learning in a positive sense. Monday, 8/21/2017

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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