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1420.【北欧旅行記】万物が放つ光


オスロの市内を散策し、日が暮れる前にホテルに戻ることにした。今日はバスでの移動で半日を費やしたため、歩き疲れるということはなかったが、流れ込んでくる感覚と向き合い、それらをゆっくりと咀嚼したかったため、早めにホテルの自室に戻ってゆっくりとした時間を過ごすことにした。

明日は、ムンク美術館とオスロ国立美術館へ足を運びたい。二つの美術館はどちらもともに、貴重な絵画作品を豊富に所蔵しており、二つの美術館を一日で訪れることができるのか、という嬉しい不安がよぎる。

まずは開館時刻に合わせて、ムンク美術館に足を運びたい。絵画のみならず版画を含め、ムンクが残した膨大な作品を所蔵しているとのことであるから、随分とこの美術館に滞在しそうである。

午後の二時半をめどにこの美術館を後にし、オスロ国立美術館へ向かいたい。明日も今日とはまた異なった新たな感覚が内側に流入するような日になるだろう。先ほどのオスロの街を歩いていた時に知覚した光の印象がまだ鮮明に残っている。

今思い出してみても、やはりあの光の輝きは不思議である。人間を含めた全ての生物と人工的に作られた無生物の全てが固有の光を持ち、それらが一斉に輝いている姿は圧巻であった。

全ての存在が光で作られており、この世界そのものが光で作られていることを確信させるには十分な出来事だった。私の記憶からあの光景が消えることは今後ないであろう。そう、あれは紛れもなく光景、「光の景色」だった。 ホテルにつながる大通りを歩いている時、絵を描き、その作品を売る人たちや、自分で作った装飾品を売る人たちの姿を静かに眺めていた。自分の創造物を生み出すことの素晴らしさに改めて心が打たれた。

絵画の腕が確かな男性の画家が、目の前の椅子に腰掛けるふくよかな少年をデッサンしている。どうやらその少年はモデルであり、なおかつお客であるようだ。

その少年の両親が微笑みながらデッサンの様子を後ろで見守っている。その横で、一人の女性が自分の芸術作品を路上で販売していた。その作品に引き寄せられるように一人の中年女性が立ち止まり、二人は笑顔で何かのやり取りをしていた。

一人の人間の創造物が人と人を結び、他者に幸福感をもたらす可能性があることに、私は感動していた。作ること、作ること、作ること。その先に、人と人との結びつきが生まれ、それが幸福を生み出しうるという奇跡に、私はたまらなく嬉しくなった。

この世界の誰か一人に届いてくれさえすれば良いという思い、いや、ここから数十年後、数百年後の誰か一人に届きさえすればそれで良いという思いを持って、とにかく自分の創作に打ち込みたい。

作ること、作ること、作ること。その結果、誰かと繋がりを持ち、その作品と繋がりが幸福感を生み出すのであれば、他に望むことがあるだろうか。

オスロの路上で得られた感動を決して忘れてはならない。とにかく自分は創作に創作を続け、自分の一生を全うしたいと強く思う。

創作に全てを捧げ、創作に打ち込む人生を送ることに対して、もう一度気持ちを新たにするために私はこの街を訪れたのかもしれない。先ほど見た万物の輝きはひょっとすると、それぞれの存在の創作心であり、それらは目には見えない光の束の絆によってつながっており、創作を通じた幸福感で包まれることを待ち望んでいるかのようだった。

光は光として存在するためにあるのではない。万物が持つ光は幸福感に包まれるために存在しているのだ。2017/8/10(木)

No.65: Fortune Nobody will not read this series of diaries. It is fortunate for me because I can undertake incalculable explosive thought experiments here without considering the general public.

What I can continue to be nobody in the society enables me to engage in my work with diligence, enthusiasm, joy, and love. Friday, 8/18/2017

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